世の中には関係を持つのに判断は欠かせないのです。
例えば、安倍首相が吉本興業の舞台に立ったりするのもあまり率先してするべきではないのかと思います。
まして吉本興業を使ったようなプロジェクトで首相の贔屓と思って忖度するなど問題が出ますよね。
問題は吉本興業の芸人ではなく、マネージメントのいい加減さで、売れないお笑いの卵でも放牧が如く管理するでなく下手すれば暴走して問題になっていますよね。
他の芸能事務所であそこまでのいい加減さは無いと見えるのですが。
他にも社会問題になった集団との付き合いなど警戒すべき点が甘いのです。
何故こうなるのかと言えば、人を信用してしまうような生い立ちだからです。
お坊っちゃんと言っては失礼ですが、人から足を引っ張られるような低次元の集団にいた事が無さそうに見えます。
つまりは周りもお坊っちゃんで仲良くしても問題になった事がなかったんだろうなと推察されるのです。
と言ってもせいぜい仲の良い筈の友達が陰口で何か言う程度や面白半分に何かを隠すとか下らない仕業ですが。
最近の子供達は人狼のようなゲームをしていますから、嘘をつく、またはそれを見破るのが感覚的に形成されているのかと思います。
それに比べたら、高度経済成長の中で育って何一つ不自由が無かったら人を疑う癖も付きません。
だって正面から私は貴方の反対派ですという相手は別として、詐欺師などは甘い言葉や違う表現で擦り寄るのでしょうから。
そもそも政治家やタレントが一般人の求めに応じて写真を撮る風習を変えないとダメなのかと思ってしまうほどこの手のトラブルが後を絶たないのです。
原因の多くはそれを悪用する側にあるのですが、それでも被害が出ている以上何か考えるべきです。
ネットだとスコアで信用を格付けするような仕組みが試されています。
そのうち、スコアが幾つでないと写真を撮るのを拒否しても構わないようなのが流行したりして。