一般に、年取ると違う考え方を受け入れるのにより労力が必要になるというか、受け入れられなくなると言われています。いわゆる頑固になると言いかえることができる。これはおそらく気づかないうちに忍び寄り自分の中に定着する思考回路・行動様式なのでしょうか。
自分はそうなりたくない、と思います。ならないためにはどうしたらよいのでしょうか。
最も簡単なのは、新しい考え方を受け入れざるを得ない、新しいことをせざるを得ない状況に追い込むことかもしれませんね。環境因子がでかいでしょう。生きることに本当に困ったらいくらエスタブリッシュされたひとでも変わらざると得ません。環境は人を確実に変えます。
しかし、よくよく考えてみると違う考え方を受け入れられなくなるのは年寄りの特権(あるいは属性)でしょうか。
若いうちは若いうちで年寄りに反発したくなるものです。そのココロは、例えば誰か年寄り(直近では親)とは違う別な考え(一般には自意識というのでしょうか)に染められてしまった自分がいて、年寄りの意見を真っ向からぶつけられると、染められた自分が否定されたような感じがしてむきになって歯向かってしまう。若さゆえの頑固さ、と言ってもよいかもしれません。
それがあまりに強い人は歯向かったまま、もしかしたら年取ってもそのまま変わらないという人もいるでしょうね。このように若さ故の自意識が強い人は、年取ったときの頑固さが表に出る人だったりして。
あるいは、若いころ歯向かった経験のある人ほど挫折するので、そこから学びバランス感覚が優れた人になったり、その歯向かいココロがわかるので、年取ると(気持ちがわかるとか言って)若い人の味方になるかも。
あるいは、若い頃に我慢に我慢を重ねて自我を抑え素直に上の人の言うことを聞き続けたがために、年取って解放されわがままになるという人もいるかもしれません。
こういう若いころの歯向かいと年取ってからの頑固さの、同一人物内の歴史的な関連データなんてあるのでしょうか。本当のところはわかりませんね。
もう少しよく考えると「若い頃の歯向かい」は、面と向かって反論するだけではなく、「自分にはできません」と開き直る、または「できませんとあきらめる」のも含まれているような気がします。とすると、年取って頑固予備軍は実は結構いるということになるか。しかも、それは若いときに形成された、程度の差はあれ、三つ子の魂ということかもしれない。面と向かって歯向かうわけではない、いわば内向きの抵抗な分、より頑固なのかもしれません。
たとえば若い頃カラオケというものにどうしても馴染めずに嫌いになりました。なぜ大音量の中にじっと耐えていなければならないのか、下手な歌を聴かなければなならいのか、大声を出さないと人としゃべれないのか、強要されて下手な歌を歌わなければならないのか。今でもやっぱり嫌いです。
話は変わりますが、自分の歴史上、後になって振り返ると年寄りの教えはやっぱり正しかったと思うことが多いのですね。このような経験を重ねると、ある程度結果の予測が立つけれども、どうしてもそのようにしか思考・選択・行動できない自分がいて、基本スタイルは年取っても変わらないのかもしれません。
目指せ、柔軟な年寄り。老後のためにカラオケ練習するか。