英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

【再掲】『1分間マネージャー』に1本取られた

2022年09月25日 08時08分39秒 | 書評のコーナー

 

2005-10-28 15:04:42

 

KABU家周辺で一冊の本がブームになっています。『1分間マネージャー』 (ダイヤモンド社・1983年2月):「まえがき」と「あとがき」を入れてジャスト145頁の小著。手許にある2001年6月発行の版が第80刷ですから、大変なベストセラーでありロングセラーであることは間違いないでしょう。そして今、マイブームならぬアワブーム♪

行動科学者(behavioral scientist)で組織論と人的資源管理(Organizational Behavior & Human Resource Management)の専門家ケネス・ブランチャードと精神科医(psychiatrist)スペンサー・ジョンソンよりなる共著で、原書は "The One Minute Manager" (1981)。内容はシンプルだけれども納得させられます。

こんなベスト&ロングセラーをいまさら紹介すること自体あまり意味はないでしょうけれど、書物というものは読むべき時というものがある。私が最初に本書を読んだのは10年ほどまえでしたが、KABUにとって本書との出会いは正に「読むべき時に読んだ一書」、そんな感じでした。

そして、日本でも90年代にはやった成果主義(私はそれを「素朴成果主義」とか「成果主義・原理主義」と呼んでいますが)が一巡して、限界を自覚した成果主義に変容しつつある現在、原書出版から四半世紀近くを経て、かつ、原書が書かれた文化とはかなり異質な企業文化が支配する日本で、本書がまた関心を呼んでいるのも理解できる気もします。90年代の失われた10年を通過した今の日本社会は、本書を読むべき時代になったのかもしれないということ。

『1分間マネージャー』の主張はシンプルです。それは、人間は気持ちよく働いている時にこそいい仕事ができる。また、何を何のためにやっているのかが解らないまま一生懸命に仕事をするなんてことは実は誰にもできない。そして、仕事をきちんとやっているかどうかを誰かがいつも気にしてくれていること:つまり、「いつでも援助するよ」という人間的には暖かく、「成果だけでなく君の仕事ぶりについても関心を持っているぞ」という仕事に対しては厳しい目線でもって誰かが自分のことを気にかけてくれているということが、仕事にやる気と勇気とを与える。本書の主張は実はこれだけだと思います。そして、この太い幹に幾つかのマネージメントのテクニックというかスキルが接木されている。本書の構成はこのように整理できると思います。

本書は実に読みやすく、太い幹に杉木されているテクニックも平明で単刀直入です。例えば、・・・

「何を何のためにやるのか/やっているのか」をはっきりさせるべく「やるべき内容、問題解決を妨げている要因、問題解決の方法と手順と納期」を論理的に言語化することが大切であり、こうして言葉にされる(=他者も検討できるような「公共性」を獲得した)目的と目標という課題・問題・方法は各々1分前後で読める程度のボリュームとラフさで充分だ。

あるいは、マネージャーが部下を叱責する際には「失敗が明らかになった段階で、間髪を入れず直ぐに/具体的に/短く(1分間で)まず叱責しその後誉める」ことがコツだとか。あまり親しくもない間柄なのに「激励や感動の強さを表現するためとはいえ」むやみに体への接触を伴なったボディーコミュニケーションは(性別を問わず)部下対して行うべきではない等々、どの細目も要点は平明であり良きマネージャーたらんとする読者へのアドヴァイスは具体的なのです。

これらの細目は太い幹から気持ちよく突き出された大きな3本の枝に繁る青葉にも喩えられるでしょう。職場ですぐ応用できる<具体的で豊かに繁るアドヴァイスの青葉>を抱える3本の枝:1分間の目標設定、1分間の称賛、1分間の叱責の根拠づけとそれらをどう職場で具体的に運用するかの説明が本書の主要な部分を占めています。このように、1分間マネージメントの極意は、1分間の目標設定、1分間の称賛、1分間の叱責です。

●1分間マネージャーの極意
1分間目標設定
1分間称賛
1分間叱責


1分間の目標設定の極意を著者は、(言葉で明確に記述された)部下の目標設定についてマネージャーと部下がともに同意(納得)し承知すること、良い行動とはどのようなものかを両者が事前に知ること(共通了解を持っこと)であると定義します。その上で、「1分間の目標設定」を実行するためのテクニックとしてこう述べている。

・目標は1分間で読めるように一つずつ250語以内で1枚の紙に書き付けること
・その目標を毎日何回も読み返すること
・一日の中でその達成具合を確認すること

また、1分間の称賛と1分間の叱責に関する著者の根拠づけも明確。マネージャーは前もって「自分が部下の仕事ぶりを評価する」意図があることを伝えなさい。そして、

・良いことがあったらその場で褒めること
・何が良かったかその成果がどんなに組織にとって重要なことだったか、その成果によってマネージャーたる自分がいかに良い気持ちになっているかを具体的に話して褒めること
・しかし、称賛は1分前後で充分であること

良いことがあったら、その場で/具体的に/1分前後で短く褒めなさい。なぜ、「称賛は1分前後で充分」なのか、これに関する本書の説明に私は思わず喝采を叫びました。その論理性と実践性に感嘆したからです。もちろん、感嘆と喝采は、その場で/具体的で/短くではありましたけれども(笑)。

なぜ、称賛は1分前後で充分なのか? それは、日頃からマネージャーは部下の業務に関心を持ち成果に精通しているはずだからダラダラと言葉を垂流す必要はないからだ、と。

最後三番目の叱責のノウハウはこうです。即ち、部下がやっていることをはっきりと曖昧でない言葉で指摘するつもりだということを前もってマネージャーは部下に伝えておくべきだ、と。そして、

・間違った点は直ちに叱ること
・具体的に何がどう間違いだったかを諭しながら叱ること
・けれども、本心から自分(マネージャー)は部下の味方であり、本件の間違いに関わらず自分は君(部下)を高く評価していることをはっきりと伝えること
・そして、叱責が終わったら、この件はこれで総ておしまいであると自分(マネージャー)が認識していることを部下に明確に知らしめること
・この叱責も1分程度で行えるし行うべきこと

重要なことは「1分間マネージメント」のプロセスは組織とビジネス活動が継続する限り、そのプロセスもまた無限に繰り返されるということです。つまり、<目標設定→称賛>の場合も、まして、<目標設定→叱責>のケースでは称賛や叱責の後、直ちに第二巡目の第1のステップ(=1分間の目標設定のプロセス)に、マネージャーも彼/彼女の部下も移行することになるのです。

尚、私がここで言う「ビジネス活動」には利益を追求する私企業の活動だけでなく、組織として組織以外の社会に意図的に影響を与えるようとするすべての活動:NGOやNPOの活動をも含みます。それは、組織内で人が人を効率的かつ継続的に働かせるというマネージメントのスキルを論じている本書の性格から言って当然の前提です。


『1分間マネージャー』の要旨は概略上に述べた通りなのですが、私は本書の思想書としての側面にも関心を持ちました。ポスト構造主義風に気取って言えば(「ポスト構造主義」を私はそう高く評価していませんが)、いわば社会思想の著書として『1分間マネージャー』は見立てられる/読み替えられると思ったのです。例えば、『1分間マネージャー』には、1分間マネージメントの手法の要点がこう書かれています。

「部下といっしょに<1分間目標>を設定し、部下たちがどういうことに責任があるか、それをうまく果すというのはどういうようになることかをはっきり部下に教えられますね。それから・・・」(同書76頁)。私は、ここに欧米風のトップダウン式で成果志向型のマネージメントと東洋的というか日本的なボトムアップ式で参加志向型のマネージメントとの融合を感じました。要するにその極意は、「任じて任ぜず」であり、「やって見せ、言って聞かせて、させて見て、誉めてやらねば人は動かず」(山本五十六)とも一脈通じる人間と組織と社会に関する理解が『1分間マネージャー』の基盤には横たわっていると私は思ったのです。

『1分間マネージャー』の包摂する<マネージャー像>には、一見、民主的なようだけれども、リスポンスィビリティーとリーダーシップとリスクを自分で取る意欲と意図と覚悟を隠さない西欧的な強い意志が読み取れる。そしてこれは、古代ギリシアのソークラテースや孔子やシャカムニの教授スタイル(対話形式のソークラテースメソッド)に極めて近いコミュニケーションのあり方なのかもしれません。

そして、目標も称賛も叱責も日常の言葉で具体的に語られるべきだという『1分間マネージャー』の主張:問題を問題として発見し認識する思考の過程は言葉で語られなければ自分自身にもまして他者にも本当は理解されないし、決して組織内で共有されることはないという主張は、初期ウィトゲンシュタインを源流の一つとする現代の分析哲学の主張とも整合性があると思います。本書は哲学書ではありませんが。哲学書として読み込むことが充分可能な一書ではないでしょうか。

ソークラテースメソッドと分析哲学のハイブリッド。そして、これら認識論と価値論のしっかりとした基盤の上にプラグマティックに組み上げられた実践マネージメントのテクニック。これらの点だけでも『1分間マネージャー』に私は1本取られたという感を覚えました。それは心地よい刺激でありマネージャーとしての自分の至らなさへの潔い気付きでした。



最後に全体の感想。本書を読んで私は<マネージメントの哲学>にあらためて関心を持ちました(★)。例えば、『1分間マネージャー』にはこう書いてあります。「組織体の目標は効率にある。組織をつくることにより、それだけ生産性が高くなるのだ」(同書24頁)、と。しかし、日本だけでなくアメリカの企業でも(いや、利益を追求する企業だけでなくNGOや官公庁の組織でも)、現実には「手分けして仕事をやる方が面倒くさく効率が悪い」、「ど素人の新入社員を引き連れて新規事業を立ち上げろなどのオーダーは無茶苦茶だ」、「経営トップに事実を伝えられない根性なしの上司や、トップと部下に異なる情報や感想を流す詐欺師のような上司が率いている組織は不効率極まりない」等々、と言いたくなる場面は組織人として働いた経験が少しでもある方なら誰しも幾らかは経験していることでしょう。

しかし、組織運営や組織内の人間関係、組織内のコミュニケーションを巡って個人的に(部下とマネージャー双方ともに!)どれくらい困難で不愉快なことがあったとしても、経営は組織の拡大と精緻化を止めるわけにはいかない(ここでいう「組織の拡大と精緻化」には組織のある部署のbreaking-up(分社化)や組織内で抱え込んでいた機能のoutsourcing(=外部調達:アウトソーショング)を含みます)。それはコンペティターとの競争に勝つために不可避であり、限りある資源を有効に使い社会に対してより多きな貢献をするために不可欠だからです。この経緯が「組織体の目標は効率にある。組織をつくることにより、それだけ生産性が高くなる」という上で紹介した一文に集約されていると思います。敷衍しましよう。


カール・マルクスが論じているように、歴史の進展は社会の生産力の拡大を動因として;更に、生産力の拡大が生産関係や生産関係の基盤たる(法または道徳あるいは美意識等々の)所謂イデオロギーの変化を引き起こすものでしょう。マルクス主義経済学の破綻(★)とは別に、この唯物史観的な歴史と社会の見方は現在でも有効か、無効なまでも大変便利で使い勝手のよい歴史認識と社会認識の道具ではあるでしょう。而して、生産力の拡大と生産関係の変化の相互関係をマクロ的に見た場合、人類の社会生活の進展とは<分業>の進行に他ならないと私は思います。

社会生活の進展の核心は<分業>である。もし、このような考えが満更根拠がないものではないとするならば、その構成員にとって組織がどれほど不愉快で抑圧的なものであったとしても(つまり、偶さか自分が現在所属している学校や企業や労組や家庭などの組織だけではなく、<組織一般>が人間にとってこれまた一般的に不愉快で抑圧的であったしても)、組織の中で自己を実現する方途しか天使でも狼でもない身の人間には選択肢として与えられていないのだと思います。

神でも野獣でもない人間は組織の内部で生きるしかない。「人間は自由という刑を科せられている」というサルトルの箴言を転用するならば、「人間は組織内で生きるという刑を科せられている」のだと私は思っています。ならば、できうる限り効率的で公平な組織を構築すること、それを以ってそのような組織を通して一人では到底達成できないような社会への貢献を具現することが組織経営の存在理由なのではないか。そして、組織と個人との間に横たわるこのような不可避で、かつ、本質的に緊張を孕んだ関係を見据えた上で、『1分間マネージャー』は書かれている。私はそう感じ、『1分間マネージャー』に1本取られたと思いました。全145頁。1,165円+消費税の小著一冊から大変多くのものを勉強をさせてもらいました。

 

 



★註:マネージメントの哲学
「マネージメントの哲学」という言葉は大きくは二つの意味を持つだろうと私は考えています。①哲学的な思索と思考の題材を現実の経営に求めるという意味、そして、②現実の経営を導く哲学的な考究と思索(価値分析・方法論分析・経営環境の再構築、等々)の二つです。つまり、「マネージメントの哲学」には「経営の哲学」と「哲学で経営」の双方の意味が含まれるということです。

アリストテーレスが喝破したように「人間はポリス的(=社会的&政治的&拡張された表現形としての伝統文化に被拘束的)な動物」であり、また、カール・マルクスが教えるように「生産力の増大を動因として社会は弁証法的に発展する」とするならば;そして、現代において企業にせよ官公庁やNGO/NPOにせよ人為的かつ成果達成を目的とする組織が社会の生産力と生産関係の圧倒的な部分を占めている現実から目をそらすのではない限り;それらの人為的な組織内の生産性をコミュニケーションとルールの側面から考究する営みが哲学と無縁なはずはないと思います。これが本書をマネージメントの哲学の書と私が位置づける所以です。


★註:マルクス主義経済学の破綻
マルクス経済学の検討については別稿(⬇追記の記事参照)に譲りますが、それがそもそも「労働価値説」というかなり根拠の怪しい基盤の上に立てられたものであること(それと全く位相を異にする「限界効用」をキーとしたミクロ経済学が成り立っていること)、そして、資本主義の破綻と(ブルジョアジーの権力維持装置であり暴力装置としての)国家の死滅を導きだす根拠としての「資本の有機的構成比率の漸減・漸増」の仮説が、ここ150年間の経済統計では完全に否定されたことから、(社会思想としてはともかく)経済現象を解明する科学としてのマルクス主義経済学は現在では破綻していると言っても間違いではないと思います。

 

(追記:2011年9月2日)

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧

 -あるいは、マルクスの可能性の残余

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/385e8454014b1afa814463b1f7ba0448

・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱  

 https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html



ブログ・ランキングに参加しています。
応援してくださる方はクリックをお願いします


 ↓  ↓  ↓

にほんブログ村 英会話ブログ

コメント (1)    この記事についてブログを書く
« #疲れた日の夜に飲みたいのは... | トップ | 資料:英文読解 one パラ道場... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
1分間シリーズ (佐為@できの悪い生徒)
2005-10-30 20:45:34
KABU先生、1分間マネージャーなつかしい。私も15年以上前このシリーズに凝りました。当時私には200人くらい部下がいたんですよ。でも思うようにはいかないんですよね。その後仕事も変わり、1分間自己改革というのだけを残して捨てました。この本のテーマは自分を愛せということなのかなあ~?他を愛するよりもまず自分を大事にする、それってとても重要なことかと思います。話は変って、私と家内は同じ話題で話はできませんね。KABU先生がうらやましい
返信する

書評のコーナー」カテゴリの最新記事