9月24日、千葉マスターズ大会に参加した。70才超・75才超・80才超の県対抗のO-80ゲームは、ハーフコートで8名ずつ15分ハーフのゲーム。千葉県単独構成O-80としての参加は初体験である。これまでの大会では、O-75以下では各県独自のチームを構成して対抗試合が行われるが、O-80は人数が揃わないので各県混成チームでフレンドリーとなるのが普通であった。
コロナ罹患後のトレーニングゼロの状態と断ったうえでの参加であったのだが、人数ギリギリで出場した。結果は、対神奈川1-9、対埼玉0-1の2戦2敗。走れずでGKだったが、練習を積んでる神奈川県には散々に遊ばれた。
帰路、船橋で一献傾けて店を出ると「どうも、右ひざ関節が痛む」。湿布して翌日整形外科を受診し、”変形性ひざ関節症”との診断。我がサッカー歴で初体験、関節の軟骨がすり減りで「中等度かそれ以上の症状」の由。これ以上だと”水抜き対応”になると宣告された。体重減が必要だが、関節が良くなることはないそうだ。
27日、元職場仲間3人と浅草駅で待ち合わせて、外国人の目立つ雷門から仲見世を通って酎ハイ横丁で腰を据えた。勝手知ったる浅草だが、2~3年ぶりは、幾分異邦人気分は我ながら意外であった。新仲でも適当に潜り込んで昼飲みを明るい内に切上げた。
29日には、浦安⚽の重鎮メンバーと船橋の宵を楽しんだ。かつては勝手知ったる・・と思っていたガード下の大衆酒場に6人卓を囲んで一献傾けた。慣れた顔ぶれと場所ではあったが、何せここの処はボールに足を絡め合えていないメンバーとの久しぶりの顔合わせであった。
1日には、我が3兄弟のそれこそ久しぶりの顔合わせであった。末弟の相棒さんが芸大生時代の下宿仲間の集まりの日程に末弟が便乗して兄弟再会を図ったのだ。関西から出て来るので東京駅丸の内ビルの店をネット予約して集まった。5~6年ぶりの再会は、それぞれに老境の風貌を確認した。末弟夫婦が学生の頃に小生の下宿先の高円寺に来た時を思い出した。その頃院生の小生は偶々懐が寂しい時期で、代金暗算しながら乗り切った思い出を話した。
飲みの続いた月末月初であった。兄弟3人とその相棒共年取ったが、健康で顔合わせられたのは幸いであった。