これは木でできた棚のように見えるが、どうも戦艦の切断モデルのようだ。
チラシによると、「第一次世界大戦時の戦艦だったヴィリプス・ウニティスの切断モデル(世界最大級)」らしい。
帝国ではテゲトホフ級と呼ばれていたドレッドノート艦だそうだ。
(このあたりは何のことだかさっぱりわからないが、とりあえずすごいということだ)
なお、『超ド級』というときの『ド』は、このドレッドノート艦からきていると聞いたことがある。
テゲトホフの謎は、チラシをよく読んだらわかった。
1864年の第二次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争において、ヘルゴランド島近くの海戦で勝利したときの
提督の名がヴィルヘルム・フォン・テゲットホフなのである。
(表記がまちまちなのは、やはりチラシ作成者が日本語になれていないからだろう)
ここには、いろいろな戦艦の模型が飾ってある。
その後ろには、海戦の様子などが描かれた絵が飾ってある。
この写真の左側後方には、赤と黄色の旗が見える。
墺国でもハンガリーでもないこの旗は、海軍旗なのかもしれない。
(右側が燕尾に切ってあるのは、海軍の旗なのである)
左側の戦艦の方が少し古めかしい感じがするから、これは19世紀前半の(木製)戦艦で、
右のが19世紀後半からの鉄製戦艦だろうと思う。
この時代には、帝国海軍は『リッサの海戦』(1866年)やクレタへの武力介入(1897年)、
北清事変鎮圧(1900年)といった海戦を経験している。
リッサの海戦とは何だろうかと思い調べたら、普墺戦争時の対イタリア戦のことだった。
この時、北部ベネチアは帝国領だったのである。
この写真には、オーストリア・ハンガリー帝国の旗が写っている。
その下には古い写真のようなものと、戦艦の模型がある。
海軍の任務には、軍事作戦の他に、研究航海というものもあった。
1857~58年に世界周航を行ったほか、アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニアなどへも航海している。
これらの航海の目的は、海軍の新人教育のためだったそうだが、
博物学や民俗学の研究や、何よりも帝国の勢力を世界中に誇示することだったとチラシに書いてある。
この模型は、北極探検に向かった戦艦の模型のようだ。
写真では見切れてしまったが、右側にある油絵はバイヤーの描いた『二度と戻らない』である。
チラシによると、「第一次世界大戦時の戦艦だったヴィリプス・ウニティスの切断モデル(世界最大級)」らしい。
帝国ではテゲトホフ級と呼ばれていたドレッドノート艦だそうだ。
(このあたりは何のことだかさっぱりわからないが、とりあえずすごいということだ)
なお、『超ド級』というときの『ド』は、このドレッドノート艦からきていると聞いたことがある。
テゲトホフの謎は、チラシをよく読んだらわかった。
1864年の第二次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争において、ヘルゴランド島近くの海戦で勝利したときの
提督の名がヴィルヘルム・フォン・テゲットホフなのである。
(表記がまちまちなのは、やはりチラシ作成者が日本語になれていないからだろう)
ここには、いろいろな戦艦の模型が飾ってある。
その後ろには、海戦の様子などが描かれた絵が飾ってある。
この写真の左側後方には、赤と黄色の旗が見える。
墺国でもハンガリーでもないこの旗は、海軍旗なのかもしれない。
(右側が燕尾に切ってあるのは、海軍の旗なのである)
左側の戦艦の方が少し古めかしい感じがするから、これは19世紀前半の(木製)戦艦で、
右のが19世紀後半からの鉄製戦艦だろうと思う。
この時代には、帝国海軍は『リッサの海戦』(1866年)やクレタへの武力介入(1897年)、
北清事変鎮圧(1900年)といった海戦を経験している。
リッサの海戦とは何だろうかと思い調べたら、普墺戦争時の対イタリア戦のことだった。
この時、北部ベネチアは帝国領だったのである。
この写真には、オーストリア・ハンガリー帝国の旗が写っている。
その下には古い写真のようなものと、戦艦の模型がある。
海軍の任務には、軍事作戦の他に、研究航海というものもあった。
1857~58年に世界周航を行ったほか、アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニアなどへも航海している。
これらの航海の目的は、海軍の新人教育のためだったそうだが、
博物学や民俗学の研究や、何よりも帝国の勢力を世界中に誇示することだったとチラシに書いてある。
この模型は、北極探検に向かった戦艦の模型のようだ。
写真では見切れてしまったが、右側にある油絵はバイヤーの描いた『二度と戻らない』である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます