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オリンピックあれこれ(1)

◎美談について
 われわれマスコミ業界には「引く危険」という言葉があります。古い文献や他人の文章から、適当な言葉や物語りをそのままいただく(引用する)ことの危うさを言い表しています。
 ロンドン・オリンピックが近づいてきて、オリンピックの話題が増えるにつれて、各新聞の一面下のコラムなどでも、話を飾るため不用意に過去の事例を引用して、無知をさらけだすような事例が多くなりました。名の知れたコラムに間違った情報が何度も載ると、その情報が固定化し真実化します。こわいことです。
 例えば、1984年ロサンゼルス五輪柔道で山下泰裕選手がエジプトのラシュワン選手を破って優勝した美談です。「ラシュワンは山下の痛む右足を攻めずフェアプレーに徹した」とされています。ところが、柔道関係者の話はまったく逆です。「相手が足を痛めたら、痛めていないほうの立足を攻めるのが効果的だ。痛めた足で自分の体重を支えなくてはなるから相手は非常に苦しくなる」
 私は1964年東京五輪でオランダのヘーシング選手に敗れた神永昭夫さんの伝記を書いたことがあります。いまは亡き神永さんはこの試合をこう語っていました。「ラシュワンは元々右技だったから、たまたま山下の痛む右を攻めなかっただけだ。それに、あっという間に双方が倒れて押さえ込みになったから、試合内容からみれば、あれを美談にできたかどうか。山下君がケガを押してがんばったことは褒められるが……」
 少し前には、1932年ロス五輪の馬術で優勝した西竹一選手の話がかなり大きく紹介されていました。いつのオリンピックでも、まるで新発見のように何度も出てくるエピソードですが(記者が若くなり、代が変わるのですから止むを得ませんが)、西選手は第二次世界大戦中、日本軍の隊長として、米軍との硫黄島での激戦で戦死しました。戦前のオリンピックで金メダルを獲った選手で戦死したのは西選手ただ一人です。
 それは硫黄島の激戦中に起こった話なのですが、米軍側から「オリンピックで優勝したキミのことは良く知っている。キミはすでによく戦った。生きてわれわれの前に出てきてほしい」と、声をかけられたと伝えられています。
 もちろん西選手は出て行かず全員玉砕したのですが、ロケット砲が飛び交う近代戦の中で、簡単に声がかけられるものか。東京大空襲や原爆のことなど考えると、米軍にそんな余裕があったのか。また、いくら米軍の諜報能力が優れているといっても、西選手が、あの時、硫黄島で隊長をしていることをどのようにして感知したのか。いろんな疑問が残ります。

◎大きかった日の丸
 日本人が最初に金メダルを獲ったのは1928年アムステルダム五輪での三段跳びの織田幹雄さんとされています。(本当は3日後の200メートル平泳ぎで優勝した鶴田義行さんも、大会としては「初」なのですが)、織田さんのころは、いまのような金銀銅の三段になった表彰台はなく、「さざれ石」から始まった君が代を、織田さんはグラウンドの跳躍場の砂場のほとりに立って聞いていたそうですが、国旗掲揚台の真ん中に「ひときわ大きな日の丸」が挙がってきたといわれます。
 これについて、「そのころ、オランダの組織委は日本人が優勝するとは予想されておらず、日の丸が用意されてなかった」といわれたことがあります。あの旗は、大会前秩父宮から「もし、織田が優勝したらこの日の丸で体をくるんでやれ」と下賜されたものだったというのです。日の丸が用意されていないことを知った南部忠平さんが表彰台の下まで走って「これを挙げてほしい」と係員に頼んだ。それで異様に大きな日の丸が挙がってきたのだ、と。
 この話は、そのころ後進国日本の優勝が予想外だったということを誇張するために作られたと私は考えています、織田さんは前回のパリ大会で6位に入賞していたので知られていないはずはない。さらに、オランダにはすでに日本大使館があったし、日本の一等書記官がアタッシェとして常時日本との連絡にあたっていた。組織委が日の丸を用意していなかったとはとても考えられません。
 それに、私が大発見(?)したのは、当時組織委が発行した報告書を見た時でした。国旗掲揚の写真では、中央の優勝国の国旗が左右の2、3位に比べて、すべての競技でひときわ大きくなっていました。どうやらアムステルダム大会では、国旗掲揚の旗を金と銀、銅で大小区別しているようでした。この話を、毎日新聞運動部長だった当時の南部さんにしたところ、さすが大人物の南部さんでした。
 「ボクが秩父宮から戴いた日の丸を運んだ(?)。その話おもしろいよ。おもしろい話は、そのままにしておけばいいんじゃないの」 
◎美談の裏側
 「健全な精神は、健全な肉体に宿る」という言葉は、コラムや社説、その他スポーツ界の偉い人が演説あたりでよく使う言葉です。私もかつて新聞で「スポーツを盛んにしよう」というコラムで使ったことがあります。すると、高校時代の同級生で名古屋の大学でギリシャ史を研究している友人から手紙をもらいました。
 この言葉はユエリナスという哲学者が発したもので、本当の意味は「健全な精神は、健全な肉体に宿るべきだ」乃至「宿ってほしい」というのだそうで、むしろいま通常使われている意味とは逆だというのです。その前段だけとらえて、ほぼ全世界的な常識として使われている(私もドイツの偉い人の演説で聞いたことがあります)のだそうです。
 たしかに、逆に健全な肉体にしか健全な精神が宿らない、とすれば病気の人や身障者には健全な精神が宿らないことになる。そんなバカなことはありません。むしろスポーツをやって肉体モリモリの人にも、『健全な精神が宿ってほしいものだ』、というのが自然かも知れません。
 心ならずも美談に仕立てられて迷惑だという人もいます。1932年ロス五輪5000メートルの竹中正一郎さんです。翌日の現地新聞に「10万人の観衆の心に残るのは小さな勇者19歳のタケナカである。一周遅れでゴールした彼は先頭の選手に抜かれるとき、わざわざ外側に移動してコース譲った。ほかの選手がレースをあきらめる中で最後まではしった。その敢闘精神と謙虚なフェアプレーは称えられるべきである」と書かれ、この『美談』が日本の新聞でもずっと尾を引きました。
 「美談でも何でもない。第一コースを譲ったことなど覚えていない。ふらふらになってゴールする醜悪な写真を載せられるし、不愉快です」
 竹中さんは生涯かかってこの美談を否定し続け、私はその心情を明かされた書簡を何度かいただきました。
 1920年ウインブルドン・テニスの決勝まで進んだ清水善造さんが、名手チルデンが転倒した時、ゆるい球を送った話は、戦後「美しい球」という題名で小学校の教科書にも載りました。だが、私が芦屋のご自宅にお伺いして「そんな場面があったのですか」と聞いたところ「偶然でした。意識していません。きちんと決めるべきでした。残念でした。美しい球などといわれて面はゆいですよ」という返事でした。
 美談は人々の気分を良くします。美談は美談として残しておいた方がいいでしょう。だが、時に捏造されることもあります。ここらあたり大いに迷うところです。
(以下次号)

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