2月が始まったころと終わりごろで町の雰囲気が変わりました。
名古屋は新型肺炎の患者が比較的早くから見つかり、現在市内の様々な施設が休止しています。
人々のマスク着用率が一気に上がり、地下鉄の混雑が減り、お店のマスクや消毒液、紙製品の棚ががらんとして、誰もができる範囲で自衛にがんばっているんだと思わされます。
この事態が少しでも早くおさまってくれることを祈るばかりです。
さて、前回の記事の通り、私は1月の5週目に毎日出かけたあと、2月の最初に姑の施設から追加の必要物の連絡があってあわてて買って届け、・・・その夜に熱を出しました。
38度を越す熱は本当に久しぶりで体の節々も痛くなったので、すわインフルエンザウィルスを施設に持ち込んだかも!と真っ青になって翌朝内科で検査を受けたところ陰性で、力が抜けました。
熱は1日で下がり疲れが出ただけだろうと言われましたが、もう少し時期がずれていたら新型肺炎の可能性も考えてパニックになっていたでしょう。
その後、風邪っぽい症状が完全には抜けきらないまま2月が過ぎていきました。
その間施設からの連絡は、「お母さんがお父さんのことを心配だと言っているので息子さんから話してあげて、ただし会うと騒ぎそうなので電話で」というのが一度。
それではと夫が電話をすると、出た姑はいきなり「午後から帰るから迎えに来てね!待ってる」と言って、舅のことは訊かずに切ってしまったそうです。
うーん・・・。
というわけで、その後は「何かあったら電話しますので」と施設に言われて、ケアマネさんや訪問看護の方に行っていただき、こちらからは様子見にしています。
一方、舅のほうがとても寂しいと言い出し(息子が同居しているのに)、「(姑に)会いに行ったらあかんか」「メランジュたちがこっちに来んか」と毎日電話で訴えるようになってきました。
姑がなんとかなじんでくれるようにみんながんばっているのに、ここで舅が顔を出すと姑の退院時のようにすべてご破算にしかねません(そして舅は退院時のいきさつをすべて忘れています)。
舅は運動機能に問題はなく、年にしては記憶もしっかりしていると認知症検査や介護認定調査で言われました。
ただ、自分にとっていやなことは1度の電話の中で3回言っても忘れます。
退院時のいきさつもそうですが、血圧や血糖値が高いのでアルコールはだめという話や、姑に会ってはいけない理由、私たちが舅のところには転居できない理由(名古屋に姑をおいていくわけにはいきません)などは訊いた次の瞬間にはもう抜けています。
姑とずっと口げんかで最後のころは引っ張ったりたたいたりということもあったのもすっかり忘れています。
名古屋に電話し、仕事から帰ってきた息子に訴え、自分が寂しいということばかりで動く舅の様子は姑の様子と似ていると夫が嘆きます。曰く、「25年経ったら自分もこうなるんだ・・・」。
私の両親(舅たちと同じ年)はまだ二人で高齢者向けの講座に通ったりあちこちコンサートに行ったりメールにLINEに投稿にと楽しい日々を過ごしていますので、「夫婦は長年一緒に暮らすうち互いに似るかもしれないけれど、組み合わせごとに独自の生活スタイルになるから大丈夫!」と私は楽観しているのですが。
2月後半には私の抗うつ剤は中止になりました。
睡眠・食欲が回復し、もののとらえ方も楽観的になったと医師が判断し、どうしますかと聞かれました。
服薬中止を患者自身が決めるというのは興味深かったです。
離脱症状があるかと思いましたが、やめて2日目の夜の夢見が悪かった以外は問題ありませんでした。
その後もいろいろと手続きや支払い、調べ物や買い物が多かったのですが、無理なくこなすことができてひと安心です。
2月14日のバレンタインデーにはカードとお菓子(去年と同じマンディアンと今年初のベリーフォンダンショコラ)を作って送りました。
トールペイントの作品も、2月末にようやく3つめ(パンジーとドイツ語の「ようこそ」プレート)が完成しました。
ひとまず前向きな自分が戻ってきて嬉しいです。