とある電話カスタマーサービスと
僕:予約することは可能でしょうか。
先方:予約は取れません。来ていただいてお待ちいただく事になります。
僕:どれくらい待たないといけませんか?
先方:その日の混雑状況によって変わるので何とも言えません。
僕:わかりました。
という会話をしました。いつもはもう一歩突っ込んで「大体でいいので普通どれくらの時間か教えてくれませんか」と切り返すのですが、この方からはそれ以上の情報が得られそうもないな、と直感したので、ただ「わかりました」と答えて静かに電話を切りました。
同時に、僕が仮に先方の立場であったら「その日の状況によって変わりますが、平均(短くて、長くてetc)XX分くらいでしょうか。」と答えようとするだろう、と想像しました。彼は間違った事は何一つ言ってませんが、聞いた側の気持ちが落ち着く答えはどちらでしょう。人間は「ない」という否定表現はあまり好きではないのではないでしょうか。
自分が集中治療室で患者・家族に説明する場面を想像してみたいと思います。
ワラにもすがりたい患者・家族に「未来はわからないから何とも言えない」という返答のみで終わらせるのは、少なくとも(自分が育てようとしている)急性期医療のプロフェッショナルとは言えません。「未来はわからないが、こうなるだろう」という言葉を続けて欲しいのです。
自分自身を振り返ると、おおよそ何割くらいの確率で悪い(最悪の)状況になる(例えば、長くてこれくらいの期間人工呼吸が必要になる)、最良のシナリオになる(例えば、良くなって元の生活に戻れる)のはおおよそ何割くらい、おそらく最も予想されるシナリオはこうなる、など、未来予測の幅と中央値を提供するようにしています。最良のシナリオを提供するようにしているのは、希望を失わないで欲しい、目標を持っていただいた方がリハビリなどのモチベーションが上がるかな、という期待があるからです。
これは、誰かに教わったり、定評として推奨できる類のものではありません。単に僕のやり方です。実際、僕ら医師は後で揚げ足を取られないようにどうしても医学的かつ政治的に妥当な表現を好む傾向にあります。しかし、患者・家族が欲しいのは自分の不安を何となくでも良いから和らげてくれる一言だったりするはずです。もちろん自分の都合の良い聞き易い部分だけ記憶されて、あとで揚げ足を取られる確率が上がるかもしれませんので、それを防ぐための丁寧な説明努力や、保険としての記録は大切です。
ちなみにこれ(=会話相手の求めているものに対して何とか答えようとする誠意)は、普段の職業的・非職業的会話や学会発表で質問を受けた時にも通用する会話の原則ですよね。毎日のように、会話の中で「それってこっちの求めてる答えではないのだけどなー」と思う場面に遭遇します。おそらく、自分でも意識せずにそういう返答をしている場面が多いのでしょうね(自ら途中で気づくこともありますが、気づかないことも多い)。怖いです。