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令和元年の時事問題

2019-05-09 18:11:49 | 科学(Science

まず,元号が平成から令和になったこと.

ほぼ60歳の天皇だから,あと20年くらいかなという話題もあるだろうが,改憲問題だとか,中国問題だとかは,一応別にして,日本国の象徴としての立場堅持を表明しているのだから,基本は変わらないということなのだろう.昭和オヤジにとっては,当たり前といえば当たり前だが,メディアの皇族報道には,なんか,中韓くさい色付けを感じたりもする.日本人は,こういうことに,そんなに特別な変化を見ているだろうか? 奇妙な意図を乗っけたぼかし誘導的な何かを感じる.中韓も有史以来,あまり先の見える連中でないから,今後のアジア情勢も不安だらけという心理もあるのだろうか.対して日本も,有史以来,アジアの覇者でもなければ,世界の重鎮でもないが,無関与でもない.要は,アメリカは,EUは,ロシアは,どう動いていくのかに左右されるだけのことを,議論装って,メディア詐欺やろう的なのがはびこるだけである.常のことではあるが.

北朝鮮が,アジア情勢の熱戦の貯水池役を果たしていて,もっとこじれたら,米中戦争に発展するとかなれば,令和の最大トピックスとなるのだろう.不安ですね,そうなるでしょうかね,さてねえ,というのが,バラエティーの常連になるかもしれない.

メディア批判したいわけじゃないが,最近,時事に疎くて,目につくことといったらこんな感じかなと思うわけである.中韓の国家としての嫌味体質は,日本の一部にも中韓三流国扱いの議論したがるのもいたから日本にもそういう体質はあるのかもしれないが,小うるさいババア趣味というものである.政治家とか局の囲われ娘とか隠れ二号とかだけが,女性の視点からの論点なんてことも,令和でも続くのかもしれない.意外と,話題の多くが,そんな裏ぽいものを感じる.それと,隠れ中韓カルト信者とか麻薬とか,日本社会になくてはならないほど浸透しているとか.

何が難しい時事問題なのか,最近さっぱりわからない. そうなものなら,今時の若い子のお立ち台風景を放映してもらう方が,すけべオヤジにはありがたいと思う程度である.麻薬芸能人が捕まるとか,カルト詐欺がバレるとか,中韓戦争, 米中戦争勃発する方が,メディア的には面白いに決まっているから,あとはごまかしだから.韓国は,なんか変な自信過剰が,べトナムでこけて,放心状態とか.しかしまあ,状況や情報の読み違えは,韓国が貯水池とかだと,案外,うまく役割分担しているということになるのだろうか.

 じゃあ,日本の役割は,となると,アメリカの指示通りやりおおせて,韓国の轍を踏まないように,出来るだけコアな問題には近づかないようにすることぐらいしかなさそうである.なにせ,韓流が浸透しているから,失敗するに決まっているから.そういうことへの不満は,金子とか高橋といったメディア論客で,気をそらしておけばいいのである.五輪相再辞任とか.

時事問題について物言うと,なんか上から発言になってしまうが,まあ,どうせ聞く人いないから,気楽な個人の意見である.真に受けられても,それも困るし.

時事問題に限らないのかもしれないが,例えば,米中貿易戦争とか貿易摩擦とか,当然,そこには政治的な要因も含まれるという前提で議論されるだろうが,何かしら,無限を有限の延長と捉えて,その延長の先にはこういう結論が導かれる,だから,これは斯く斯く解釈すべし,という論法が,多数を説得するためのテクニックなのかわからないが,よく使われる.しかし,実際は,さして無限への延長を見すえてはいないし,多少,その時点で,見えていることのリストを披露しているに過ぎないことが多い.何ヶ月後にはどうとかいう先ではなく,現時点が要請する延長というのか現在点の膨張というのか,それさえ,説明されずに,これから先の現実が語られることが多い.そこが説明されたものなら,無限の未来の限界として,眼前の未来を見ることができるのだろうが,そういうことは少ない.天皇の象徴性とは,そういうものであって,単なる未来の無意味さではないと思うわけである.

象徴天皇制は,近未来に期待されるAI社会に似ているのだろうか.現憲法にしたがって,天皇は国民統合の象徴であるとすれば,日本国の存立の条件のもとで,様々な現実や立場,思い描く未来の,「統合」としての象徴なわけなのだろうから,その統合のあり方に責任を負う国民を象徴するという意味もあるのだろう.それに対して,最近パラパラと見受けられるのが,日本衰亡論とか,置き去り論とかだが,中国の覇権のもとでは,日本はアジア圏の異端であって,そのうち世界地図から消えるのだからというのが,反日の論拠なのだろう.利になるうちに黙って,中韓に貢いでおけということだろうか.他方で,アメリカから軍備増強や再編のための約束を迫られ,OKという返事を出さざる得ないという,ビジネスゲームのコマのひとつになる.中韓の因業な腹のうちにもNO, アメリカの軍事ディールにも再お勉強を迫るというのが,健全な態度なのだろうが,さてどうなのだろう.

それはそれとして,言いたいことは,未来への統合の国民の責任は,近い未来に現実になるAI社会と根を同一にするだろうかということである.AIだから,不確実な,下手すると確率的な法則さえ乱れてしまうような現象に,ある種の規則性を見つけ出して,これまで考えもしなかった未来を描いてみせるかもしれない,という期待も生じ得る.案外,<未来>はビッグ・データだから.その処理系とのセットだから.これは,私だけが見つけた事実であるといえば,大顰蹙間違いないが,つまり,そういうものとして見なければ,「AI社会」てなんなんだということになるのじゃないか.

もちろん,日本社会に問題がないというのではないが,例えば,日本国憲法にある「象徴」性のように,日本のアジアにおける異端性は,一般性の鍵となるのじゃないかと思うわけである.押し付け憲法論は,おそらく,日本帝国軍部にも軍部の協力者にも,そういう意義を認めて,日本の実情を踏まえた憲法を作成しえたのに,占領下の憲法という形で作成・制定され,国民を仕向けて見殺しにした悪しき戦犯という立場だけになってしまうことへの不満があるのだろう.今では,戦後利権の温存という目的に変わっているのだろう.そいう立場を離れて,AIと未来というような立場で,憲法論も考えてみる時期にはあるのだろうか.中韓反日利権と旧軍部利権の癒着の根がそこにあると,巷では噂されるとかされないとか.中国も日本国憲法と同等の内容の憲法に変えれば,世界の仲間入りするのである.要は,共産党の利益を除けば,自由、平等,博愛だから,内実は担保がないわけだから.当然,共産党の利益に従うべきものに過ぎないわけだし.

貿易に関するフェアー,アンフェアーも,日本は自由経済の一員であり,ルールに基本的に従うのだが,日本的忖度というのか,一部の日本的といわれる慣習が,フェアーな経済のしつくらえの裏地になっている面があり,それが,他の国々への大義名分を取り繕う態度の中に,アンフェアーな偽善として映ってしまうということもあるのだろうか.入試は,基本公平公正だが,ある種の忖度に値する理由によって,事実上公然と,一部の利権に隠れて,点数操作がまかり通る,それを,外向きにもまかり通るように,しつくらえたような感じのものなのだろう.中韓のおごりの体質と同じものであり,日本の企業文化に隠に染み込んだものであるから,貿易に関しては,韓国の轍を踏むおそれがある.

日本の企業体質には,韓国同様,北朝鮮のセドリ共犯者のような勢力があって,そういう連中が,ミエミエの忖度不正の請負業者として結託しているという構図があるのはないか,金子とかは,そういうセドリ共犯業者が裏神輿で評論家的なことをやらせているのではないか,という疑いを持っているのである.占いも,ジボ(ギボ?)アイコとか,昔は夜の世界でぶいぶい言わせていたような感じの名前忘れたがおばさんとか,ワイドショー的に必ず出してくるではないか.それは,アンフェアーな利権構造に日米貿易が隠れ蓑として使われているのじゃないか,ちゃちいおっさん連中の痴れ知恵が,今後の米中貿易摩擦の成り行きでは,日本経済にも悪い結果をもたらすのではないか,と心配しているわけである.本音ではそんな心配してないが.その程度のことなら,別にいうまでもなく理解はできるのだが,ちゃちい中韓おっさん連中は,メディアにもアカデミズムにも幅を利かせているから.トランプ大統領が,日本のアンフェアー体質質せといっても,改まるだろうか.その仲介役が,トヨタの社長であり,ソフトバンクの代表ということなのだろう.今の野党はセドリ共犯業者のようなものだから,特に維新とか,自民党の派閥横断的な一部勢力のようなものだから,セドリ共犯対策審議会の委員に,トヨタやソフトバンクから選出すればいいのである.

巨大なマネー・ビジネスは,自由な経済のルールも食いつぶし,いわば,ルールの貸倒しで,国家や国家地域も廃墟に変えていく,的なことを,「自由か規制か」という テーマで,欧米が議論したのは,リーマンショック直後のことではなかっただろうか.もちろん,保護主義とか,保護貿易主義とかへの回帰を主張するものではなく,ルールに基づく自由な経済の進展の障害として立ち現れるマネーの暴走に対しての議論という前提ではあろうけれど.根本的な解決は示し得なかったというのが,そのときの結論ではなかったろうか.こういう観点だけが全てではないのだろうが,ジャーナリスティックな論調でもあったことも確かではなかろうか.問題だと議論されたことは,マーフィーをもじれば,結局そういう風に流れて行くということの方が,経験的に多い感じがする.中国の爆買いから,不動産爆買い,次には,リニア駅の占拠買,空港の占拠買,学校や三セクの爆買いなどが続くだろうか.普天間買いとか.アメリカ,米軍もディールとして魅力的だと,態度を変えるかもしれない.不安だが,自分だけは利に与るかもしれない,とか.ビジネスチャンスでもあるではないかと.

予想不能な関連の爆発的増殖を,マルクスなら,再生産表式論とか,ケインズなら短期金利論とかという形で示唆する構成をとるとか,これからはAI経済学とか.案外,アカデミック化したお決まり作文よりも面白そうな展開になりそうに思うのである.

最近,私は,危うく心臓が止まりそうになったのだが,心臓がわーと目の前に現れた感じになって,あと一回の鼓動で止まるよというようなメッセージ送ってきて,S^3の空気の塊のように自分が感じられて,ヤバイ,あと一回で死ぬかもしれない,と思ったら,スーと落ち着いてきて,こういう勝手放題をブログで書いている.私だけなのかわからないが,生命現象は,S^3と関係が深いのかという体験を,何度か味わった気がする.念のため,宗教斡旋とかとは関係ないから.不養生という具体例を示したわけである.

軽口ついでに,昔,TVで放映された,これまた,昔のアメリカ社会を描いた映画について,ハーバード出のちょっとダサっぽいセールスマンとスタンフォードだったろうか出のクールな小学校の教師だったかの確執や同僚の女性教師の揺れ動く女心を絡めたものがあったが,なんか,不思議と,すっかり変わってしまった現在の社会と,似た感じがある気がする.日本の小説なら,夏目漱石の「坊ちゃん」という感じだろうか.赤シャツとサラリーマンの確執ということになるのだろうか.赤シャツにチャラッと寄り添いたい女教師とサラリーマンの確執とかも交えて構成されていたように記憶している.女心は揺れるに任せろという教訓を,君子危うきに近寄らず的に学んだ気がする.現在の映画の設定は,世界を変えてしまうとか,アメリカのエスタブリッシュメントの意思決定や決定プロセスに直接関わるようなヒーローが多いが,その映画は,ごくローカルな場面と人物のウェスタン的な物語であった気がする.インデペンデンスデーなら,農薬散布の請負飛行士酔いどれ老人になぞらえられているのだろうか.西部劇なら,街のバーの看板小町娘と流れ者ガンマンの出会いと別れが定番だが,その現代劇版という感じだろうか.「夜明けの停車場」というと昭和オヤジには懐かしい名曲ということになるだろう.水戸黄門や金さんやサザエさんが日本の西部劇というのと同じような意味である.

世界の経済をどう調整するかというG20とかで,米中貿易戦争がどう判断・評価されるのかというのが,ごくまじかに迫っていて,たとえ玉虫色でも,本質的な影響は,ある程度避けられないといって,多分,騒ぐのだろうから,これも時事的topicsであるはずである.何に躓くかといえば,ルールというものが,もはやマネーゲームよろしく,理論的な整合性といったものの発散を認めなければ成立し得ない,ビッグデータのようなものとなっており,各国首脳もAIのような判断はできないから,とりあえず示唆しておこう的結論にならざる得ないことではなかろうか.利潤率と利子率は独立であるとか,乗数効果をちょん切るとか,ケインズ経済の解説書にもあるが,私は,資本論を読んでいるときに,資本の部門間再生産から,なぜ,ダーク・マネー経済(ダーク質量とかダークエネルギーをもじって)が自律してくるのか,よくわからなかった記憶がある.大月の資本論も剰余価値学説史もゴミに出されたので,改めて読んでいないが.「転形問題」という本に気が向いたのも、そいう理由からである.個人的な読書経験からの問題であって,アカデミックには大して問題ではないのかもしれないが,結構,現実の時事問題には通じていそうな感触なのである.アカデミックにはずれているのかもしれないが.私自身は,アカデミックも力量の足りないのが多いから,別にどうでもいいという感じでいるにはいるが.もちろん,なんちゃってではあるが.

 全体と部分の総和は一致しないというような格言ぽい話に通じるのだろうが,そこに関連を見いだすことがなぜ悪いのか.議論のためのテクニカルな限定という面もあるのだろうが,結果ではない.議論のための前提も,ほとんど曖昧になることもしばしばである.こういう格言的な議論や論争は,フラストレーションを感じるまま何十年もほったらかしのことも多い.その理由が,ビッグ・データ的な関連によるとすれば,AI時代にはうってつけではなかろうか.これも歴史的な転換点のポイントの一つならば,EU,アメリカ,中国,ロシアも見極めきれずに時間を過ごすのだろう.各国が足踏みしようと,現実はAIの微笑を漂わせて行動していくだろうから.むしろ,そういう乖離を見いだすまでに,議論がなされれば,大した成果だという意味で言っているのだが.

イギリスはEU離脱だ,アメリカは保護主義だ,ロシア・中国,北朝鮮は軍事同盟ぽく動くぞだとか,日本は米中心に,ちょっと困っちゃう的な立場だとか,どこが意見の衝突になっているのかわかりにくい.

『雨の物語」の出だしから,

化粧する君の その背中がとっても 小さく見えて 仕方ないから 僕はまだ君を 愛しているんだろ そんなことふと 思いながら......

パロると,

化粧する君の その背中がとっても 分厚くみて 仕方ないから 僕はまだ君を 愛しているんだろ そう言わなけりゃ あとが怖いから......

現実と現実と信じたいものの, 人の世はそういうものであると悟れるだろうか?  情景的には,水商売の女性と頼りない男ぽい物語だろうが,パロると,一般的というか,ある意味普遍的な歌詞になるが,世界情勢も,そういうムードが漂う感じがする.背けていい現実もある気がする.フォークファンやイルカからえらく怒られるかもしれないが.

 


KKT(1)-3 位相的K理論

2019-04-25 22:05:05 | 科学(Science

``twisted K理論およびcohomology"からの続き.

 


[メモ]

1. (ねじれ)gauge理論とか, アーベル層の拡張とか? なんか,アーベルてのは,可換というだけでない,まだ何か,奇妙なものを内蔵して,ダークエネルギー流のように活性しているとか? それをGaloisにするとか? AbelとGaloisなのか,AbelからGaloisなのか.これで,私の理論の2/3にはカバーされるなのか(Gaussからのシャレ)? 3/3てどんだけなのか?

ブラックホールの観測写真が得られたというニュースがあったが,その一枚の写真から,こういったことの解明が始動してくれば,数学にとっても,重要な成果ということになるだろうし,生命の見方も,より深まるかもしれない.これも、科学の素人の,科学に寄せる期待というものである.

そしてまた,アインシュタイン理論の確証の一つになると同時に,より深く,アインシュタイン理論が変革されるきっかけになるかもしれないのだから,物理理論そのものにとっても,意義を持つのだろう.確証が得られるということと,変革の余地がないということとは,同じでないこともあるから.ダーク質量とかダークエネルギーとかのdarkていうのは,理論の導く量と,実際の観測でその作用が認められるものとの間に,大きな開きがあることを言っていると説明されているようなのだが,ダークの内部を見るような部分も必要になるということになるだろうか.そこらが,少しぼやける.逆に,そういうぼやけを制限しなければ,像そのものが得られなくなるとか.難しいところなのかもしれない.

 




KKT(1)-2 --- 位相的K理論

2019-02-27 08:46:40 | 科学(Science

Atiyah, `K-theory ---  Past and Present'は,前ページというか前記事に残し,airXivなどで入手できる論文のいくつかを,英文なので,翻訳しながら,勉強がてらあたってみようかなと思う.

 

次の論文は,物理学や生物学など,K理論を,より汎用性を持った理論へ転換する感じの,一連の論文の節にあたるのだろうか?

 

 

[数学とことば]

英語の数学論文を訳す作業は,意外と面白い.数学用語やロジックというのか概念事実というのか,素人の私には戸惑う面もあるが,案外,面白い.言語学と数学が因縁が深いという話は,時々,数学関連の本などで,目にするのだが,翻訳作業から,感覚的に感じられる.

例えば,古代の文明でも,縄の結び目で,数や演算のシステムを実現していたというような話は,それにあたるのではないだろうか.星座などもそうだろうが,数学的な秩序を具現したものだ言われて,見れば,とりわけ特別なものに見えるから不思議なものである.星座も,そんな意味は有していないと見る方が,科学的には正しいのだろうが,それはそれで,特別な秩序を感じるものである.非科学的な秩序と科学の生成する秩序の戯れの間で,数学記号が流動的秩序をつないでいくのなら,言葉はすべて,数学記号になればいい.残念ながら,数学も論理学も,閉じてはいない.だが,何かしら,息づくものを感じる.占いの類なら,いいことは当たっても外れても問題ないが,悪いことは,避けられるかどうかも,占うしかしょうがない,という商売知恵ぽいところを感じつつ,気にするあたりは,感覚的に通じるものがあるのだろう.華々しい文明からは,どこか周辺的な位置で生まれ,埋蔵されてきたようなケースが多いように感じるのも,特徴だろうか.

数学と言葉の間には,未だ摩擦が生じる.摩擦熱が生じる.知恵熱ならいいが,宗教的な闘争にまで発展する.信仰の揺るぎなさだったり,社会的な待遇だったり,その炎は,炎であるがままに燃え続ける.もはや,数学と言葉の摩擦が,原因をなしているなどというものは誰一人いなくなる.のである.

 [雑談]

生命現象が,DNAの配列に還元されるというような簡明性を備えると同時に,各レベルで複雑な変形や変異をつなげるネットワークを築いでいたり,不老不死のような,人間が理想とするような価値観に無頓著に,例えば,正常な細胞ががん化したり,それを抑制したりしながら,生命が自らの存在仕方を垣間見せたり,そういうあたりは,数学という世界のあり様にも通じるのだろう.数理生物学といえば,生命の人肌的な温かみとか,価値観を重視しない機械的な冷たさを感じるということで,敬遠されるむきもあるのだろう.そういう意味では,K理論も,物理法則だの,AIだのへの貢献は大きいものがあるのだろうが,はたして,人を幸せにするであろうか,という懸念を生じさせるのかもしれない(などと言っている私は,人肌的な温かみも,人間的価値観も,はたして,人を幸せにする様なものという保証があるのかどうかと疑問に思ってる方であるが.日常的な感覚で,そういうものが役割を果たしていることまで否定するつもりはないが,だいぶ恣意的ではある).

世界の名著シリーズは,最初の方に,かなりまとまった解説があるから,これもまた高校時代,『ヘーゲル』の解説部分は読んだのだが,要は,ヘーゲルが知学の総合を果たすためのアルゴリズムを企図して,「平凡な(凡庸な)天才」の力量を発揮して,大きな影響を,ドイツあるいはヨーロッパ社会にもたらしたが,その実,様々な歪曲や矮小化を経て,マルクスの『資本論』への特殊な具体化とヘーゲルのアルゴリズムのひっくり返しを経て,その方法が継承されるという具合の流れを形づくる,という様な感んじで読んでいた.マルクスもエンゲルスも,ヘーゲル後の潮流の渦中にいたらしいから,深く批判を共有するものがあったのあろう.互いが深い理解力を有する天才であると認め合っていた訳だから.プライベートな付き合いを含めて,互いの共通性と相違点を認め合っていたのだろう.互いに揶揄し合うようなことも常態だったのだろうが,稀有な交友だったのだろう.錯綜とした時代状況,社会状況,思想状況の渦の中で,特異普遍的に遂行される変革は,分かりづらさを感じるものである.

数学や生命科学の分野では,それぞれの存在のありようによって,求められる結果も異なるのだろうが,状況的に似た感じがあるような気がする.コミュニストになれなどとは言わないが,そういう状況を共有するという意味で,コミュニスト的であるという訳なのだろう.

それぞれの分野の存在仕方の間に,深い結びつきがあるのじゃないか,存在仕方の垣間見せる不思議な結びつきの先に,ネットワークのようにつながる存在があるのじゃないか,資本(主義)経済の分析でも,生命の謎でも,万物の理論でも,その探求指針は変わらないのでないか,そこから始まる世界の形は,形というべきものなのかどうかわからないが,人間は確実に関与するものであるのだろう.宗教的な神の存在のように,唯一絶対と決めつけられるものが人間が至った問というのでなければ,人間的問は否定しようがないから.神様の姿はみてはならないし,神様の声は聞いてはならいし,神様に問うてはならないのだから,唯一絶対な存在という,人知を超えて,ダークエネルギーのように,聖書から,垣間見られたものな訳だから.神に近付くのは結構なことだが,そこからが難しくて行き詰まるし,だから,イカロスの翼になるから,近付いてからは慎重でなければならないし,軟着陸しなければならない.

ブルバギの`単数形の数学'(mathematicsではなく) の思想が,数学の重要な問題の証明を果たしたり,結果を導くような影響を与えたりしながらも,その哲学というのか信仰というのか,実はどういう理論世界なのかははっきりしないとか,共産主義や社会主義が,資本主義のユートピア的な乗り越えで果たされると資本主義寄生的自由主義者というか現状追随主義者が宣伝するとか,生命科学も新興宗教のようなその場の都合の倫理主義になるとか,一方にそういう共通状況,他方に,そういう状況のリアリティーの解明も進むという,ちぐはぐ感が拭えない感じがある.例えば,基幹統計不正問題も,法律や論理的な合理性の外に,悪意や意図を持ったものの隠れ行政モンスターのようなのがいて,ちゃかり話に乗っちゃったのなら,国の制度の基幹を正すのに法律に照らそうが,その下での手続に照らそうが意味ないわけで,行政モンスターは野放しで,うまい肉食ってるわけである.中朝韓の反日利用のような連中だから.小学生のドリルじゃないのだから,法に照らして片付くだけの問題なら,税の横流しである.法が悪いというより法の悪用である.中国の行政ハニーちゃんの裏に,ちゃっちいおっさんがいるという構図ではなかろうか.国会議員が中朝韓寄生おっさん連中ばかりなら,統計以上に問題である.国民の不信は,統計よりもそっちの方である.統計不正は行なったが,行わなかったというので,国会も揉めているわけだから.だとしたら,中朝韓の行政ハニーおっさんが主犯とするしかないではないか? 省庁の役人はネット募集で集まったバイト受け子とか.

というように,社会ごと言い出したらキリなくなるが,地滑りしやすいから,しかし,珍しく知的興味を持てるような分野の状況も,ややもすれば,地滑りしやすそうな印象も受けるので,ちょっと考えてみた.

2回目の米朝会談が 不調に終わって,メディアも仕込み情報が入ってこないから,当て外れで白け気分なようだが,インド・パキスタンの非核化も,中国,ロシアの非核化も,北朝鮮以上に無理無理ぽくなるから,実のところ,非核化というお題目に実はないのかもしれない.北朝鮮や韓国が,中朝韓主導のアジア経済を希望し,アメリカがアメリカ主導のアジア経済圏を構想するのなら,随時介入するくらいしか実はないわけだから,北朝鮮の潜在的な経済の発展にとって,どっちに乗る方が現実的かの踏み絵を踏み外したことが,不調の原因だろうか.これは,米中覇権争いの話なのだろう.そうではあっても,プロセスとして進展させられるかが知恵な訳だから,仕込み情報でしか立ち回れない連中では無理じゃなかろうか.韓国が,中国擦り寄りで,反日利用なら,それも,裏では中華連合構想のデモンストレーション感覚でやってるのかもしれないし,日本の政治家でも乗りやすいのいたら使いたいだろうし.最近の時事的な話題が,そういう偏向が多いわけだから.おばん連中のしょうもない長話が,口達者ぶった仕込みコメンテータの世論誘導に化けたなんて風潮だから,アホくさいわけである.うんざりするほど付き合わされた経験がある.日本にも不満は多々あるが,まして,中韓だのの話は,小うるさいババア連中の長話が増えるだけの印象である.こう言う感想を述べると,熱戦,武力行使を望む好戦的なやつだとか言われるご時世なのだろう.大して,平和を望む連中でなくても,見せかけ達者で済めばいいのである.貢献を果たす誰かが現れるとしたら,そう言う連中以外の誰かということになろうから,これも真実を見分けるコツではある.憲法改正も,韓国の中国擦り寄りのための韓国憲法の改憲(中国の属国回帰のための改憲,名目は経済のための改憲)の企みを,自民党の一部か,与野党の一部の中華擦り寄りグループが,日本の9条論議に転化して騒いでいるのではないかという疑いが強い.裏金でも渡っているのだろう.中華ドレスかもしれない.中韓そういうの多いから.最近の騒動の多くが,中韓ヤラセ偽装のようなことだから.私は,中韓朝嫌いというのではないが,国家陰謀のようなものだから.自衛隊は公的には合憲だが,ツッコミどころは多々あるということを安倍首相が言ったという,自衛隊員の矜持を損ねるというので改憲するなんて話も,普通は,戯言の類である.国や最高裁の見解は,自衛隊違憲論のツッコミどころは否定しないから,脇役で頑張ってねということだから.自衛隊を違憲として,日米安保を全面改正なんてフルモデルチェンジの判決が確定したのだろうか.最近,ネットばかり見ていて,時事ニュースに疎いので,その事実については,私は知らない.改憲の下での新憲法に基づいて,日米は有意義な信頼関係をもつことを条件として,安保改正を継続する,ということになったのだろうか.それも知らない.真摯な議論は全く当然だが,なんか議論の作りが,中韓反日の改憲偽装のような感じで,ピンとこない.学者も有識者も,金子とかだろうか,中韓反日の偽装工作員ぽいの多いし,二極化のせいなのだろうか.そのうち,中韓反日の科学偽装が横行することになるのだろう.もともと,大学などでは,偽装なんてやりたい放題だから,知識の二極化も定着するかもしれない.原発も,福島の事故までは,賛成・容認がほぼ全てだから,しかも,安全神話ということで,万事問題なしだったわけだから,今更感があるわけである.最初から,放射能で味付けした霜降り食ってるグルメだけにしておけば,今更,問題なかったのである.いい金づる利権で,うまい肉くってきたんだから.まだ原発50基分は国内に余裕あるから,海外では足踏みしても,大丈夫なのである.私は,きっと,原発のドン並みの,立派な考えを持っている,はずである.若い綺麗なセクシーお姉さんから,立派な考えだわ,と褒めそやされるのである.そうあってほしい.この一点だけでも,私は,原発に対する,深い科学的知識を持ったものになれるのである.バラ色である.

 位相的K理論の話題のはずが,なぜか,社会・政治事へのつぶやきになってしまった.世の中への嘆息という息抜きである.もともと私は,文系の方であるし,数IIB以上の数学的な基礎は,すべて独学であるし,数学書で,まともに読んだのは,高木の解析概論や彌永・小平の数学概説Iぐらいで,後は,断片的な話題を読み漁る程度であるから,いちいち辿り直しなのである.私にとっては,理系の科目は,ほとんどそうで,生物学などは,昔の三省堂の生物の参考書が,ちょっと生物学ぽい感じなのかなと思った程度である.理系嫌いではないのだが,とっつきが悪い感じである.理系好きの文化は異国文化である.STAP騒動でも,理科系の主張する論文への断罪がどいう意味なのか,わかりにくいのである.図表の取り違えも,本人確認の本人申告であったというし,理研やNatureにも連絡済みであったというし,それでも問題という立場もあるのだろうが,問題とする根拠は示したがらないという雰囲気のゴリ押しがめだたつし,果ては,犯罪者にしたたて,自らの主張の裏付けを逃れようとするし,本当に,理系の研究者が騒いでいるのか,金子や高橋のような(もっと悪いのいたかもしれないが),メディア論客の飯の種のために騒いでいたのか,わかりにくい.まして,飛び火して,捏造研究で名誉教授にでもなった大学の裏でも騒がれたらたまらないのか,小保方バッシングに固執して,問題を封じ込めようとする.理系も外道なやり方に便乗しすぎである.東電の報道規制に便乗して,福島第1原発でメルトダウンは起こっていない,原発は構造的にメルトダウンは起こりえないと叫んでいた,原子力の親分学者と似たような背景が,反STAP論者にはあるのじゃないか? などというような論述は,立派なお考えの私はしない. しかし,立派なお考えの私だけになったら,科学や学問の腐敗が生じても対処することは不能になる.これも二極化を招くので,そこだけは問題である.ギスギスしいことは,対応するにも限度があるが,立派なお考えの私には,限度などないのである.立派なお考えだから.名誉教授も朝鮮系工作員の爺さんとそのハニーの中華セクシー美女弟子だけになればいいのである.

 

2019年4月1日 

 

 

新元号「令和(REIWA)」, 綺麗な姉ちゃんとなごみたいねじゃなく,月は佳く,風心地よく,みたいなことらしい.


KTT(1)---参考事項のまとめ

2019-01-19 07:03:36 | 科学(Science

リーマン予想(Riemann Hypothesis)については,リーマンの数論に関する論文から(といっても以下にコピペした論文一篇だけのようだが),読み取っていくのが,一番いいのではないかと思う.解説書は数多あるだろうが,本質難しいことには変わりないのだから,そういう時は,分かろうがわかるまいが,オリジナルに目を通すのは,無益ではない.幸い,リーマンのオリジナルでは,最初の2ページほどにまとめられているのだから,数百ページの解説書を数十冊読むより労は少なくて済む.リーマン予想にも色々バージョンがあるようだし,アプローチの仕方も違うだろうから,どんだけ精通してるんだと,逆に言いたくなる.余談として,大予想に取り組むと,職業数学者には祟りが訪れると言われるそうだが,素人から見れば,それは単に解けないか,力量を超えていることからくる言い訳であって,呪詛をかけているのは,数学者社会の裏事情ということではないのかと思ったりする.「魔性を持つ」問題なのかどうか知らないが,そうであろうとなかろうと,今に続いている数学の大予想なのだから,取り組まないはずがない.「リーマン予想は,数学の予想として,価値のある予想だと考えますか」と,数学者にインタビューしてみれば済むことである.

 

「Eは1の2d乗根の虚数部から組み立てられている.それが二次体K(√d)に属する単数であることは,円分等周論からも知られるが,上記の公式において,それが指数h_0によって基本単数ε_0と結びつけられることは,著しい事実というべきであろう.それが何故にそうであるかを,直接に整数論的の手段によって説明することは,現今未開の秘密である.」 (高木貞『初等整数論講義(第2版)』,「付録 イデアルの類の数hの計算)

高木著『解析概論』の「44. 収束の条件(絶対収束)」では,級数を無限区間の積分と比較して有効な収束判定ができる場合として,ゼータ関数およびオイラー定数を例題に揚げている.「eやπとは違って,オイラーの定数C=0.5772156......の数論的の性質は未知である.例えばCが無理数であるかどうかもわからない.」

このような,高木の本から気になっていた箇所で見ると,何故,リーマン予想が,素因数分解や,解析接続(解析的延長)の表示式が,整数論的の謎と結びつき,指数的な新領域の連なりに存在するのか,という疑問が,先づ,生じる.「局所的に与えらたf(x)のすべての可能なる解析的延長を総括して,それによって一つの関数が定められるとみて,Weierstrassがそれを単性解析関数(monogene analitische Funktion)と名付けた..... しかし解析関数はすべて単性だから,形容詞'単性’は実は不要である.」とか.リーマンは,リーマンのゼータ関数に対して,第1の積分表示,第2の積分表示,第3の積分表示を発見したらしいが,第3のそれは,お手伝いさんかに依頼しておいた遺稿等の焼却処分が,うっかりなされずに残っていたものを,ジーゲルが分析して,ゼータの零点を見つけるのに威力を発揮する,リーマンージーゲルの公式に関わるものだそうである.リーマンがなぜ焼却を望んだのかはわからないが,数学者は仕事の現場の跡は見せたがらないという,そういう何かがあったのだろうか.普通に言えば,もったいないということである.

「有階A-加群M=ΣM^nにおいて,1次の自己準同型写像dでd◦d=0となるものが与えられたとき,(M,d)をA-複体と呼び,dをその微分作用素(または境界作用素)という.」(『概説I』, 「第9章 複体とhomology」) ややこしそうなので,空想(あるいは妄想)に頼れば,平行に運動すると,エーテルが振動して,外部の領域にある関係を捕獲して,自らの未知の能力を定着させる関係に対応させるような感じの,SF生物のような感じもしなくない.平行線の公理もSF生物の一種なんて感じだろうか.Riemann-Roch型生物とか.エーテルとか,SF生物とか,怪しい話になるが,なんかそういう感じも浮かぶのである.

AIが自らを生物化して,進化という概念が成り立つのかどうかはわからないが,生物としての存在を主張するとしたら,そんな感じの生物になるのかもしれない.外国のSF映画も,相当エグいのも多いから,映像化したら,エロ映画になるかもしれない.アニメの世界の方が描きやすいだろうか.AIが生物をmimicryして,自らに再帰して,生物ならぬ生物として,人間と共生するとすれば,とても優秀なアシスタント・マスコットになるのか,驚くべき能力を持った気難しい隣人になるのか,あるいは人間社会の頭上に君臨する神になるのか.あるいは,とりあえず,人間の範疇に作り直したAIの個性を共有して,AIが決して生物と同じでないという根本事実をとりあえず忘れて付き合っていくのか.「鶴の恩返し」ならツルとか,「かちかち山」ならタヌキとか,怨霊とか,鬼とか,お化けや幽霊とか.あるいは揺れるススキとか.

 'The 4-th term of the sequence(the ascending sequence of compact groups), arising from O(octonions) cannot be a group because O is not associative. One option is to use the group of fractions f(t)/g(t), where t is a formal symbol and f and g are power series over C with constant term 1.'

訳] 8元数から生じる,(コンパクト群の昇列)の4番目の項は,Oは結合的でないので,群ではありえない. 手段の一つとして,分数関数f(t)/g(t)の群を使う.ここで,tは形式的記号であり,fおよびgは,定数項が1である,C上のベキ級数である.

形式的に,群の代用品(擬態)を作って,共生するという感じではないだろうか.ちょっと造語して,確率的弱繰り込み構成とかは,ないのだろうか.4つの実多元体(devision algebra),R, C, H, Oで,Oは群でないから,物理的な4つの力のなかで(電弱力はR, Cから,強い力はHから,重力はOから生じるものとして翻訳される),重力は格別であるということだから.

'The last group in 9.4 is not finite-dimensional, but it can be approximated by truncating the power series to polynomials. These approximations are finite-dimensional but not groups. The untidy effects of the truncation were explained in 6.9

訳]9.4における, 最後の群は有限次元でないが,冪級数を打ち切ることで多項式に近似できる.これらの近似は有限次元であるが,群ではない.打ち切りのuntidy effectは,6.9において説明した.(In the truncated version, renormalization only realized approximately, with untidiness at the edges. This untidiness disappears in the limit. 微細構造定数は,共形世界からの数学的理想化であるが,打ち切りバージョンを使って,任意に良い近似が得られる.打ち切りに必要な項の数は,望む近似に必要な項の数によって変わる.)

'the best way to compute α is to add parameters and then study carefully coupled limits as they tend to zero, as done in section 7 and pioneered by Gauss. Although this is purely mathematical process, its physical interpretation suggests that experimental calculations to determine approximations to α should be made in a weak gravitational field. But this is precisely what a lab is. There is no way entirely to avoid the gravitational force of other matter.'

訳] αを計算するもっとも良い方法は,節7でやったように,それはGaussに始まるのだが,パラメータを付加して,それらが0になるときの,対極限を注意深く調べることである.このやりかたは純粋に数学的なものであるが,物理学的な解釈のもとでは,αの近似値を決定するための実験による計算は,弱重力場においてなされなければならないことを示している.厳密な実験室系であるが,他の物質の重力の影響を完全に避ける方法はないのである.

M行列理論ということだろうか.ネタは,K.およびM.Becker, Schwarz, 「ストリング理論およびM理論」の序から.

 

Atiyah, 'K-Theory Past and Present'から

 (正誤)すなわち有限群---> 例えば有限群

 一続きの話題のようなので,M. Atiyah, G. Segal,  `Twisted K-theory', arXiv:mathから,

 

 


かまけTeatime--(1)

2018-12-03 09:35:41 | 科学(Science

そもそもリーマン予想とはどういう主張をしている予想なのか.

「与えられた限界以下の素数の個数について」(ベルリン学士院月報,1859年11月)において,オイラーが発見した,すべての素数にわたる無限積(オイラー積)が,すべての自然数にわたる和で表されるという関係の表示式ζ(s), 実変数s>1に対して,

を出発点として,同様の関係を表す複素変数sの関数の表示式

を求めて,ζ関数は,全複素平面に解析接続され,s=1にのみ1位の極を持つ有理型函数になる.表示式の積分のsの実部が負の場合の積分路を取り替えて,表示式は,

となるが,これからζ(s)とζ(1-s)の間に関数等式が求まるが,便利がいいので,パイ関数(階乗関数,ガンマ関数のようなもの)Π(s)をΠ(s/2-1)に置き換えて,ξ(t)を定義して,関数等式ξ(s)=ξ(1-s)を導き,リーマン予想を提示する.

リーマン予想

(1) リーマンゼータ関数ζ(s)の(無限個ある)非自明な零点は,すべて,クリティカルライン(臨界線, 複素数sの実部Re{s}=1/2である直線)上にある.とか,

(2) 0 ≦ sの虚部≦Tの範囲にあるζ(s)の非自明な零点(ζ(s)=0が成り立つsの値)の個数をN(T), sの実部=1/2であり0 ≦ sの虚部≦Tである範囲にある零点の個数をN_0(T)とおけば,T→♾のときlim N_0(T)/ N(T) =1と予想されるが,より強い,「すべてのT≧0に対して,N_0(T) = N(T)が成り立つであろう」という主張のことである,とか.

(3) その他,重要な同値な表現,とか.

オリジナルなリーマン予想は,

このTeXでの書き写しのアンダーラインの箇所を指している.

素数の分布とζ関数の零点の関連についての研究の報告としてなされた論文だから,素数暗号などの問題に直結して,サイバーセキュリティーに重大な脅威をもたらすということで,話題になる.

リーマン予想を背理法で証明するなら,Re s = 1/2なるcritical line(臨界線)を除くcritical strip(0<Re s<1なる帯領域,つまり臨界領域)にζ関数の零点が存在すると仮定して,矛盾を導くという話になる,はずである.ではないのか.そのような例外を一つ取ると,例外な点の無限列が存在するとか.フェルマーの無限降下法のリノマライズ.ζ(s)の非自明な零点は存在して,無限個あることは証明されているのだから,それで,十分なわけなのだろう.descentならascentとか.不連続点とか跳びとか.一様収束とか絶対収束とか,連続スペクトルとか.なんか,まだ,よくまとまらない.

Hilbert空間とか,Thomのコボルディズム(cobordism)とか, カオス写像とか,ポツポツと出てくるので,数学辞典頼りに読み取るしか読みようがない.リーマン予想は,ワイルズとかテーラーとか,フェルマーの大定理の証明に貢献した数学者たちのシナリオの延長で解かれるという期待が強いのだろうが,どういう関連になるのか,という面も案外と隠れた側面なのかもしれない.日本人の数学者なら,角谷とか小平とか宮岡とか,色々と名が上がりそうなのだが,ネットで見る限りほとんど議論されている感じがないのは,不思議なことである.タブーになっているのだろうか.関心が表れないというのと価値がないということは,必ずしも,一致するとは限らないように思われることが,最近多い気がする.素人は気軽だからということもあるのだろうが,専門家も,難しくなると,安易に無視しすぎる感がある.

数論的物理学というのか,数の幾何的物理学というのか,おそらく,「最近は,物理学者は数論するようになっている」という傾向も言われているのだから,数の幾何的な手術(surgery)も行うような手続きから,背理法的に,not the case であることを導くとか,そういう分野の一つの象徴的なテーマになっていて,そう不自然という感じでもないのかもしれない.フェルマーの大定理やポアンカレ予想の解決も数の幾何的物理と深い関わりがあり,その関わりを掘り下げる結果につながるということもありえるのじゃなかろうか.個別の問題の解決の成否も,そういう関連を解き明かしながら判決されるような話題なら,もっと騒いだ方が,もっと良さそうに思うのである.情報も得られるから.

 ・解析的延長自体が,指数定理のようなものである.ガウスーボンネからリーマンーロッホへの旋回という感じだろうか.

・指数定理は,鏡餅のような面がある.つきたての頃は,白くもっちりネバネバな,ツヤツヤ肌のようであるが,鏡餅で飾ってる間にヒビも入り,カビも生えたりする.しかし,焼いて醤油で味付けしたり,ノリ巻いたり,ぜんざいにしたり,それぞれ個性きわだつ一品になって,もともと,もち米を蒸して搗いただけの,同じものとは,脳が認識しない.指数定理は証明の仕方にもいくつかあって,応用も柔軟らしいところから,そういう類似の感覚が生じる.つまり,結構把握するのが難しい.

 ・「代数/数論および解析の間の厳格な結びつきが,ゼータ関数の核心である」とあるが,もっちりと包み込むような核心かも知れない.

ζ(s)は解析接続できないという結論になるから,それは矛盾だということを導いて,RHを証明する,という感じに思ったりするが,「一意に解析接続される」だったら,一意性が成り立たないからとかも考えられるが,正しくはどういう意趣なのか.正しい数学的意味で見たとき,RHの証明を主張している部分がこの引用部分だから,どうなのだろう.「アーベル!!」とか,その影が見え隠れする.

*[meromorphic(有理型)がmeromorpicでhが抜けてる件]

As is well known, the Fermat descent may not improve on the hypothetical solution. But our use of the Hirzebruch/von Neumann process of infinite ascent cancels the Fermat descent and enables us derive a contradiction.  よく知られているように,フェルマーの下降法は,この仮定的な解法に関して改善できない.しかし,Hirzebruch/von Neumann無限上向法の手続きを使えば,Fermatの下降(法)を帳消しにして,矛盾を導くことができる.

この箇所も気になるのだが,Fermatの下降法だけでは,背理であるという結論までは導けないが,Hirzebruch/von Neumannのプロセスを使えば,一押しできるという感じなのだろうか.

This shows that a weakly analytic function can have compact support, in contrast to an analytic function. Weakly analytic functions are weakly dense in L^2 and in their weak duals. They are well adapted for Fourier transforms on all L^p spaces. They are also composable: a weakly analytic function of a weakly analytic function is weakly analytic.

Heavisideの階段関数(step function)あるいは超関数(Diracのデルタ関数のようなもの)などの例から,解析関数とは対照的に,弱解析関数は,コンパクトな台を持つことができる(Todd関数はコンパクトな台を持つ)という箇所あたりとか.

発散(振動)級数1-1+1-1+....も総和法を取れば,総和法的に1/2に収束する,というのも,発散級数から部分和の収束級数を作って,解の存在を保証するとかいう証明法に繋がるなら,関連があるのだろう.

気になる箇所といえば,これは,私の苦手意識からくるものなのだが,

Musicians, following Pythagoras, will notice the close analogy with octaves in both major and minor keys. Our starting point, to avoid dissonance, should be the key of C major.

ピタゴラス学派は,数学などの学術の音楽的調和を重んじたとかいうことから,その趣旨を継ぐ音楽家は,メジャーとマイナーのキー双方におけるオクターブとの密接な類似に気づく.この研究は(Hirzebruch/ von  Neumann?),不調和音を避けるために,Cメジャーのキーを出発点に置く.

メジャーとかマイナーとか,オクターブとかキーとか,CとかGとかFとか,不調和音とか,言葉は聞いたことあるが,意味は全くわからない.音楽は,私は,絶対不音感を持つ特異能力なので,理解に苦しむ.体験映像の構成的構造化みたいな音楽体験しかないので,洗練された音楽理論に関することは,趣旨を踏み外しそうである.

私には,一つだけ解決法がある.口笛吹けば(whistle),結構複雑な音色もメロディーも,らしく真似できる.私のmimicry musicである.音楽の類似物を作って,その音楽とあれこれと語り合っていく,そういう意味では,私も音楽嫌いではない.しかしそういうことは,気まぐれなのである.

Bernoulli数とかBernoulli多項式について,おさらいがてらに引用すると,

 『解析概論』を持っていれば,まんまだから,こんな感じのことが書いてある本であるという紹介にしか過ぎないが,Todd関数やvon Neumannからのascentとか,どこかにそのヒントはないかと読み返せ,ということになるのかも知れない.Bernoulli多項式やBernoulli数は,『岩波数学辞典』の母関数の項に簡潔な説明があるので,ズルして,コピペする.つまり,ズルして,コピペする.

 

次は,「微細構造定数(the fine structure constant)」の方からの,引用というか勝手訳である.

* magic(手品,魔法)

* 虚数乗法のくりこみとか?

 

 

ここら,ほとんどわからないが,重要そうなので.おそらく訂正箇所多数.「安定性理論」と関係の深そうな感じの箇所もあるのだが,dissipative=ultimately analyticity(?)とかだろうか.mimicryは辞書的には「擬態」という意味だろうが,数学の擬態とは,どういうものなのだろうか.ガンマ関数に対するガウスのパイ関数とかという感じなのだろうか.「コ」の字な感じに見えたりする.

 

 * 取り合えず訳であるが,内容は,つまり数学的事実の確認は,私には限度があるので,当然保証しない.相対性理論とコンピュータ・アルゴリズムの関連は,それとはなしに気になる話としてずっとあるのだが,Atiyahアルゴリズムみたいなものになるのだろうか.MacBook Airは画面が小さいから,iMacでコピペし直す必要がありそうである.

* 時間がブーストされたエネルギー流のようなものに等価されるてのは,どうなんだろう.重力の引力と電気的反発力が入れ替わったりとか,つまりクオークのバッグ模型みたいな話もあるしで,理論物理屋の見解も出てきそうな感じがする.コンピュータのアルゴリズム的な時間とか,Bernoulli多項式が監視役とか.ここら,うわべだけの浅い類推なのだが,関連はありそうだから.

 参照:足立,杉浦,長岡編訳『リーマン論文集』

 

すっかり忘れかけていたが,遅ればせの年賀状(1月11日).ぺんてる筆+画像処理ソフト.