たきゆの徒然日記

ゲーム、アニメなど趣味を書いています
好きな作品はMGS、COD。Fate、勇者であるシリーズ、ヘブバン

MGS V TPPに向けて MGSシリーズ一挙再プレイ(メタルギアソリッド2 クリア感想)

2015-07-17 03:01:57 | MGS


言葉を信じるな、言葉の持つ意味を信じろ




ハリアー戦前まで進めていたんですよ
午前一時、ちょっとプレイするかーって気持ちで進めていたらそこから徹夜でEDまで突っ走っていました。現在時刻午前7時


かなりテンションがおかしいです、だけどこの情熱が冷めないうちに感想記事を書きます


まずMGS2ですが実は当時プレイしてたのがサブスタンスで英語音声だったわけです。なのでVITAの日本語仕様の物語が楽しめるのが非常に新鮮
母国語で物語が頭に入ってくるのでストーリーの入り方が英語と全く違うんですよね
これが母語、自国のアイデンティティか。スカルフェイスの心情がちょっとわかります


そんなことはどうでもいいんだけどストーリーの出来について
これがなんで酷評されているのか正直わからない。メッセージ性が強すぎる旧劇ヱヴァみたいな抽象的で難解な話だったのが理由なんだろうけど
正直小島監督のオナニー全開です。MGSで感動的な物語を作れて次作でそれを超えようと凝りに凝った大作を作ったはいいがプレイヤーのおつむが付いてこれずに批判の嵐に見回ったってのが妥当なところですね
個人的には他のシリーズと比べてファンタジー色が強いのも批判が強かった要因に感じます
ヴァンプの不死性がMGS2では明らかにされない、フォーチュンの幸運があまりにも拍子抜けな設定、スネークのアーセナルでの無限バンダナだ!など
ゲームならではの非現実な面白さとMGSが扱うリアリティの超えてはいけない部分の線引きが上手く引けなかったために、物語のバランスが取れなかったのは確か

しかし小島監督が伝えたかったであろうデジタル社会において人が生きていくには?というテーマに絞って考えればこれほど素晴らしい物語は他にはない

いま改めてプレイするとこれが非常にわかりやすい物語に感じます。時代がようやくMGS2の物語に追いついた、愛国者達という概念が我々が生きる社会においても想像が容易になった、MGS4で愛国者達というものがどういった存在かが明るみになったうえでの改めてのプレイで見えてくるものもあります


おそらくMGS2時点では愛国者達=AIそのものというニュアンスで小島監督は物語を作ってはいなさそう
あくまでも彼らは社会の規範や概念といった存在。デジタルが発達し混沌とした社会を規律するためにデジタルの海から自然発生した概念。AIによる今回の姿でのMGS2での登場はあくまでも愛国者達の一形態にすぎないといった印象です

それが3、4と物語が進むにつれ設定も煮詰まり、AIそのものへと設定が変遷していったように感じました


ここまで書いておいていまさらですがMGS2は非常に抽象的であり、またMGS2をプレイしたことによって自由に考え伝えることもMGS2が我々に提示してくれたテーマの一つでもあるので今回に限ってはかなり無茶苦茶な私見ばかりが入ります

感じたことに正解は無いのであくまでもすべて個人的見解にとどまる



まずMGS2のテーマについて
1に続き「生きること」を描いていますが、とりわけ生きていくうえで避けては通れない「伝える事」に特化して作品はユーザーに語り掛けます
小島監督はMGS2を今までのゲームにはなかった手法、こう来るか―という手法で作ったとインタビューでたびたび言ってましたが

実はこれプレイするユーザーも物語に介入するゲームなんですよね
雷電がフェデラルホール前でドッグタグに視線を移すがそこにプレイヤーの名前が掘られているのが良い証拠。本当にくい演出です

雷電を通してプレイヤーはS3計画を体験するわけです。VRにより人の思想を一から十までコントロールするための演習が今回のMGS2でのプラント事件での愛国者たちの目的
多元的に実は小島監督はゲームを通してプレイヤーにもS3計画を仕掛けているのです


殺戮を楽しんでいるのだよ貴様は

メタ的に見れば雷電がスネークにアーセナル内部で今まで殺人に快楽を覚えたことはないかと尋ねますが、これプレイヤーにも語り掛けていてドキッとしますね
アーセナル内部にステージが以降してからはユーザーと雷電のシンクロ率が急激に高まってくる
大佐やローズの急変による不安や恐怖、あの演出があそこまで怖かったのはあの時の雷電はプレイヤーそのものだったわけです
雷電(主人公)という役割(ロール)を体験しプレイヤーは何を感じどこへ向かうのか。思想・感情がゲームに誘導されていく恐怖

自分とはいったいなんなのか。そんな自己啓発な境地に陥れてきます


でもそんな恐怖も雷電が最後に自らのドックタグ(形として自分を象徴するもの)を放り棄てることでプレイヤーにも選択の自由が与えられます
自分を形作るのは周囲の環境や仕組みではない、他ならぬ自分自身が選び取ったものが自分を作りそれが未来へとつながっていくのだ

選び取ったものは過去となり未来への道しるべともなる



雷電もMGS2で新しく生まれ変わりましたね。MGS1でのスネークのように
MGSシリーズは愛の物語。生きることは愛することだと教えてくれる物語です


しかし9・11テロの影響でムービーがカットされたのが痛いですね。あれのせいで物語が急に飛んでわかり辛くなる



愛国者達のS3計画の重要性がMGS2が示唆していたネットの氾濫や膨張が我々の世界でもすでに起こっている?現在とてもその重要性が分かります

LINE、2ch、Twitter、FB、各種動画サイト等それぞれ個としての人間が自己を再現なく表現できる環境がすでに完成し世界は嘘や虚飾にまみれています
このような時代だからこそ愛国者たちが目指した人類の正しき進化のための情報の取捨選択自然淘汰の重要性が問われる

2chなんてまさに愛国者達が危惧していたクズや馬鹿どもの繁殖場ですからね(2ch批判にあらず、ブログ主も2chが大好き)
雷電も2chねらーみたいな奴として描かれる

自分に有益な情報を本当の真実と信じて疑わず、都合のわるい情報はデマとする
自分にとって幸せなものばかりを選び取った先にあるものは堕落と崩壊


ネットがはびこった結果引きこもりや現代病も増え、と論じていくと話しが脱線するのでここいらで避けます



本当に愛国者達の存在が今の社会と照らし合わせると現実味が帯びてきて面白い

ネットにはびこるステマ、あれも情報統制の一種の形ですね
しかし実際ステマなんて我々が予期しているほどに数は多くなく、近年でてきたステマという概念が一人歩きした結果今のステマは悪、ステマをステマする現状などが出来上がっており
もうネットは恐ろしい場所になってますね


小島監督はMGS2の時点で愛国者達なんてキーワードを生み出すあたり時代を見越す目が違う


ああなんだかどんどん頭がおかしくなってくるけどこれが徹夜効果か。徹夜したのなんて久しぶりですね




しかし今回雷電が主人公でブーイングはありましたけど今プレイすると全然ありですね
スネークを客観的に見れることで彼の偉大さが伝わってくる。今回はスネークという存在を知り、伝えるためにも雷電は主人公として配置された

スネーク(ソリッド)の人格は実はMGS1で完成しているんですよね
1では成長や葛藤の中でラストに生きることに喜びを見出すことでソリッドはもう完成してしまった。以降の2、4では文字通り伝説の英雄として活躍する描写があるのみ
そのために主人公の成長を描くためにも雷電が新たな主人公として配薬されたのかもしれませんね


しかし雷電は2で生きることの指標を見つけるも道を見失ってしまうんだよなあ。最後にはオールドスネークの手助けもあって自分を見つけるもライジングでは再び見失うし(あれは公式サーガかは不明だけど)本当不憫な男だ



テンションがおかしくて考えがまとまらないので落ち着いたらまた感想を書きます


個人的にはMGS2のストーリーはかなり好きです
しかしストーリーが難解すぎると不評が多かったからMGS3では表向きはわかりやすい話になったんだろうなあ


とりあえず次はMGS3をプレイ


VITAでMGSが遊べるって本当にいい時代になりました




・MGS2でちょっとこれは…と思った部分
デッドセルの各キャラのファンタジーさ
ヴァンプなんて水面走るわ、危ない水の上に浮いたり泳ぐわ、死なないわの割にMGS2単体ではナノマシン(これも設定的に無理がある気がするが…)が超人性の理由でしたというネタバレがない
特殊部隊を越える意味で超人(アメコミヒーローを参考にしたのかも…?)を描いているが神秘に対するフォローがない
フォーチュンの弾除けは電磁波発生装置キリッも無理がある。彼女がピエロにしか見えなかった

唯一まともにリアリテイのあるボスキャラはファットマンのみ
この辺りはヴァンプ、フォーチュンは愛国者達に造られた怪物という意味合いを強める為にあえて無茶のあるものにしたのかな
愛国者達がその気になれば出来ないことはないというのを伝える為に

しかしデッドセルの悲劇がモロに愛国者達の情報統制が行われた上でプレイヤーに情報が入ってくるのが面白い

深読みするとデッドセルの狂人集団化というのは真実では無かった気がする
ファットマンはテンプレ爆弾魔として、ヴァンプも多少狂ってそうだけど他の隊員の暴走や狂人化っていうのは愛国者達が情報統制した結果MGS2の世界やプレイヤーに伝わるイメージなんだろうな


・MGS2で最高に良かったと感じるシーン
エマが死んだ後の電算室でスネークがオタコンを勇気付けるシーン
友情を超えた熱い男同士の繋がりを感じました

ソリッドとオタコンの2人はMGSシリーズ屈指の名コンビ
互いに人生初めて出来た親友同士なんでしょう
不器用な彼らの以心伝心ぶりが良い

サブスタンスの英語音声ではカッコイイシーンだなぁとしか感じませんでしたが日本語音声でここを見た瞬間泣きそうになりました

早くMGS4のオールドとオタコンの名コンビぶりの数々を拝みたい




ソリダスについて
ビッグボスを越えようと躍起になっていたリキッドとは違い、ソリダスはビッグボスに憧れ意識や同じ存在になりたいという願望が強かったようですね
生まれてからシャドーモセスの反旗に至るまで、常に愛国者達のポーンでしかなかった。今回のプラントでの反乱も全てはS3計画の掌の上でしかなかった。MGS4の設定を借りてくるとゼロの思い通りの人形として動かされていたに過ぎない

MGS2では多くのキャラが自由を求めて戦いますがソリダスはその典型
雷電に次ぐプラント編での第二の主人公といってもいいですね

クローンだから構成に物的な残り香を刻めない
その為に文化的遺伝子として自らの因子を世界に刻もうとしたわけですがMGS2の「伝える」というテーマに合いますね


イントロンではなくエキソンになりたいというのが彼の切実な願い

ソリッドが人を愛する選択を取ることが出来たが、ソリダスは人を愛することができなかった
その為に彼もまた闘争や抗いの中でしか自分を見つけられなかった人物なんでしょう

MGS2時点ではまだゼロという人物の設定は生まれて無かったはずですが、ゼロにとってソリダスはシャドーモセス事件を起こすまでは非常に有意義なイコンだったはず
小さな女の子が着せ替え人形で遊んでキャッキャするような無邪気さがゼロがソリダスに抱く思いとして伺いしれます

そんな自分のおもちゃがシャドーモセスで自分に牙を剥いた。そのトラウマを完全に克服するためにもゼロはシャドーモセスをS3でのモデルケースとして扱ったという深読みもできますね

ゼロがどの段階で生命維持装置に入ったのか年表がない、またゼロの意識がどこまでシステムとしての愛国者達に関与できていたのかはわからないので只の妄想になりますが


今回シャドーモセスの再現という点でゲーム的にもなかなか面白い作りになってます
MGS1のPSからMGS2のPS2になり垂直方向への進化が凄まじい

もっとムービーのクオリティを上げたり、マップのクオリティを上げることは出来たのに、それよりも小島監督はゲームプレイに当たっての環境描写にリソースを割いたらしいですね
雨風等の自然の描写や各種SEに力をそそぎ没入感を高める。絵面の綺麗さよりもリアリテイを追求したんでしょう

しかしMGS3では絵面も綺麗になってさらに環境描写もMGS2よりも向上していきそしてMGS4では…
と、ゲームハードの進化の助けもありますがコジプロスタッフの技術の向上も凄まじい




MGS2で一番笑わせられた所はアーセナル内部で大佐が暴走する所ですねw
私の前世はアメリカシロヒトリだった。要ハサミだ61など存分に笑わせてもらいました

でもMGS2の批判点について

やっぱりストーリーが難解すぎたところかなぁ
キチンと一つ一つ説明してくれると誰でも理解できる内容ではあるんだけど、MGS2発売当時はまだ愛国者達のような題材が浸透していなかったことや、二転三転ひっくり返るストーリーの中で矢継ぎ早に次々と論点が変わっていく物語や、初見殺しなメインストーリー、応酬される専門用語の嵐など

初めてのプレイで完全にストーリーを理解できる猛者は5%もいないんじゃないかという
この辺りが批判に繋がったんだろうなぁ

下地が十分に出来あがっている中、改めてMGS2をプレイすると案外すんなり入ってくるものではありますが

愛国者達AIによる雷電の脳内のローズが語る「我々の行動はコンテンツの制御ではなく、コンテクストの生成」なんて台詞ももっとわかりやすく置き換えないとあのスピードで展開されるストーリーの中ではユーザーには伝わりにくい

情報社会におけるコンテンツとは、コンテキストとはというのをアーセナル上部で何度も言葉を置き換えて説明してはくれてますが


若干言葉に酔っていたきらいもありますねMGS2の頃は

こんな風に偉そうに批評家ぶっているブログ主も同じようなものではありますがMGS2のメインストーリーは小島監督節がもっとも発揮された作品です

ストーリーがわからん奴は死んでまえ、みたいなノリで作られてます

高尚なストーリーすぎてプレイヤーのおつむがついてこれなかった訳ですが…

小島監督はゲーマーの知的レベルを読み違えてしまったみたいですね

ゲームデザイナーとして伝えたいこととプレイヤーの物語を読み解くスキルの折り合いが見極められなかった印象
話のネタも発売当時はあまりにも早すぎましたね



でもブログ主はそんなMGS2が大好きです


一番好きなシリーズはMGS3ではありますが



学生時代MGS3は冗談抜きで20週はしました

綺麗でしょ?命の終わりは…からの一連のシーンは今でも暗記できるくらいプレイして諳んじる事ができる

よくMGS3のPVで使われたザ・ボスとネイキッドの花畑の場面なんて最高ですね



ああ、次はMGS3だ
過去を伝える事と未来を切り開く事は同義という事でビックボスについて語られMGS3

MGS2時点では2で完結しても良かった内容ですが、3で愛国者達に一歩踏み込んだ時点で小島監督の頭の中で4までの構想はできあがっていたんでしょうね



あ、そうそう。サブスタンスの時から運命的に感じていたことが一つ

実はブログ主の誕生日は4月29日です

なのでMGS2では4月29、30日がキーとなる日にちとして扱われることにどきっとしました
雷電は4月30日に過去と向き合い未来を見据えた結果新たな自分が誕生します
言うなれば4月30日は雷電の新たな誕生日
まぁこれがMGS4では1度闇の中に落ちてしまうんですが


MGSシリーズは新たな自分の誕生の物語でもある
自分という殻を破り外界に飛び出るゲーム

外へ出ろ、自分自身を見つめ前を向けって感じの印象ですね

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