カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

悔しさとともに、年が明ける。もう一度、2013年をやり直したい。

2013-12-31 | 人間観察
やっと原稿を書き上げた。

久しぶりに満足感を体感した。

この原稿が4月ごろ、陽の目を見る。

そのときまで元気でいられるかさえ
自分にはわからない。

31日、彰子先生から電話があった。

彰子先生と出会ったのはちょうど一年前。

この亀山で繋がった。

「今一人?」

「うん」

「奥さんと一緒じゃない?」

「一人だよ」

「今亀山駅に着いたの。
除夜の鐘を一緒に撞きたい。
一年前と同じように」

そうだった。
僕は彼女に助けられ、
そのまま慈恩寺の鐘撞きに行った。

忍山神社で年越し蕎麦を食べ、
のぼの神社で日本武尊の古墳に行った。

津のヨットハーバーで日の出を見た。

そんな一年前に戻れるかもしれない。

そんな気がした。

ただ、足の具合が良くなくて、
亀山城跡までタクシーで来てもらった。

やっとのことでたどり着いた僕は
タクシーから降りた彰子先生を抱きしめた。

新しい一年は
今年のやり直しかもしれない。

それならば嬉しい。

僕にとっては後悔の残る一年だった。

家で彰子先生を抱いた。

そして今から慈恩寺に向かう。

今年こそ、すばらしい一年になりますように。

もっと動けるようになりそうな予感。野菜を収穫し、正月を待つ。

2013-12-30 | 人間観察
28日に、掃除をしながら
店を開けた。

それでも夜になると
人が集まる。

店の明かりも点けてないので
知った顔ばかりだ。

在庫の素材で鍋を振舞った。

これでみんなと6日の日までは会うことはない。

ダラダラとしばしの別れを惜しんだ。

みんなが帰ったのは12時過ぎ。

後片付けは、長い休みの前だけに、
中途半端には済まされない。

5時になっても終わらなかった。

休憩を挟みながら
何とか片付いたのは9時を過ぎていた。

少し仮眠をして亀山に向かったが、
ひどい渋滞に進まない。

桑名で東名阪を降り、
1号線に出た。

デニーズで休憩したり、
公共の駐車場で休んだりしながら
畑に着いたのは2時過ぎだった。

それから仮眠し、
4時半ごろ起き上がって
畑に出る。

白菜、芋、たまねぎ、ネギ、
韮、キャベツ、人参などを収穫する。

店から、
卵やベーコンを持ってきた。

それで、健康的な生活をするつもりだ。

味噌もある、
米もある。

生きていくには十分だ。

正直なところ、
脚が痛くて満足に歩けない。

それでも精神的に楽になっている。

そしてまた眠った。

つい先ほど目が覚めた。

物音がする。

台所で久仁子さんが食事の準備をしていた。

「どうしたの、こんな時間に」

「そろそろ来るころじゃないかと気になって。
私一人じゃ寂しくて、昨日からちょくちょく顔を出してる。
お風呂に入れるよ」

僕は風呂に入って体を温めた。

そして今、かなり楽になった身体を休めながら
ブログを書いている。

こんな生活をしながら
正月まで過ごそう。

31日には送らないといけない原稿がある。

出来る限りがんばってみようと思う。

2日間は、原稿だけに集中できそうだ。

自分だけの時間はわずか6日しかない。

贅沢に、自分の時間を使ってみよう。

なんとなくいい予感がする。

最低にして最高のマナー。今年の終焉にふさわしい言葉を客から聞かせてもらった。

2013-12-28 | 人間観察
風邪を引いた。

熱こそないが、咳が止まらない。

時に早朝と深夜。

体が冷えると咳が出る。

免疫力が低下しているから、
しっかり直さないと危険でもある。

子供のころ、小児結核(現在の小児喘息)だったこともあり、
冬になると、咳が出やすくなるようだ。


今年の実質的な最後の夜は
愉しかった。

顔見知りが集まり、
楽しく一年間を振り返った。

ただ、単身赴任の人たちは、
早々と帰省していった。

ランチも、
わざわざ時間を合わせて顔を出してくれる客も多く、
気分良く仕事が出来た。

病院での治療に割かれる時間が少なくなっただけでも、
僕の身体には余裕がでる。

あと1日で僕は一人で畑のある家に向かう。

28日は、客の多くがいなくなる。

家事に追われたり、
故郷に帰ったりと、
飲みに来るどころではない。

少しからだがしんどくなってくる9時過ぎに
初めての客が現れた。

名古屋に来てまだ3ヶ月という転勤族だ。

スポーツマンぽくて清潔感のある40くらいの男性だ。

最初は少し遠慮がちに飲んでいたが、
だんだん客とも会話をし始め、
すごく気に入ってくれた。

そしてボトルキープまでしてくれた。

久々に見るさわやかな男性だ。

その人が名言を残してくれた。

「マナーって、
決して箸やフォークの使い方だけはないんですね。
僕は一番のマナーは、好き嫌いなく、
美味しそうに残さず食べるということと、
食事中に、携帯電話などを触らないこと。
これが最低のマナーだと思いますよ。
これもできない人たちが多すぎます。
テレビでも、そういうことは決していわない。
上っ面しか言わないってことが、
僕は一番嫌いなんです」

名言だ。

最後の営業日にふさわしい名言を聞いた。

来年こそはいい年にしたい。

誰もが感じることを、
僕も性懲りもなく感じている。

明日、今年の仕事が終わる。
片付けも明日一杯で終わりたい。

来年は僕の身体にとって、
厳しい年になりそうだ。

あちらこちらに
僕の足跡を残して生きたい。

悟りなんか不要だ。

どたばたして、
泣きながら、
悔しさ一杯で
死にたいものだ。

不思議な事件が日本には存在する。みんな見てみぬ振りをする。

2013-12-26 | 人間観察
子供が生まれてまもなく行方不明になっているという事件が
わかっているだけで
1000件を超えている。

出生届けが出た後、
4ヶ月検診と
1年検診があり、
このとき確認できるし、
入学手続きのときにも確認できるはず。

しかもみんな手続きには欠席している。

子供が生きているかどうかも確認せず、
10年ほどたってから
行方不明だとわかる。

いくつかは調査が行われたが、
公訴時効の3年が経過しており、
全て不起訴処分となっている。

公務員のやることはこんなものだろう。

猪瀬の辞任で賄賂の問題もうやむやだ。

石原前都知事には
徳洲会から億単位の金が流れているというのは、
徳洲会を解任された元秘書が帳簿で暴露している。

しかし、聴取さえ行われない。

金を渡すように支持した徳田虎雄に対しても
病気を理由に聴取を行わず不起訴にするという。

猪瀬だけがトカゲの尻尾切りの犠牲になった。

福島原発事故も、
福島第1原発1号機の
使用済み燃料プールの中にある燃料棒70体が、
東日本大震災前からすでに損傷していたことが
明らかになった。

プールの中に保管されている
使用済み燃料292本の約4分の1。

今まで、
想定外の地震と、
想定外の津波が原発事故の原因と言い張ってきた。

全て嘘だった。

それでも調査ひとつしないし、
東電は刑事責任さえ追及されることはない。

原発事故で刑事責任を追及され
告訴されたのは民主党だけだ。

不思議な事件に、
誰も気が付かないふりをする。

病院で必要以上の治療、
良化する可能性のない治療を拒否する旨を伝えた。

おおむねで了承された。

ただし、1月10日の手術までだという。

その結果によっては
また新しい治療が生まれるのだろう。

24日と25日は、
近しい人たちが来てくれた。

いいクリスマスだった。

ただ、僕があまりにも疲れていたのだけが
客に対して失礼だったと思った。

明日からは、病院に行っても
重い治療は受けない。

だから、夜だけはしっかりとやる。

今年は後3日間やるつもりだ。

26日で終了するつもりだったが、
28日まで、営業をするつもりだ。

可能かどうかはわからないけれど。

このまま休みに入ってしまうと、
やり残したような消化不良気分が僕を覆ってしまう気がする。

痛みが激しくなっても、
12月が過ぎたら、
ステロイドの服用量を半分にする。

3月にはさらに半分にして、
6月までにやめようと思っている。

昔の身体に戻って、
死んで行きたいから。

安藤美姫に感謝!すばらしいものを見せていただいた。強さと優しさは、もっと胸を張って主張するべきだ。

2013-12-24 | 人間観察
安藤美姫が選手生活に幕を下ろした。

よくがんばった。

関係者からは中絶を勧められ、
いろんなうわさを立てられ、
興味本位と金儲けだけが目当てのマスコミが追い掛け回し、
プライバシーもないほどに関係者や知人にまで取材を申し込む。

母親として、
一人の人間として、
そしてアスリートとして戦っている人間に、
周りの心無い獣たちは彼女をいじめた。

最先鋒にたって彼女をいじめたのは協会だ。

「子供を生んだ女がスケートなど出来ない」
「子供を生んでオリンピックになんか出させない」
「オリンピックに出る資格なんかない」
「強化選手にはさせない」
「国内選考で優勝しない限りオリンピックは出さない」

なんて姑息な協会だ。

励まし、支援する言葉は最後まで聞かれなかった。

そんないじめの中で彼女は堂々と戦った。

出産から短期間で
国内最終選考の大会まで進んだ。

あと数ヶ月あれば、
安藤美姫はオリンピックに出られたかもしれない。

日本選手初のママさんスケーターとして
オリンピックに出られたかもしれない。

力尽きた。

7位で引退を表明した。

思わず拍手をしてしまった。

母親の強さと、
母親の優しさを感じた。

安藤美姫は立派なアスリートだった。

それに引き換え
協会の姑息さは、
離党した国会議員に、
議員活動をさせないようにした
みんなの党の渡辺嘉美と同じだ。

何もしない祝日に、
身体は休まらない。

痛みだけが絶叫マシンのように騒ぐ。

何のための治療かわからない。

明日、病院で治療中止を言ってみようかと考えている。

現在の治療の意味がわからない。

1月10日の手術だけで十分だ。

もし、治療を続けないのなら手術が出来ないのなら、
それでもいい。

このまま同じ事を続けることで、
僕は本当に動けなくなってしまうかもしれない。

本能的にそう感じる。

生きるか死ぬかの選択ではない。

死なずに動けずに生きているだけということを
僕は一番避けたい。

動けるようになるための手術でなかったら、
僕は拒否することに決めた。