やっぱり必要だった「美翔女」迫田さおり。間違っていたのは真鍋監督。最後の最後で証明。
迫田さおりが先発した試合は全八試合中、対アルジェリア戦、ロシア戦と最後の朝鮮戦の三試合。この起用法の裏にはデータ重視のIDバレーに拘った真鍋監督の盲目さが見て取れます。私はIDバレーを頭ごなしに否定するつもりは有りません。ただそれに盲信するのは危険だと言いたいだけです。今の時代、それをうまく利用出来ればそれに越した事は有りません。古くはプロ野球の野村監督もやっていましたね。今やどの分野でも一般的なのでしょう。
しかし、試合というものは或る意味で生き物です。なにしろ生身の人間がやっているのですから。どこかでデータどうりには行かなくなることが有ります。そしてそのデータでさえ人間がインプットするものなのですから、微妙な変化まで確実に入力するなんて、一体何処迄可能なのでしょう? そう見てくると監督に必要なのは現実とデータとの整合力という事になります。果たして真鍋監督はどうだったのでしょうか?
データ通りに事は運ばない、その良い例がこの最終戦で見られるのではないでしょうか。迫田さおりの起用はID監督にとって、正直不安を残しての事だったでしょう。しかしながら彼女はその不安を一蹴して除けました。本来『火の鳥』ジャパンが追い求めてきた戦い方が甦っていました。多少のミスは有ったにせよ、コート内の選手達は生き返っていました。この日のメンバーは、竹下・佐野という不動の二人をメインに、木村・大友・荒木・新鍋、そして迫田。私が唱えるベスト・メンバーとは若干の異いは有りますが、かなりのものです。と言うのも江畑が外れていた事が大きな理由です。
いつからなのでしょうか、木村と江畑が「両エース」だなどと言われ始めたのは。誰がそんなバカな事を言い出したのでしょう。どんなに間違っても決して江畑はエースなどでは有り得ません。たとえ今回のロンドン・オリンピックでスパイカー部門8位に選ばれたとしても、たまたま日本チーム内に在った流れがそうさせただけで、それが本当の実力であったのではありません。『その様な流れ』、それは真鍋監督が盲信したIDバレーの結末であったり、それに依り選手の能力を見る目が失われていた事。データはあくまでもデータであり、どれ程頼り甲斐が有ると思っても、何処かで疑惑の念を持ち続けていなくてはならないのです。
『美翔女』 迫田さおりは健在でした。そして日本に銅メダルをもたらしてくれました。勿論、彼女だけの力だけでは有りません。みんなの力です。しかし、もしそれ以前の様な構成で試合に臨んでいたら、メダルは無かったというのも事実と言えるでしょう。そう、江畑では無理なのです。 “迫田さおりだから” だったのです。そして最後の25点目のスパイクもやはり 『美翔女』 迫田さおりでした。やっぱり必要な存在だったのです。
また暫くはあの『美翔』が見られませんね。今度はいつになるのでしょうか?
火の鳥のみなさん、『美翔女』 迫田さおりさん、夢と興奮をありがとう。そして、お疲れ様でした。帰国後はゆっくりと疲れを癒してくださいね。
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