亀の啓示

18禁漫画イラスト小説多数、大人のラブコメです。

パラレルストーリー 年上美月①

2018-08-09 07:11:01 | 美月と亮 パラレルストーリー
亮は新学期を迎えるにあたり
毎年ちょっとした憂鬱に襲われる。

朝晩の程よい寒さ。
日中の暖かな陽射しが固い蕾を
柔らかく膨らませていく様子を
日々眺めていくうち
また、この時期が来ると思う。

高校三年というのは
進路別編成になるため、大体クラス替えだ。
担任も、もちろん変わる。

自己紹介、というものがあるだろう?
自分の生身の見た目と名前を合致させ
今後一年間に渡り円滑な人間関係を築くためだ。

長内亮。これが彼のフルネームである。

ながうち、ではなく
おさない。

りょう、ではなく
とおる。

さほど難しくはないのだが
初めての方にはご説明申し上げなくてはならない。

生徒同士ならば、さぐりさぐり
すこしずつ距離を詰め
相手の反応を見ながら

「そんなに珍しい苗字じゃないけど
選択肢として複数あるタイプは
取っつきにくいよね。
おさない、ていうんだけどさ。」

と、印象付けながら紹介できる。
下の名前はもっとやっかいで
ほぼ全員が「りょう」と読むので
下の名前で呼びあうような仲にならなければ
もういっそりょうでいいんだけど。

そこで、唯一。
下の名前で呼びあうような仲には
絶対ならないだろうが
正確に呼ばれないと何故か居心地の悪い存在
それが、教師である。













新学期初日。

亮は、新クラス名簿を眺めてため息をついた。

盛大なフルーツバスケット状態で
見事にシャッフルされたクラスの面子を
一人一人目で確認する。
ほぼ、知らない。
そんなことあるか?
まあ、私立のマンモス高校だから
仕方ないんだけど。

亮は教室に移動する前に
裏庭の桜の木の下で
今年の自己紹介シミュレーションを始めた。

自分の名前を周知徹底させるために
昔から人一倍の工夫とともに努力を重ねている。

亮がブツブツとリハーサルをしていると
桜のモコモコした房の間に
信じられないものが現れた。

それは若い女性の姿である。

ショートヘアでスラッとした背の高い女性だ。
動くと光を反射して
眼鏡がちらちらと光を放つ。

公道に面した裏庭の塀の上を、歩いている。
だから、桜の花の間から姿が覗いたのである。

亮は不審者だと思ったんだが
変態おじさんでもないので
やんわりと声をかけた。

「あ。あの。何してるんですか?」

何をしてるのかと言えば塀の上を歩いてるんだが。
何のつもりでそんなところにいるのか
と言うのが正確な訊き方だろうか。

「はっ!!」

その女性は頓狂な声を上げて、亮を振り返った。
塀の外にはみ出しながら咲き誇る
ソメイヨシノの枝振りを、振り返った拍子に
思い切り揺さぶった。

桜ふぶき。

その女性は、花びらと一緒に
塀の上から落ちてきた。

亮はとっさのことではあったが
ほとんど脊椎反射で女性の着地点に向かって
ダッシュしていた。

まあ、ここで抱き止められれば
格好良かったんだろうが
日常はそこまで格好良くは出来ていない。
ところが、自分が女性を抱き止める以上に
格好良い出来事が、目の前をスローモーションで
展開していたのだ。

バランスを崩してよろけて
塀から足を踏み外した女性は
体を瞬時に反応させ、背を丸めて膝を折り
バク宙をかまして余裕で着地したのである。

「職員会議に遅刻しちゃうの!見逃してっ!」

「えっ?!」

そう言い残すと、植え込みを飛び越えて
あっという間に走り去った。

いなくなってみれば、そこに彼女がいたことさえ
桜の木が見せた幻だったのではと思えてくる。

「職員会議って。」

先生?

だが、見たことないひとだったし。
二十歳そこそこ、いやもっと若いかもしれない。

亮は狐につままれたような気持ちになる。

ああ。今年の自己紹介は惨敗だな。
自分の名前どころじゃなくなっちゃった。












始業式を終えて教室に入ると
本当にほとんどが知らない面子だった。
まあ、先生が来るまでシミュレーションを
再開しよう。今年の担任は知らない名前だな。
鷺沼、美月…。
いいな、読み間違える余地がない。

先生が入ってくると、ざわついていた教室が
一瞬静かになり、またざわつきが大きくなる。
入ってきたのは若い女性で、新任だろうか
緊張している様子が歩様に表れていた。

スラッと背が高く。ショートヘア。
眼鏡が、光る。

え!

「はい、みんな席について!静かにしてください!」

塀の上を歩いてバク宙で降りてきた人だ。

「生物を担当します。このクラスの担任の
鷺沼美月です。新任ですが、頑張りますので
よろしくお願いしますね。」

彼女は手早く黒板に自分の名前を書いた。

「派手にクラス替えしたみたいだから
全員に自己紹介してもらいましょう。」

出席番号順に自己紹介は進む。
一人一人、その場で立ち上がり
最低限の個人情報を早口で吐いて
また、椅子をガタつかせながら着席する。
46人全員が自己紹介をするのを
どのくらいのやつが最後まで真面目に
聞いているだろうか。
だが、俺はおさない、なので
出席番号は前の方だ。
高校は苗字50音順だが、中学までは誕生日順だった。
だが、俺は4月29日生まれなので、これまた前の方だ。
みんなまだ自己紹介を比較的しゃんとして聞いている。

それだけに、手が抜けない。

「クラス名簿を見てもらうと分かると思いますが
単純に読むと、ながうちりょう、ですよね。
でもそうすると、加藤さんの前に配置されてる
説明がつきません。したがって俺の苗字は
おさない、と読みます。ついでに言うと
亮という漢字には様々読み方があり、俺の名前は
とおる、といいます。長くなりましたが一年間
よろしくお願いします。以上です。」

こんなに平凡な字の羅列で、ここまで説明が
長くなるんだから逆に印象に残るはずだ。
それでも、おさない、と苗字を覚えてもらうだけで
力尽きているのも事実だ。
まあ、俺を下の名前で呼んでくれるくらい
親しく思ってくれる人は、ここに何人いること
だろうな。

自分の自己紹介を終えてホッとした。
そこからは、桜の君のことしか
考えていなかった。

始業式の日は一通り自己紹介やら
班決めやらざっくりHR的なことが終われば
下校になる。
配られた教科書を鞄に詰め込み、持ち帰る。
のんびりしていられるのも今日までだ。
明日からは普通にフルタイムの生活が待っている。

教室を出ようとすると、呼び止められた。

「おさない、くん。ちょっといいかな。」

先生は俺に口止めしたいんだろう。
こうして特別な話が出来るようになるとは。
桜の木の精も粋なはからいをするものだ。

「お願い!内緒にして!」

先生はすんなりと細くのびた手足を
申し訳なさそうに折り曲げて
小さくなって俺を見上げる。
胸の前で合わせた手がかわいらしい。

あどけない顔立ち。この人、本当に23か?

「誰に言って信じてもらえます?
2mもある塀によじ登って、その上を歩いてたなんて
そんなこと言ったら俺の良識を疑われます。」

「あん。そんな言い方しないでぇ。」

恥ずかしそうに身をよじった。
声質はハスキー系なんだが、甘えた口調に傾いた
声の出し方が程よく艶を加えていた。
凄くかわいい。

「でも、担任の先生だなんて。驚きました。」

「見えなかったでしょ。教師になんか。」

「いえ。そんなことは。」

廊下の端で話し込む俺たちを見咎めて
怪訝そうな顔をするやつらも出てきた。
俺はそろそろ、切り上げなくちゃと思う。

「それじゃ、これからもよろしく。」

「ん。ありがとね。」

鷺沼先生は、すごく柔らかい笑顔を
俺に向けてくれたのだった。