気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 5月9日(月) 再会・波之上の保育所

2023年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
朝(?)目覚たのが午前十時頃。しまつた…と思ってみたものの外は雨。止みそうもない雨。陽水ではないけれど〈傘がない〉から肝心な事は何も出来ず、ただただ時は去り行き、結局は一日の生活が無駄に終ってしまう。何故だったのだろうか。憂鬱な雨空を見飽きた後、部屋の中で一人ぽつんと思い浮かべていたのは、おの博多の街並みの光景だった。あの時どうして「沖縄」の二文字を思い付き行動に出てしまったのだろうか? 何かの暗示…的に考えてはみたものの、心の中にはこの沖縄に住み着いて離れる事の無い私が居る事に間違いはないのだが…。果たしてその自身の呼び掛けであったのだろうか?
色々と考えを巡らしているうちに滅入ってきた。午後四時三十分頃の事であっただろうか、美恵子姉さんから電話があり、夕方六時頃Y.H.へ迎えに来るという連絡を受けた。その間の僅かな間に(と言っても一時間半は有ったのだが)シトシトと降り止まぬ雨の中を小走りに駆け抜け、サテンドールで温珈琲とトーストを味わいながら暫し本を読んでいた。
雨も小降りになってきた頃、二年前の同じ時期、やはり同じ様な不安を抱きながらこの店で同じ雨の舗道を見つめていた、あの時と似た様な気持ちが私の空ろな心の中に去来した。そう言えばあの時の私は何処へ行ったのだろう。今と全く変らず「同じところ」に居るのだろうか?だとしたら、それはとても哀しい事だ。このサテンドールという店、色々と思い出を巡らすのには事欠かない。

六時五分前にはY.H.へ戻り、濡れた服を着替えてロビー(?)に降りた。美恵子姉さんが来る迄ギターでも…と思ったら、何と
もう既に来ているではないか。帰って来た時には既に居たらしいのだが何故気が付かなかったのだろう。
「六時になれば降りてくると思ってた…」
と彼女は言った。これが五月四日東京で会って以来、五日振りのここ沖縄での再会であった。まだまだ小雨止まぬ空模様ではあったが、とにかく出掛ける事にした。三軒茶屋(喫茶店)の前迄歩いてそこからタクシーを拾い道を急いだ。如何に雨が降っているとはいえ、その蒸し暑さに変りはなかった。ほんの僅かの間に幸子姉さんの保育所に到達した。車に乗ったせいもあろうが、目と鼻の先とは本当にこんな事を言うのだろう。
通り斜め向いにはキャバレーだの何だのが数件並び、その辺りだけを見ていると少々場末の歓楽街を思わさせる様だ。つまりはこの波之上と云う所はその様な場所であるらしい。そういった処に保育所が在ると云うのは少なからずピンとはこないものが有るが、立地条件的社会性や沖縄の特異性を考えれば、『なるほど…』と思うふしもある。

(つづく)

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