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Maxwell ,``Treatise" を積んどくから解放するための準備

2013-03-29 16:10:28 | 数学・物理
非常に有名ではあるが読まれることの稀な古典の代表をせめて序文だけでも読んでみようというわけである.(実際は,DOVERのTreatise vol.1 を買ってはいたが,非常に長い間積んどくだったからである).

treatiseはツゥリーティスの発音記号だが,外人の発音はツゥリーディスのように聞こえる.rの形の喉の気息からtを出すときtがdになってでてくるということなのだろう(t→d).発音さっぱりなので気になるのである.


MaxwellのTreatiseの初版序文
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ある物体をこすった後,ほかの物体を引き寄せる現象が現れるという事実は,古代から知られていた.現在では,その他にも非常に多様な現象が観測され,この引力現象に関連するとみられるようになっている.これらの現象は,最初に記述された物体である琥珀(amber, ηλεκτρον)にちなんで,電気的現象(Electric phenomena)の名で分類されている.

別な物体,特に磁鉄鉱やある特定の加工工程のもとにある鉄片や鋼鉄片が,離れたところから作用を及ぼす現象を示すことは長く知られていた.関連するその他の現象も含めて,この現象は電気的な現象とは別なものと見なされ,Thessalian Magnesiaで見つかった磁鉄鉱(loadstone, μαγνηs)にちなんで,磁気的現象(Magnetic phenomena)の名で分類されている.

知られる限り,この二つの現象には互いに関連があり,各分類に属する様々な現象の間にも関連があることがわかってきたので,電磁気学(the science of Electromagnetism)としてまとまったのである.

この論文Iで,これらの現象について最も重要なこと,これらの現象はどのような測定に従うのか,そして,測定量を数学的にどう表現するのかについて述べたいと思う.電磁気の数学理論のためのデータを獲得し,この理論が現象を予測できるものであるにはどうするかを示したならば,電磁気現象を描像し説明すると期待されるような動力学現象をある程度決定できるように,この理論の数学形式と動力学の基礎的な数学形式の間の関係をあきらかにすることに努力を傾けるつもりである.

現象を説明するにあたって,この理論の基礎的な考え方の最も簡明な描像を選び,他のものは,省略したり,発展的な議論にたどり着くまで保留することにした.

数学的観点からは,現象が測定可能量であるかどうかが重要である.そのため,われわれは,電気的現象を主にその測定という観点で考え,測定の方法を説明し,それが依存している基準(standard)を決定する.

電気量の計算に数学を応用する場合には,まず,提示されたデータから最も一般的な結果を引き出すことに努め,次に,その結果を,選べるものの中で最も簡単なケースにあてはめてみることである.しかしながら,それは,数学者の技巧の糧にはなっても,科学的な知見を増やしはしないのではないかといった疑問には,できるだけ無頓着でなければならないだろう.

この科学の諸分野の内的な関連は,これまで展開されてきたどの他の科学の諸分野の間のそれより雑多にして複雑であり,外的には,一方で(動)力学と関連し,他方で,熱や光,化学作用,および物体と関連するということは,自然の解明としての電気学の特別な重要性を示唆しているように思われる.

そうであれば,いまや電磁気学の研究は,それがすっかり展開されたときには,科学の発展を推し進めるとりわけ重要な分野となっていると思うのである.

現象を分類するための数学的な法則は,十分に立派な程度まで成功している.

異なった分類に属する現象の間の関係についても研究が進み,それらの相互関係の知識がさらに広がり,極めて厳密な実験法則の可能性が大きく強化されてきた.

最後に,電磁気現象は純粋な動力学の作用に依存するという推測に矛盾することはないことを示すことによって,電磁気学を動力学に還元するいくつかの発展がなされた.

しかし,このことは,これまでの電気学の探求が実り少ないものだったということでは決してない.探求の目的を明らかにすることによって,この発展を切り開き,われわれに探索の手段を与えるものだったのである.

磁気研究の,航海上の有益さや,羅針盤の正しい方向を知る上での大切さや,船上の鉄の影響を知る上での重要さをことさら言い立てる必要はない.しかし,磁気を観測することで,航海を無事に果たすために働いている人々は,同時に,純粋科学を大きく進展させたのである.

ガウスは,German Magnetic Unionの会員として,磁気の理論やその観測方法の開拓にその強力な知性を注ぎ,引力に関するわれわれの知識に大いに貢献したばかりでなく,磁気科学を使える道具と見なせるほどに再構築した.観測法とその結果の解析によって,彼の地磁気(Terrestrial Magnetism)に関する業績は, 自然界に存在する力の測定に従事するすべての人々の物理研究のモデルになるものだろう.

電磁気学の重要な応用である電信は,正確な電気測定に商業的な価値がつくことで,また,電気技師が通常の実験室を大きく上回る大規模な装置を使うことができることで,純粋科学に利益を返してくる.電気の知識への需要やそれを得るための実際上の機会は,熟練の電気技師にやる気を起こさせるのにも,すべての技術の専門化の一般的な科学的プロセスに貢献する程度の正確な知識を実習生に広めることにおいても,既にとても大きなものになっている.

なじみやすく電気的および磁気的現象を説明する数編の論文があるが,測定量とにらめっこしている人々の欲するようなものではない.それに彼らは講義室での実験で満足するような連中ではない.

電気科学のとても重要な数学的業績もかなりの数あるが,かさばった学会紀要の中に埋もれたまま秘匿されて,容易に探し出せるものでもないし,閲覧に制限もあるし,専門の数学者を除けば,理解の難しいものがほとんどである.

そこで,私は,基本となるような対象に対して,すべての項目を系統だったやり方でとりあげて,おのおのの項目を実際測定して確かめる方法を示すのが有益であろうと考えた.

論文の全体的な体裁は,ほとんどはドイツ人によるものである優れた電気学に関する論文や出版物のそれとはかなり違ったものとなった.また,幾人かの優れた電気学者や数学者の研究が公正にとりあげられていないと思われるかもしれない.その理由の一つは,電気学の研究を始める前に,私は,FaradayのExperimental Researches in Electricityを一通り読むまでは,数学を考えずにおこうと考えたからである.Faradayの現象の理解方法と数学者のそれとの間には相違があって,双方が互いの体系を満足なものとみていないだろうとされていることを知っていたからである.また,この相違は,どちらかの側が間違っているから生じているのではないと考えるからである.私はこの考えをSir William Thomson(ケルビン)の忠告や助力,彼の書籍によって気付かされたのであった.私の電気学は,ほとんど彼から学んだのである.

Faradayの研究を調べるにつれて,彼の現象理解の方法も,数学的な記号の便利な形式で書かれているわけではないが,数学的なものであることに気付いた.そして,これらの方法を通常の数学的な形式で表わせることがわかったので,それを専門の数学者のそれと比較した.

例えば,Faradayは,数学者が距離を隔てて引き合う力の中心とみるところを,空間のすべてを横切る力線が集まるところと捉えるのである.Faradayは数学者が距離以外の何者もみないところに媒体をみるのである.数学者が電気流体に残る遠隔作用の痕跡をみることで満足しているのに対して,Faradayは,媒体中で実際作用しつづける現象の源を探したのである.

Faradayの考えを数学形式に書き改めたとき,一般に,二つの方法は結果的に一致するものであり,同じ現象についてその根拠を示して,同じ作用法則を導きだすことができることがわかったのであるが,Faradayの方法は,全体からはじめて,分析によって部分に至るものであり,他方,数学者の方法は,部分からはじめて,総合によって全体を組み立てる行き方であるようである.

数学者の発見した実り多い研究法の幾つかは,そのオリジナルな形でより,Faradayの考えを使えばずっとよく表現できることもわかった.

例えば,ポテンシャル論全体をある偏微分方程式を満たす量と考えれば,私が呼ぶところのFaradayの方法に本質的に属している.他の方法では,ポテンシャルというものを考える限り,帯電粒子の総数をある与えられた点からの距離によっておのおの区別した結果とみなければならない.そのため,LaplaceやPoisson, GreenやGaussの多くの数学的な発見をこの論文の適切な場所に配置して,Faradayの考えに沿った主だった概念を使って的確に表現する.

主にはドイツで,遠隔作用の理論を掘り下げることによって,電気学は大きな進展を遂げた.W.Weberの価値ある電気測定はその理論にそった説明がWeber自身によって与えられた.Gaussに起源をもち,Weber, Riemann, J.およびC.Neumann, Lorentz等に受け継がれた 電磁気学の見解は,遠隔作用の理論に基づいている.しかしそれは,粒子の相対速度に直接依存しているか,あるいは,一つの粒子から別な粒子へ,ポテンシャルであろうと力であろうと何かが,間断なく伝播していることに依存しているのである.これらの傑出した人々が電気現象へ数学を適用して大きな成功を得たことは,当然ながら,格別に受け止められ,電気学の学生達は,数学的電気学の権威として彼らの理論を学び,その数学的な方法に伴う物理的な前提を吸収していったのである.

この物理的前提は,私の採用したものの見方と全く相容れないものであるが,電気学を学ぼうというそのような学生の何人かは,この論文を読んで,問題を扱うもう一つのやり方であり,現象を説明するのに遜色のないものであり,腑に落ちない部分もあるかも知れないが,はっきりわかっていることでも,いまだ断定しかねることでも,われわれの実際的知識により忠実に対応しているものだと思えるものにしたい.

自然哲学的な観点からは,二つの方法を比較しながら,その双方において,電磁気現象の原理を探求しつづけ,電磁現象として光の伝播を説明し,実際に伝播の速度を計算して,同時刻に実際に生じるという基本概念と,量的な関係という二次的な概念とは,根本的に異なるのだという認識は非常に重要である.

それゆえ,二つの方法を,判決を下して決着するのではなく,双方の顔の立つ記述を試みるのでもなく,一つの方法として実証する.私がドイツ流とよぶ方法は,その技術的な価値を巧妙に保つ工夫をして,疑いなく残されるのである.

電気現象や実験および装置に関する網羅的な説明をするつもりはない.それらに関して網羅的に知りたければ,A. de la Rive博士のTraite d'Electriciteやドイツ人の書いた論文のいくつか,WiedemannのGalvanismus, RiessのReibungselektricitat, Beerの die Elektrostatikのなかの Einleitungなどは役立つだろう.

私の場合は,全般に,対象の数学的な取り扱いに制限したのだが,これを読んで,観察する現象が何であるのかについて,できれば経験的な理解を得た後には,FaradayのExperimental Researches in Electricityを注意深く読んでほしいのである.そこでは,電気現象に関する非常に重要な発見や研究のいくつかが,現代の視点のもとで厳密な時系列をなして説明されていることがわかるだろう.最初から分っているような結果ならその順序や順番を改め直す必要のないものを検討し直し,科学的な操作や結果を正確に記述する方法に努力を傾注する人らしい言葉で表現されているのが分るだろう.

何かしらの分野の学生がこのような問題に関するオリジナルの論文をよむのは利益のあることである.というのは,科学というものは,いつでも,その発生状態のときに, 最もよく自分のものにできるものだからである.FaradayのResearchesに関していえば,それは比較的に容易である.それらは分冊の形で出版されていて,順を追って読むことができるからである.ここで,私が,学生達がFaradayの思考や表現様式を理解するための何かしらの手助けをできたとしたら,それは,私がFaradayのResearchesを読んだときの喜びと同じ喜びを知ってもらいたいという,大切な目的の一つを果たせたことになる.

この著作は,四部からなるが,各部の最初の方の諸章は,現象の記述と各科目についての理論の基礎部分が当てられる.それらの章で,その分野全体の基礎的な知識を得ることができるだろう.

各部の残りの章は,数値解析の処理法,実験研究の装置や方法,理論のより高度な部分に当てられる.

電磁気現象と輻射の現象の間の関係,分子電流論,距離を隔てて作用する作用の本質に関する研究の結果については,第二巻の最後の四章で述べる.


James Clerk Maxwell

Feb. 1, 1873


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特殊相対論的量子力学になったのだから,現代的には古典なのだろうが,多分,ディラックの量子電気力学でも,Maxwellの電磁気論でも,現代理論の発展につながるものが残されているのだろう.
当然ながら,量子的な存在がニュアンスとして感じられるが,磁荷密度,磁流密度をともに0とすることから,電気的な量と磁気的な量の間に対称性の破れが生じ,場の量子論につながる(岩波数学事典の「電磁気学」の項目)というのは,場の量子論の限界を超えるものが,まだ,Maxwellのオリジナルの中にはあるかもしれないということだろうか(磁気単極子とかすぐ思いつくが).Maxwellの研究から,本質的な部分は,現代の理論もそう進展しているわけではないという話もあるから.


おそらく,mod 1の数学で(絶対数学というものらしいが),電磁気学やあるいは物理学全体を書き換えるような作業も行われているのだろう.超関数論などはもともと関係が深いのだから,そう意外でもない.第3量子化というものではないかとかと言っている箇所を読んだ記憶があるが,そういうことだろうか? ヒッグズ-ヒッグズ革命なんてのもそういうことだろうか.古典理論の限界とは,対称性の破れを感知して,対称性を回復する新たなメカニズムを取り出せないということだろうか.古典理論の無頓着さを作用素(演算子)として揺り動かす体系をディラックが考えたとか.ガウス的なエポケーとその真の展開という感じはどうなんだろう.素数にはそんな何かが秘められており,その秘境に分け入ることは,何とも表現しがたい快感が数学者にはあるのだろう.


光源の(相対)運動に対して光速度が変わらないという原則(光速度不変の原理)にエーテルという媒質が解消されて,光源の物質構造が時空の曲がりに幾何学化されて,アインシュタインの相対性理論ができたのなら,現代の物理は,光速度の不変性を破るような機構まで拡張された原理を見出す段階にあるということな訳だから,むしろ,Maxwellのようなオリジナルの混乱した記述箇所の中に,その芽があるという可能性も考えられそうな気がする.オリジナルを読む価値の一つはそういうことなのだろう.光や電磁気現象は,いろいろな観点が集まった,理論的観点の百貨店のような感じもあるらしいから.例えば,場と粒子という関係も,エーテルの解消という機構の帰結であるともいえそうだから.言い換えれば,自然の(物質界全体にわたる)離散的性質や変転性の「言い回し」というところだろうか(参考: 『古典物理学I』,岩波物理学の基礎講座).


「Kelvinは物質原子をエーテルの渦動だと考えた.原子はひろがっているエーテルの中にある異質的なものではなくて,その渦動によって区別されているエーテルの部分,その状態だというのである.それゆえに渦動として剛性をもち,自由に運動し弾性をもち衝突しあい,一定の振動を行うわけである.これは一つの点を除けば原子のあらゆる性質をもっていた.その一つとは重力である.しかしこれは非常に小さいので,直ちには扱えないといっても不思議ではないと当時考えられていた」.(武谷三男著『量子力学の形成と論理』)

ローレンツがMaxwell理論をMaxwell以前の理論に帰着させ,そういう後戻りを通じて,エーテルという媒質の存在を否定し,あるいは,場と粒子のあいだの相互作用という像を描くことになったというような(正確な読み取りではないが感じそんな趣旨に思えるということで)筋で考えるのも当然とおもうが,さらに,そこに,なにかを感じ取れるということもあると思う.時間の相対論的量子化などということも,すでにこの頃その芽が生じていたのだろうか?


「電磁気学」,『岩波数学事典』からの写し: 「MaxwellEq.pdf」をダウンロード 電磁気論というと感じこんなかなというわけで,丸写ししてみた.

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1 コメント

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GB091K9C (紳士的な紳士)
2013-04-08 19:21:36
おい見てみろよwww
フェイスブックでエロ写晒してるバカ女どもwww
DtiJ2Dvi。feisbook。mobi/DtiJ2Dvi/

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