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三歩進んで

なかなか平穏とはいかない人生を模索する日々。

施設へ

2020-01-29 21:19:24 | 介護
我が家に来て2ヶ月と1日目に、姑は有料老人ホームに入所しました。
訪問医療の事業所で紹介してもらった認知症患者の対応に慣れた施設に空きが出たので、そこにお願いしました。
急なことで、まだ私自身あまり信じられないでいます。
 

 
姑は今月になって昼夜が逆転したというより、一日中短い睡眠と覚醒を繰り返すようになっていました。

夜中も家の中を動き回るので、私の朝はまず廊下、台所、トイレ掃除で始まります。
台所はお腹が空いて冷蔵庫の中から取り出した料理の残りやジャムがこぼれていますし、トイレの失敗も一か所ではないので結局一階のあちこちに被害が広がってしまいます。
 
日中は「ご飯は何を食べさせてもらえるの」「もう朝ごはん食べたんやったかな」「おやつはなに」の合間に「家の鍵ちょうだい、帰るから」「タクシーを呼んで」「地下鉄で帰ります」が繰り返されます。
「だれかの世話がないと生活していけない状態だから市役所に頼んで24時間人を雇って家で過ごす」と言われました。
そんな介護保険はありません…自己負担分が大きすぎてあっというまに破産します。
家族が看るか、看てくれる人がいる施設に入るしかないのだとはわかってもらえませんでした。
 
ある夜中に大きな音がして降りて行くと、私では嫌だとトイレに立てこもり(なぜか大阪にいる舅や息子が家の中にいるはずだと思い込んでいた様子)、そこで動けなくなって助けを求め、ベッドにたどり着けたとたんにまた追い払われました。
 
別の日には午前3時に玄関の戸を開けて「お父さん(舅)が帰ってくるかもしれんから開けたって」と大泣き。「大阪で息子さんと一緒ですから」と言ってなだめてベッドに帰ってもらいましたが、その後「なんで私やなくてあんたがそんなこと知ってるの」と怒られ。
 
いつ攻撃されるかわからないと身構えているのはストレスが溜まります。
 

 
そして前回の記事のあとも姑の「家へ帰るための実力行使」は続きました。
特に、息子が週末名古屋に来ているときには必ず。

出て行こうとするときに体に触れると「触ると倒れる、危ない危ない危ない!」「痛いー、痛い―」「助けて近所の人ー」「ぎゃあー」と叫びます。
その声は外まで聞こえていて、ご近所の人が様子をうかがうほど。
声だけ聞いたら老人虐待ですよね・・・。
かといって外に出るとあちこちにすがりながら進むので1時間経っても家から何メートルも進んでおらず、そこから通りがかる人に声をかけては「助けて」「警察を呼んで」(自分は家に帰りたいのに息子の家から帰らせてもらえないから)と訴えます。
夫や私が、姑に「帰れ」「あっちへいけ」と言われながら何時間もついていき、姑が声をかけた人にひたすら謝り続け、それが姑が空腹になるかトイレに行きたくなるまで続きます(その時は家に残っているほうが車いすを持ってきて、乗せて戻ります)。
本当に、帰らせられるものなら帰してあげたいですよー…でも保護責任者遺棄になりますもん…。

お正月は一日の早朝から姑が家を出て行ったので、お節やお雑煮は昼過ぎにようやくいただけました。
大みそかの夜は夫と二人掛かりで姑の入浴を介助し、「気持ちよかった、いい年越しになったわ」と上機嫌で寝たはずの姑は、翌早朝コートを着込んで玄関ドアに手を掛けていました。
そしてお正月からは近所の人も出てきて家に連れて帰るのに協力してくれるようになりました。
ご迷惑をおかけしているのに、本当にありがたいことです。
 

 
施設を考える上で決定的だったのは、今月半ばに姑が車道の真ん中に座り込んで通る車を止めようとしたことでした。
危ないからと止めても「轢かれてもいい」と言うのです。
なんとかご近所の方の協力も得て時間をかけて連れ戻しましたが、肝が冷えました。
明らかな迷惑行為、そして命の危険を顧みない行為ですが、誰かに助けてもらおうとする気持ちが先に立って今後もおそらく繰り返すでしょう。
のんびり様子を見ているわけにはいかない、と夫が決意しました。
 
それからケアマネさんを通じて施設探しを依頼し、訪問医療に来てもらっている先から姑の症状の入所者に慣れている施設がたまたま1室空いたと連絡が入り、次の週末に夫が施設見学に行ってその場で話を決めてきました。
週明けに私が施設に顔合わせに行って持って行くものを教えてもらい、買い集め、名前を書いて施設に車で運び、それでも本人が嫌がったらまた次の機会を待つしかないと覚悟しました。
こういう話が進んでいる間も姑の日常はいつもどおり繰り返され、そうじと介助と怒られるのと料理とを繰り返してなんとか自分の体調は薬で持たせる日々が続きました。
 
そして入所当日。
訪問診療の精神科医が姑の最近の状態を聞いて「かなりひどいなあ」と言いつつ、「嘘をつくわけにはいかないから、施設に行って刺激を受けたほうがいいよという話をする」と言って姑に会いました。
そして「この前、夜に出かけようとしたんだって?今日は天気がいいから外に出てみない?」と言った時、ふと姑が「そうですね」と立ち上がり、そのままどんどん玄関に行ってコートを着て靴を履き、様子を見に来ていた施設の職員が「私が手を貸しましょう」というのに従って施設の車に乗り込んでしまい、そのまま施設に行ってしまいました。
あとにのこった私とお医者さん、看護師さん、ケアマネさんの4人はぽかーん。
「あれって散歩に行くつもりだよね」
「施設ってことは何も言ってない」
「散歩しながらそういう話をするつもりだったのに」
「でも一度戻ってまた話をして出てもらうなんてすごく難しい」
「そしていくら話しても絶対に納得して行くことはない」
「ここはひとつお嫁さんが病気で料理もできないので、ということでしばらく施設で暮らしてもらうってことにしよう」
(それを聞いてさっき「お昼は何をごちそうしてもらえるの」と聞かれて焦ってスパニッシュオムレツとトマトスープのランチを出したばっかりだったのに通用するのかしら、と不安になりましたが)

なんとなくみんなこれでいいんだろうかという気持ちを抱えつつ、お医者さんと看護師さんは帰り、ケアマネさんは(私が病気という建前上施設に顔を出すわけにいかなくなったので)代わりに直前まで使っていた追加の入所荷物を届けてくれることになり、私は自宅でボーゼンと座り込みました。

・・・姑は施設で素直に車から降りておやつを食べ、夕食もいただいて、部屋で嫁病気の説明を聞き、「帰りたい」と涙ぐむことはあったそうですが、そのまま寝たそうです。
翌日夫が施設に言って様子を見たときも、普通だったそうです。
さらに次の日入居金を持って行ったところ、姑はテレビが不調だとクレームしたそうですが、帰るとは言わなかったそうです。
短期間だと思って我慢されているのかなあ・・・。
 
その後も施設で用意してもらった靴が合わないと言っていると電話があって家で使っていたスリッパを届けに行ったり、舅の様子が不穏なのでそちらの要支援認定に向けて連絡を取ったりとばたばたしていますが、とりあえず2か月前の生活が戻ってきました。
クエン酸スプレーも紙パンツ用ダストボックスも不要です。
姑が振り回すと危ないと2階に片づけていた工具類も一階に戻しました(窓を金づちでたたき割って出る、と言われていたのです)。

3日ほど脱力して動けなくなっていましたが徐々に回復してきて、昨日はカリグラフィー教室に行き、帰りにデパートのチョコレート売り場をのぞいてきました。
今日はヨガ教室に行きました。
明日は病院で、明後日は運転免許の更新に行って来ます…いつまた行けなくなるかもしれませんから!

そうです、夫は姑が「だまされた!」と爆発して騒ぎ出し、追い出される可能性がかなり大きいと見積もっています!
 
・・・今のうちにしなくてはいけないことはせっせと片付けておきます。

一ヶ月が経ちました

2019-12-29 17:15:28 | 介護
しんどい日々が続いています。
 
朝、目が覚めると、今日も一日戦いだ、と頭痛が起きます。
時間通りの朝食がないと姑が台所を探し始めるので、雨戸を開け、朝食を用意し、洗濯をしかけ、新聞をとってきて姑の見られる番組にマーカーを入れます。
姑は食事後うたたねをして、目が覚めると「さ、そしたらお世話になりました。帰りますわ」が始まるので、別のことで気をそらしたり、満足するまで出かけるのに付き合って、食事かトイレの時間になったといって連れ帰ります。
 
昼食後もうたたねをして、また「帰ります」が始まるか、本格的な昼寝が始まるか、週に2度訪問看護があるか、2週間に1度訪問診療があるか、先手を打って「●○を買って来ますね!」と出かけるかします。
デイサービスは絶対いやだというので参っています。
姑から叶えられない要求が続くと、二階に上がってしまうこともあります。
「タクシー呼んで」「バス停まで連れて行って」「息子に電話して呼んで」等々。
全く帰ることをあきらめていません。
そういうときはメジロが様子を見ていてくれて、たまに数時間程度の外出もさせてもらえます。
家事も積極的にカバーしてくれるので、メジロには本当に助かっています。
 
夕方になって、食事を済ませるとまた眠くなり、一眠りすると「明日早くから帰ります」が来ます。
寝るとリセットされるんですね。
夜は遅くまで寝られないようです。
昼間寝てしまうのでどうしても目が覚め、うろうろと帰るための手段を探し、荷物をまとめ、役立ちそうなものを取り込みます。
特に筆記具とヘアゴムは、専用のものを買って来て渡しても見つけ次第「大事な物入れ」にしまってしまうので諦めるしかありません。
いろんなものを入れすぎてほしいものが見つからず「盗られた・・・」と愕然とした面持ちで言われるのは本当につらい(そのうち自分で見つけてくれるまで固まって動けません)。
 
 
姑が来て3週間経ったところで、センサー音で夜中もしょっちゅう起きては姑の様子を見に行っていたところ、左の胸と背中が痛くなってきて24時間姑のことが頭から離れなくなりました。
血圧も上がりっぱなしでかかりつけ医に「施設にお願いしたほうがいいのでは」と言われ、心療内科で軽い抗うつ剤と漢方薬を処方されて「年内は無理でも年明けには施設にお願いしなさい!」と言われ、でもお薬のおかげで寝ることができるようになったので様子見に変更になりました。
寝ている間に何かあったらと不安でしたが、訪問看護師さんやケアマネさんから「このままではもたない」と言われ、センサーも切って、そのかわり姑には助けが必要な時に音で知らせてもらうようにしました。
姑は未明に玄関まで行って鍵を開けそのまま忘れて寝てしまうことがあるので、玄関と勝手口にドアの振動で音の鳴る防犯装置を設置しました。

訪問診療では「中程度以上の認知症」と言われ、ますます帰せないことが確定しました。
帰りたい一心で特に息子に対して攻撃的な言動が多く、言葉だけ聞いているとは警察沙汰に発展か、という状態だったのでお薬が少し変わりました。
実際に「監禁されている」と電話しようとしたので電話はダミーに替えました。
警察に相談したところ、よくあることなので適切に対処しますと言われました。
よくあることなんだ・・・

ご近所にも事情をお話ししてあります。
事前にお話しした方もありますし、姑が帰ろうとして出ていこうとしたときに出会ったご近所に手当たり次第に手助けを求めたため、その場はブロックサインで適当に相手してもらい、あとで事情を説明した方もいます。

実家で困ったことがあって電話をしてきた時に姑のことで手を離せず力になれなかった時が一番悲しかったです。
今運転中に事故ったとしても車載カメラは再生したくないです。
たぶん泣き言や「もうやだー!」と駄々をこねている声が入っている。
大阪と名古屋を走り回ってへとへとの夫にはとても聞かせられません。
 
 
大掃除もほとんどできませんが、とにかくトイレだけは毎日何度も洗剤とクエン酸で掃除しているのできれいです(;^_^A

介護が始まりました

2019-12-02 09:23:25 | 介護

10日前の火曜日のことです。

姑がふらっとしたので検査したところ糖尿病の状態が悪くなっているとわかりしばらく教育入院(2度目)になったのですが、名古屋に引き取って介護することが唐突に決まりました。

 

教育入院中に「自宅では生活管理ができないのでまたすぐ逆戻りになる、帰らせられない」と病院に言われ、11日前の月曜日に、舅が選んであった自宅近くの高級(!)施設に入る契約をしたのですが、翌火曜日二人で解約してしまったそうです。

契約時に立ち会っていた夫は、火曜日の仕事が終わってから病院に寄り事情を知って愕然。
契約が決まって退院日も決定していました。

というわけで、10日前の火曜日の夜、夫が「名古屋に連れていきたいんだけど」と電話してきました。

姑が地元の施設に入ったら、諸事情で名古屋にとどまっている私たちもいずれ大阪に引っ越しかなあなどといろいろ考えてはいましたが、自宅介護をこの電話で即答か!
夫は舅と暮らす生活を続けるので(今までは姑と3人暮らしでした)、名古屋で姑と娘と3人暮らしって想像がつかない…。

とはいえ他に選択肢がないのではしかたありません。

「自信ないけど頑張ってみます」と返事しました。

 

翌水曜日の朝一番に地元の地域包括センターに電話して介護事業所を紹介してもらい、
ケアマネさんを選んでもらい、
福祉具のレンタル会社を紹介してもらい、
金曜日の昼に顔合わせとベッド・歩行器・車いすなどの運び入れをしてもらって、
午後から大阪に車で迎えに行き、土曜日に姑を名古屋に連れてきました。

何の準備も心得もなく、せっかく届いた車いすを持って行く知恵もなかった我々は、新名神のサービスエリアで姑がトイレに行きたいと言った時、初めて現実に直面しました。
トイレに近い身障者用駐車スペースからほんの少しを歩くのに、いったいどれだけかかるのか。
病院内では車いす移動だったので、車いすがないとこんなに足が前に出ないことがわかっていませんでした。
手を引けば歩けると言われていたのです。
おんぶも嫌だと言われ、休み休み進みました。
疲れた姑は目に入ったほかの方の使ってらっしゃる車いすを「あれ借りよう」などと言い出しますし…
おそらく20分程度だと思うのですが、いつまでもたどり着けないのではないかと思いました・・・そして入りやすいところにあった身障者トイレのありがたみも思い知りました。
車で出るまでは介護パンツがあるからトイレは行かなくていいと本人が行ったのを、そんなものかと安易に納得していたのも失敗でした。

 

さて、実際に家に来てもらってからは、薬と食事の管理をすればよかったはずが予想以上に認知症が進んでいて目が離せません。

大阪府下に名古屋はないからね?
自分一人では帰れませんよ?

姑としては病院を出るための言い訳としてちょっと名古屋(市内レベルの近さだと思っていたらしい)を経由して、また自宅に戻るつもりだったそうです。
毎日「帰ります、もうこんなとこいややわ、家に帰してくれへんで病院と一緒」とせっせと荷物を手当たり次第に袋に突っ込んでまとめています(その袋は介護パンツの予備が入っています…)。

介護パンツがあっても失敗がある状態(気づかれないうちに片づける)、歯茎で潰せる柔らか食をカロリーコントロールして三食作り、口八丁でお薬を飲んでもらって着替えてもらって、夜中もソファで見守ってと言う日が続いています。
どう考えても舅には無理です(と、舅にも言われました。それで施設を探したそうです。それならどうして解約したんでしょうねえ・・・)。

こうして介護サービスにフルに助けてもらって、なんとか介護がスタートしました。
悪の組織のように言われても、なんとか「まあここでもええわ」と言ってもらえる日が来ることを期待して今日もソファで「おはようございます!」からスタートしました。
(ベッドから足をおろしたら別室に知らせる福祉具をレンタルしたら自分のベッドに戻るつもりです…まだ数日続くなあ)

 

いいことも少し。

姑を迎えに行った夜、泊まる場所がないと言われて実家に行き、両親と弟夫婦に会うことができました。

また、メジロが思ったより?家事や介護を積極的に手伝ってくれるので買い物や用事に外出することができます(メジロも結構ひどいことを言われてるんですが…( ̄▽ ̄;))。

それと、糖尿病の姑が大好きなおやつを禁止する手前、自分たちもおやつをやめたので無理なくダイエットできてます!

・・・介護を頑張るセルフご褒美に、パソコンの外付けブルーレイドライブ買おうかなあ。
居間に介護ベッドを置いたので居間のテレビに録画した番組が見られなくて溜まっているのをパソコンで見たいです(ディーガとパソコンがうまくリンクできませんでした)。