福祉タクシー二郎丸

下関市で福祉(介護)タクシーをやってます❣オーナーは新.中.自動車販売・鈑金・整備・レンタカーをやっている会社です。

まさかこのblogが仕事につながるとは ❣

2022年01月18日 | 日記

 昨年10月よりこのblogを始めましたが、年末辺りからこの最近になって複数のお客さんから「blogを見てますよ。」とか「このblogを見たので電話してみました。」などのお言葉を頂戴するようになった。 

 ないと言えば噓になるが、まさかこんなに早く仕事に繋がってもらえるとは夢にも思っていなかった  

              

 それと、この頃訪問先で、偶然にもご利用いただいてるお客さんによく遭遇するのだ。「二郎丸さんご苦労さんね。腰を痛めないようにね。」とか「丁度よかった。来週の〇〇日にお願いする予定だからまた電話するよ。」と、有難いの一言では尽きないのである。

 私は初めてお電話頂いた方には、必ず訪問した際に「二郎丸の電話番号をどこでお知りになりましたのですか?」とお聞きするようにしてる。「△△ケアサービスのAさんが二郎丸さんがいいですよと教えてもらったので…。」「B病院の看護師さんから勧められました。」と聞くと天にも昇るように嬉しくなる。その他では「Cさんが二郎丸さんを使ってみたら良かったからおたくにしなさいと言われたのよ。」などと、今までの苦労が無駄ではなかった と涙 が出るくらいに嬉しくなってしまう。 

                  

 実は今日も昨日初めてお電話頂いたH病院のスタッフさんのご依頼で患者さんのお迎えに行ったのですが、付き添いに来られたヘルパーさんのお話しでは「blogを見て面白い介護タクシーだから一度使ってみようということになった。」とのこと。私はまるっきり有頂天になってしまい嬉しさが抑えられずおしゃべりが過ぎました。

 いつも形だけの親切ではなく、本当に相手を思ったやさしさと、時には親身になった気持ちで怒ることを心掛けているのですが、この私の気持ちを理解してくださるお客さんがたくさんおられることに感謝です。

 この頃は、いくらか仕事の段取りも上手になったようで、あたふたと走り回ることは多少減って来たようです。ただ、お客さんの方が私の仕事の予定を気にして合わせてくださるようになったのかもしれませんね…。

              

 誠にありがとうございます。ちょっとしたコメント「見てるよ。〇〇」とか「今度使うからね。△△」などを頂ければ益々頑張れま~す。


新年の墓参りに行ってきました。

2022年01月09日 | 日記

   今日は昨年のお彼岸に行けなかったので半年ぶりに当家のお墓参りに久留米方面へ出かけた。正確に言えば福岡県筑後市西牟田。羽犬塚駅で有名な町である。

 当家のご先祖は江戸時代以前から福岡県筑後市西牟田(旧:筑後国三瀦郡西牟田村)に居住していて、私の父が初めてこの地を離れ山口県下関市に移り住みました。正確に言えば幼い頃に両親とも亡くし親戚中をたらいまわしにされて、行き着いた北九州市八幡西区で紳士服裁断士の丁稚奉公を始め、近くに住んでいたお金持ちの娘と恋仲に落ちて先方の親の反対を振り切り駆け落ちしてきたのです。その為、私が30歳近くになるまで故郷の事を話そうとしませんでした。しかし私が35歳位の時、当時は北九州でタクシー乗務員をしていたのですが、たまたま乗られたお客さんが私の苗字を見て、その由来や歴史などを教えてくださいました。そして最後に「あなたはご先祖様の供養をしてますか?もししてなければ明日からでもお墓参りをしてお寺様にご先祖のことなどをお尋ねなさい。そうすればいずれ必ず良いことがありますよ。ご先祖様が喜んで見守ってくれるようになるはずです。」「失礼ですが、お客様はどなた様でしょうか?」「名乗る程ではありませんが、歴史に携わる学者だと思ってください。」その一言から私の人生が物凄く変わっていった。

 それまで源氏、平家とか聞いたことがあるが、中学校の歴史程度も理解できない歴史嫌いであった。しかしなぜか「八幡太郎義家」という名前だけは不思議と記憶に残っていた。親の故郷も親戚も知らず、まして菩提寺などの存在すら知らない私が、夢中になって先祖調べを始めたのである。

    納骨堂             

 思い起こせば30年前、この臨済宗南禅寺派寛元寺様に今までの失礼を詫び、今後は身体が動かなくなるまで、年に盆、年末、春秋のお彼岸の最低4回は必ず参りますと約束をしたのだ。その当時のご住職様はすでにお亡くなりになって、そのご子息が住職としてお付き合いいただいてからも25年位になる。実はこのお墓には父が7歳の時に亡くなったその母親(戸籍上は祖母)と9歳の時に亡くなった父親(祖父)が最後で、他はやはり幼くして亡くなった父の兄姉とそれ以前のご先祖様が入っている。ご住職からは「最後の方からは80年以上経っているのだから、墓じまいされてもおかしくはないですよ。」と言われていたのだが、「子供たちに墓参りを強制させられないので、私が動けなくなる前に時期を見て墓じまいをさせてもらいます。」とお答えしていたのである。しかし今日は「もう30年が過ぎたのだなぁ…」と「光陰矢の如し」という言葉を実感したものである。

                                                                                    赤い枠の右端が寛元寺

 

 この地域は筑後平野にあるので、お寺の周りも田んぼや畑ばかりの、のんびりとした穏やかで静かな土地である。毎回ここに来ると気分が落ち着くし、下関で生まれた自分でも何故か「帰って来たぞ❣」という不思議な感情になる。そしてお墓参りが終わると、「よ~し明日からまた頑張ろう❣」と云う気持ちになる。そして帰り道の途中で筑後大橋そばにある『丸星ラーメン』でお気に入りのラーメンを食べて帰路に就くのである。

               これで450円!!!


認知症は辛いなぁ ( ;∀;)

2022年01月06日 | 日記

 先日、ある老人ホームから病院送迎の依頼予約が入っていたのだが、その方のお名前が大変に珍しい苗字なので、「もしかしたら昔し働いていた会社の先輩なのではないだろうか…」と思いつつお迎えの日がやって来たのだ。たまたま早く到着した為、施設の駐車場で予約時間の5分前まで待機していたら、若い女性が歩いて来られて「今日はありがとうございます△△です。」とご丁寧にあいさつをされた。この日の段取りを打合せして、「失礼かもしれませんが、お父さんの以前のお仕事は…?」とお尋ねしたら「〇〇交通でタクシー運転手してました。」とおっしゃった。すかさず「門司の⁈」「そうです ❣ええ~ ご存知ですか?」「やっぱり 私も同じ営業所にいました。大変に親しくさせてもらってましたよ 」「信じられない ❣ 覚えていたら大変喜びますよ ❣ …でも…認知症なので覚えてないでしょうね…。」「そうなのでしたか…。」(内心、ガックリ…

       「でもお願いします ❣ その話を本人にしてやってください。もしかしたら、それがきっかけで記憶が戻るかもしれませんから ❣❣❣」「わかりました。」と、話しが盛り上がるうちに時間が来ていた。施設内に入ると、紛れもなくご本人であった。「△△さん、オレオレ〇〇だよ。〇〇交通の門司営業所で一緒に働いていた。覚えてないかなぁ。」少し笑顔になって「いやぁ覚えてない…。」その頃の思い出話をいくつか話してみたけれど、「…覚えてない…。」自分としては、すごく懐かしく当時は結構仲良くしてもらっていたので悲しくなってきた。

           

実は先日も認知症がかなり進行している女性の利用者さんとお話しをしたことが有った。ご主人から「今日は酷く、絶対に病院に行かないと言ってきかないので、あなたが説得してもダメなら諦めます。」と言われていた。「△△さん、お迎えに来ましたよ。〇〇先生から言われてきたので、さあ行きましょう ❣」「あんた誰。あんたなんか知らない。私は行きません 」「〇〇先生が待ってますから行こうよ。」「いいや、今日は旦那さんが帰ってくるから行かないの。」(旦那さんは横にいるのに…)「こんな男は知らない。勝手に人の家に入って来て、あんたもこの男に入れてもらったのじゃろうが ❣ あんたどこから来たのか?」「家は近くよ、下関市内よ。」「そんなことあるか。下関は私がいるから下関になったのだ。」「はぁ、それはないでしょう。」「あんた知らないね、私の旦那さんは天皇陛下だよ。もうすぐ帰ってくるからどこか行きなさい ❣」

(こりゃあダメだ、どうにもならない。 しかしご主人があまりに可哀そう過ぎる…。) 結局、その日は病院に連れて行けずキャンセルとなっていた。この方は、容態のいい時は大変に物静かな品の有る奥様なのだ。ご主人様の残酷なほどの辛さが察せられて哀れでもあった。

                  

 その時と比べれば、この人はかなり落ち着いている。なんでもご家族の顔と名前はしっかりと覚えているとのこと。単に忘れているという程度だが、案外古い記憶は残っているらしい。当時、可愛がってもらった者としては辛い…。元々、かなり厳格な人であっただけに涙が出そうになった。娘さんとのお話しで、今後も使って頂けるようなので焦らずゆっくりとお付き合いをさせてもらうことになった。

 それにしても認知症というものは恐ろしい…。