主夫の徒然なるままに

主夫 脊柱管狭窄症 その体験 その4

 脊柱管狭窄症、背骨の中が狭くなり、神経がやられてしまう病気。日常生活ができなくなれば手術しかない。ただし、背骨の手術となれば、恐怖に感じるのは当然か。

 ちょうど一年前にヘルニアで手術の経験があった。全身麻酔で手術、痛みはほとんどなく終了。おへそとその両端に穴をあけて内視鏡で手術、お腹の内側から網を張って腸が飛び出すのを防止するという手術。つらかったのは、何本かの管につながれて身動きとれずに一晩明かしたことだろうか。朝になり、退院した。
 同じように今回の手術も前日に風呂に入り、ゆっくりと過ごす。何もすることがない。ラジオを聴く、TVを見る。スマホやパソコンを自由に使えればいいのだが、フリーWi-Hiはない。大学の付属病院なので若い学生がひとり付く。簡単な検査と診察があったが、55歳で手術。という人と少し話した。フルのマラソン大会にも何度も参加しているのに、最後は、通勤の電車でさえも立っていられなくなり、手術を決断したそうである。さて、同室の人が午後から手術ということで、待っていたが、夕方遅くに手術の連絡があり、「あぁ、3時間待った」などと言っていた。家族の方は、たいへんだったろうと同情してしまった、さらに数時間待つわけだから。
 朝、検温や血圧などチェックして2番目の手術開始を待った。手術室に連れていかれる。手術着に着替えて、ベッドにうつ伏せになった。一瞬で麻酔が効いた。手術が終わっていた。妻と子供がいた。2時間くらいの手術時間だったようだ。部屋に戻る。つながっている管は、おしっこと点滴だけだったので、楽ではあったが、数時間おきに体温と血圧を測られた。夜になった。同室の少し太った中年の男性は、かなり重症の脊柱管手術だったようで、うめいていた。何度も医者が来た。「ママー」「ママー」不思議な寝言が続いていた。いくつになっても苦しい時は母親なのだろう。でも、「おふくろ!」ぐらいにしてほしかった。とにかく、よほど痛く苦しかったのだろう。「ママ―」。自分の術後のつらさより、そのうるささに寝られなかった。寝たきりがこれから3日続くことになる。(続く)

ふと自宅の庭の小さな畑を見てみると大きなズッキーニが実っていた。
今日の晩御飯は、これを調理しよう!


鶏の胸肉とズッキーニポン酢和え。あっさりで美味しかった。


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