「大丈夫かしら?」「竹富丸がなくてもスクール船がある筈だげど」まだまだ陽は頭の上に輝いていた。八重山の時間差である。内地の人達の殆どが錯覚してしまう現象である。人気の無くなった波止場を歩いて、先ずは最初に竹富丸の出航時刻表を見た。思った通りに、もう最終便は無かった。次はスクール船だ。窓口には誰も居ないので問題のスクール船を探してみると、ホバークラフトの乗り場辺りで揺れているのを見つけた。「いた、行 . . . 本文を読む
今度は砂浜から別のコースで、もとの林の横を抜けて戻ってみた。そして昨日に引き続き今日もお腹が減ったという事で、申し合わせた様に意見が一致。即、すぐ傍の食堂へ突入。何を食べたのだったのだろうか?ちょっと思い出せないけれど、この食事は有効な間合いであった。楽しくはしゃぎ回った一日の空腹を満たすべく安らぎの時。「サァ、そろそろ行きますか」「そうね、おばさん、ごちそうさま」「ごちそうさま」バス停に出てター . . . 本文を読む
多分、この川平に関した私の想い出話しをしていた時だったと思う。少し前から二人の目の前に一艘のボートが見えていたのだけれど、そのボートが水辺に止まり一組のカップルが降りてきた。その男のほうが近寄り、黒々と日焼けした顔の中から白い歯をキラキラ光らせて言ってきた。「良かったらどうですか?」「エッ、何?」「乗ってみますか?」思わず明美と顔を見合わせた。「どうしよう、乗せてもらう?」明るい笑顔の中に明美は頷 . . . 本文を読む
車が来た。午後一時十分、予定通りだ。ここに着いてからの四十分間が一日にも十日にも感じられた。おばさんに別れを告げて車に乗り込むと運転手に、急いでターミナルに行って欲しい…と頼んだ。予め調べておいた川平へ行く西廻りのバスが一時三十分に出るのである。勿論、普通に行っても間に合うのではあるけれど、心の中は早くも次の予定地、川平の事で一杯だった。高鳴る思いを抱いたままタクシーから降りてターミ . . . 本文を読む
想い出を再三現実の世界へ。タクシーからの窓から眺めやる光景は不思議な程多くの過去を忘れさせ、まるで恰も初めて見る様な気分に浸る事さえある。みるみるうちに外窓の世界が移り変って行く。僅かな時間、僅かな距離ではあるのに、膨大な時間を要して町から山間地へ向っている様に感じる程、心の中では楽しみの極地に立っていた。石垣に出る…と計画を立てた時に、川平とバラビドーには絶対に行こう&hellip . . . 本文を読む
午前十時。一分たりともズレる事無く竹富丸は東桟橋を離れ眼の前の(八重山に於ける)都会、石垣島を目指した。船尾に立ちスクリューの跡の白波を、そして遠ざかる竹富を見詰めながら、今回の旅の第二部とも言える舞台の開幕を(その悦びを)噛み締めていた。約二十分後石垣の波止場に着くと、意外にもどうした事かオッチャンが待機していた。「あれ…オッチャン、どうしたの?」「なんや知らんが、ここに来れば二人 . . . 本文を読む
泉屋に着いてから一服した後、島の案内も兼ねてみんなで散歩に出掛けた。この散歩の間にお互いの素性等を話し合っていた。私と一緒に歩いていた娘は佐藤明美といった。大分県日田市から来ていると云う事だった。少し前を歩いていたのはテツペイさんと先生。ほぼ同じ位置に(下船後)桟橋から一緒だった女の娘二人。その様なメンバーで西桟橋からコンドイ(浜)へ向った。明美の友達は前日からの日射病の為一人で寝ていた。気が付く . . . 本文を読む
「八重山・石垣・美崎町、いい所サ。私は好きサ」と、かつてはWoman Pianast(山城キヨコ)が朝焼けの渚でフッと呟いた言葉が、一瞬脳裏を掠めていった。午前七時。その美崎町に、石垣港に船は着いた。朝早くの美崎町というのも、それはそれでまた良いものが有る。テツペイさんとミス先生嬢達との五人で、ブラリと近所の散歩に出掛けてみた。ラムール(各テーブルに一台づつ電話が置いてある喫茶店)の前を通り郵便局 . . . 本文を読む
船に乗るのは久し振りの事である。去年のクリスマスに石垣へ渡る為にこの那覇港から乗船して以来の事であるから、四ヵ月と三週間振りになる。以来飛行機づいてしまい船とは殆どご無沙汰してしまっている。三人揃ったところで一緒に乗船した時には未だ客席は空いていて、すぐに座を確保出来たのだけれど、依然としてテツペイさんの姿は何処にも見受けられなかった。出航時間も間際に迫り席も埋まり始め、冗談であるかの様にこの船に . . . 本文を読む
この時、同じ那覇港内でまた数人に出会うように一日が設けられていた様であった。二階に行ってみると、昨夜のミーティングで喋っていた大阪の髭の男や同じY.H.のホステラーも二~三人いた。そして時間は前後するが、一階の乗船カウンターでは角山が私達の後を追い掛け、多分来るであろうと待ち構えていた。まあそんなわけで港での再会劇の後、時間潰しに市内をノラリクラリする事にするした。どうも私に限らず旅行者のする事は . . . 本文を読む
5月11日の悲惨な出来事に懲りた事が理由で、何とか早いうちに関西から離れたいと云う気持ちが先走っていた。嫌気が差していたのだ。それで、12日茨木(大阪)経由で河原町(京都)・松三Y.H.13日東山Y.H.と古都京都を見て回り近付く「葵祭り」を見ずに14日那覇に戻って来て、いつものY.H.春海荘ではなく那覇Y.H.に泊まった。理由は無い。ただの閃きに従っただけ。その間の日記は書いてあるけれど、ここで . . . 本文を読む
(#2) 笑い話しの様な午後二時二十五分。大阪駅に着いてY.H.のハンドブックから、今夜の宿となるべく近そうなY.H.を探し出した。園田Y.H.と云う所で、交通の便も良さそうだった。それで阪急電車の乗り場へ足を急がせ(何故急いだのか今でも解らないが)、何かに取り憑かれた様に二時四十分の電車に乗り込んだ。約二十分程で園田駅に着き予約の電話を掛けたところ、何度掛けてもただ呼び出し音が鳴るだ . . . 本文を読む
(#1)今日もまた小雨、出発の為に用意された様な小雨の朝。全ての用意を整え時間待ちのギターを爪弾く音の中へ、高子姉さんからの電話の声が届けられた。この胸に去来してやまない、隠し切れない気持ちを上手く伝えられなかった。「…きっとまた帰って来るから…」と言っておいたけれど、それが一番的中した言葉だった。その電話の後に今度は美恵子姉さんから、九時三十分〜四十分の間にここへ着く . . . 本文を読む
保育所の戸を開けて中に入ってみると、幸子姉さんと妹さんが掃除をしているところだった。まるで田舎の小学校の分校調の下駄箱の風景を思わせる様な、玄関にある木の板(スノコ…とでも言うのだろうか)に、本当に懐しい郷愁にも似た(想像だけの)ものを感じた。大きな部屋にはピアノや本棚・本箱・玩具箱…等々。それから木の床の上、奥の一角だけには畳が数枚敷き詰めてあった。掃除が終るのを美恵 . . . 本文を読む
朝(?)目覚たのが午前十時頃。しまつた…と思ってみたものの外は雨。止みそうもない雨。陽水ではないけれど〈傘がない〉から肝心な事は何も出来ず、ただただ時は去り行き、結局は一日の生活が無駄に終ってしまう。何故だったのだろうか。憂鬱な雨空を見飽きた後、部屋の中で一人ぽつんと思い浮かべていたのは、おの博多の街並みの光景だった。あの時どうして「沖縄」の二文字を思い付き行動に出てしまったのだろう . . . 本文を読む