
JRCつながりでもう一丁。今から約半年前に、鉄コレ第9弾の身延線モハ62・クハ66をJRC色化&冷房化するという、佐久間レールパークに存在していた正面カット部分をヒントに模型車両として具現化するという酔狂の沙汰を完成させたものですが、その後しばらくして偶々横浜のポポ (ここが河合商会の後を継ぐとは……) を覗いたところ、何故かモハ62・クハ66の中古が各1両売られておりました。そこで仔細に眺めてみると、目立った部品の欠損はないのみならず、モハ62にはTM-09が挿入されており、しかもお値段はTM-09を2割引店で購入するよりも全然安い……♪ というわけで瞬時に「これは妄想JRC色編成を堂々の6連にせよという天の声だな。TM-09は他の車両の動力として流用すれば良い」と計算してお買い上げ~(笑)。

しかしその後、例によって他の車両いじりとの兼ね合いで……ではなくて、GMストアにてJRC用角形分散クーラーの在庫が切れていたため、作業はしばらく放置となりました (汗)。その後夏頃にようやくGMでクーラーパーツが再生産され、季節も塗装に適した秋になったことから、面倒なマスキングをシコシコと進めて塗ってみた次第♪ 作業そのものは既に以前経験済みのものであるため、とにかく目が疲れ時間がかかるということを除き特段に記すことはありませんが、とりあえず強調すべきは……JRC色に塗った6連メチャクチャ格好良い!!!ということでしょうか☆ 確か身延線の単線区間においては、普通・急行それぞれ最長4・5連であったと記憶しておりますので、6連がこんな感じでクネクネと走ることはなかったでしょうが、東海道線静岡地区でこんな編成がやって来たら間違いなく悩殺だったはずです (笑)。勿論、伝統の湘南色も良いですが、何故113・115系はこの色にならなかったのだろう……という遺憾も少々残ります (^^;)。
いっぽう2枚目は、先頭車の数が足りないという問題がありますが、3連2本にして並べてみましたの図 (^^;;)。釣掛62系がこんな感じで東海道線上を猛ダッシュしながら離合するシーンを見てみたかったものですが、結局62系製作計画は身延線のみで頓挫し、本線の地方区間には投入されなかったことから、見果てぬ夢に終わったことこそ悔しけれ。丹那トンネルを釣掛で通過して悶絶死に近い気分を味わってみたかった……です。80系が走っていた頃がうらやましい……。
少数派のいまま終わった62系も、もう少し量産されていれば、釣り掛けのまま冷房化されて、この模型のようなシーンも再現できたかもしれませんね。アコモ車はコスト高で製造が打ち切られたということになっています・でも、荷電やら73系の全金改造車やら、今まで多数の更新工事を実施しているわけで、その理由はどうも解せないんですよね。量産化されなかったことには、何か裏の事情でもあるんでしょうかねえ。
結局、余りにも少数派にとどまってしまったこと自体、鳴り物入りで始まったはずの62系を極めて不遇な運命に陥れてしまったのだろうと思っております。まぁ、モハ72・クハ79の970番台は、103系3000番台として復活を遂げましたので、ことによると62系電車も113or115系????番台として再起できたはずですし、それこそ予定通り地方向けに大量に増備されていれば……。
しかも、当時は国鉄末期の凄まじい赤字ゆえ、新造車を用意するよりも車体更新車を用意する方が、73系の近代化改造車を増やした流れの延長として安上がりだったはずですよね……。東武だって輸送力増に追われる中、32・54系を3000・3050系にし、7800系列を5000系列にしたわけですから……。
そこで、個人的には以下の理由によるのではないかと思っております。
(1) 労働条件改善にウルサイ組合を抑え込むためにも、冷房カルダン駆動車を一気に増やした方が(とはいえ、一気に冷房化するには金がかかることから、冷房準備車というセコい車両を多めに用意して「冷房化に向けて取り組んでいる」ポーズをとる方が)長い目では得策だと経営判断した。
(2) オイルショック後の不景気や省エネの社会的要請ゆえ、車両工場を公共投資的に動かし続けて新車を大量増備し、あるいは釣掛車を減らした方が良いと考えた。
……まぁここらへん、国鉄と私鉄で、70年代~80年代初頭の経済・社会情勢をどうみるか、判断の基準がいろいろ違っていたのでしょうねぇ~。あくまで何も史料をチェックしない憶測でスミマセン (^^;;
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
見た目は高度成長期でも、走り出すとバリバリに釣掛で、一般人なら「何じゃこりゃ」と卒倒してしまいかねない……そんな車体更新車を愛好するマニアックな人間は、少数ながら確実に存在するということで、いやはやどうもお仲間ですねぇ~(笑)。まぁ私の場合、半鋼製車がまだまだ各地に現存していた頃は、車体更新車が来るとババを引いたような気分になっていましたが (例えば東武5000や名鉄7300)、今や車体更新車大好き人間ですから、本当に80年代の自分自身の無思慮な若造ぶりに歯ぎしりせざるを得ません (苦笑)。
そんな私から身延線釣掛末期を眺めてみますと、ここは小4の頃に戦前型が引退してしまい、一度もそのような戦前型+62系の混結を拝むことはかなわず、62系も上記の理由で後回しにしているうちにいつの間にか80年代半ばには離脱し、富士の電留線にて長期間雨ざらしとなっている光景を「しまった……」という思いで眺めたものでした。