
初掲:2017年10月17日
▼「憲法を守り、憲法を愛する」日本の防衛そっちのけで護憲布教…過剰左傾、東大法学部系学者「思想」産経ニュースの紹介記事(⬆)です。
正直、言葉の正確な意味での「宗教団体」ですね。
日本のリベラル系護憲派は。
そう感じました。
いや、本当、「多様性」とか「寛容」とかと
最も縁遠い人達じゃないですかね。
星新一『白い服の男』の領域も軽く越えてそうな、
日蓮宗や創価の人達も裸足で逃げるレベル、鴨。
間違いなく、現在のイスラム原理主義の方々や、
16世紀末はスコットランドの長老派(カルビン派)の
おじ様方といい勝負されると思います。
日本のリベラル系護憲派に対するこのような<カルト>認定。而して、そのような認定も、かのマーガレット・サッチャー男爵(1925-2013)の自伝『The Path to Power』(June 1995)で語られている次の如き述懐を反芻するならば、満更、彼等に対する中傷や不当な評価ではないのではありますまいか。それは、オックスフォードで化学を修めてほどなく、――「ロバーツ嬢」だった独身時代から――保守党下院議員候補にノミネートされるようになっていた若妻マーガレットの回顧録の中にある記述。 彼女は、――最初の立候補(25歳:1950)から最初に下院議員に当選(34歳:1959)するまでのこの雌伏待機の期間を利用して、最短で、よって――ワンチャンスで弁護士資格(サッチャー男爵は理科系女子でありながら税法専門の法廷弁護士さんでもあるのですよ!)をものにする。その時期の――「サッチャー夫人」(26歳:1951~)になってまだ間もない頃の――述懐です。 ちなみに、法廷弁護士(barrister)資格をゲットしたと同じ1953年(Margaret 28歳)にサッチャー夫妻は双子の子供たちもコウノトリさんからプレゼントされたのは有名なエピソードですよね。 尚、その訳文には幾つか――英国法理学の知識不足に起因するとしか思えない――誤訳があるのですが、まあ、おおよその意味は通っている。ならば、つまみ食い的にここだけわたくしが訳した場合、逆に、朝日新聞から、朝日新聞社説的の牽強附会とまではいかなくとも我田引水やら針小棒大・羊頭狗肉の嫌疑をかけられかねないだろう。よって、李下に冠をなんちゃらで、訳書『M.サッチャー 私の半生(上)』(日本経済新聞社・1995年8月, pp.124-125)から原則転記引用します。尚、下線、または、【xxx】内はKABUの補註です。 ・法哲学の入門書紹介 でも、少し古いよ(笑) https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11147077543.html ・イギリス英語の入門書紹介 ――役に立つのにお洒落で楽しい「イギリス英語」の招待状のようなもの https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2387050ede4ca0a2947e1c5783157128
<<抜き打ちテスト~!>>
大学やそれ以前の勉強から、私は、自由な体制を自由でない体制と隔てるものは、まず法の支配の存在であって、力は二番目なのだという考えをはっきり身につけていた。だが、この「法」というものの本質は何だったのだろうか。どのような過程を通してそれは進化していったのだろうか。そして、それはなぜイギリスでこのように深く根付き、最近の歴史【1953年に至る数年の歴史】が示したように、【フランスや北欧等】ほかでは浅くしか根付かなかったのだろうか。私がこのとき勉強した法律の教科書は、総じてこのような点に答えることを意図したものではなかった。しかし、これらの教科書が繰り返し説明した法の【諸】原則というものは、私の心に以上のような問いを呼び起こしたのである。同じように、イギリス法の生成期の偉大な判事たちについて読むにつれ、イギリスの法廷がイギリスの自由の基礎を築いていった、不可思議で累積的な過程に夢中になったのだった。 ・完版:保守派のための海馬之玄関ブログ <自家製・近代史年表>みたいなもの http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3221c77ea0add17edf737d21088cf96 しかし、私に最大の影響を及ぼしたのは、A・V・ダイシー【Albert Venn Dicey:1835-1922)】の著作で、とりわけ古典的な教科書『憲法の法』【『憲法序説』 Introduction to the Study of the Law of the Constitution (1885) 】であった(⬅英語もそうは難解ではない名著です。是非、お手にとってみてください。蓋し、この書物から「ホイッグ史観」しか読みとれない日本の憲法研究者は、男爵に、もう、半世紀前に「お前はもう死んでいる」の北斗の拳宣告がなされていたの、鴨。) 新しい行政国家に対する彼の教条主義的な反対論のゆえに、ダイシーを攻撃することが長い間流行になっていた。【回顧されている1953年から40年後、自伝が上梓された1995年の】いまでもそうした傾向の博識な批評家が【日本で言えば、早稲田大学の長谷部恭男さんのような物知りのお利口さんが】数多くいる。しかし私は、彼の述べていることにすぐに共感を覚えた。ダイシーは偉大な法的精神の持ち主だったが、【トリー党の後身たる保守党のMargaret とは違い、生粋かつ鉄板の自由党の前身のホイッグ党支持者であった彼が】心のなかでは古典的な自由主義者だったということは、おそらく意味のないことではあるまい。 ダイシーの言葉によれば、「憲法の法」【法(原則の体系)としての憲法:the Law of the Constitution】とは、二つの「指導原理の所産であって、それらは、【普遍的な価値と均一の内容を持つ「天賦人権:基本的人権」なるお伽噺とは違って、英国臣民の権利として】何世代にもわたるイギリスの政治家や法律家により、多少なりとも意識的な努力によって、次第にできあがっていったものである」。二つの原理の第一は、議会の主権【Parliamentary Sovereignty】だった。第二は、法の支配【Rule of Law】だった。私の簡単でつたない要約によれば、それは国の法を上回る権威はないという原理である(『憲法の法の研究序説』第八版、1915年、465―466ページ)。 ・憲法における「法の支配」の意味と意義 ・国家が先か憲法が先か☆保守主義から見た「法の支配」(上)(下) ・憲法の無知が炸裂した朝日新聞の「法の支配」援用社説
1885年【大日本帝国憲法が発布される4年前】にこれを書いたダイシーにとっても、それを約70年後に【サンフランシスコ平和条約が締結された1951年から1953年の時期に】読んだ私にとっても、法の支配にはまだ非常にイギリス的な、あるいは少くとも【アメリカを包摂する】アングロサクソン的な感じがあったのである。私が、この原理はさらに広い範囲に適用されるものだと本当に考えるようになったのは、もっと後になってハイエク【Friedrich August von Hayek:1899-1992】の『自由の条件』、『法と立法と自由』【「The Constitution of liberty」(1960), 「Law, Legislation, and Liberty」(1973-1976-1979)】などの傑作を読んでからのことだった。【男爵が初めての女性の英国首相にエリザベス女王から任命されたのは、奇しくも、ハイエクが主著の一つとなる『法と立法と自由』三部作を完成させた1979年のことでしたよね】」 (以上、転記終わり)
而して、蓋し、
>万国の保守派よ団結せよ❗ >リベラル勢力の文化帝国主義の粉砕に向けて、 >共に闘わん❗ ▼海馬之斬鉄剣:朝日新聞の素人憲法論批判
――改憲のための改憲、所謂「改憲の自己目的化」は立憲主義と矛盾するか(余滴)
▼日本の憲法学者はハイフライフローの連射と決め技デスティーノで
憲法改正論議のリングから放逐せよ❗
▼安全保障関連法案を巡る論評雑感--憲法学者の違憲表明の法哲学
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c3f83e0ee381182fb5b90b0e5f0f7f0a ▼まずは「加憲」でいいのではないですか
――改憲派こそ「憲法」に期待しすぎるのやめませよう
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9333930d645cf9bb127ad33d72915dd7 <海馬之玄関ブログ関連記事>
・立憲主義を守る<安全弁>としての統治行為論
・保守派のための「立憲主義」の要点整理
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9256b19f9df210f5dee56355ad43f5c3 ・立憲主義の無知が爆裂した朝日新聞
・樋口陽一の文化帝国主義的憲法論の杜撰と僭越(上)(下)
そして、
・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9) http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79 ・憲法96条--改正条項--の改正は立憲主義に反する
「法学的意味の革命」か(1)~(6)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7579ec5cfcad9667b7e71913d2b726e5 念のため、
・<改訂版>自薦記事一覧:保守主義の憲法論と社会思想
-憲法学の再構築と占領憲法の破棄・改正を求めて
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