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今日も大空襲の話しです!

2023-03-20 07:19:38 | インポート

 

おはようございます! 昨日の八ヶ岳と今朝の朝焼けの山! パチリ 11時23分 5時44分

今朝の気温-1℃、寒い朝です!昨日もなにもせず朝夕の散歩のみ?歩数11000歩でした。

今日は久し振りのゴルフ、去年の12月3日以来、練習をまったくせず、スイングもなし、どんなゴルフになるのやら!

昨日電話でIさん(84歳)から体調不良で欠席、結局2バックのゴルフになります。

今日も東京大空襲の話しです!  89歳の女性の新聞投稿からです!

向島の家、「ここにいては危ない。早く逃げろ!」父の声で防空壕を出ると、B29が家々の屋根すれすれに飛び、焼夷弾を雨のように投下した。母と姉2人、阿鼻叫喚の中、父と兄とはぐれ土手にたどり着いた。過ぎてきた方は、もう火の海だった。小松川辺りまで歩き、地元の国民学校で温かい飲み物をいただき、「助かった!」焼け出された私たちを地元の有志が泊めてくれ、食料難なのに、すいとんをご馳走してくれた。翌日、堀切の叔母の家に着くと父と兄がいた。

爺さん、この記事の地名、向島・小松川・堀切は東京の家、葛飾区新小岩のごく近くの町名です!

防空壕・B29・焼夷弾・国民学校・焼け出された・食料難・すいとん、などいろいろと戦争用語が続々と!

我家の爺より19歳上の長女が話した言葉です!

焼夷弾については、ひらひらと赤い火が飛んでいる様に見えた。翌朝、川に死体が浮いて、道には死体があちこちにあり怖かった。一番のんびり屋の次男は一人で逃げて無傷、長女と三男、四男は火傷で仙台方面に疎開、爺はその包帯の姿が怖かった!

前にも申しましたが、兄弟が集まると時々、戦争時の話し、その姉・兄、7名は今はこの世にはおりません!

あの大戦を語り継いだ半藤一利も向島で被災した人の一人でした。一昨年1月に90歳で亡くなりました。

2023-3-20 今朝は薄氷が張りました! 甲斐駒村上小屋 No.3898

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