カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

時が速く進みすぎている。過去に戻ってしまいそうな勢いで。

2012-07-16 | 人間観察
朝6時ごろに実家に着いた。

少し仮眠を取り、門から玄関につながるわずか20メートルほどの草取りに、2時間以上もかかった。

風呂で汗を流し、仏壇を掃除する。

花を買いに行き、お墓の掃除をする。

近くの人たちも、お墓に参っている。

新盆だから。

僕はこの地に住んだことがない。

祖父母の墓があり、両親のお骨もここに眠っている。

実家もすぐ近くにあるのに、僕はこの地に住んだことがない。

いろんな理由があったのだろう。

京都から引っ越してきたとき、僕は独りで住み始めた。

小学校の4年生だ。

家を建ててもらい、父が大学で教えている女子学生を無料で住まわせ、
僕の世話を任せていた。

だから僕の家には、いつも3人の女子大生がいた。

それからずっと僕は親と一緒に暮らしたことはない。

日本海軍の大佐で軍医だった祖父が医院をやり、父は国立大学の教授。

文句のつけようのない環境だった。

もちろん他人様から見ればの話だが・・・・。

弟が40歳のとき、自殺をした。

姉が夫の暴力が原因で、死んだ。

それから両親のほうから親しくなろうとしたようだ。

そして、2年にも及ぶ介護の末、母が死に、ひと月後に父が死んだ。

僕以外の家族全員の葬式を出したのは、一緒に暮らすことを許されなかった僕であるというのも皮肉なものだ。

そんなことが走馬灯のように蘇ってくる。

何かあるのかもしれない。

昔のことが、
本当はもう忘れてしまっているようなことが、
今年はめまぐるしく僕に迫ってくる。

純子にも会った。

久仁子にも会った。

そしてシンガーにも会った。

もうありえないことばかりが襲ってくる。

こんなことがあると、いろんなことも思い出してしまう。

「もしかしたら、僕の命はそう長くないのかもしれない」

そんな気もしてしまう。

次から次へと現れる、昔の思い出。

頭の中だけでなく、人と一緒に別の思い出までもが、引き出しの中から引っ張り出されてしまう。

墓の前で手を合わせる。

本当にいろいろなことが思い出される。

住職が声をかけてくれた。

「明日の11時ころ行くから」

今こそ儲け時、とばかりに住職は四駆に乗り込み出かけていった。

家の仏壇にお菓子と花を用意した。

祖父母と両親の額に入った写真が仏壇の上の壁にかかっている。

僕が作ったものだ。

この家は、これからもずっと、両親が主役であってほしいから。

少しまた仮眠を取った。

今度は、日本武尊の古墳がある《のぼの神社》に行った。

僕は実家に帰ると必ずここに来る。

日本武尊のもの悲しい人生がなぜか自分に重なり合う気がしているからだ。

尊の妻であった、弟橘媛の生地に建立された忍山神社にも行く。

ここではいつも、媛に声をかけられたような気がする。

そして、久仁子さんに電話をした。

お経が終わるころに、水口のファミレスで会うことにした。

店は娘が見てくれるそうだ。

僕は明日彼女にあったら、聞きたいことがあった。

僕は、4回生の10月から、留学した。

エジプトに立つ1週間くらい前に、バンドを一緒にやっていた男が死んだ。

久仁子さんもよく知っている男だったはずだ。

そのことが気になっていたのだが、彼の葬儀にも出ることができず、そのままになっている。

また過去がすごいスピードで蘇ってくるかもしれないが、
学生時代の写真には、ギターを持った彼の笑っている姿が写っている。

少し不安を感じながらも、僕は久仁子さんに明日会う。