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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

中国鉄道時刻表2018最新版を眺める

2019-01-09 00:00:00 | 中国の鉄道


 中国で長年発行されてきた中国鉄道出版社の時刻表は、もともとおおむね同じ路線の同じ方向の列車がまとめて掲載されていたはずが、2000年代に入ると種別や行先方面ごとにあちこちのページに分かれて非常に見づらくなるという混沌に陥り、ついにはネット上の時刻検索に押されて数年前に廃刊の憂き目に遭いました。その背景にあるのは、経済発展に伴う列車本数の激増、そして余り古いものにこだわらず何でもネットで解決しようとする気風なのかも知れませんが、それ以上に最近の中国における鉄道旅客輸送の変容も大きく作用していると言えます。
 かつては路線も列車も少なく、途中駅から無座で乗らざるを得ない状況も多々ある中、客の側がある路線を走る列車の全容を把握する必要があり、そういう点で紙の時刻表は有用であったことは確かです (それでも、売っている場所は必ずしも多くなかったのですが)。しかし、今や膨大な数の新線が建設され、列車の数も激増する中、ある方向に向かう列車がなるべく効率良く短い距離で走るとなると (長距離列車も新線開通で頻繁に経路を変えています)、次第に発想が飛行機に近づくと申しますか、途中の経路、列車ネットワークのありよう、さらには路線図すら割とどうでも良くなり、単に「乗換なしで行ける列車がネット検索でひっかかり、残席があるかどうか」という点こそが重要だということになります。しかも時代は高速化、あるいは「夕発朝至」が主流ですし、昼間の列車はどうせ周りの連中が口角泡を飛ばす会話やらケータイやらゲームやら映画鑑賞やらで騒々しいわけですから、「どの路線を何時頃に通り、どんな景色をしみじみと眺めることが出来るか」という乗り鉄的発想すら異次元世界のものであるのかも知れません。従って、ますます紙の時刻表は要らないことになります。



 それでも一方では、中国の鉄道が他の諸外国に比べて時間を遵守し、総じて信頼できるのは確かです (このことは噴飯レベルの遅延が常態化した国内線と比べれば明らかですし、あれだけ長大な路線網であるにもかかわらず良い線を行っていると思います)。また、今やネットで全国予約が可能であることを考えれば (90年代までは台帳方式と近似した各駅配付の整理券方式による座席指定であり、切符の裏に貼られた薄い紙が限りなく輝きを放っていたものです。また、駅員がこの整理券を横流しすることによって不正な巨利を得ることも可能……そういう点で完全オンライン化は中国国鉄にとって超福音)、時刻表を見ながら路線と列車を選んで乗り継ぐという技も圧倒的にやりやすくなっています。また勿論、ある時代における鉄道輸送の全貌を明示するという歴史史料的役割も、紙の時刻表にはあると言えましょう。
 昨年末、久しぶりに同人誌として出版された『中国鉄道時刻表』は、このような利点を強調しつつ、高速鉄道バブルに湧く (その結果浮いた大幹線の客車もどんどん列車の新設に回し、列車ネットワークが複雑怪奇の極みに達している) 中国国鉄の現状を克明に示しています。それをどのように読み解くかは人それぞれでしょうが、かつてバックパッカーとしてド田舎をウロウロした者としましては、景気維持策としてますます地方路線の建設に鉄とコンクリートが注がれており、かつては内陸の省都からバスで1日~2日 (あるいはそれ以上?) かけて訪れた草原や砂漠、そして中緬国境の街にも新線計画があり、既に時刻表本文にも掲載準備がなされていることにブッ飛びました……。
 また、編集過程で判明した列車ランキングがなかなか面白いですが、かつては超チンタラと走っていた青蔵線(青海チベット線)の客レが速い列車ランキング入りって一体何なんだ……(1990年、西寧~ゴルムド間を通し乗った際には所要24時間)。 他の路線でも軒並みスピードは上がっており、ことここに至れば、22系以前の客車は最早東北などド田舎の遅い鈍行でしか生き延びられないでしょう。諸行無常ですね。
 なお、画像は最早博物館入りした毛沢東&超高級幹部用編成のそれであり、全然イマドキの中国鉄路を代表していないではないか、とお叱りを受けそうですが、要は最近諸事情により全然訪れておらずネタ切れなのです。ここまで激しく変わってしまった鉄道網を極め、車両研究を極めるのは、最早頭が柔軟な若い皆さんに託された仕事であると考えます。
 あぁそういえば、金正恩特別列車運行記念として、この画像はちょうど良いかも (笑)。

ジャカルタ・架線下のランカス鈍行 (2015)

2019-01-07 12:30:00 | インドネシアの鉄道


 去る年末、若くしてジャカルタ鉄道事情の大御所の座を不動のものとされているパクアン急行様が一時帰国され、都内某所のインドネシア料理店で歓迎の宴が開催されたのですが、お店が我々一行の午後7時からの予約の前にどうしてもシンガポール・ムスリムご一行の予約を入れたいと事前に申し入れて午後8時からに変更となり、しかも当然 (?) 先客が8時前に帰るはずもなく、一時は本当にヒヤヒヤものでした。しかし無事に入ったあとは、美味いインドネシア料理とビンタンビールをガンガン楽しみ、口福の限りを尽くしましたし、勿論いつも通りに日本と海外の濃いぃ鉄話題で盛り上がったことは言うまでもありません。そしてパクアン急行様からは、一同どよめく重大発表が……(^O^)。私の年間予定とうまく合いますかどうか、早くもヒヤヒヤものです! そして終了後は、パクアン急行様とともに東急Qシート初乗車♪ というわけで、幹事役のKuching様、パクアン急行様ほか、ご参加の皆様には大変お世話になりました!



 それにしても、パクアン急行様のブログを介して知るインドネシアの鉄道事情は、ここに来ていろいろな変化が激しく、しばらくご無沙汰していると浦島な脳内を整理するのに一苦労です。「ステンレス客車の急増→古い客車の余剰大発生→廃車置き場確保のためチカウムだけでなくプルワカルタの廃車山脈取り崩し」という話題は (※)、ひところプルワカルタに入り浸った (笑) だけに感慨深いものがありますし、インスタ映えするスポットとして廃車の山を撮りたいインドネシアのパンピーの皆様と、撮らせまいとするPKDがしばらく骨肉の闘争を繰り広げていたというのは何をか言わんや……(最初から廃車即解体にしていれば良かったのに! ^^;)。また、国産INKA製電車KFWが集中的に故障しまくった結果、カンプンバンダン・フィーダ運用を除いて完全離脱し、タンジュンプリオク線は日本中古8連で来るようになったというのも、昔の超過疎なタンジュンプリオク界隈を記憶する者としては衝撃です (嗚呼……103系が残っていれば!)。そして、スルポン=バンテン線のランカスビトゥン電化開業が実現して以来、路線も沿線も変化が著しく、あっという間にマジャ~ランカスビトゥン間が複線化されたほか、棚田や畑がニュータウンへと急速に変貌しつつあるという……。昔の田園都市線、いまのスルポン線、といったところでしょうか。
 すると、マジャ~ランカスビトゥン間に架線が張られながらもなかなか電化開業の気配が見えず、相変わらず客レ鈍行が往来していた2015~2016頃の画像が、一気に昔の光景に思えて来ます。上はランカス駅、下はマジャ駅での撮影ですが、マジャ駅の橋上駅舎も建設中で、この当時はマッチ箱のような駅舎、デコボコな駅前だったのもウソのようです。いやそもそも、ランカス電化開業後は未だ訪れていないため、ランカス駅に205系が停まっているということ自体、写真では理解していて実感が湧かないのですが……(^^;;)。

※クラブツーリズム・海外の旅パンフレット最新版のうちインドネシアの部分に、鉄ヲタ向け・ジャカルタの日本中古電車乗車ツアーの記載があり、最大の目玉としてプルワカルタの廃車の山を訪ねる云々が記されていますが、「詳しくはWebで」とあるためアクセスしてみたところ、このツアーの催行自体がキャンセルとなったようで削除されています。担当者氏がパクアン急行様の記事を見て、あるいは既に催行したツアーで寄ってみたら追い払われて、プルワカルタにはもう行けないと判断したのでしょう。
……何故こんな事情を知っているのかと申しますと、私の親が毎月クラツーのパンフレットの送付を受けているからです (笑)。

タイ国鉄・魅惑の古典罐 (?) 4000形

2019-01-06 00:00:00 | タイの鉄道


 約1ヶ月前、ジャカルタの日本中古冷房電車草創期における伝説的神サイト『JABOTABEK RAIL NEWS』の管理人にして、現在は日本の鉄道を英語で発信する『Tokyo Railway Labylinth』を運営されているYopie様からお誘いを受け、加えて東南アジアでの鉄道実務の経験をお持ちのU様を加え、都内某所のタイ料理店にて小宴が開催されました。Yopie様とU様、どうも楽しいひとときをありがとうございました!
 その席上では、さすがインドネシア・東南アジアの鉄道事情であれば何でもござれなお二人でいらっしゃいますので、日本国内ネタも含めて縦横無尽に回顧・現状分析・未来の展望がなされたのですが、やはりこの手の話をするときにどうしても話題に登るのは、日本の鉄道の変化が良く言えば緩やか、悪く言えば慎重すぎるのに対し、東南アジアは良くも悪しくもテキトーで、一度変わり始めたらイケイケドンドンだということ。そんな東南アジアに対する鉄道面での協力を積極的に進めることが出来れば、中長期的な日本の国益にはつながることは言うまでもありません。しかし、そんなテキトーさ(とりわけ汚職がらみ)は日本側にとって極めて高リスクで、下手をすると日本国内で厳しい責任問題になりかねませんし、もっと大きなリスクとして、たまに相手国側の反腐敗キャンペーンのネタとして現地で逮捕・起訴されるなど指弾の対象にもなってしまいます。



 というわけで「いろいろツラいよね、日本……」というぼやき節のうちに、いつの間にか杯を傾けまくり、美味いタイ料理も皿を重ねていたのでした。
 それでも、単純に変化ということを見れば、今の東南アジアの鉄道はまさに興味津々な激変期。……いや、そういうことをだいぶ前から言い続けているような気もしますが、とりわけ、1950~60年代以来基本的なフォーマットが余り変わらなかったと思われるタイの鉄道が、バンコク・バーンスー新総合駅の着実な建造やら、日中両国がからんだ新幹線計画 (日本はチェンマイ方面、中国はイーサーン方面) やらで、これからどんどん変わって行くことは疑いありません。
 この結果、ホアラムポーン駅は鉄道博物館に転用されることがほぼ決まっていると言われますし、今後ヨムマラートの分岐からバーンスーの間は東線の列車を除いて列車が来なくなるとなれば、暫定的な単線化によって空間を確保し、メークロン線方面につなぐ都市鉄道レッドライン (本命の大動脈) の建設も進むことでしょう。そして、東南アジア最大となるバーンスー総合駅の斬新なイメージとともに、タイ国鉄そのものも大幅なイメチェンに乗り出し、罐も客車もますます中国製の新車を、という可能性もあるでしょう。そのとき真っ先に淘汰されるのは、古典的な風貌が魅力的な4000形DLであり、1940~50年代に日本から輸出された半鋼製客車……。
 というわけで、古き良きホアラムポーン駅を中心に、長年親しんだタイ国鉄の雰囲気に触れるのであれば、今年はまたとない最後のチャンスではあるのですが、果たして訪問する時間を確保出来るのかどうか……。たまにしか来ないこの罐をもっと撮り貯めたいのですが。

小田急1000形幕車を撮る (2018・登山)

2019-01-04 10:49:00 | 大手民鉄 (小田急)


 毎年恒例の箱根駅伝は今年も盛り上がり、小田急沿線の東海大が堂々の優勝を果たしましたが、東海大学前駅がかつて大根(だいこんおおね)駅であったのを良く覚えている世代は既にオッサンとなって久しいですね (そっちかよ! ^^;)。以前、早朝に秦野の弘法山に登った際、朝っぱらからもの凄い数の東海大筋肉系集団がハイキングコースを駆け抜けて行き、山頂でひとしきり雄叫びを上げている光景に遭遇したことがありますが、この集団が箱根駅伝関係者なのかも知れません。いっぽう、往路の先頭が箱根湯本駅に到着する直前、ちょうどGSE70000形が新宿から到着し、駅伝と競演するかたちになったのは、敢えて宣伝効果を狙ったのでしょうか? (笑)



 そんな箱根駅伝の開催時に箱根に足を踏み入れると、道路も電車も大混雑で、バスもろくに動かずトホホな気分を味わったことがあります。また、これから旧正月が近づくにつれ、箱根の交通機関は華語を話す集団で大賑わいとなることでしょう。でもやっぱり個人的には、箱根は人の少ない季節・時間に訪れてこそナンボ、箱庭のようでありながら奥深い自然と温泉を楽しめるというものです。すると、とくに電車は早朝・夜間に乗るべし、ということになりましょう (ちなみに平日の朝は、強羅方面も通学で結構混み合うので、とりわけ音鉄派の方には余りオススメしません)。
 というわけで、朝のド順光の中を走る登山色小田急1000形の画像を貼っておきます。1000形の更新は少しずつ進んでおり、幕姿を撮っておくのは他の撮り鉄が誰もいない今のうちであることは間違いありません。


変化を続ける横浜市営地下鉄

2019-01-02 12:00:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 毎年の年末年始には必ずと言って良いほど大きな鉄道ネタを仕込んでくる『神奈川新聞』(ネット版は『カナロコ』)によりますと、かねてから計画が云々されていた横浜市営地下鉄青線のあざみ野~新百合ヶ丘間延伸が正式決定のはこびとなるようで、開通は2030年になるとか。完成後は、小田急多摩線沿線や川崎北部から新横浜・横浜中心部への移動が革命的に良くなりますが、同時に想定されている多摩市界隈から新横浜・新幹線へのアクセス向上という点については、既に京王~横浜線ルートがありますので、果たしてどんなものでしょうか。個人的にはむしろ、新横浜周辺や横浜市北部から新宿へのアクセスが革命的に良くなることの方に注目しています。なお、新百合ヶ丘~湘南台間は、小田急の快速急行でしたらあっという間 (?) ですので、青線を通し乗るヤツはヲタと横浜市敬老パス所持者以外は皆無でしょう (笑)。



 いやはや、これまで鉄道交通網の中でイマイチ中途半端な場所であった新横浜が、東急新横浜線の出現と地下鉄青線新百合延伸によって、小田急沿線や東横沿線からの絶好アクセスを手にするわけで、東海道新幹線の客が将来一定程度リニアに流れても、ますます多くの客が新横浜を利用することになりそうな気がしますね……。あたかも、東北上越北陸新幹線が大宮で一気に混み合うのと同じように! (それほどでもないか ^^;)
 一方、そんなニュースを眼にしつつ思い出したのは……個人的に第三軌条路線趣味は薄いため、これまで青線を撮ったのは今から6年少々前 (2012年11月) の上永谷イベントだけだったということです (滝汗)。たまに湘南台~上大岡間を利用しても、「どうせ来るのは3000」ということで、全然細かい形態差なんて気にしていなかったですし……。ところが、久しぶりにこうやって画像を外付けHDから引っ張り出して来ると、意外と形態の違いは大きく、そこでウィキペディアをつらつらと眺めてみると、第一陣の3000Aは1992年登場ということで、ほぼ平成年間を通じて増備が続いているという……。そんなに古かったのか!と、腰を抜かしそうな気分です。しかも、3000Aは車齢30年を期に更新をせず廃車とし、最新鋭の3000Vに置き換えられて行くとか……。合計5種類の顔が入れ替わり立ち替わり現れる現在の青線は、意外と撮り鉄的に見て面白い路線なのだということに気付かされました。これぞ、灯台もと暗しですね (滝汗)。