
源平盛衰記圖會

源平盛衰記圖會序
凡史冊之可觀者附山詞章々為美實
係文物之懿與人才之盛馬耳。吾
邦當壽永元暦聞僅々數年源氏平族壹
與一亡俄為勝敗●●列眉盡當時禮文
猶脩而如静海云跋扈。木曾之驕横小●
之戴玉室鐘倉之營私家三位々●●赴
雖判官云用兵如神。其他月輪云於朝紳。
文覺云於錨流乃至文武臣僚率無一時
之雋。故人云殊慝。事云邪心。皆可以感人
心脩世鑑笑山其喜●古今成敗云所以
必稱源平者。而雖稗官小説。理則同也。前
是籬島主人嘗著亰畿東海名所圖會林
泉名勝寺數種咸上木大行乎世笑。主人
近又叩余廬似以源平盛衰記圖會者一
編乞余序引。盖其為製也。就原書檃括文
詞丹青事●●繁刷冗迩芟釐為六巻。其工●
勤笑。是編一出則稗婦人児輩無易讀率
巻披玩弗置逐能紙價踊貴固不●●●
而其於人心世鑑有盖果●如哉。余既●
皇甫主晏云筆。不能為云重故特道其喜
讀古今成敗云所以必稱源平者以贈主
人云爾。
寛政己未冬至日東橋外史松本
慎題于愚山書屋
源平盛衰記圖會
おほむね
蝸牛の角のあらそひもかれ野の霜にかしけ露ににほへる花もさそふ
あらしに雪となる。ひとたびはさかへ一たひはおとろふる世のならひをいかゞは
せん。こゝに葉室亜相時長卿のあらはし給ふといへる源平盛衰記は年
久しく世に行れぬはた其國は名だゝる画工の筆に染ては昔屏風てふ
もの世にあり。これにならひて和らはへの翫ひのゑさうし傀儡のたぐひにも
おほく見ゆめれと完きものはすれなるへし。されは繪にうつすべき●/\を
うつさしめた文段はしのだのもりの千枝の楠のしけきびはふき花實び
指むそゑ/\この盛裏は保元のはじめよりおこり特には
後白河法皇の宸襟より出てはじめは平氏をもはらいつくしみおほしめす
より相國清盛天か下に権をほしゐまゝにした。
すべらみことの外威として大荒木のもりの下艸さかへ行一門のともがら奢に
驕り威に威をまして天か下の國中をなかはすくるまで家領とし官
位もまた家族家僕にふたけたり。千世もへぬべき小松のおほゝみこゝろはへ
かしこくてたらち雄の悪行をかなしみひたぶるに諌給ふもつくほど
なく世をはやうし給ひぬればしのぶの里のしのびたいらの家をかたずけ
むとかたらふともからありしかと見あらはされみなつみにおこなはれ
法皇もかりかね落る鳥羽の離宮におしこめられ給ひぬ。高倉宮源三位
にほろびぬ入道の不善なほも滿した●の民はあけつ●のうよそ
さまよひゆくへもしらぬ●浪にさすらふ如くて平相國薨したまへば忽
吾端の國/\の源氏おこり右大将のきみは義兵をあげて石橋山のいくさ
ありしに利ならずして七騎にうちなされ土肥の真鶴を落たまひしも遂には
二十餘萬のつはものしたかひて威は出かねさす朝日ののぼるにひとし。
法皇もよろづ代の故らよはふなる時いたると歓ひまし/\て征夷大将軍の宣を
たまへば頼朝つもうれしのに春草もえいつるごとくなり範より義經の
両朝臣に命じて平家を西海にもほろぼし給ふおればおとろへこれはさかふる
世をかなしみ西行法師はみよし野の奧苔しみづにやけり。鴨長明は月かげ寒き
外山にかかれて思ひを方丈記にのべ家降卿は芦そよぐ天王寺に棲て●●
作●定家卿もしぐれ●小倉の上にこもり給ふなどみな戦國を●●

見てゝ厳しまが陵灘に釣するおもひなりけらし。今はよつの海の
浪おさまり民も戸ざしを忘草ゝ。
活代平あひて以とまあるこゝろびなくさりるものは物かたりにあなれはと
ふみ進のもとめにしたかひてこれを輯録しこせ野の焼
のるはらならぬは筆のつたなきからにていかゞ
見ん人わからはゆるしたまへ。
寛政十二庚申の春
秋里籬嶌
源平盛衰記圖會巻之壹
目 錄
豐 明 節 會
鱸 魚 入 舟
貴 狐 天 皇 守 護 清 盛
清 盛 侍 三 百 人 禿 童
詔 立 二 代 皇 后
櫻町中納言禱泰山府君
清盛命武士弊關白基房公車
鹿 谷 密 謀
源三位頼政以妙策免難
時 忠 巡 智 慮 鎮 大 衆
洛 陽 燒 亡
行綱依訴鹿谷密謀露顯
後白河法皇熊野山行幸
内 府 重盛 諫言父入道
後白河法皇建春門院厳嶋行幸
小 松 内 大臣 重盛智謀
俊寛成經康頼謪遷鬼界嶋
大 納 言 成親 入道他界
安 德 天 皇 降 誕
成經康頼帰洛渡有王鬼界島
小松大臣薨去渡育王山黄金論
太 政 大 臣 入 道 債 惡
源平盛衰記圖會巻之壹目錄續
龍●漂泊海西邊夢裏紛華ニ
十年究竟東移兵馬權讀殘編
憑地興亡誰不隣
各調憶君王
愚山