独特の間の取り方と話しの展開に、ついつい笑いながら巻き込まれて いきました。
雀々さんの著書「必死のパッチ」を読んでいるせいか、雀々さんの 背中から、研ぎ澄まされた刀のようなものが。。。感じました。
いつも真剣勝負な人生を歩んで来られたからこその雰囲気かと。。。
落語は、とても面白く、誰かに少し話したくなるような内容でした。
ぜひ、機会があれば、聴いてみて下さい。
独特の間の取り方と話しの展開に、ついつい笑いながら巻き込まれて いきました。
雀々さんの著書「必死のパッチ」を読んでいるせいか、雀々さんの 背中から、研ぎ澄まされた刀のようなものが。。。感じました。
いつも真剣勝負な人生を歩んで来られたからこその雰囲気かと。。。
落語は、とても面白く、誰かに少し話したくなるような内容でした。
ぜひ、機会があれば、聴いてみて下さい。
今回でラストになりそうな作品でした。。。
ちょこちょこと面白かったですが、いまひとつストーリーが・・・、ない(T T)
いつものような流れるような展開がなく・・・。。。
少し強引さが・・・。
でも、真剣な話の時に、笑いをとるという演出はさすがでした
享年83歳で、祖母が一昨日他界しました
幼い頃は、休みになると、休みのほとんどを「おばぁちゃん家」で過ごすことが 楽しみで仕方がありませんでした。
流れている川で釣りをしたり、犬と遊んだり、夏休みの宿題を手伝って もらったり、神様への拝み方を教えてもらったり。。。
私にとって、「おばぁちゃん家」は、特別な存在だった気がします。
8年前、祖父が他界し、ようやく天国でまた一緒に二人で歩んでいると思います。
おじじちゃん、おばぁちゃんが天国に着いたら、すぐに見つけてあげてね!
最近、電子タバコが注目されていますね。
専用カートリッジ内の液体を電気で霧状化し、その微粒子を吸引することで タバコの代替とする製品。
一般的なタバコとは異なり、火気を用いない上に、燃焼に伴うタールや 一酸化炭素なども発生しないみたいです。
また、タバコの先端から副流煙が発生しないため、他人に迷惑をかけず 自身の健康を害することもないとして、2年前から販売され、少しずつ注目を 浴びています。
害が出ないからと言っても、本当に大丈夫なのかな??
なんでも、科学で進化させていけばいいようではないような。。。
私は、吸わないから全く関係ないのですが。。。
害がなくて、習慣にならないなら、一度買おうかなぁ。。。
ごめんなさい。。。昨日、あっ!と忘れていました。
昨日の分から。。。
昨日、IKEAに久しぶりに行ってきました。
やっぱり大きいですね!
私は、何か大きなものを買うというわけで行ったのではないのですが。。。
「せっかく来たから、何か買っちゃおう♪」と・・・。
「せっかくだから・・・」という顧客心理で、売上の20%は確保している気が しました。
私がそうだからなんですが(^^;
でも、その「せっかくだから・・・」と思わせているところに、感心してしまっています。
私も、見習います。
東京マグニチュード8.0
もし、東京に地震が起きたらこうなるのでは・・・ということを想像させる物語。
ストーリーは、大地震が訪れた東京を舞台に、仲の良い姉弟と一人娘を 心配するシングルマザーの三人の姿を描いたTVアニメです。
話は、夏休みにお台場のロボット展に訪れていた、姉の小野沢未来と 弟の悠貴は、突然マグニチュード8.0の大地震に遭遇してしまう。
このとき、日下部真里と出会い、3人はともに行動することになる。
小野沢姉弟は家族が待つ世田谷に、そして真里は愛する一人娘の もとに、それぞれの大切な者が待つ場所へ向かうことになるが……。
私もいま、観ているのですが、とても面白いです。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
公立高校野球部のマネージャーみなみちゃんが、ふとしたことで ドラッカーの経営書『マネジメント』を読み始めます。
はじめは難しさにとまどうのですが、野球部を強くするのに ドラッカーが役立つことに気付きます。
ドラッカーの言うの企業の顧客は、野球部に例えるなら?
みなみちゃんは野球部の仲間たちと、ドラッカーの教えをもとに 力を合わせて甲子園を目指す青春物語。
数十年前に書いたドラッカーのビジネス書を分かりやすく伝える本。
家庭、学校、会社、NPO…ひとがあつまっているすべての組織で役立つ本。
来週の今頃は、参議院選挙の開票中。。。
できれば、少し自民党が頑張ってくれて、もっともっと刺激し合いながら、 日本を良くしてくれたらと。。。
どこの政党が与党になっても、右肩上がりで国が良くなったらなぁいいのに。。。
DVDで「神戸新聞の7日間」を観ました。
阪神・淡路大震災後も、すぐに新聞を発刊した神戸新聞の方々の物語。
自分たちも、被災者にも係わらず、皆情報をほしがっているはずと、その日から新聞づくりをする神戸新聞の方々。。。
被災者の心情を考えながらも、自分たちにしかこの記録をきちんと後世に伝えられないと必死に撮影し、取材をしていく。。。
それは、自分たちが被災者だからこそ、同じ苦しみ、痛みが分かるからこそのこと だったのかもしれません。
被災当日から3日間は、マイナスの記事が紙面を賑わしました。でも、1月20日の 朝刊のトップに異例の社説を大きく掲載し、震災がなんだったのかを伝え、それ以来 市民の方々が必至に生き抜こうとしているプラスの情報で紙面を賑わし、まさに
「がんばろう神戸!」
を伝え続けました。その社説、よかったら読んで下さい。
あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。
だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。 被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。
あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。
怯えた人々の群が、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。ガスのにおいがする。
家の裏へ回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。
何を、どうしたらよいのか分からない。電話が身近に無い。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。
何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。彼の家もぺしゃんこだ。それでも駆けつけてくれる。
裏から、のこぎりとバールを使って、掘り進んでくれる。彼の道具も失われ、限りがある。いつ上から崩れてくるか分からない。父の寝所とおぼしきところまで潜るが、姿がない。何度も呼ぶが返事はなかった。強烈なガスのにおいがした。大工さんでは、これ以上無理だった。
地区の消防分団の十名ほどのグループが救出活動を始めた。瓦礫(がれき)の下から応答のある人々を、次々、救出していた。時間と努力のいる作業である。頼りにしたい。父のことを頼む。だが、反応のある人が優先である。日が暮れる。余震を恐れる人々が、学校の校庭や公園に、毛布をかぶってたむろする。寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。救援物資は、なかなか来ない。 いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、情報が欲しい。
翌日が明ける。近所の一家五人の遺体が、分団の人たちによって搬出される。幼い三児に両親は覆いかぶさるようになって発見された。こみ上げてくる。父のことを頼む。検討してくれる。とても分団の手に負えないといわれる。市の消防局か自衛隊に頼んでくれといわれる。われわれは、消防局の命令系統で動いているわけではない、気の毒だけど、という。
東灘消防署にある救助本部へいく。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。そんな二日間だった。
これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく。“災害元禄”などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜(ふそん)さ、甘さを思い知る。 この街が被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったかを、改めて思う。