1/4 サッカークラブAC千葉の木曜練習会の蹴り初めに参加した。 10:30 蘇我フクダ電子スクウェアの人工芝Gに集合して、60才超の8人チームでのウォーキングミニとランニングミニゲームと、フルコートゲームの20分4本の試合形式練習。ウォーキング minigameのとき、無意識にrunning shoot getで「違反」とされたが、反射反応は内心「良し」と自覚した。
総員50名弱の中で小生は年長No.2。久しぶりの参加なので練習初めに挨拶。「往年の名フォワード」と自己紹介の後、年齢84才を告げると、「オー」の反応。なんとか4本を終えると、初顔のメンバー談「自分は65才で、いつまで続くか内心で疑っていた。限界まで20年もあると知って良かった。」
帰途、船橋で午後コーヒーの後、東武野田線の揺れに身を任せ、筋肉疲労を快く味わった。が、この翌晩の就寝中に両脚筋肉攣りで目覚め、ベッドに腰かけて下肢筋肉を叩き揉みする破目に会った。
本年初は、1/1 16:10 令和6年能登半島地震M7.6 珠洲・志賀町で震度7⇀1/2 朝 政府非常対策本部の立ち上げ、次いで1/2 18:00前 羽田空港C滑走路で着陸のJAL516便のAirBus350-1が海保航空機と衝突炎上したが、379名の乗客乗員全員脱出に成功、海保機は能登地震の救援物資輸送の離陸準備中で機長以外の5名が死亡。脱出劇は”奇跡”と報じられた。小生には3カ所の脱出口開扉直前の機長・CAの脳内の意識の動きが気にかかる。前方のCAは機長に火災を伝えたが、機長から全CAへの通信は遮断された中で、乗客のパニックを日本語と英語でcontrolしつつ、CA同士で火炎状況を判断し、8ヶ所の脱出口のうち最前方2ヶ所と最後方1ヶ所の出口解放で乗客を無事に誘導したのだ。