北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

■01A 喜多の園 看板(長野市)

2016年07月12日 | 01 山崎儀作

喜多の園(茶舗)の看板。 彫刻は 山嵜儀作。 嘉永六年頃推定。

喜多の園は、嘉永6年(1853)に創業した茶舗。良質の抹茶、煎茶、ほうじ茶等を名産地から取り寄せて販売している老舗である。現在は長野市元善町484番地に本店を構えるが、以前は長野市大門町(現、玉屋 長野大門)に構えていた。店舗の上層部に創業当時からの『御茶処』の看板を掲げていたが、現在の店舗では外されている。

 

看板は、喜多の園 初代当主の小笠原平作が考案し、文字は柳田正斎(書家)、デザインは小白山人(画家)、彫刻は山嵜儀作が手がけた。中央に御茶処と書かれており、下部には七福神、その左右に高砂の爺婆、上部に龍の彫物がある。

 

看板の下部 『七福神』。屋外に掲げられていたため風化が強い。

七福神を左から紹介すると、

 

お茶をたてている『毘沙門天』。眉間にしわを寄せてお茶をたてている姿がユニーク。

 

喜多の園の紙を持つ『福禄寿』。紙には「銘茶 喜多之園 小白山人書」とある。

 

石臼でお茶をひく『弁財天』。

 

琵琶をひく『布袋』。

 

『大黒天』。

 

『恵比寿』。 鯛を抱え、笑顔が素敵です。

 

鹿を連れている『寿老人』。

 

看板上部の『龍』の一部。三匹いる。

 

左部の『高砂の爺』。熊手をもって福をかき寄せる。

 

右部の『高砂の婆』。箒をもって邪をはらう。足元には長寿を示す亀がいる。

 

さらに初代当主が、店舗の風景を錦絵にして信濃町から安曇地方の販売店に配布した。

(この看板がご自慢のものであったのでしょう。)

 

錦絵。おそらく製作時期は明治初期。上部に看板。下部には店舗風景。

 

現在の喜多の園本店にかけられている掛け軸。

 

*資料を、喜多の園 小笠原様からいただきました。

 

 

 


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