本当の自分で生きる。
本質に沿って生きる。
自己の本質に目覚める。
言い方は色々あるけれども。
自分の外側に反映されているこの世界に、うまく適応する為に。
あるいは守る為に。
「私」を被っていたものをどんどん脱いでいき。
限りなく素の自分に戻っていくと…。
大いなる源と個の私の呼吸がピッタリ重なるような瞬間が何度も訪れる。
それが「今ここ」とも言える。
そして次の段階(だと思う)に来ると。
私達は「今ここ」の連続した中に存在している、ということをリアルに感じるようになる。
そうすると。
驚くほどの静けさの中で自分が行動していることに気づく。
言い換えると。
エネルギーが散漫でない状態。
雑音がほとんど聴こえない世界。
いかに、今まで必要以上に(無駄に)エネルギーを使っていたかがよくわかる。
面白いなぁと思うのが…。
「今ここ」を意識した時点で、すでにそれは「今ここ」ではないということ。
先日、自分が体験してよくわかった。
これまでも似たような出来事はあった。
でもそれは、比較的穏やかだったり、
あるいはリラックスしていたり…落ち着いた状態。
今回は違った。
想定外のアクシデントが起きた時でも、
人間は完全なる静けさの中にいることが出来る(行動が出来る)という…
私にとっては、ある意味衝撃的な?な出来事だった。
それを経て、さらに実感したのが。
本当の自分で生きると…。
どこにいても、何があっても、自分の「居場所」…つまり静寂を感じられる。
さらに自分の中のスペースがどんどん拡がる。
そのスペースに、インスピレーションが流れてくる。
それに従う時、未知のものだとしても疑問や不安が一切ない。
これは比喩だけど…。
目の前に車が止まって、ドアが開いたら?
なんで?
運転手は誰?どんな人?
行先はどこなの?
乗っても大丈夫なの?
…などと、あれこれ考えるのが、今までのパターン。
でも、今は開いたドアに躊躇することなく乗り込んでいる。
途中で降ろされたら?
また新たな車があらわれる。
バラバラになったパズルのピースが、ひとつ、またひとつ。
「私」のカケラが集まってくる。
本質に沿って生きる。
自己の本質に目覚める。
言い方は色々あるけれども。
自分の外側に反映されているこの世界に、うまく適応する為に。
あるいは守る為に。
「私」を被っていたものをどんどん脱いでいき。
限りなく素の自分に戻っていくと…。
大いなる源と個の私の呼吸がピッタリ重なるような瞬間が何度も訪れる。
それが「今ここ」とも言える。
そして次の段階(だと思う)に来ると。
私達は「今ここ」の連続した中に存在している、ということをリアルに感じるようになる。
そうすると。
驚くほどの静けさの中で自分が行動していることに気づく。
言い換えると。
エネルギーが散漫でない状態。
雑音がほとんど聴こえない世界。
いかに、今まで必要以上に(無駄に)エネルギーを使っていたかがよくわかる。
面白いなぁと思うのが…。
「今ここ」を意識した時点で、すでにそれは「今ここ」ではないということ。
先日、自分が体験してよくわかった。
これまでも似たような出来事はあった。
でもそれは、比較的穏やかだったり、
あるいはリラックスしていたり…落ち着いた状態。
今回は違った。
想定外のアクシデントが起きた時でも、
人間は完全なる静けさの中にいることが出来る(行動が出来る)という…
私にとっては、ある意味衝撃的な?な出来事だった。
それを経て、さらに実感したのが。
本当の自分で生きると…。
どこにいても、何があっても、自分の「居場所」…つまり静寂を感じられる。
さらに自分の中のスペースがどんどん拡がる。
そのスペースに、インスピレーションが流れてくる。
それに従う時、未知のものだとしても疑問や不安が一切ない。
これは比喩だけど…。
目の前に車が止まって、ドアが開いたら?
なんで?
運転手は誰?どんな人?
行先はどこなの?
乗っても大丈夫なの?
…などと、あれこれ考えるのが、今までのパターン。
でも、今は開いたドアに躊躇することなく乗り込んでいる。
途中で降ろされたら?
また新たな車があらわれる。
バラバラになったパズルのピースが、ひとつ、またひとつ。
「私」のカケラが集まってくる。
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