記事の目次
バッハ会長のスピーチ、問題点は?
【1】「ぶっ倒れる」ほど長かった
【2】「自分の言葉」ではなかった
「連帯」ほど刺さらない言葉はない
【3】「絵の浮かばない抽象言葉」の羅列
【4】「共感」がない
【5】抑揚も情感もないデリバリー
【6】ストーリーがない
「日本の発信力の欠如」が明らかになった
で結局気がつくのが、この著者、岡本 純子さんが何を良いと思っているのかと言う判断基準なんです。
それが企業や官庁ウケしてもオリンピックのIOC会長のスピーチに相応しいか否かです。
実はオリンピックを開催するコンペティション (competition)でも日本が環境を印象付けしようとしたら、ウチは国連ではないと言ってしまったほどIOCはセンスに欠けています。
世界の動向とは違う、スポーツマンの為のもう一つの世界なのでしょう。
そしてそこには今の問題があるのかと思われます。
オリンピック誘致問題があります。
それで企業のような分かり易い指標を掲げる訳にはいきません。
掲げれば、それを題材にした誘致合戦になるのは見えますよね。
連帯一つとっても抽象的に見えてもバッハ会長本人は物凄く大切なんです。
どこかの誰かが得するようなものでは困ります。
オリンピックの組織や協議団体の組織はそうでなくても利害関係を気にされますからなるべく多くの人の意見が活かされているイメージにしたいのでしょう。
そうでなくても貴族とまで揶揄されるほど今回の感染対策と開催の間の問題に疎かったのですから。
スポンサーとの繋がりやその信頼が大事でそれを理解すれば抽象的になるのも仕方ないのです。
スポーツ選手や観衆に訴えているのではなく、次回以降の開催など将来に渡ってオリンピックの存続が大切らしいです。
スポーツ選手にとっても大事なのは具体的な話ではなく、とりあえずかっこがつくオリンピック継続やコロナでも開催されるような雰囲気の方なんですから。
スポーツ選手が専念したいのに感染とかで騒がれて邪魔されるのは一番のトラブルですから。
仮にストリーを描いてスポーツの未来を指し示したとしたら、逆に今の現状を否定しているように見えてしまいます。
企業や官庁のトップがその方向性を発信する場と違い、下記のように根回しして当たらず触らずの話をするしかないのです。
決定的な点はやはり新型コロナ禍で感染の為にスポーツ大会そのものが敬遠されがちになる中で、開催してしかも悪者に成らずに済む為の話です。
これが企業や官庁のように自分達の物差しでいい方向へと進むのを明確に出来る状況とは異なります。
それを理解するかしないかは別にしても開催しなければ選手も相当に悔しかった筈です。
なので差し障りの無い話で我々は悪くないと言うのと同時に皆さんも一緒にスポーツ選手と連帯して欲しかったのでしょう。
やはり、コロナ禍で一番矢面に立たされている酒提供の飲食店の経営者のようにされては辛いのですから。
理想を掲げてしまえば、その脇の甘さから非難されるのかと思われます。
長く書いてもやはりここぞと言う決め手に欠くのはやはり世界的にそれどころじゃないのにそれでも中止されては困るのがオリンピックの組織なのでしょうね!