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主夫の徒然なるままに

毎日の夕食作りに奮闘する主夫の独り言

主夫 脊柱管狭窄症 その体験 その3

2020年06月05日 | 脊柱管狭窄症
主夫 脊柱管狭窄症 その体験 その3
 手術を決意する。だが、不安はいっぱい。まずは、図書館で数冊借りて調べてみる。痛みとどう付き合うかという記事が多く、手術を積極的に勧める内容は多くない。次に、兄弟に聞いてみる。実は、兄2人とも脊椎管狭窄症で手術の経験があった。長男は、20年くらい前に手術をしていて、経過はあまりよくない。車いすが必要な状態の手前で、歩くのもままならない状況で、再手術を検討中とのこと。次男は、数年前に手術をしたが、手術を決断するのが遅れたのが原因か、現在、右足の関節がうまく動かず、車の運転は、アクセルを改造、左足だけで運転できるようにしているとのこと。ただし、手術をしてくれた医師には大きな信頼を寄せていて、その病院と医者を紹介してくれた。
 近くの整形外科の病院の先生に相談、相変わらず歯切れの悪いというか、もう少し様子を見てということだった。しかし、痛みが限界だったこともあるが、もう何週間も待っても無駄と判断、とにかく次男が手術した大学病院への紹介状を書いてもらうことにした。担当の医者が休みで、ほかの医者が対応、やはり、「みんな我慢しているよ」みたいな意見だったのにちょっと怒りを感じたが、とにかく紹介状を書いてもらった。検査入院の日程が決まり、手術日も決まった。職場に報告、次月は、2週間ほどしか働けないことを告げると、2か月休めと決定。仕事を辞めろということかな?と。
 検査入院へ、まず、事前チェック。真っ直ぐ歩く、つま先だけで歩く、これはできた。かかとだけで歩く、これができなかった、ショック。階段の上り下り、スーパーでの買い物、片足でのズボンの着替え、いろいろできなくなっていたが、走れないことに気づいた時と、このかかとでの歩行ができないことを知ったときは心理的に大きなダメージをうけた。座ってさえいれば何の痛みも不自由も感じないのだから。
 担当の先生との面談、次男が担当した先生と同じでありほっとする。驚いたことに私と同じような日程で長男もこの先生との手術を受けることになっていた。3兄弟が同じ病院で同じ医者に手術してもらうという珍しいめぐり合わせとなった。遺伝の関係かと尋ねると、兄弟で顔が似ているように背骨も似ているとのこと。まずは、3日間の検査入院へ。
 垂直に立つ壁のようなベッドに縛られ左上下左右いろいろな形でレントゲンを撮られる。MRIは前の病院で検査済みなので検査は短時間で終了。結果2か所の手術が必要かもしれないということで退院。手術への不安はあるが、この病院で手術後の大きな後遺症は1000例につい1以下程度と聞いていたので納得するしかないと自分に言い聞かせた。
手術へ。


豆腐ハンバーグを自力で作ってみた。ふきんで豆腐の水切りをし、鶏肉ミンチ、玉ねぎみじん切りなど加えた。缶のデミグラスソースと缶のトマトソースを混ぜてかけて作ってみた。いまいちパンチがない。参考にした作り方が、「離乳食にもぴったり」だったからですかね。次回は、塩コショウなどもう少し前進させてみよう!

主夫 脊柱管狭窄症 その体験 その2

2020年05月26日 | 脊柱管狭窄症
脊柱管狭窄症体験続き、その2

 立ち仕事が続く中、家庭の事情もあり、フルタイムからパートの仕事に変更、この時点で仕事は、デイサービスの午前中勤務に変更。これならば、長く務めることができるだろうと考えていた。もともと尿酸値が高かったが、立ち仕事の連続が原因か痛風のような症状がでた。病院では、即、痛風と診断され、「薬を一生飲み続けること」で月1回の通院が始まる。どうも腰の状態もよくないので相談するが、数か月前にぎっくり腰でとったレントゲン写真を見て問題はなさそうなので、様子を見ようとなる。
 だが、座っているときは、まったく痛みなど何もなく、立ち上がろうとすると痛みが走る。前かがみになっていれば、痛みはないが、一、二と上半身を痛みをこらえて伸ばすと普通の体勢、つまり直立ができるようになる。バイクに乗った後なども一度しゃがみ込んで立ち上がることで痛みを回避した。そうこうしているうちに、長く立っていること自体に苦痛を感じるようになる。30分に一度、座る必要があった。また、だんだん、長い距離を歩くのが難しくなって、家族とのスーパーの買い物でも10分以上になるなら、先に車で休んでおくことがだんだん多くなったきた。
担当医が毎週金曜日しかいないので、月一の診断から毎週の受診となる。そこまで痛みがあるのなら、MRIで精密検査してみましょうと勧められ、検査した。検査料は5500円程度。しっかりと脊柱管狭窄症の証拠がそこに映っていた。しばらく様子を見るか、手術をするかどうか考えてほしいと言われた。だいたいの人がなるべく手術を避けながら痛みを和らげる方法をとると説明を受けた。
 しかし、症状は、結構早く悪化していき、家の階段の上り下りも這って上下することになるし、50メートル先のごみ捨てにも3回くらい休まなければ到達できなくなってきた。寝返りをうつのも痛みを伴った。さらに驚いたのは、小雨の中、傘をさして、小走りに進もうとしたが、走れなかった。愕然とした。また、右足の感覚が少し変になり、車のブレーキ感覚がおかしくなってきた、左足でブレーキングするようになった。仕事もなるべく座っていようとするので注意を受けるし、立ち上がる時の苦痛の顔が、病状が悪化していることを皆に告げていたようだった。
 手術することを決意する。(続く)




豆板醤を買ってきて、インスタントのものを使わず、いちから麻婆豆腐を作ってみた。それなりに食べることができるが、もう一つ「うまいっ!」にならない。修行がたりませんね。次回、がんばろう!


主夫つれづれ 脊柱管狭窄症 その体験 その1 

2020年04月16日 | 脊柱管狭窄症

2年前、失業給付金をもらいながら勉強できる方法をハローワークの人に勧められて、介護の実務者研修を受けることにした。自分にむいてなければ、途中でやめてもいいということも確認し、将来の自分や自分の親世代のための勉強にもなると6か月の研修を始める。もともと教える側(塾)だったこともあり、勉強するのは結構楽しくて、これでお金がもらえるなんて幸せいっぱいで日々の勉強に励みました。年齢的には、上から2番目、60代、50代、40代、30代、20代、そして10代もひとりいて多彩な24人で勉強スタート。その動機もいろいろだが、いつでもどこでも、どの年代でも働ける環境が魅力的だろうか。ただし、やはり肉体労働であることは確か。キャリアを積まなければ、一日中立ち仕事になることは必至。体力に自信がないわけでもないが、「腰」があまり強くない自分に務まるかどうかは、ちょっと心配、でも、何事も経験とサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で働き始めることに決意。まずは、研修ということで、ディサービス、グループホームの日勤を1か月ずつ、そしてサ高住。仕事は、雑務の総合職。盛り付け、掃除、草取り、薬の準備、見守り。ほとんどが、立ち仕事。初心者は、座るタイミングもわからず、これでは、腰を悪くするかなぁと漠然とした不安に。(続く)