やっぱり、個人的にはこちらの武蔵の方があってますね。
この本を読むのは4回目くらいですけど、吉川さんの「宮本武蔵」を読んだ後だったので、今までよりすんなり頭に入ってきました。
<内容>
武蔵の生い立ちと吉岡一門との戦い。佐々木小次郎との戦い、そして吉川武蔵では語られなかった晩年が描かれています。
基本的には吉川武蔵と流れは一緒で、吉川武蔵の主要キャラクターのお通さん、お杉ばば、又八、城太郎、伊織も登場します。ほかに、沢庵和尚に夢想権之介、北条安房守らも。
この本を読むたびに権之介ってWHO?と思ってたので、吉川武蔵を読んで権之介がどういう人物か分かりました。
権之介は実在の棒術の使い手で、武蔵とは晩年も交流があったそうです。
<感想>☆☆★
司馬さんが冒頭と最後に書いた言葉が印象に残っています。
冒頭 「武蔵には、天才がおうおうにして持ついやらしさがある」
最後 「武蔵の晩年は、緩慢な悲劇であった」
この本を読んで思うのは、武蔵は剣豪というより、戦術家。だから、相手とは正々堂々と戦わない(笑)。相手をじらし、怒らせ、そのスキをつく。
また、勝てると思うまでとことん相手を研究し、自分は姿を隠して研究させない。
確かに、負けたら、それで終わりですしね~。
戦術家だからこそ、晩年は剣客として仕官するより、武将として高禄で召抱えられたいと思うようになったのでしょうか。これが司馬さんがいう緩慢な悲劇につながります。
<宮本武蔵・解説>
吉川さんの「宮本武蔵」の本文の後の解説に書かれたことが印象に残ってます。司馬武蔵は吉川武蔵より説得力があると。一方で「それは魅力につながるか」とあります。
解説を書かれた方は吉川武蔵の解説なのに、全体的に司馬武蔵の方がいいと書いているようで、「それは魅力につながるか」の個所だけ、吉川さんをフォローしている感じがします。
僕なんぞは「人間くささ」という意味でも、司馬武蔵に魅力を感じますが。
無名な男が有名になるには、才能はもちろんのこと、運も必要でしょう。時にははったりやずるさも必要でしょう。
吉川武蔵のように、クソまじめやバカ正直で頂点を極めることは難しいのではないでしょうか。また、それだけでは人間的魅力もないような気がします。
<本書>
僕が思うのは、本書や「真説宮本武蔵」というのは、吉川さんに対する挑戦状ではなかったのかと…
というのも、二人には直木賞受賞の時の因縁があるので。司馬さんは口で言わない分、本書で吉川さんを切ったのではないかと。
本書で吉川武蔵に触れているところがあります。
小次郎の髪型を少年の髪型で描写しているのは、さすが天才・吉川さんといいながら、現実ではありえないと一刀両断する司馬さん。
よくよく考えてみると、本書は吉川武蔵とはまるっきり正反対の内容で「真説宮本武蔵」に至っては吉川武蔵のハイライトである武蔵が倒した(殺した)吉岡一門は誰も死んでいないと書いています。
短編「京の剣客」では、武蔵が殺したとされる吉岡憲法が主人公で、晩年のエピソードがつづられています。
歴史小説というのは、ほとんどフィクションだったりしますが、「歴史を勉強しろ」といわれた司馬さんが、「あなたもフィクションを書いているじゃないですか」というメッセージを本書や「真説宮本武蔵」に込めた気がします。
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