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8月15日は終戦記念日では有りません。「終戦の日」です

2015年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム

8月15日は『終戦の日』なのです。間違っても記念日では有りません。

 幾つかの放送局のアナウンサーが、この大きな間違いを堂々と口にしているのを耳にする度、『この人、日本語が解っていないのか、でなければ事実誤認をしているのか、或いは厭戦気分で日本の敗戦を歓喜しているのか?』と思ってしまいます。放送局ではこの様な『重大な』言葉を管理していないのでしょうか?

記念日と云うのは、飽く迄も戦勝国の立ち場での言葉です。日本は戦争に負けた「敗戦国」であるのに、どうして記念日になるのでしょうか? ですからこの日を称するには「終戦の日」とするべきなのです。昔、未だ私が若かった頃には終戦の日と呼んでいたものです。それが、おそらくは平成の時代に入った頃から「記念日」と云われる様になって来た感が有ります。この事はプロデューサーと呼ばれる輩の年代層に、奇妙に一致します。おまけにアナウンサーも言葉の定義を知らない若者が増えています。

 この言葉の異いにはとても大きなものが在ります。                    敗戦国が意図的に「記念日」と云う言葉を使うというのは、「負けて良かった」と云う意味がその根底に有るという事です。戦争の是非は別として言葉だけで捉えるなら、そんな言葉の使い方は有り得ません。勿論、戦争そのものはどんな立場を取ろうとも良い事では有りません。

 当時、玉音放送を聞いて、「やっと戦争が終った」と思った人達は居たかもしれません。でも、それで万歳三唱をした人達が居たでしょうか? 確かに「やっと戦争が終った」と思ったとしても、自分の国が敗れたのですから、それを「記念日にしよう」…とは思わない筈。

 二度と戦争はしない国になる…のであるから、終戦の日とするのが国語的にも内容的にも正しいのです。

 今の日本人は母国語である日本語を知らな過ぎます。そのくせグローバル云々でやたら英語などに傾倒している。何か間違ってやしませんか?…と、言いたいですね。正しい日本語が使えないのに、日本語で意思の疎通が図れないのに、どうして余所の国の言葉を使い切れるのでしょうか?                                 簡単な例を出しましょう。『』と『旅行』の異いが解りますか?今では99%以上の人達が『旅行』を『旅』と言っています。その理由は簡単です。言葉の原義を考える事無く、只単にファッションとして捉えているからです。だから物事の本質を見誤ってしまうのです。

 「終戦の日」と「終戦記念日」の大きな、根本的な異いを顧みる事の無い愚かさは、その言葉の原義を無視する風潮の結果です。これを期に、もう一度『日本語の持つ本質』に付いて考えて頂けたらと思います。

 最後にもう一度繰り返します。

 8月15日は『終戦の日』であり、『記念日では断じて有りません

 

 

 

 

 

 



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