アニメや漫画、ゲームのシナリオで泣いたのは結城友奈は勇者である 二期の最終回以来だろうか










いや、fate HFの映画 2章でも泣いていたことを思い出した
気がつけば泣いていた
1番いいところをメリュジーヌとオーロラが持っていった
もう退場したものとばかり思っていた
オーロラへの愛を自ら捨てた事により(なお、捨て切れていない模様)
自身の周りにあった、自身へ向けられた愛。世界への愛。世界からの愛を知覚したメリュジーヌ
朽ちていく身であろうとも、この美しい妖精國の景色を護りたい
最後に、妖精國、そして汎人類史の世界を守るために力を振り絞ったメリュジーヌにやられた
しかも、オーロラまで最後に登場させるシナリオ構成の妙
わざと狙ってますが、
メリュジーヌとオーロラの出会いと、別れは対となるように描かれている
オーロラは地に伏して、アルビオンとなった美しき竜の妖精の美しさに焦がれるようにして没していく
オーロラのメリュジーヌに対する感情は全てが嘘ではなかったのが良かった
湖畔から泥を救い上げた行為の動機自体は打算であったとしても、それによって救い上げた命の美しさを「美しい」と感じた事に嘘は無かった
全てが欺瞞、嘘、ハリボテでしかなかったオーロラの美しさの中で、唯一偽りではなかった
メリュジーヌに対して、「美しい」と思った感情
メリュジーヌにオーロラ自身による真実の救いがあったことが良かった
始まりは欺瞞でしかなかったとしても、終わりも欺瞞だったとしても
その中に一つくらいは真実があったのだと
オベロンの最後も良かった
あれは、一種の異聞帯が今までカルデアに空想として汎人類史に切除され続けてきた行為に対しての憤りであったともとれる
御伽噺として持ち上げられて、いらなくなったら捨てられるだけの存在
人類の身勝手さに対する復讐
ヴォーティガーンとしての行動原理はとてもシンプルであり、「気持ち悪い」から潰すというもの
そこに至る説得力を持たせるために、今回の6章は妖精國に生きる生命の醜さとその中でも確かに存在する美しさを描いた
妖精はしばしば、ヒトと表記されてますが
奈須きのこさんが言いたい事は
妖精も人類も同じだということ
ただ、救いなのか悲劇なのかはわからないが妖精は人類よりも純心で無垢だったということ
6章プレイした人の多くは「妖精って救う価値あるか?」ってどこかのタイミングで感じるはず
実はこれは我々が生きる現代社会においても、「人間って生きてる価値あるの?」っていう部分と同質の問いかけである
ヒトは醜い
他者を妬み、陥れ、足を引っ張り合うのがヒトだ
だけどそんな醜い肥溜の中でも、「美しいもの」というのは確かに存在して育まれていく
モルガンもキャストリアも
その美しさを信じたからこそ、妖精國を救おうとした
オベロンにとっての、ティターニア。輝ける星はキャストリアだったのだろう
そういえば、キャストリアにとっての輝ける星はどうやら主人公のことだった模様
アヴァロンのキャストリアと村正のシーンでSNも絡めて連想してしまい曲解しましたが、村正はキャストリアを輝ける星のもとへとたどり着かせる送り人だった










そういえば、少し前の予想で
キャストリア3臨はキャストリア+モルガンだ!と予想していましたが違った模様
正しくは
キャストリア+汎人類史の青王=キャストリア3臨だった
ロンゴミニアドは兵装としてモルガンから引き継いだだけだった
今回のシナリオは大満足だった
さすが、奈須きのこさん
この人以外にやはりfateのシナリオは描けない
あんまり作品を世に送り出さない人であり、まともに文庫本を出したのは10年以上前のDDDが最後なので
プレッシャーに潰されてないかとか
才能が枯れてないかとか
少し心配してましたが、色褪せることなく独自の輝きを放つシナリオで満足しました
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