ある種の素数の類の列が,テータ関数の係数の定義を構成する要素となっているということであれば,『近世数学史談』にちなんで,テータ関数を見直す必要があるだろうとおもう.『近世数学史談』での理論の作りはわかり易いが,意外と『近世数学史談』のようにテータの起源を説明してある本は少ないのかも知れない.といっても,そのつながりが直接説明されてあるわけではないので,徴候的に読み込んでいくようなやり方が必要かも知れない.
『近世数学史談』の「9. 書かれなかった楕円関数論」を読めば,すっきり書かれてあるが,正数a,bとして,算術平均(a+b)/2=a1, 幾何平均√(ab)=b1, (a1+b1)/2=a2, √(a1b1)=b2, .......とそれらの列, a, a1, a2, ....とb,b1, b2,.....を求めるとこれらの列は共通の極限値に近づく(収束する).それをagMといい,それを記号M(a,b)で記す.任意のa,bに対するM(a,b)を求めることは, x=e^{πiτ}とおけば,
a/b=(q(x)/p(x))^2=(theta(0|τ)/theta3(0|τ))^2=k'(τ)(modular function )
p(x)=1+2x+2x^4+2x^9+.....
q(x)=1-2x+2x^4-2x^9+.......などについては本文参照.
であるxを求めることに帰着する.
ふと思ったのだが,オイラーの定数が膠着子的に,接続の或る整合化領域をなしているのではないかとか.それに類するとすると演算子時間というものだろうか.Liouvilleの定理などがそれを示唆してるのだろうか.
荷電性が,連続性の現れなら(スピノル変換あるいは連続変換群),オイラーの定数はある荷電実体の存在を示すということだろうか.ここらは,B物質とかイプシロンチャージの話から連想してつなげただけであるが,大事そうな事柄そうなので,半解のまま.
「Kolmogorovの,`有限列の複雑さ'というものに傾けられたこの情熱を,筆者はいまだ理解できない.しかし......」,高橋陽一郎「`コルモゴロフの数学'の断片」,数学セミナー 2003-11.重力の無限級数展開が,もし止まったとしたら,そのような止まったものをすべて集められたら,重力の作用が顕著に見てとれることになるとかということはないのだろうか.ラプラシアンのスペクトルをそうイメージすることはできないのだろうか.共鳴粒子の方が一般的かも知れないというのもそういう想定があるからなのだろうか.内山龍雄著『相対性理論入門』岩波新書に重力の無限列に関する箇所があって,何故かひっかかっていたのだが,関連はないのだろうか.
純虚切断というか,ユニタリー・トリックの手続というか,それと,1次元ストリング(拘束力でつながれた質量の列)のようなものの分離と関連づければ,幾何的な像がえられるのではとか.そのダイナミズムを結びつけるのが,カシミール不変量のようなものということだろうか.場の理論の限界という問題と関連することのようで,場の理論は局所理論の限界理論という感じである.
「相対論的内部構造をもった場の伝播は,その4次元運動量が``時間的''か``空間的''かによって質的に異なり,前者においては一連の共鳴現象が,後者においてはRegge極現象がひきおこされる可能性がある」
双対性によって共鳴現象とRegge極現象が単一の散乱振幅で統一的に再現されるということから,その振幅を再現する一つの模型として1次元ストリング模型(南部,Susskind)が提唱されたとある.局所場の限界から双対接続的にパターン関数に差分化したものが素領域論という感じなのだが,テータ関数とモジュラー関数が素領域論と,ラプラシアンを通じてつながっているような感じである. 大雑把な素人の印象であるから,保証はないが.|x|>1のとき1/x^n→0(n→∞)から,素領域が出てくると言えば,数IIIのようでもあるが.(参考:『素粒子論』).
分光するようなシステムをつくれば,非線形効果で衝突断面積を膨張させ,非局所効果で衝突エネルギーを高めるという方式になると思うが,高エネルギー実験装置はそういう性質を制御しているということなのだろう.断面積が縮小するということは,小さな領域にエネルギーが集中するということではないのだろうか.単に衝突が起こりにくいということだろうか?一種の(座標)系変換と見ればboostという話と類似するということだろうか.
高次元空間というのは,もしかしたら,ある種の素数類の因数分解則で構成された空間のことで(直交化とか),それが,確率微分法則を通じて,原子核現象までつながっているということかもしれないとおもったりするが,そういう権化はいわゆるゼータ関数やL関数なわけだし,楕円関数あるいは楕円曲線論として構成できるということだから,それを確率流(フロー)ということであれば,そういう構成の生成の論理を確率流という風に呼んでいるような感じがあるのかなとおもう.
確率流とは極小モデルのことであるというようになればいいのだろうか? (楕円)テータ関数は第3種楕円関数であるということで,岩波数学辞典[第2版]でアーベル多様体の項目を読むと,代数的対応と双有理化ということで,そこらのつながりが複雑にしかしいまにも解けそうに説明されてあるような箇所があって,それをたどるのも勉強法かなと思う.
テータ関数の定義(theta0, ..., theta3の4つ)は,ちょっと書くのが面倒なので辞典や本で見てもらって,手持ちの本では,積(Π)で定義を表す(無限積表示)のは寺沢寛一著『数学概論』,和(Σ)で表わしてある(無限級数展開)のは数学事典,双方は『ガウスの楕円関数論』や岩波『数学公式III』. 定義はどれにも双方載っているが,同じなのだろうけど解説の感じがちょっと違う感じがあるような気もする.周期関数の周期ω1,ω3に対して,ω3/ω1=τ(タウ) (Im(τ)>0),で定まるパラメータτだけを含む関数であり,τのかわりに,q=e^{iπ(パイ)τ(タウ)}を使う方が便利であるということだが,thetaはギリシャ語に直して,theta(z,q)あるいはtheta(q)と書く.またτをパラメータとして使うときはtheta(z|τ)というように書く習わしだそうである.テータ関数はややこしく感じるが,交換関係あるいは反交換関係を通じて,各種の関数族を結びつける役割をみるとか,楕円関数はいくつかのテータ関数の商で表されるとか,
ところで,ゼータ関数の印象について,わたしは一度会ったことがあるように思うのだが,ゼータ関数というのは,人の認識のきっかけを語りかけ,ところどころで論理的道筋の結び目を印し,所々にトラップを仕掛けたかと思うと,おもわぬところで奇妙な旋回の問題を舞台作り,それを,印した結び目付近にさしかかると混合させ,その道筋を意味の生成相関の領域のような感じで残す.そういう一連の状態を作り出しているようなものという感じだったが,もちろん,シャレである.ζ(s)のことであるとかいわれそうだが.
「複合理論においては強い相互作用は,一方でハドロンを複合すると同時に,他方でこうして複合されたハドロンの間の強い相互作用をひきおこすと見るのが自然である.前者に関与する部分を構成力,後者に関与する部分を相互作用力という.ここで重要なことは,両者ははたして単一の基本相互作用から導かれるのか,それとも別種の起源をもつかという点である.....構成力は近似的にSU(6)対称性を保証するのに対して,相互作用力はそれを破る部分を含む必要がある点である.」(『素粒子論』現代物理学の基礎10)
確率を保存する流れの量を,ディラックのように場の量と見て,場の作用によるmixingを考えることもできるということではないだろうかと思うが.
素数の出現頻度が高いあるいは素数の密度が高い数の集合がその背後にある様な,数学的対象の展開的な結びつきが多いのは,例えばエルゴード性や確率流といった概念が,数学や物理の底流で関与しているととれることとどうつながるのか,究極ゼータ関数論なのかも知れないが,もどかしく感じる問題である.
「そのかげの揺らぎに恋て ひとときの 時にみつれば 幸せと思う」