ブログ冒頭の⤴️画像:記事内容と関係なさそうな「食べ物やお料理さん系」が少なくないことの理由はなんだろう?
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4e03beafbd5b690bed61fda9e978db7a
As the proverb says,
'Our own image in a mirror doesn't tell us what we are like, only our image in other people does.'
(あなたが何者か? それは鏡にうつるご自分の姿にではなくて、
あなたが交流してきた他者のイメージの中にあるのです)
もう年末ですね。そして、明日からは⛄️寒波⛄️到来とか?
ということで、近々、楽しい「娑婆を離れて定期の入院」ということもあってーー予約記事のチェックも兼ねてーー過去記事をつらつら見渡していたら気になる記事を⤵️発見。
最後の晩餐でいただきたいものは→チキンラーメンかうまかっちゃん、鴨
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/70d89c72536be122d9eea7e5317ddece
ご存知の方も多いでしょうが、英語で「最後の晩餐」は「The Last Supper」。ちなみに、ーー「新約聖書」のマルコ伝(14 - 17~25), マタイ伝(26 - 20~29), ルカ伝(22 - 14~23)によればーー所謂「最後の晩餐」自体は、イエスがゲッセマネのオリーブ園(Gethsemane)で(✝️十字架✝️に掛けられるべく)官憲に捕らえられる、その直前に弟子たちとされた食事会のこと。
而して、英語の「supper」(↖️不可算名詞。但し、限定修飾語がつく場合、可算名詞になります。have a small supper / an early supper, 簡単な / 早めの夕食を取る, for example;尚、英語の「🧁condiments🧁:⬅️慣例で普通「調味料」と訳されています」に該当する日本語語彙がないのとパラレルに、または、日本語の「😿猫舌👅:➡️「have a tongue too sensitive to heat」とか表現するしかない」「生卵を使った料理として有名な「🥚卵かけごはん🍚:TKG」は英語では「raw egg on rice」などと表現するしかありません。これらと同様に、日本語の「🌃夜食🍴」にそのまま該当する語彙は英語には見当たらず、それを言い表すには「a late-night snack, a midnight-snack, a bed-time snack」等々の「説明的な単語列≒英米の人がそう言っているというより、寧ろ、日本語母語話者のあなたが英米の人に「夜食」なるものを英語で説明するために使う単語列」を用いるしかないと思います。
そして、蛇足であり、逆に、実は本稿の肝なのですが「snack」には確かに「軽めの食べ物や料理」というニュアンスがあるものの、これを「meal, 食事」「food,食べ物」「dish,料理」等に置き換えなくとも、例えば、時差の関係で夜通しで翻訳している通信社のスタッフさんとか、遅筆のマンガ家先生のとこのアシスタントさんとかにとって、この「snack」は餃子の王将や天下一品からの特大大盛ケータリングも含み得るということ。しかし、あくまでも「supper」はそうではない❗️)それは、どこまでもどこまでも限りなく「簡単な食事」なのです。
ネットで見かける「食パンは英語でなんと言う?」類いの記事
↖️面白いけどちょびっと迷惑かも
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5fc098f9884e1ac07f0c697584644f81
「食事」と「料理」で英語名詞の性質と役割分担を考える
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/56aaad6b64fecdd660ace8ae0904fda6
*本記事の「冠詞」の付け外しに関しては↗️この記事末尾の「おまけコラム」をご参照ください
銀座アスターに久し振りに行った。感慨深かった。
「変えてはならないものを守るための変わる」努力を感じたから
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a4497ddf10f91a5bcc834862a0dd118a
↗️画像はウェブ検索からお借りしています
本稿の本論に入ります。
蓋し、上の「気になる記事」を書いたとき、わたしは「日本語の「最後の晩餐」を念頭に置いていた」ということ。そして、その日本語の「最後の晩餐」は英語母語話者さんが普通にイメージされる「The Last Supper, 最後の晩餐」とは全然関係のない観念表象だろうということです。では、わたしの言う「日本語の最後の晩餐」とは何か? 説明します。それは、多分、
1️⃣さて、次に寝て起きたら三途の川下りスタート地点の賽の河原だ
2️⃣その前に、大した人生でもなかったが一生を振り返りたいものだ
3️⃣ということで、その回想のお供に何ケータリングしようかしらね
4️⃣(壱)独りしみじみと想い出にひたりたいから。ならば、
「あの懐かしい食べ物」か「一度は食べたかった」あれにしようか
4️⃣(弐)懐かしい人達も冥界から呼んでワイワイと昔ばなし、
ということで、もう値段なんかかまうもんか❗️ 通しの「京懐石」
「三ツ星レストランからフランス料理のフルコース」いやいや
懐かしい「餃子の王将の特大大盛のケータリング+🍺🍺🍺」かな
・懐かしい餃子の王将☆その王将でも持ち帰り容器が有料化!
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a5f50322919fd173483d57c0605a5ee4
というイメージがそれであり、それが「気になる記事」を書いた際にわたしが無意識に前提としていたものであろう。と、そうわたしは思うのです。けれども、繰り返しますが、「The Last Supper」は1️⃣~4️⃣とは全然違う、多分。
而して、些か迂回することになりますが、このことを考える補助線として「イエスが弟子とともにした最後の食卓にはどのような飲食物があがっていたか?」ということを考えてみます。
えっ、冗談でしょう? ですか? いいえ、冗談ではありません。わたしの尊敬する神学者のラッツィンガー枢機卿(後のローマ教皇ベネディクト十六世)にも子供向けの法話にこれに触れたものがあったと思いますが、最後の晩餐の食卓の再現は真面目にキリスト教「聖書学」の、就中、「聖書解釈学」の重要なテーマ。と、最高権威者の名前を出したわりには軽く流しますが(笑)、その晩が「passover, 過越祭」の初日だったこともあり、また、福音書の記述からも明らかなように、
🍞パン種子を入れずに焼いた質素なパンが各自一切れ二切れ
🍷葡萄酒というか🍇から造った濁酒が各自コップに一杯
🐡あったとすれば、+小魚のマリネのコバチがテーブルに二三皿
これで全部だろうということ。これは大学時代に聖書学かなんかの講義のときに教授に質問したので覚えていたのですが、その先生も昔、シカゴ大学かどこかに留学していたときにそこの担当の先生に聞いた話しだけどね、と仰っていたような🐙
さて、この補助線でわたしは何が言いたかったのか?
はい、それは次のことです。
【1】英語の「supper」も英語母語話者の世界認識の基底にあるキリスト教の「The Last Supper」も質素な簡素な食事という意味であること
【2】ならば、なぜ、イエスはーー自分がこの後すぐに捕らえられ✝️十字架✝️に掛けられることを知っていたはずのイエスは(who must have known that and it)ーーそんなチンケな食事が供されたであろう「最後の晩餐」など割愛して弟子たちに、なぜ「最後の法話」をしなかったのか?
【3】という【2】のような、キリスト者にとっては要らぬお世話の異教徒(a pagan and heathen as well)のする妄想は金輪際置いておくとして❎、【2】から鑑みるに、英語母語話者にとって「supper:質素な簡素な食事」には何かしら憑依する「connotation:共示義」があるのではなかろうか?
キリスト教の「聖書学」「組織神学≒キリスト教神学基礎論」から完全に離れて、日本語の母語話者が英語を使ってする異文化コミュニケーションの問題としてこの「最後の晩餐」を想起するとき、その核心は上の【3】にある。と、わたしは「気になる記事」を読み返してそう感じたのです。
>最後の晩餐に供される飲食物は質素な簡素なものでよかった
>最後の晩餐に、しかし、飲食物は欠かすことはできなかった
蓋し、畢竟、「最後の晩餐」の死活的に重要なコノテーションは、①現に現前に存在する飲食物を媒介として、②「晩餐≒饗宴(symposium)」の参加者が共に語り合うこと、すなわち、③世界を構成する諸々の実存の、その諸関係の通時的と共時的との重層的の結節点の一つであるわたしが、そのことの意味を「自分は何者か」ということを同じ結節点である他者と、繰り返しますが、実存する飲食物を媒介にして語り合うことで確認する作業。ということだとわたしは思うのです。それは米英では/米英でも「ジョークのネタ」にもなるが「ジョークのネタ」だけに終わるものではない、と。
「いま世界の哲学者が考えていること」
↖️悪気はないのだろうけれど「羊頭狗肉」の一書? +追記あり
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e4c09e22a84dfb8aee664373693760a6
ここで誤解に注意❗️ 上のわたしの認識・主張は、英語母語話者の「最後の晩餐」が日本語母語話者の「最後の晩餐」より真面目で値打ちがある、などという主張ではまったくありません❗️
それらは別物である、というだけの認識・主張ですから。そして、このことはこの記事を書く上で何人かの米英の知人に確認したところほぼ皆さんに同意していただきました👏👏👏 要は、日本語の「最後の晩餐」は「和製英語の日本語訳」だということです。
定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0fb85611be79e7a89d274a907c2c51ac
↗️KABUの母校、同志社大学・同志社女子大学の
喫茶店から⛪️キャンパス⛪️をのぞむ
ということで、以下、せっかく「予約記事と大晦日記事を除き今年最後の記事」を書いているのですから、今いまバージョンかつ日英ハイブリッド版のわが家の「最後の晩餐」について最後に蛇足を。それは、
🍎独りでというのは取り下げて
🍎質素な簡素な飲食物をお願い
🍎人生をそこからやり直す思索
🍎そんな、時間を保守派の仲間と
🍎共有できる饗宴に欲しいものは
🍎母校大学の喫茶店のモーニング
確か、烏丸今出川にあった今はなき「旧学生会館」二階のケルンという喫茶・軽食のお店(cafe or diner)のモーニングサービス。
確か、セブンスターが180円くらいのときにそれは200円前後だったと思います。いま思えばやすくはなかった❗️ しかも、トースト2枚とゆで卵/目玉焼き/煎り卵(a boiled egg/a sunny-side up/scrambled eggs)とコールスローサラダとコーヒ(↖️もちろん、日本だから「ポットではなくカップ」で「おかわりなし」)という典型的な*「a continental breakfast ≒a light breakfast」、それは英語の「最後の晩餐」のメニューなみの質素さでした❗️
*Continental Breakfast
これと対比される「a large/heavy breakfast」が「🇬🇧English Breakfast🇬🇧」。それは普通、two eggs, three pieces bacon, two or more slices of bread and some vegetables with tea or coffee or a glass of tomato/grapefruit juice が最低でも供されたと思います🌺
でも、ーー日本の京都の大学生・大学院生どうしということもあり、一度もお互いに話しかけたりはしなかったけれどーー早朝にこれで腹ごしらえして夕刻まで図書館でがんばるのだろう仲間たちと同じ時空を共有できて勇気と気合い、これからの自分が進む道のビジョンをもらいました♥️
尚、「モーニングサービス」は完全な由緒正しい「和製英語」です。それは英語では「a breakfast special/combo」「a cut‐price service during the morning hours」とかで表すのでしょう。が、しかし、二番目の例でもわかる通り、これらの英語の単語列は「説明的英訳」です🐙
おそまつさまでした。
以上
P/S
Do you want to know who you are?
Don't ask. Act❗️ Action will delineate and define you.
(あなたが何者か? 知りたいのなら、うだうだ考えてないで、
やりたいことやるべきことと思うことをやりなさい。
行動とその結果こそがあなたの人となりを明示しますから)
(Thomas Jefferson said)
自分を知るためにでしょうか?
久しぶりに「ポリティカコンパス」
やってみました。
>日本版ポリティカルコンパス ドラフト3版
保守右派でした。嬉しい🌺
日本語&英語版「ポリティカルコンパス」紹介-あなたの政治と経済の思想傾向を自己診断
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3f3ab1875cc147c3e4449126b6e3f13e