ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

昭和60年の乗り鉄、標津線

2010-06-10 09:13:00 | 鉄道
不定期企画?昭和60年の乗り鉄シリーズ。今回は標津線です。
標津線は、北海道東端の根釧原野に「イ」の字状に路線を伸ばしたローカル線です。
すなわち、「標茶~西春別~中標津~根室標津」東西にのびる路線。
「中標津~別海~厚床」南北に伸びる路線、2本セットで標津線でした。

標津線乗車のスタートは釧路駅。

札幌からの夜行「急行まりも」で釧路に到着。釧路からは「急行しれとこ」に乗車です。
この急行、釧路発車時は4両編成です。
キハ56×2両:急行型で揃えた前2両は、釧網本線の網走行き。
キハ40×2両:一般型で揃えた後2両は標茶で切り離し、標津線の根室標津行きになります。
標津線編成は、キハ40使用だからいわゆる「遜色急行」ですが、車両の新しさを加味すると、
キハ40は窓際に肘掛が付いてないだけで座席も改良されているし台車は空気ばねだし、どちらが乗り心地がいいか微妙です。
(急行型のキハ56は旧式のコイルばね)

ひたすら乗るばかりの旅だったので途中の写真があまり残っていません。

終点の根室標津駅はこんな感じの駅です。いかにも最果ての終点。
最東端の終点駅は根室本線根室駅ですが、こちらの方が寂れているので最果て感があります。
当時はまだスタッドレスタイヤがなく、冬タイヤといえばスパイクタイヤだったので、残雪は真っ黒、街も粉じんで埃っぽかったですね。
お昼なのに食事調達もままならず、KIOSKで買ったカップヌードル。なぜか、よく味を覚えています。

折り返しの列車で中標津に戻り、厚床行きに乗り換えです。こちらはキハ22の単行でした。
ひたすら酪農地帯を進む列車です。

厚床駅は根室本線との乗り換え駅。ここも原野の中の小さい集落ですが、乗り換え駅だったので、駅弁も販売してました。
たしか、「ホタテめし」当時400円ほどでした。
帆立貝柱をほぐした醤油味の炊き込みご飯がすべて。飾りっ気なし、おかずは無く彩りに刻みのりと紅ショウガだったかな?

標津線も根室本線も1日数本。この時も「急行ノサップ」根室行きに乗り換えたのはほんの数人。
こういう小さい駅で駅弁販売があったとは、今を思えば信じられない時代です。
写真では小さいですが、腕木式の出発信号機が並んでいます。
何となく寅さんが現れそうな駅でした。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へにほんブログ村 ←押してくださいね。鉄道ブログリンク入口です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿