面白かった
こういうエヴァが見たかった
旧劇に対するアンサーとして描かれている
ちなみに、今回のシン・エヴァは大変スピリチュアルで抽象的で感覚的な作品なので視聴する人によって感想は変わる
以下の感想はあくまでも個人の感想であると記しておく
まず、登場人物そして視聴者である今までのエヴァファンを「エヴァの呪縛」から解放するための作品であった
メタネタが多分に絡む
コレは今までエヴァを長年追い続けてきた人に向けた作品である
穿った言い方をすれば、旧劇で安野監督が「アニメにばかり夢中にならないで現実見なさいよ」と冷や水をぶつけたように
今回も、アニメオタクに「現実を見ろ」と諭してくる
でも、今回は一足違う
とにかく優しく諭してくるんです
「あなたは前に進んでいいのだよ」と
変化を嫌い、停滞を好んだシンジがゲンドウやアスカやカヲルくんに変化を促した構図が良かった
メタで見た場合、最終的にはエヴァが存在しない世界が構築されて
各キャラクターは新しい人生を歩んでいく。というイメージで終わっている
これは絵面通り、本当に世界が再構築されたかどうかは不明であるが
自分は世界が再構築されたと受け取っていく
疑問が生じるとすれば、マリの存在
イスカリオテのマリア、という聖書のイスカリオテのユダとマグダラのマリアを掛け合わせた役割を与えられたのであるが
個人的にはマリ=安野監督説を推す
エヴァの呪縛から作中登場人物と長年のファンを解放して救済したシンジであるが
最期には生みの親である庵野監督に救われるわけです
マリという、旧作にはいなかった新しいキャラクターに手を引かれて
シンジが新しい世界へ進むための手助けになる
その構図を描く為に生み出されたキャラ
最後に現代パートでシンジはマリの手を取り、未来へと駆け出していく演出で終わりますが
ここで勘違いしてはいけないのはマリとシンジは恋仲になった、というわけではなく
あくまでもシンジに未来を進ませる為の導きの手を差し伸べた存在としてあったということ
また、最後のシンジは厳密にいうとシンジではない
おそらくエンドロールにあったように神木隆之介が声当てをしていたわけだけど
シンジから成長した存在が未来へ進んでいく、という演出であり
あのシンジは作中のシンジではないんです
だからわざわざ中学生の装いではなく、少し成長した高校生の姿で描き
そして緒方恵美さんではなく別の声優だった
個人的にはかなり満足です
自分が望む形でエヴァの旧劇がリメイクされたのがシン
あらゆるものが旧劇からポジティブに変換されてエンディングに向かった
その過程で、登場人物たちが救われていくのが良かった
旧劇は「僕はここにいていいんだ」からの他者による否定によった
「人と人は分かり合えない」の最終結論での終劇であったが
やはりここは予想通り
「僕は」ではなく、「あなたはここにいていいんだよ」という他者理解による終劇であった
この役割を他でもないシンジにさせたのが素晴らしすぎる
1番良かったのが、ゲンドウときちんと親子喧嘩できたこと
漫画や旧劇でわかりますが、ゲンドウはシンジをそのまま大人にさせたような人物です
シンジに辛く当たり突き放したのも、シンジが自分を見る眼が怖かったから
最後にユイの存在を知覚して、先へ進めたのが良かった
ネウロの春川教授を思い出す
持論をもとに考察しますが
果たして、「人」はどこにいるのか
身近にいるあの人自身は、明確に言えばその人ではない
人はいくつもの仮面、ペルソナ(人格)をもつ
接する人、所属するコミュニティによっても仮面は変わる
会社では鬼上司、家庭では優しいパパ、夜のクラブでは変態オヤジ
その全てがその人であり、全てが本物
ゲンドウ自身も作中で言いますが、同じ言葉をかけられてもシチュエーションにより様々に意味は変化する
人は、人との関わりの中にその人の人格を見出す
作中の設定で例えるならば、「ATフィールド」こそが他者との触れ合いの中で生じた「繋がり」である
要は、人物Aが居て今自分はその人と話している
今話をしているそのAという存在はいったいどこにいるのか
その、自分の知覚するAという存在はAの中には存在せず
自分とAが話をするなかで生じたATフィールドの中にこそ存在している
ゲンドウは最後にそれに気付いて認める事ができたから、前に進めた
イヌマエル・カントによると、人は知覚により事象を認識する生き物である
知覚の仕方により認識は様々に変化する
ユイは、ユイを想うゲンドウの心の中に確かに存在していた
漫画、ネウロの春川教授の描き方が好きだった
亡くなった愛する人を再構築する為に、自分を電子の世界に生きるAIに変えて
計算上で愛する人を再構築しようとするわけですが
いくら計算に計算を重ねても、愛する人は復元できずにむしろ距離は離れていく
AIが破壊されて、ついぞ愛する人と会うことは叶わなかった、、、かに思えた教授ですが
消滅する直前に、愛する人は自分の心の中で生きていたことに気付いて逝く
アスカの設定がようやく作中で拾われたのも良かった
試験管ベイビーとして「エヴァに乗る為だけ」に生み出されたアスカ
エヴァに乗ることを存在意義として、シンジとは違うベクトルで「自分を愛して!」と叫び続けて、ついぞ救われる事がなかったのが旧劇までのアスカ
アスカとシンジは似ています
旧劇までの2人は、互いに「自分を愛して」と求めるばかりだった
互いに互いを好きあってもいたが、求めるばかりの2人は噛み合わず食い違う
その結果が、旧劇ラストの「気持ち悪い」だった
そういえばアスカの中に第9使徒が封印されたままになっていたのは驚きました
たぶん集落を守る為に作られた円柱と同じ技術で使徒成分を無理やり押さえ込んでいた模様
(追記)たぶん惣流と式波のアスカは本質は同じだけどバックボーンは違うかな?
惣流は旧劇までのアスカで試験管ベイビーでありきちんと母親がいた
式波は惣流をもとに作られたクローンであり父母はいない
旧劇のラストの海岸に取り残されていたアスカをシンジが救済に行く構図だったのかも
惣流と式波で記憶を共有してるのは相変わらずメタだけど
そしてカヲルくん=ゲンドウのクローン説もあるけど、コレについてはあまり共感はしていない
あくまでもカヲルくんとゲンドウがシンジにとって重なる部分があった、というだけに感じる
カヲルくんもシンでようやく心中が吐露された
あの棺は9だけだったと思っていたのに、無限に輪廻が存在していたのにはやられました
あのあたりの設定はおそらく、メタが絡んでいる
ファンがエヴァを望む限り、無限にエヴァの輪廻は終わらない
ゆえに何度でも生まれ、何度でも作品に殺されていくカヲルくん
カヲルくんのくだりは、作中の登場人物としての心境と作品が生み出した「カヲルくんのイメージ」のバランスがかなり混ざり合い
読み解こうとするのが難解すぎるので保留しておく
以上に雑感を羅列しましたが、シンエヴァはかなり難解
というよりは視聴者の数だけ、作品としての印象がある作品です
たぶんネットにネタバレ記事は、出回らない
なぜならネタバレしても「意味がない」からである
作品ラスト一時間くらい?は精神世界内での演出であり、そこに一部現実が絡む
人類補完計画を止めようとシンジにガイウスの槍を届けようとするミサトやマリなど
旧劇はバッドエンドとして人類補完計画のシンジによる頓挫が描かれたが
シンエヴァではハッピーエンドとしてシンジによる頓挫からの救済の世界再構築が描かれる
ここで被るのが、まどマギのまどかによる円環の理によった魔女と魔法少女の救済
実はやってることはシンジとまどかは同じである
だけど、概念になるはずだったシンジを救ったのが、初号機のコアに溶けていたユイと
シンジによりユイは自分の中に生きていたのだと知覚したゲンドウ
最後にゲンドウが父親らしい事をシンジにしてやれたのが良かった
父と母からの決別、そして成長を説いた旧劇
だけどシンエヴァでは再び、父と母の加護を受けて未来へと送り出されたシンジ
壮大な親子喧嘩と書くと刃牙っぽいが、親子喧嘩からの父との和解を描いたエヴァ
最後に一つ
これはコロナ禍にささるテーマだと思います
旧劇のテーマは「僕はここにいていいんだ」
シンエヴァのテーマは「あなたはここにいていいんだ」
コロナにより人びとはソーシャルディスタンス、新しい生活様式というATフィールドに阻まれて
人類が未体験の孤独を味わっています
そんな中だからこそ、ATフィールドの中にこそ他者との繋がりがあったのだと最終結論として提示したシンエヴァは
今の時代に刺さる
上記はあくまでも個人的見解なので
安野監督がどういう思いで作ったのかは誰にもわかりませんし
たぶん庵野監督自身もわからないはず
映画、着信有りで未だに名言として覚えているセリフを以下に
「人の数だけ、空はあるんだよ」
世界は、そして宇宙は人の数だけ存在している
同じ青い空を眺めていても、隣にいる人には違った色の空に見えているのかもしれない
個人的にエヴァとは「あなたはいったいどこにいるのか?」を問う作品であると思います
そのテーマに、オタクが飛びつくようなメカやバトルや萌えやエロで脚色してますが
今の時代に即したエンタメとしての着地点としては上々でしょう
旧劇が商業作品として成立したのは、バブル期前後の日本であり
人びとの心に物質的にも精神的にも余裕があったからです
とくに同人ゲー界隈で、電波ゲーなるものが流行りましたが
今の時代に、電波ゲーや旧劇のテイストのエヴァは流行らない
今の時代、コロナもあいまって
いやそれ以上に経済成長の行き止まりや開く社会格差
ネットが広がり、個人間の心の距離も離れ
今を生きる若い世代の心は冷えています
そんな世界だからこそ、悲劇は流行らず民衆は喜劇を望む
今まで束縛してきたファンに未来を示すとともに、時代に即したふさわしいエヴァの終幕であったと思います
そういえば黒波が思いのほか可愛かった
それだけに序盤のLCL化はかなりショック
Qだとひたすらにシンジに厳しい作品でしたが、シンは序盤から終盤にかけてひたすらにシンジに優しい世界だったのも好き
とくにトウジケンスケアスカ含めて集落の人全員がシンジと黒波に優しいのが
ポカ波はラストにはシンジに出会えたし
ミサトさんがカッコ良かったのもいい
カジさんやシンジとの絡みです不意に葛城艦長からミサトさんに戻るシーンが熱い
実はQからミサトさんはシンジに甘かったが、艦長という責任上私情は挟めなかった
贖罪と責任をシンジと共に背負い、シンジを送り出すシーンや、ガイウスの槍を届ける為のヴンダー突貫シーンは熱い
ヴンダー突貫シーンでキャラクターが完全にミサトさんに戻るのが良い
アスカもなんだかんだシンジに優しすぎる
ツン10割でも優しく見えるのはアスカくらいのはず
ケンスケと良い感じになるのは意外だった
一部のファンはカップリングを気にするが、シンジ×アスカ派は怒りそう
今回、シンでシンジは誰と結ばれたという結論だけど
最終的に誰とも結ばれていない
シンはそういった俗世的な作品ではない
シンジにとってレイは、ユイの面影を重ねた擬似的な母でしかないし
カヲルくんとは別にホモォな間柄ではないしで
そういった、カップリング争いからの解放としてもシンエヴァは機能したかもしれない
シンエヴァラストはシンジ×マリで終わるが、さすがにあれを公式が2人は恋仲になって終わりだよ
というメッセージに捉えた人は少ないはず
個人的見解では、マリ=庵野監督であり
エヴァを解放する為に破から仕込んでいた、シンの結末を見越した上でのギミックだったはず
何度も言うように、閉塞した輪廻を断ち切る為には新しい要因をぶち込んで打開するしかない
そのジェット推進剤として機能するよう配置されたのがマリだろう
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