司馬遼太郎の小説「義経」の感想です。
あ、ここで述べている人物像やエピソードは、すべてこの「義経」という作品に準拠したものですからね。あくまで「史実をもとにした小説に準拠」です。
私としては、正直、義経より頼朝のほうが好きなんですが、ただ、
たしかに創作の主人公としては義経のほうがふさわしい、というか絵になりますよね(笑)。
「美しい母親の助命嘆願により、父親の政敵の情けで、一命だけは救われる」「ただし、清盛としては常盤御前欲しさで、という現実も」「寺に入るも、武士の血のためか、僧侶の枠には収まることができない、無邪気な破天荒ぶり」「やがて鞍馬を抜け、奥州へ」「成長後、兄頼朝の陣中へ駆け付ける」――そして、なにより、
常に小勢で、自ら先陣を切って白兵戦を展開する。
奇襲を得意とする戦術、アクロバティックな個人的武勇。
まあ、判官びいきなくしても、創作家としては義経のほうが動かしやすいですよね(笑)。頼朝だと、「主人公が野心満々、自身が天下欲しいがために、権謀術数も厭わなければ、冷徹にもなりきれる」といった部分も描いていい作品なら、主人公としておもしろいんでしょうが、大衆向け作品としてはね、やっぱ義経のほうが主人公らしいですよね(まあ、『草燃える』では途中まで頼朝が主人公だし、吉川英治も頼朝主役の小説を書いてますが)。
また、義経っていう人が、
よくいえば純粋、悪くいえば自己中心的で世間ズレしている
って人なんだよね。現実に、周りにいたら殴りつけたくなりますが(笑)、創作の主人公としては、それくらい個性豊かでないと困ります。マンガとかでも、「空気主人公」って、魅力ないでしょ。
義経はね、必要以上に肉親や目上の者に甘え、必要以上に子飼いの部下や自分の女をかわいがるような性格なんですよ。
兄である頼朝との「血縁」に甘え、頼朝の代官であるにもかかわらず、頼朝が付けた彼の御家人たちを自分の家臣のように扱う。「兄の家臣なら、弟である自分にも敬意を持って当然だろ」とばかりにね。
頼朝としては「家にあっては兄弟でも、国にあっては君臣」でしょうし、そもそも当時の価値観としては、「それまで会ったこともない、別腹の弟など、家臣と変わらない(対して、自分は正室の子、嫡男)」でしょうし、それは彼が付けた御家人たちも同じでしょう。
にもかかわらず、自分の家臣である弁慶や伊勢三郎義盛、しかも僧兵、盗賊上がりの彼らと、有力御家人である梶原景時らを同格とばかりに扱って、さらには軍監である景時の意見は完全無視ですからね(まあ、景時もかなりアレな人ですが/笑)。
やっぱ天才肌なんでしょうね、義経は。採用しないにしても、横着せずに説明すべきなんでしょうが、「黙って従ってろよ。オレの戦術以外、勝つ方法はねぇよ」とばかりに、他人の意見を黙殺する。で、彼に代わって説明役のできる腹心がいればいいんですが、そういう人材もいない。
とくにこのころの戦っていうのは、総大将は前線には立たないらしいんですよ。もちろん、「大将が討たれたら、軍が瓦解し壊滅しちゃうから」ってのもありますが、なにより「諸将に功を立てさせてやるために、諸将とその部隊を全面に押し出してやる」といったことが、総大将に求められていたようです。それが、義経は自ら先陣切っちゃいますからね(笑)。諸将としては、「自分たちに功を立てさせることなく、自分が功を独占してしまう」と取ってしまいますよね。事実、義経は「戦勝はすべて自分の功績」と思ってますし。
たしかに、彼の常識に囚われない戦術眼は、日本史上で類を見ないでしょう。比肩できるのは信長くらいでしょうか。清盛、頼朝は「政略の人」って感じだし、秀吉、家康は、戦術眼もあったけど、「戦略の人」ってイメージがあるし。
ただ、義経が最大の功労者であることは疑いようがないけど、彼ひとりの功績であるわけではないんですよね。一の谷、壇ノ浦なんかは本隊である範頼軍が平家方を引き付けていたおかげでもあるし、屋島だって義経の奇襲後に梶原景時率いる水軍が到着して、平家側は完全に戦意を失ったわけだし。
義経個人にはなくてもいいんだろうけど(それゆえに、人物として、武将としてはおもしろい)、その腹心に「梶原殿のご意見、ごもっとも。しかし、我が殿としてはこのような考えで――」とか「武衛(頼朝)に付けていただいた諸将のおかげです」なんて気遣いできる人がいたらね・・・少しは結末もちがったかもしれませんね。
まあ、それでもこのころの武士の価値観としては、主従も親兄弟も、普通に政敵にもなり得るんですが。
頼朝はこの辺が痛いほどわかってたんですよ。平治の乱で敗れて、父親が逃げ込んだ先で殺され、それまで源氏を立てていた武士たちも当たり前のように平家に付いた現実を、多感な14歳といったころに目の当たりにしてますからね。
そもそも、日本史において、専制君主なんて、頼朝の後にも先にも、ほとんど存在しませんからね。もう、邪馬台国のころから、日本の最高権力者って「連合政権の盟主、首長」でしかないですから。
大和朝廷だって、鎌倉幕府だって室町幕府だって、豪族連合、武家連合の盟主でしかありませんからね。徳川家の江戸幕府だって、ほかの政権よりは君主格(将軍)の裁量権が大きかったけど、結局は大名領の細かい内政までは干渉できなかったし。
明治政府だって、薩長の連合政権でしょうし、ワンマンといわれた吉田茂だって、実際は党人派に気を使わざるを得なかったんでしょうし。
逆に、専制的ではあった後醍醐天皇や信長は、結果として失敗といえるでしょうからね。
ともかく、頼朝としては、自分が坂東武士たちの(後には全国の武士たちの)連合政権の盟主でしかないことを自覚していた。そもそも、子飼いの家臣、兵をほとんど持ってませんからね。
ゆえに、武士たちの所領を安堵し、また、彼らの調停役を務めなければならなかった。それらを無視して専制的に振る舞えば、前述のとおり「じつは、後の世の武士道やら忠義などからは縁遠い」といえる、まさに野武士がちょっとだけ上品になった程度の武士たちから、容赦なく捨てられる。
そして、この辺のことがわからないのが、義経の世間ズレしている部分といえるでしょう。
兄のように、ほかの武士たちに気遣いができないから、そして親兄弟であっても殺し合うといった、武家の常識がわかってないから、景時を始めとする御家人たちから嫌われ、頼朝からは警戒される。そして、そういうところを大天狗(頼朝もひどいあだ名つけますよね/笑)・後白河法皇に利用される。
義経の悲劇は、こういうトコなんでしょうね。せっかく軍事の天才であり、政治的には野心のない、鎌倉にも朝廷にも忠実な人だったんですが、自身も腹心の者たちも、そういうことができない、といったところが。
で、この「義経」という作品ですが、もちろんおもしろかったです。ただ、
義経に夢を見過ぎている歴女のみなさんは、読まないほうがいいと思います(笑)。
まず、頼朝も義経も、
かなりの好色です(笑)。
とくに義経は、作中で何人抱いてるか(笑)。
奥州への逃避行中から始まって、陣中でも草茂る原っぱで、壇ノ浦での戦勝後も船の中で・・・日常においても、頼朝が仲を取り持った川越氏の娘を嫁にしておきながら、平時忠の娘も正室として迎え、さらには静御前にも手出してます。
まあ、ふたりの父親義朝からしてそうですからね。この兄弟もそうなりますよね。ってか、権力者、身分の高い人ってのはそういうもんです(笑)。
また、義経自身も抱かれてます(笑)。それも、幼少時、おっさん僧侶に。ただ、歴女は同時に腐女子である人も多いかもしれんので、これはむしろ歓迎なのかな? (笑)
それと、義経の見た目。やはり出っ歯なヒラメ顔的な描写になってます。まあ、平安末期というのは、そういう顔の造形がイケメンとされていたわけではあるんですが。
それにしても・・・やっぱ義経が創作の主人公になりやすいことを改めて実感しましたね。遮那王にしても「ますらお」にしても、彼を取り上げるわけだ(笑)。
あ、ここで述べている人物像やエピソードは、すべてこの「義経」という作品に準拠したものですからね。あくまで「史実をもとにした小説に準拠」です。
私としては、正直、義経より頼朝のほうが好きなんですが、ただ、
たしかに創作の主人公としては義経のほうがふさわしい、というか絵になりますよね(笑)。
「美しい母親の助命嘆願により、父親の政敵の情けで、一命だけは救われる」「ただし、清盛としては常盤御前欲しさで、という現実も」「寺に入るも、武士の血のためか、僧侶の枠には収まることができない、無邪気な破天荒ぶり」「やがて鞍馬を抜け、奥州へ」「成長後、兄頼朝の陣中へ駆け付ける」――そして、なにより、
常に小勢で、自ら先陣を切って白兵戦を展開する。
奇襲を得意とする戦術、アクロバティックな個人的武勇。
まあ、判官びいきなくしても、創作家としては義経のほうが動かしやすいですよね(笑)。頼朝だと、「主人公が野心満々、自身が天下欲しいがために、権謀術数も厭わなければ、冷徹にもなりきれる」といった部分も描いていい作品なら、主人公としておもしろいんでしょうが、大衆向け作品としてはね、やっぱ義経のほうが主人公らしいですよね(まあ、『草燃える』では途中まで頼朝が主人公だし、吉川英治も頼朝主役の小説を書いてますが)。
また、義経っていう人が、
よくいえば純粋、悪くいえば自己中心的で世間ズレしている
って人なんだよね。現実に、周りにいたら殴りつけたくなりますが(笑)、創作の主人公としては、それくらい個性豊かでないと困ります。マンガとかでも、「空気主人公」って、魅力ないでしょ。
義経はね、必要以上に肉親や目上の者に甘え、必要以上に子飼いの部下や自分の女をかわいがるような性格なんですよ。
兄である頼朝との「血縁」に甘え、頼朝の代官であるにもかかわらず、頼朝が付けた彼の御家人たちを自分の家臣のように扱う。「兄の家臣なら、弟である自分にも敬意を持って当然だろ」とばかりにね。
頼朝としては「家にあっては兄弟でも、国にあっては君臣」でしょうし、そもそも当時の価値観としては、「それまで会ったこともない、別腹の弟など、家臣と変わらない(対して、自分は正室の子、嫡男)」でしょうし、それは彼が付けた御家人たちも同じでしょう。
にもかかわらず、自分の家臣である弁慶や伊勢三郎義盛、しかも僧兵、盗賊上がりの彼らと、有力御家人である梶原景時らを同格とばかりに扱って、さらには軍監である景時の意見は完全無視ですからね(まあ、景時もかなりアレな人ですが/笑)。
やっぱ天才肌なんでしょうね、義経は。採用しないにしても、横着せずに説明すべきなんでしょうが、「黙って従ってろよ。オレの戦術以外、勝つ方法はねぇよ」とばかりに、他人の意見を黙殺する。で、彼に代わって説明役のできる腹心がいればいいんですが、そういう人材もいない。
とくにこのころの戦っていうのは、総大将は前線には立たないらしいんですよ。もちろん、「大将が討たれたら、軍が瓦解し壊滅しちゃうから」ってのもありますが、なにより「諸将に功を立てさせてやるために、諸将とその部隊を全面に押し出してやる」といったことが、総大将に求められていたようです。それが、義経は自ら先陣切っちゃいますからね(笑)。諸将としては、「自分たちに功を立てさせることなく、自分が功を独占してしまう」と取ってしまいますよね。事実、義経は「戦勝はすべて自分の功績」と思ってますし。
たしかに、彼の常識に囚われない戦術眼は、日本史上で類を見ないでしょう。比肩できるのは信長くらいでしょうか。清盛、頼朝は「政略の人」って感じだし、秀吉、家康は、戦術眼もあったけど、「戦略の人」ってイメージがあるし。
ただ、義経が最大の功労者であることは疑いようがないけど、彼ひとりの功績であるわけではないんですよね。一の谷、壇ノ浦なんかは本隊である範頼軍が平家方を引き付けていたおかげでもあるし、屋島だって義経の奇襲後に梶原景時率いる水軍が到着して、平家側は完全に戦意を失ったわけだし。
義経個人にはなくてもいいんだろうけど(それゆえに、人物として、武将としてはおもしろい)、その腹心に「梶原殿のご意見、ごもっとも。しかし、我が殿としてはこのような考えで――」とか「武衛(頼朝)に付けていただいた諸将のおかげです」なんて気遣いできる人がいたらね・・・少しは結末もちがったかもしれませんね。
まあ、それでもこのころの武士の価値観としては、主従も親兄弟も、普通に政敵にもなり得るんですが。
頼朝はこの辺が痛いほどわかってたんですよ。平治の乱で敗れて、父親が逃げ込んだ先で殺され、それまで源氏を立てていた武士たちも当たり前のように平家に付いた現実を、多感な14歳といったころに目の当たりにしてますからね。
そもそも、日本史において、専制君主なんて、頼朝の後にも先にも、ほとんど存在しませんからね。もう、邪馬台国のころから、日本の最高権力者って「連合政権の盟主、首長」でしかないですから。
大和朝廷だって、鎌倉幕府だって室町幕府だって、豪族連合、武家連合の盟主でしかありませんからね。徳川家の江戸幕府だって、ほかの政権よりは君主格(将軍)の裁量権が大きかったけど、結局は大名領の細かい内政までは干渉できなかったし。
明治政府だって、薩長の連合政権でしょうし、ワンマンといわれた吉田茂だって、実際は党人派に気を使わざるを得なかったんでしょうし。
逆に、専制的ではあった後醍醐天皇や信長は、結果として失敗といえるでしょうからね。
ともかく、頼朝としては、自分が坂東武士たちの(後には全国の武士たちの)連合政権の盟主でしかないことを自覚していた。そもそも、子飼いの家臣、兵をほとんど持ってませんからね。
ゆえに、武士たちの所領を安堵し、また、彼らの調停役を務めなければならなかった。それらを無視して専制的に振る舞えば、前述のとおり「じつは、後の世の武士道やら忠義などからは縁遠い」といえる、まさに野武士がちょっとだけ上品になった程度の武士たちから、容赦なく捨てられる。
そして、この辺のことがわからないのが、義経の世間ズレしている部分といえるでしょう。
兄のように、ほかの武士たちに気遣いができないから、そして親兄弟であっても殺し合うといった、武家の常識がわかってないから、景時を始めとする御家人たちから嫌われ、頼朝からは警戒される。そして、そういうところを大天狗(頼朝もひどいあだ名つけますよね/笑)・後白河法皇に利用される。
義経の悲劇は、こういうトコなんでしょうね。せっかく軍事の天才であり、政治的には野心のない、鎌倉にも朝廷にも忠実な人だったんですが、自身も腹心の者たちも、そういうことができない、といったところが。
で、この「義経」という作品ですが、もちろんおもしろかったです。ただ、
義経に夢を見過ぎている歴女のみなさんは、読まないほうがいいと思います(笑)。
まず、頼朝も義経も、
かなりの好色です(笑)。
とくに義経は、作中で何人抱いてるか(笑)。
奥州への逃避行中から始まって、陣中でも草茂る原っぱで、壇ノ浦での戦勝後も船の中で・・・日常においても、頼朝が仲を取り持った川越氏の娘を嫁にしておきながら、平時忠の娘も正室として迎え、さらには静御前にも手出してます。
まあ、ふたりの父親義朝からしてそうですからね。この兄弟もそうなりますよね。ってか、権力者、身分の高い人ってのはそういうもんです(笑)。
また、義経自身も抱かれてます(笑)。それも、幼少時、おっさん僧侶に。ただ、歴女は同時に腐女子である人も多いかもしれんので、これはむしろ歓迎なのかな? (笑)
それと、義経の見た目。やはり出っ歯なヒラメ顔的な描写になってます。まあ、平安末期というのは、そういう顔の造形がイケメンとされていたわけではあるんですが。
それにしても・・・やっぱ義経が創作の主人公になりやすいことを改めて実感しましたね。遮那王にしても「ますらお」にしても、彼を取り上げるわけだ(笑)。
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