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三歩進んで

なかなか平穏とはいかない人生を模索する日々。

悩ましい…

2023-02-20 13:33:17 | 介護

2月も早や下旬に入ります。ほかよりちょっと短い旬間です。

あちこちから梅の便りを聞くようになりました。

暖かい日が続いたと思ったらまた寒波が南下、春はゆっくりやってきますね。

 

約2年前から始まった実家の父の肝臓がんとの闘いに、だいぶ策が限られてきました。

まだできることがないわけではないけれど、本人の心身への負担と天秤にかけたときにその治療を選択すべきかどうか、決断の時期が迫りつつあります。

父本人はこのところ体重や食欲も減り気味で、このまま少しでも長く穏やかに過ごせたらいいと思っているようです。

家族がそうしたほうがいいというなら手術を受けると言っていますが、本人が治りたいと思ってくれないと手術後のQOLが下がってしまいそうです。

かといってここで回りが「そうだね、もう様子見でいいのでは」というのも、周りがあきらめ、父にあきらめさせようとしていると父が思ったらやはりQOLに影響しそう!

私自身は父の希望をサポートする形が望ましいと思ってはいますが、同じ敷地内で面倒を見ている弟の意見の比重が高くなります。

「一度帰ろうか」と帰省しての話し合いを提案してみましたが、両親からは返事がなく計画が止まっています。

・・・はっきりさせないのもひとつの手でしょうか。


桜が満開

2021-03-30 22:30:05 | 介護
今年は桜が早めに咲き始め、昨日今日の暖かさで満開になりました。



年明けからかかりつけ医の指導でダイエットを始めた夫が「カロリーを意識する」「おやつなし」「夕食時の炭水化物低減」の三つを守ってあっというまに5キロ体重を落とし、この日曜日にはついに体組成計の体年齢が〈実年齢-11歳〉になって、2歳年下で体脂肪率が増え気味の私より若くなりました。
私も健康のためにかくれ肥満を解消しなくては、と焦っています。
散歩や自転車に乗ったり軽い筋トレ、庭仕事を始めましたが、これくらいではなかなか効果が出ません。

先月脳梗塞で倒れた舅は、リハビリ入院4ヶ月という診断が出ました。
ちょうど「切れます」と連絡が来ていた介護保険の認定ですが、入院したことでそちらで医師の診断を出してもらえました。
その結果、倒れるまで要支援1だったのが、一気に要介護4。
生活に他者の手が必須、という状態なのだと思い知らされました。
リハビリの時間にはまじめにやっているようですが、本人にあまり元の生活に戻ろうという意欲が感じられないのが心配です。
コロナで面会も不自由ですし、元気が出ればと自由時間にかけてくる電話の相手をしていますが、毎回舅の家に越して来んかと言われるのはちょっとしんどいです。

そうこうしているうちに、去年末に脳梗塞を起こした実家の父に今度は肝臓がんが見つかり、来月手術になりそうです。
母も、副作用がしんどいからと勝手に処方された血圧の薬を減らして飲んでいてかかりつけ医に「いつ脳梗塞になってもおかしくない!」と怒られたそうです。
薬を変えてもらったら、と言ったのですが、処方箋を持って薬局に行くのではなく病院で出される薬だそうで・・・

・・・一気にいろいろ来ました。
自分は元気でないとと健康管理に力が入る次第です。

バレンタインデーとその翌日

2021-02-17 10:15:14 | 介護
今年のバレンタインデーは、実家と娘たちにはデメルとノイハウスのチョコレートを送りましたが、夫にはガトーショコラを焼いただけで、恒例のハーシーの大きな板チョコ5枚計約1キロ、というのは見送りました。
会社の健康指導で半年で体重を5%落とせという指示が出たからです。
結婚当初から10キロ増えた現状を、元に戻すための第1歩です。
毎食のカロリーを計算しながら、野菜をたくさん、夜は炭水化物を摂らない、おやつはなし…
本人は、「半年で5%」を達成したらまた食べられると言ってがんばっていますが、それは最終目標ではありません。
姑が糖尿病で節食を指示された時、半年でみごとに体重と血糖値を落として医師にほめられたあと、一気にめちゃくちゃに食べてもう二度と医師の指導を聞かなかったのを思い出しました。
すごく不安。
ノイハウスの試食でもらったチョコレートをおまけで着けたらそれは食べていました。
・・・ガトーショコラだってたっぷりクリームを掛けて6号の1/6で450キロカロリーはあったからね。

         ←今年のカードとガトーショコラ。



さて、バレンタインデーの翌日。
舅が倒れました。

昼過ぎに舅から電話がかかってきました。
「右手右足が動かん…」
私は名古屋、舅は大阪、とりあえず119に電話してみましたが話し中、舅の相談をしている大阪の地域包括支援センターに電話で事情を話したところ、そちらから手配をお願いできました。
介護認定継続の件で最近また電話したばかりでしたが、本当に助かりました。
その後大阪で仕事をする夫に連絡を取って救急隊の連絡を受けてもらい、夫が早退して入院の手続きをしました。
検査の結果は初期の脳梗塞でした。
とりあえず入院して薬を飲んで様子見です。

11月に実家の父が脳梗塞で倒れたときは路上で突然意識を失ったのですが、そばに母がいて周りの方の協力もあって救急車を呼んでもらいました。
今回は舅が家の中で一人の時に発作が起き、これで電話ができない状態だったらどうなっていたかと思うと、今後はもう一人にしておくことはできなさそうです。

姑が亡くなって半年、もっといろいろできたのではと思っていたところへ再び介護が始まりそうですが、今回は最初からいろいろなシステムがわかっている分、あまり不安はありません。

まずは2週間の入院の結果待ちです。

厳しい夏(持病のある高齢者には特に)

2020-08-14 15:12:29 | 介護

前回の記事から2か月空いてしまいました。
この間に大きな変化がありました。

 

姑が6月末、貧血で食欲も落ちているため訪問医療の医師から検査入院を勧められ、そこで食道から胃にかけてかなり進行したがんが見つかりました。

そして半月余りの入院ののち、手術ではなく緩和ケアの方針を立てて退院してからわずか4日後、昼間に施設から「少し反応が悪い」という電話があり、真夜中に「今お母様が亡くなられました」という知らせがありました。

それからは親族に電話をし施設に駆け付け葬儀社を手配し、事態があわただしくも着実に進行しました。
葬儀社の勧めで、舅が檀家をしている兵庫県のお寺さんに連絡したところ、名古屋まで一泊でお通夜と葬儀に来ていただけることになりました。
・・・ありがたいと思いましたが、新型コロナの時代、東京のソラと長野のユメの参列も断ってメジロ一人が孫代表で参列するくらいコンパクトな家族葬にしたのにいいのだろうかとちょっと不安になりました。

二日にわたり通夜と葬儀、斎場、初七日の法要まで滞りなく終了し、夫は舅と共に骨壺と仮の位牌を姑の帰りたがっていた大阪の自宅に持って帰りました。
そして忌引き(7月の連休前だったので役所を回れそうなのは実質翌日1日だけでした)の間に大急ぎでいろいろな手続きをしました。
私もこちらの施設の手続きや支払い、退会・口座変更などの名古屋でもネットでできる作業をしました。

8月半ばになりお盆休みを使って手続きはほぼ終わり、四十九日にそなえて塗りの位牌も完成、相続については夫の同窓生の税理士さんに相談に乗ってもらうことになり少し落ち着いてきました。



今回のことは、新型コロナのために、高齢者ばかりの施設は面会制限、検査入院の病院も面会制限、葬儀も参加制限と、姑には寂しい最後になったと気になっていました。


そう思っておりましたら、


姑が亡くなって6日後、脳梗塞で入院していた自分の伯父(父の次兄)が亡くなり、京都での葬儀は伯父の息子夫婦二人ですることになりました。
いったん参列することになっていた父は、結局喪主のほうから「時節柄」とお断りがあったそうです。


さらに10日後、従姉から実家にはがきが来ました。
東京に住む父方の伯母(父の長兄の妻)が1週間前に亡くなったので娘夫婦2組だけで葬儀を済ませたそうです。


そしてさらに6日後、神戸に住む母方の大叔母が長患いの末に亡くなり、大伯母の娘、孫二人、私の実家から母と弟(弟はこのたび一人暮らしになる大伯母の娘の後見人です)の5人の参列で葬儀をするという連絡がありました・・・。

 

3週間余りのうちに親族の葬儀が4件。
長引いた梅雨、明けたとたんの厳しい暑さが病気の重い高齢者には負担が大きかったのでしょうか。

そしていずれもごく小さい家族葬。
新型コロナのワクチンか治療薬が広まらない限り、このミニマムな葬儀は不可避でしょう。

 

とにかくもうこれ以上は続いてくれるなと親族一同真剣に願っております。


その後の状況

2020-03-03 22:13:57 | 介護
2月が始まったころと終わりごろで町の雰囲気が変わりました。
 
名古屋は新型肺炎の患者が比較的早くから見つかり、現在市内の様々な施設が休止しています。
人々のマスク着用率が一気に上がり、地下鉄の混雑が減り、お店のマスクや消毒液、紙製品の棚ががらんとして、誰もができる範囲で自衛にがんばっているんだと思わされます。
 
この事態が少しでも早くおさまってくれることを祈るばかりです。
 

 
さて、前回の記事の通り、私は1月の5週目に毎日出かけたあと、2月の最初に姑の施設から追加の必要物の連絡があってあわてて買って届け、・・・その夜に熱を出しました。
38度を越す熱は本当に久しぶりで体の節々も痛くなったので、すわインフルエンザウィルスを施設に持ち込んだかも!と真っ青になって翌朝内科で検査を受けたところ陰性で、力が抜けました。
熱は1日で下がり疲れが出ただけだろうと言われましたが、もう少し時期がずれていたら新型肺炎の可能性も考えてパニックになっていたでしょう。
 
その後、風邪っぽい症状が完全には抜けきらないまま2月が過ぎていきました。
 
その間施設からの連絡は、「お母さんがお父さんのことを心配だと言っているので息子さんから話してあげて、ただし会うと騒ぎそうなので電話で」というのが一度。
それではと夫が電話をすると、出た姑はいきなり「午後から帰るから迎えに来てね!待ってる」と言って、舅のことは訊かずに切ってしまったそうです。
うーん・・・。
というわけで、その後は「何かあったら電話しますので」と施設に言われて、ケアマネさんや訪問看護の方に行っていただき、こちらからは様子見にしています。
 
一方、舅のほうがとても寂しいと言い出し(息子が同居しているのに)、「(姑に)会いに行ったらあかんか」「メランジュたちがこっちに来んか」と毎日電話で訴えるようになってきました。
姑がなんとかなじんでくれるようにみんながんばっているのに、ここで舅が顔を出すと姑の退院時のようにすべてご破算にしかねません(そして舅は退院時のいきさつをすべて忘れています)。
舅は運動機能に問題はなく、年にしては記憶もしっかりしていると認知症検査や介護認定調査で言われました。
ただ、自分にとっていやなことは1度の電話の中で3回言っても忘れます。
退院時のいきさつもそうですが、血圧や血糖値が高いのでアルコールはだめという話や、姑に会ってはいけない理由、私たちが舅のところには転居できない理由(名古屋に姑をおいていくわけにはいきません)などは訊いた次の瞬間にはもう抜けています。
姑とずっと口げんかで最後のころは引っ張ったりたたいたりということもあったのもすっかり忘れています。
名古屋に電話し、仕事から帰ってきた息子に訴え、自分が寂しいということばかりで動く舅の様子は姑の様子と似ていると夫が嘆きます。曰く、「25年経ったら自分もこうなるんだ・・・」。
私の両親(舅たちと同じ年)はまだ二人で高齢者向けの講座に通ったりあちこちコンサートに行ったりメールにLINEに投稿にと楽しい日々を過ごしていますので、「夫婦は長年一緒に暮らすうち互いに似るかもしれないけれど、組み合わせごとに独自の生活スタイルになるから大丈夫!」と私は楽観しているのですが。
 

 
2月後半には私の抗うつ剤は中止になりました。
睡眠・食欲が回復し、もののとらえ方も楽観的になったと医師が判断し、どうしますかと聞かれました。
服薬中止を患者自身が決めるというのは興味深かったです。
離脱症状があるかと思いましたが、やめて2日目の夜の夢見が悪かった以外は問題ありませんでした。
その後もいろいろと手続きや支払い、調べ物や買い物が多かったのですが、無理なくこなすことができてひと安心です。
 
2月14日のバレンタインデーにはカードとお菓子(去年と同じマンディアンと今年初のベリーフォンダンショコラ)を作って送りました。
 
   
 
トールペイントの作品も、2月末にようやく3つめ(パンジーとドイツ語の「ようこそ」プレート)が完成しました。
 
 
 

ひとまず前向きな自分が戻ってきて嬉しいです。