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元職場サッカー創部の先輩・指導者の訃報

2022-01-11 17:23:01 | 日記

1/11 所属するサッカークラブ「ACちば」のメールでの元職場チーム後輩K氏報引用として、Hor先輩の訃報を受け取った。東京出身のHor氏は、北大サッカー部のキャプテンを務めてから地質の専門家として昭和34年1959年に電力中央研に入り、そこでサッカー部を創部。初めは一人で工作場の壁を使ってボールを蹴っていたという話が部誌に残っている。

昭和30年代後半、まだ少なかった週休2日制の休日土曜午前を練習時間にして、ほとんど素人集団のメンバーにインステップキック・サイドキック・トラッピング・タックルの基礎を氏は教え込んだのだ。小生は中高大部活が体操だったが、サッカーが中高の校技だったので、昭和39年就職した電中研の⚽部にはすぐに慣れた。が、柏から参加する東京の土曜午前サッカー練習・午後大学ゼミ+日曜試合のスケジュールは楽ではなかった。一方、Hor氏指導のタックル練習に時間を割いて正当なタックルを身に着けたチームは、上手くはなかったが結構強いチームと練習試合を組めた印象が残っている。

Hor氏はその時代の弱小チームの中にあって、常にフェアプレーで通す選手でした。昭和37年東京三多摩リーグ2部で東芝府中を初めて破り、全勝優勝したのは遠~い昔の小さなピークの記録であるが、小生の就職入部はその後である。昭和42年には1部でも優勝を果たした。この時は、東京の1部だった東芝府中とは引き分けだった。氏は昭和45年に千葉県我孫子勤務となり、平成9年千葉60雀チームを結成した翌年の平成10年に全国プレ60雀大会@Jビレッジに千葉60雀主将として参加している。

というわけで、氏は電力中央研究所サッカー部の創設者(昭和34年)であり、創設当初から技術・戦術の指導者を務め、小生が職場サッカーを始めた(昭和39年)頃以来、FW・ゲームメーカー・コーチとして部を引っ張り、我孫子市サッカー協会の初代理事長(昭和40年代後半?)も務めております。生涯クリーンなプレーで一貫したgentlemanshipの手本を見せてくれた先輩は、年末の天皇杯決勝を観戦された後亡くなられたとのことである。黙祷


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1 コメント

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ありがとうございました (なお)
2022-02-18 23:46:52
父のことをとてもよく書いて頂きありがとうございます。
息子の「なお」です。妹が偶然このブログを見つけ、教えてくれました。

父は生涯現役だったので、サッカーの仲間が大変多く、お伝えしきれなかった方々が多くおられるのではと思っていました。
父子ともどもお世話になったのに直接お伝えすることができず、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

私も父を目標にサッカーを続けています。
コロナ禍がおさまったら、お会いできればと思います。

本当にありがとうございます。
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