シニアDF柏の最終コーナーばなし

シニアサッカーと数学パズルと海岸とリハビリの周辺事

左前脛骨筋の痙攣で目が覚めた

2018-04-22 10:32:58 | 日記

横浜の青葉60さんのお誘いでSocioと浦安60との三つ巴フレンドリーゲームを好天下で楽しみました。ピッチは、京急富岡駅から10分ほどの長浜運動公園多目的広場、天然芝のグランドで、少年たちが試合中でした。3チーム総当たり16分ハーフの10人制(少年用サイズのグラウンド)で、4-3-2のトップでした。集まった人数がちょうど10人でした。No君が久しぶりに参加、60雀に初見参ですが、左サイドバックが引き締まりました。我が家を9:20に出て、グラウンド着が12:30。品川駅で久しぶりの京急乗り換えに戸惑いました。途中の青物横丁駅は数10年前の某社技研の所在地で、多少懐かしい。

結果は、浦安vsSOCIOS  1-2(1-0,1-1)、浦安vs青葉60    2-0(1-0,1-0)の多分全チーム互いに1勝1敗のスコアでした。浦安は翌日の県リーグを控えて抑え気味でしたが、プレッシャーのきつい方に負けたという結果でした。チャンスが2回ありましたが、ゲットする気で突っ込んでいない分だけタイミングが遅れて得点ならず。反省点です。場外水飲み場の水道だけでしたので、ゲームウェアの上着のみ着かえて、パンツ・ストッキングはそのまま帰路につきました。この時の足の冷えが後で響いたのかもしれません。京急富岡駅前の蕎麦屋でビル2本、車中睡眠で品川乗り越し、泉岳寺から都営地下鉄で新橋乗り換え途中ビル地下で生1とホッピーセット+中1で我孫子まで行きすぎて柏にカムバック、19時過ぎに帰宅。

真夜中、左向脛の筋肉が攣って目覚めるも、自分では伸ばせず。この筋肉が見事に収縮して動きが取れないのは初めての体験。古い震動マッサージ器を家内が見つけ出して、これでようやく治まりました。前脛骨筋伸ばしのクールダウンはやらないのだが、普段ほとんど使わない左インステップキックを使った意識が無く、謎です。翌日の県リーグ戦は腰に堪える人工芝なので敬遠しました。


2018年4月前半の79歳サッカー

2018-04-17 08:07:41 | 日記

4月7-8日(土-日)は第5回”絆”市原インターナショナルマスターズ大会(O-60,65,70)で、カテゴリー別予選リーグと順位決定戦です。本年も米国のGeorgiaチームが参加しました。

本年は第1日目の4/7は不参加、大学土木同期会があり、サッカーで昨秋卒業55年熱海会に不参加でしたので、渋谷での会に出席しました。同期46名中鬼籍入りが10名、残36名中の22人が集いました。仕事の現役は1人、名誉職や勉強会メンバー2~3人。というわけで、マスターズは第2日に応援見物という参加の仕方でした。

ACちば70は、在東京広島軍団(昭和27,38年全国制覇の修道高校OBら)に主力メンバーを提供する事情があり、苦戦を強いられておりましたが、80歳代メンバー2名、O-75メンバー2名の元気なプレーを見られて、本年の埼玉・那須O-75大会に希望を持てました。Georgiaは本年は勝ち残れなかったようですが、例年通り、ここを皮切りに名古屋・京都・大阪と転戦したようです。家族を伴っての転戦ですが、「いかにゲームを楽しみ、ファイトするか」をテーマにしている彼らの家族のお一人から聞いた日本転戦の魅力は"People"と伝えられております。

4/15(日)の県リーグO-60第3節は、浦安シニア60の対習志野台60戦でした。強風の条件下で風下のスタートでしたが、申し合わせの通りに低い軌跡のパスをつなげる作戦がチームに浸透した戦いぶりでした。小生は、チームの中では高齢のI氏と交替で右サイドハーフを務めて相手中盤の攻撃を遅らせる役回り、何とかこなしはしましたが、3週間ぶりの本気はきつかった。必要と分かっていてもクーリングダウンはなかなかできないもの、その後苦しむので反省点である。結果は4-0の大差勝利で、今期リーグ戦は1勝1分け1敗。後半ハーフの前半の2点目はI氏のファーサイドの(バック?)ヘディングシュートで、高齢軍団もそれなりに気を吐いた1戦でした。

往復車中はポアンカレの改訳「科学と方法」(1908原著、1963吉田洋一改訳)の再読。ラプラスはニュートン力学による決定論的自然観で偶然を人間の無知から生じると断じたのに対し、ポアンカレは偶然を無知無能力起源とは見なしていない。観測誤差は必然と見るし、カオス(とは称していないのは当然として)も知っている。全体としては決定論的自然観ながら、無知起源と断定しない偶然を部分的に受け入れている。確率論で対処して正解とするが、彼の発見したカオスも確率論的に処理できると考えているのかは判明しなかった。ラプラスの悪魔との違いは、事実を選択して当面の法則を得るという態度にも見える。