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安倍政権衆院解散のメモ書き

2014-11-21 21:35:47 | 社会・経済

11月21日 衆院解散(7条解散).

12月2日 公示

12月14日 投票日

 

[争点]

アベノミクス解散とネーミング.

デフレ脱却の基礎固めのための消費税率アップ先送り

野党再編と候補者絞り.

右傾化政治・政策と格差拡大

アメリカおよび国際情勢

 

[論説]

最近,メデイアもマンネリ化して,たいした論説もない,あるいは,ぶら下がり,やらせリークにのみ依存して,楽してメデイアサラリーマン気取ろう的なのか,どっかのヤーチョンぽい言論タレント業者のお手盛りにのっかのかばかりだから,バカでも知っていそうな話の垂れ流しばかり目立って,面白みがない.政治ごとは,いつでも,選挙ゴロとかの手先のさくら連中の救済事業になる.そういう連中は,いつもおきまりの顔ぶれだが,どっかが取り仕切っているのだろうか.たした争点があると思えない.結局,そんな感じじゃないのかな,表面ごとのおさらいということで.あとは,なったようになるのでよろしく,という話の繰り返しである.そういう,ちゃらけ気分は,学生運動時代の反動なのか,根強そうだが,それも、ある種の、「ミツプレイ」なのだろうか.そういうので、どうやって儲かるんだろうということの方が,政治の争点より身ぢかな観点ではなかろうか.

ということは,質的には,私が論説者になっても大差ない,それどころか,より本格的な論説が述べられるということでもあるから,実に,ハードルの低い,いいご時世である.スマホなどで,論説をツイートし合いながら,選挙を楽しむのも一法かと思う.

 

 選挙のときなどでは,「政治か経済か」,とよく言われるのだが,経済が政治化して,政治がメタ経済化して,しかも,それがまたねじれて,というように,政治と経済の関係は,一言でいうほどすっきりしていない.

例えば,原発の再稼動問題でも,政治的には,当時,第一野党の自民党は,華道家元とか小笠原流とかの,一年生議員の育成用に,原発事故対応に当たらせるような態度だったし,民主党も,菅から野田や仙谷へという,財界の意向へのすりより芝居ばかりだったし,最近はまた,吉田所長が退却命令出したかどうかで,朝日新聞がおもいこみ記事書いたとか,書かないとか,事故の究明なんてのも,もともと,既定推進路線へもって行くためのものだし,それは日本だけでなく,アメリカでもロシアでも,核兵器に神様見ていそうな核大国は,そういうやり口できたわけだが,そういう経緯を前提に,与野党でアベノミクス選挙の論争やっても,虚構の政治芝居でしかないことは,明らかではなかろうか.そういうことからも,有権者のバランス感覚というのだろうか,福祉と豊かさなどが関心事というのも当然だろう.

STAP騒動に見られる報道姿勢は,例えば,吉村だの難波だのという,広域ヤーチョン組織の東京や広島の地這いの連中が,そういうのに依存したメディアなど使って,騒ぎ立てているから,科学的には変な話がまかり通るという構図なのだろうか.選挙ではよくありそうな話だが,医学界もそんなんだろうか.芸能関係と医学関係とか,あるいは法曹関係やメデイア関係とか,ヤクザ頼み政治家が,つけ入りたいところだろうから.研究倫理も,ヤーチョンのしのぎのために,東大に作らせたなんて経緯はないだろうか.佐々木とかいう学長は,ヤーチョン介入のための布石ということないのだろうか.まったく信頼おけない学問倫理をうるさく騒ぎ立てるのも,製薬会社から賄賂もらっているからではないのだろうか.そういう体質が,科学や,学者世界に根強くあるのではないだろうか. そうなら,それは,制度や仕組に,意図的な,介入を図って,無理に調整してきた,政治的,社会的慣習のようなものだから,デザイン能力のある人材を養成するとか,コミュニケーションを円滑にできるような人材を育成するとか,いろいろ不備を補う余地は多大にのこっているのではなかろうか.政論ゴロ的なのではなく.なんか、いびつくさいババア爺的なのが、呆けたことを吹聴しすぎな感じを受ける.戦時中に勲章もらえないようなのが、文化勲章もらうてのも、昔なら、恥さらしということではないのだろうか.サザンを除けば、やらせ表彰的な.マンピーのGスポットはいい歌でしたねと天皇からお言葉かけられたら、とか、絶対、巷では言っていると思うが,さて,どうなのだろう.

 東大の倫理研とか廃止にしてもいいような感じがする.倫理上位で,大手製薬会社の利益擁護の演出図るような研究倫理がまかり通ったら,研究不正やりたい放題ではなかろうか.一種のパワハラ的な問題だから,難しい面もあるだろうが,倫理研はお粗末すぎる気がする.

研究競争といっても,競争にさらされているのは,個々の研究チームなはずだが,研究競争をダシにするのは,東大倫理研とか外部評論家もどきだけとか,変な話ではなかろうか。倫理研とかは,研究者社会に信頼されていない証拠ではなかろうか。そういうところを,東大がわざわざ作る目的は何なのか.検討,検証してもいいのではなかろうか.

 

 

 

 


マネー暴走と軍産複合体

2013-09-15 19:28:07 | 社会・経済
マネーのみが,自給自足の体制を実現し,生きることができる.そういう現実のもとで,国家や国家間の経済政策は,実質を備えない,恣意的な運動体となる.これも,資本主義のあり方である.ケインズ政策は,「一口にいってしまえば,今日の社会で完全雇用を達成するためには,国が積極的に金利を引き下げ,財政支出の膨張をはかる必要があるというのであり,その前提として,金本位制の放棄,通貨の人為的膨張=インフレ政策が考えられていたのである」.そうすると,マネー自体の自給自足体制と,エンタープライズの自足体制の間の相関による,国家の経済政策の破壊が,政策的合理性の唯一の現実ということになるのだろうか.話として,経過を飛ばしてしまった感があるのだが,そういうことも,考えられる.

・経済という,あるいは経済政策というファクターが,世界大戦という,複雑で,混沌としたものでありながら,敗北的破壊行為という単純性に結果していくのはなぜなのか.

・そういう結果へ至らないために,マネーと相関的独占体の構造体として変質させるという,資本主義自身の戦略を左右するものは,存在するのか.

金本位制は,自国の景気を持ち直すために妨害となる制度であり,平価の切り下げによる対外ダンピングのために,管理通貨制への移行が必要であったということなら,すでに,マネー経済化し,相関的独占体(これは造語.軍産複合体と読み替えられるだろうか)に組み込まれた,現代の必要事は何なのか.

例えば,経過措置として,経済のブロック化を考えてみるとか,通貨ブロックを考えてみるとか,ということなのだろうか.古いブロック経済は,世界経済の崩壊,ブロックの無統制な解体という結果で終わったのだろうから.修正ブロック主義のような形で.古いやつは,ひいては,植民地の独立になっていったのかもしれないが,民主化ドミノは,あるいは結果ではなく,兆しなのかもしれないが,マネーと相関的独占体の構造体の結果なのだろうか.だとすれば,そういう因果も崩壊している事にならないだろうか.因果的記述の崩壊といえばいいのだろうか.現象の因果性の崩壊との距離の近さという感じだろうか.「<近さ>である」であろうか.「資本主義の生命力」なのだろうか.

ハードディスクが壊れて使えないといった,iMacは,音声がでないのだが,それをのぞけば,OSのインストールからやり直して,自力で元に戻った.やり方が悪かったようである.とはいえ,正しくは,故障状態なのだろうが.しかし,資本主義並みの生命力のiMacだと,褒めてやっている.心肺停止のような状態だったのだから.このiMacなら,もしかしたら,巨額の資金を扱うコンピュータ取引の裏をかいて,大もうけできるかもしれない.とまでは,当然,いえないが.株価を大混乱に陥れた原因が,コンピュータの暴走(というより,正確で正常な処理)によるものであるといわれるではないか.経済は,再生産過程を通じて数量化する,あるいはマネーとして表現を得ると考えれば,再生産過程では,数量として暴走しないような,何らかの,処理の切り替えが行われているはずではなかろうか.マネー経済は,その切り替えを,マネーの暴走という形で解放し,軍産複合体という相関的独占体を生み出すと考えれば,一つの見方ができるのではなかろうか.「非相関的相関」ということになるのだろうか.

歴史を客観的に見定め,また,経済でも政治でも,社会状況でも,的確に認識して,国を導くような,政治家も,経済人も,軍人も,ほとんどいないことの方が通例である.軍閥の争いでも,経済の政策でも対応でも,人民の状況でも,担い任せられる人物はいない,不思議に,日本では特に,そういう無能力者をリーダーに据えたいという,癖が強いようである.現在でも,森や野田などその伝統をつでいる.あるいは,団体や組合もそうであろう.エコノミストなる連中も,評論家を名乗る連中も,そういう古い体質の,生き残り連中だから,ほとんど通過儀礼的な文言を組み立てて,通過儀礼的な論争のまねごとで演じていれば済むのである.

憲法改正が,国民の議論になるというのは,ナンセンスである.そういう儀礼的な議論しか成立しないからである.政府は,憲法を,政治的に柔軟な枢密院化すること,それを維持強化することが,仕事だからである.憲法改正は,日本の議会制民主主義の実態の,本性なのであるが,その本性を丸出しにするには,そうせざる得ない,彼らの利害に関わる現実があるからである.国民のための政策など,どうでもいいことであり,客観的な是非などどうでもいいことである.それが,大勢だったし,せいぜい,そうでない期待をかけても,末広なんとかという議員の失踪程度の気慰みであることが,普通である.というように,難儀で,うんざりするような,能無しの足らん痴れチョンポイのの裏週刊誌記事まで読まされるはめになるのが,日本の歴史や政治,経済のようだが,最近は,グローバル化したおかげで,リーマンショックだの,シリアだの,気はまぎれるので,だいぶ助かるのである.


交換価値の使用価値としての消滅から,使用価値の交換価値化が,大衆消費社会,そしてマネー経済化という半変態を遂げさせたのだとすれば,決済の交換価値化として,マネー経済の自給体制の資源となる.決済の使用価値は,「単なる持ち手交換である」が,金融証券として,金利化すれば,コール資金の補填を通じて,マネーの自給資源として,切り離される.消費税は本来は,そういうものではなかろうか.マネーのエネルギー変換という感じだろうか, 「高齢者起業塾」とかはやらせ,「余生をマネーゲームでぱっとやろう」的なことも,隠れ蓑には使えそうである.日本のギリシャ化である.ファシズムは,そういう意味では,マネー自給の相関独占体としての軍産複合体の,開発部門でありえたわけなのだろう.

「消費(consumption)とは,人間の欲望を満足させるために,財やサーヴィスを利用したり消耗したりすること.経済の最終目的は消費にあるといえる.すべての生産物は消費と投資[貯蓄]に分けられるが,この投資も,将来の消費をより豊かにするために現在消費を控えるという形でなされる」(有斐閣『経済辞典』).生産過程での消費を,追加的な使用価値による貯蓄とマネーの分離と読み替えると,実物資本の増大とマネーの非相関的な再生産関係として二重化できるわけだから,経済的な因果性と非因果性の構造体を作ることができる.限界効用学説とは,こういうことなのかもしれない.マネーは,生産の内外において,非因果的に関わることができる.ファンドとは,追加的な時間をマネーへ変換・供給するための装置にすぎないともいえないだろうか.A--- Pm変換といえば,ケインズがいっていたような記憶があるが,ケインズは,それを,短期金利に変換するシステムを考えたということだろうか.転形問題というやつだろうか.

世界大恐慌から第二次世界大戦直後の繁栄とインフレ,迷走するかのような不安定化,現在に至るアメリカ経済は,マネー・軍産複合体という構造体を体現したものだったのだろう.先発的な資本主義が,後発的な資本主義から挑戦を受け,EU統合という,構造体をたてる流れになるのも,(もちろん,仮説的な話なのだが)その非因果的な実現の姿なのかもしれない.レジャーとは,マネーの時間性の反映物なのかもしれない.

物理学なら,経済の,ゲージ変換を使った,幾何学化とかいえそうである.しかし,経済として,物理のゲージ理論の仕組みと,どう通じるのか,どう異なるのかを厳密にしなければ,経済理論として成立しないのだろう.ブラックーショールズとかあるじゃないかと簡単に済まないのかもしれない.絶対空間,絶対時間,あるいは絶対慣性系を考えるニュートンの宇宙観から,アインシュタインの一般相対性理論の宇宙のビッグバン仮説への変更が,特異点付近で,新たな大局性と局所性のあり方を導くとしたら,宇宙経済論というようなことにもなりかねないが,そこでも,宇宙経済戦争になるかもしれない.マネーは,宇宙を超えるということにもなるかもしれない.そういう際限ないことになるのか,あるいは,制限しあうようなものになるのか.これも,佐藤文隆著『ビッグバンの発見』,NHKブックスを拾い読みして考えてみた.




最近のニュースから

2013-03-16 09:24:36 | 社会・経済
・原発再稼働という話は,いかにもらしい流れということだろうが,経産省とか音頭取り会長のようだが,安倍政権が,なんかエゴイ文化利権保護で票集めてるのか,どうも一部の懇ごろ優遇でごり押し利かせようてきな面があるような気がする.民主政権はもっとだらしなかったのかもしれないが,どっちにしろ,原発が,そういう文化人,例えば華道家元とか,裏千家とか,なんとか流とか,あるいは銀座のチイママとか,政治ゴロ家柄的なのを保護するための便利な道具になっているからではないだろうか.政治ゴロ家元と国防なんてのもありそうであるし.政治家,官僚,業界エゴのご都合ネットに肩入れしすぎるのは,国民利益の毀損につながるかもしれない.日本の中の北朝鮮的な経産省の派閥とかあるんじゃなかろうか? そういう派閥にとって不都合なことを,すり替えて責任逃れして,まかり通そうと言うのに都合のいい連中しか,政治世界では原発を担当させない感じの動きなのだろうか? 立場はどうであれ,そういう歪んだところをただして行くのが,銀座のママや,家元の役割ではなかろうか.銀座のママは,利権餓鬼に落ちた政治家や官僚をうけとめて人間になおして行く役割とか.そういう格もなくなっているのかもしれないが,いったことないけど.しかし,ママさんも忙しくなるだろうか.ホステスやチイママあてがって転ばせて,ママが手綱ひくとかであれば,引く手綱が多すぎることになるかもしれないから.これも原発利権というような.だって,そのうち地震も津波も追い出して行くつもりかもしれないではないだろか.経済性も安全性も閉め出していくロードマップが経産ロードというものだろうか.そうでもしないと,日本の政党政治の継続などというものは頓挫すべきものになるから.そこらからゼロベースで考え直すべきではなかろうか.自民党の中の民主党的な二大政党という,二大政党論生き残り策かもしれないが.福島も東北出身の政治家や官僚とヤクザの利権の足かせでちぐはぐ的なかんじもあるような気がする.角栄の頃からヤクザ利権先導体質になったのだろうか.明治政府からだろうか.税金もチャチな利権餓鬼のとり放題ていうのも現代の政治の現実に即しているのかもしれない.政治家の歴史好き解釈は,ご都合解釈の寄せ集めだから,あとは不都合の国民への押しつけということで,利もあされるというのを植え付けられている感じがするのは,群馬や栃木,茨城以北からだろうか.千葉と茨城の境界とはそういうことからだろうか.どこもそういう面はあるだろうが.とにかく,ゼロベースで議論を活発にやってほしいものである.坊主鬼道の仏の計みたいな原発推進感情とか.





              

日本一の大地主ネズミ感電死

報道によると,3月18日夜,使用済み核燃料貯蔵プール の冷却のための電源が停止.ネズミとみられる小動物の 感電死体がみつかった.死体は,日本一の大地主ネズミ, チュウ太郎氏とみられている.氏は,日本の全国土の2/3 を占める土地を所有しており, 所有地の視察中に,事故に 遭遇したらしい.葬儀は国葬になる予定である.特に, 歴代総理経験者,有力財界人,官界有力者などが参列す るとみられている. まさに,鼠国救済の神というにふさわしい最後であった というほかない.神として,この国の行方を見守りつづ けていただきたいものである.
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中東問題の難しさ


中東問題というと,石油と投機マネー,ユダヤ教とイスラム教,ムハメドアリやアルバトロス映画などがまず思いつく.世界史の授業でなら,中世のヨーロッパと絡んだりして,ギリシャ正教などとか,そうとう大きな部分を占める話もある.が,もう殆ど忘れてしっまたが.

イスラムの宗教哲学の本を古本屋で買って,読んだこともあるのだが,はっきりしたことは覚えていない.一つだけ気にかかっているのが,イスラムが宗教や生活体系,政治として小さなモザイクに解体する動きが大きくなり,複雑な重層を成しながら,現代にいたっているということ.イスラムの宗教哲学自体が難しい構造であるのに加えて,中世以降の動きの複雑さや晦渋さについては,私のような門外漢にはその本当の意味すら掴みがたい.大きな文化・文明圏の原理・歴史の問題なのだから,そう簡単にわかるはずもないが,判らなければ,多少は知りたいというのも人情というものである.ニュースでも話題になるし.確率微分方程式でも解けるかどうかわからないが,問題を定めて解決するためには,それくらいの難儀は必要なのだろう.そうであれば,イスラムとユダヤそしてキリスト教の深い相互的な動きをみざるえないということにもなろうから,世界史の舞台という場の弁証法という問題であるようにも思われる.政治・軍事的なニュースとして伝わるのがほとんどではあるが.





<憲法改正問題について>


私は,自分の生きてる間は,現日本国憲法以外の法の規範に従うつもりはないので,立場的には簡単である.それは,私にとっては変わらない.もちろん,国民の意思として,正当な改正手続きに基づいて,現憲法と一体をなす新憲法になったとしても,私にとっては,基本,何ら支障はない.煽動するだけの社会主義,共産主義革命などといった革命状況も幸いないのだから.理想を掲げない憲法なんてのも社会主義憲法にもないだろうと思うが,理想主義だから現実にそぐわないというのなら,現実にそぐう憲法なんて,どこにもない.まして,国連憲章などはなおさらである.岩波文庫の『世界憲法集』とかの古い版のを眺めたりしたが,どこも現実を理想につぎはぎするのに苦労している感じで,その点,日本国憲法は,理想と現実が自然に一体となっている方だと思う.日本国憲法は,世界政治の現実の「不幸な法の現実主義」の超克も託されているのかもしれない.改憲論者の論調にある,現実をみるべきだという意見は全くその通りで,現実を見据えて行くことも,この憲法の生きている鼓動であるとおもう.憲法はそうやって生きて行く.憲法の生きた鼓動を聞こうともしない改憲論にしろ護憲論にしろ,そんなのは論外である.私にとっての日本国憲法とはそういうものである.政治的都合で,三三七拍子をうつ心臓になっても困るのである.

改憲論に便乗して,例えば,日本経済の実質的乗っ取りを企むような勢力があるとすれば,最近の改憲騒ぎは,中国系国策宗教集団の仏教偽装の,金融,事業振興資金版でその利のぬきとりの手引きをしているようなところの,活動の一環かもしれない.世の中,そういう裏の活動がべったり社会に張り付いているということもありそうである.景気回復期待が本物とされるには,そういう疑いについても国民に説明すべきではなかろうか.経済のモラルとしても.経済のモラルハザードの横抜けのための改憲論騒ぎなどというのは,いかがなものだろうか.政治家も,官僚も,財界団体も横抜け裏金稼ぎ業者の手引きで一儲け的なのだったら,困るわけだから.野田や仙谷ならいざ知らず.芯の弱さで丸め込み的な.そういう連中は,問題を受け止める器がないから,ごまかし論に走るわけで,困ったものである.官製労働組合の執行部問題の一例だろうか.中国系国策カルトの坊主と知り合いだからとか言い訳してやりすごすような現実主義きどりを,民主は自覚できない,それが民主解体の一因ではなかろうか.やや売れの芸人どまりの海江田とかにならないように,民主もどうするつもりなのだろう.さて,現実とは何なのだろう.また,理想とは何なのだろう.中国国策系仏教偽装のお偉いさんと知りあいだから,公金横領も許される的な現実論論者と理想・理念とはどういう関係にあるのだろう.憲法と現実の関係はどういうものなのだろう.難しいテーマののように思うが,私だけだろうか.孤高だ.






密教について


密教というのは,安倍首相のような家柄になると,時代にもそぐわない面もでてくるし,経済面でもそぐわない面もでてくるから,そこに宗教の形でとりいって行く,国策スパイの隠れ蓑のようなものである.もちろん,仏教にも,密教と顕教という流儀が古くからあるが,現代のはおもにそういう連中の宗教偽装である.最近のメディアのようなものである.別に嫌いなわけではないが田原とか,いかにも局の思惑的なコメンテータなんてのは,そういうのの手引き役である.そいういう見栄っぽいことに変にこだわる貧乏人(家庭やコミュニティー単位かもしれないが)を食い物にして,裏金稼ぎするかもしれないので要注意である.社会的な影響もでてくるかもしれない.最近は,なんとかパンをなんとかアコと同じのかなと思うくらいだから,そうである.





二極化について


二極化は,自然なことであるから仕方ない.富みゆくものとそうでないものは,社会法則の結果であって,社会法則としての自然則である.だから,裏金出して,あるいは一筆託して,お偉いさんにつくわけであるが,民主解体は,そのような庶民感情の決算でもあり,もはや,そんな余力はこの国にはない.メディアはそういう現場に近いから,また,アカデミズムは,どうしてもそういうのが残るから,問題がたまに表に出るのである.自然法則という名に便乗して,妙に底意地の悪いのがはびこる状況が演出されているのは,政治家や,企業人,役人の一部にそういうのがいるからである.あるいは,そいうのが,世代化しているからである.ヤクザのやらせ業界に便乗しているようなのは多く目にするではないか.バーさんも,ママも私もそう的な業界一家的なのも,メディアなどには多いわけだろう.そういうやらせ二極化に政治家も利を得たいと欲かいているのだろう.経産省体質だろうか.そういう体質が問題だと言っているだけである.そこに,また,業界間の疑心暗鬼も加わって,調子に乗る足らんピラチョン的のがはびこるわけである.電力業界問題の一部にはそういう面もあるのだろう.原発再稼働のアンケートも,風俗業界のアンケート手法を,そのてこ入れで,対面つくろえそうな原発再稼働の意識調査なんてことで便宜を図ったのではなかろうか.二極化の実態とはそういうものである.東北の復興資金が,8億だっただろうか,ホモ好きな業者にだまし取られたというニュースもあったようだが,そういうのが(別に性癖ということに限らず),あちこちいるのではなかろうか? 原発問題も長い間のごまかしのうちにそういうのがはびこっているのではなかろうか.誤解ないようにいえば,私は女好きである.女子好きである.ギャル好きである.私の権利である.

エネルギー政策も,一部政治家や官僚や寄生メディアや学者(結果,学者はそういうのが多数派だろうけど)などの,やらせというのか見せかけ詐欺というのか,そういうオチャラケで,なかなかちゃんとしたことを始められない,また,進まないということになっているのではなかろうか(ホワイトハウスから直接そういう連中に委託があったのだろうか).ヤクザも絡んでるのだろうけれど,そういうのの言い逃れのための時間稼ぎに,エネルギーや原発がこれまで利用されてきた面があるのではなかろうか.早稲田などは(大方は関係ないだろうけど),北朝鮮の原爆資金のために,メディアゴロを優遇して,扇動をはかる的なことで,詐欺銭稼ごうとかやってるのではなかろうか.朝鮮総連学生部上がりっぽいのも多そうだから.北朝鮮だからというのではないが,韓国でも中国でも,そういう画策が前面に出てるから.稼げるつながりが大人の付き合い的なかんじで取り込まれてるのもいるのではなかろうか.例えば,仙谷とか,石原とか,松下政経塾とか.そのうち小泉の息子もそういうのになるかもしれない.つまりそういう体質が,邪魔をしているのだろう.

体系の比較のための説明原理的な面もあるのだから,イコールなにか絶対の宿命的なことと勘違いしていうのは,例えば,官僚学というのが,そこらで打ち止めにしておこうてきな便宜上の手段なわけだから,まあ,そこからがはじまりのようなもんだから.官僚言葉も逆に徹底して使わせて,安全神話の嘘のようにして解体した方が,手っ取り早いと思うのだが,案外国民のレベルはそうなのではないかと思うのだが,中途半端な時間稼ぎの庶民迎合のポーズどまりに逆戻りしたいのではなかろうか.官僚学も見え透いてる感もあるし.わかりやすく言うと,「貯蔵核燃料をメルトダウンさせても健康になんら影響ありませんし,国会議員が念のため視察にいっても何ら差し支えありません」というところが,官僚学のオチというものだから.アリャリャでお開きが官僚学だから.東大の法学部のお偉い学者があみ出したのだろうか.私は,原子核は科学であってほしいと思ってるだけで,また,社会的な学問も科学として創造されてほしいと思ってるだけで,なんか,世の中のご都合につけ込んで,そういうのに魂売ったような学者がもてはやされて,科学がなくなって行くのが残念なだけである(などと言ってみたい).




原発再可動のまんねり

2012-04-14 08:20:00 | 社会・経済
<原子力と生命>

原子核現象が未来と現実をつなぐ.それは,ある意味そうかもしれない.殺風景な宇宙に私が存在していること自体,未来かどうかは別として,現実ではあるわけだから.

生命と言えば,まず,ワトソンとクリックの論文以来(「デオキシリボ核酸の構造」『現代の科学II』, 世界の名著,中央公論社),以下はラフな感想なのだが,遺伝子がA, T, C, Gの記号の連鎖の二重螺旋構造になっているという簡単である意味で安定な面と,その分子的な結合にある種のブラックボックス的な謎が畳み込まれているという面に,生物の遺伝構造の放射線感受性の未知な機構が潜んでいるのではないか.例えば,万能細胞のような.そうだとすれば,そこにも,生命が宇宙から生まれた存在である記憶が,秘められているという事になるのかもしれない.確率論の構造を生化学の謎の構造に適合させて研究するということもあるのかもしれない.

例えば,集合{a, b, c}なら{a, c, b}だろうが{b, a c}だろうが,集合としては同じものなはずだが,順序が結合されて(a, b, c)と(a, c, b)では別物と考えなければ奇妙なことになる.順序という構造をあわせ考えたときの集合というものなのだから不思議なことはなさそうだが,ちょっとアモルファスっぽいニュアンスが残されたままの展開になる.そういう所に,現象の独立性と理論の構造的な適格性を保証する.生命もそういう面を持っているということかもしれない.


しかし,もう一つの現実というものがあるらしい.美しく英雄的な犠牲を賞賛し,現実を自分の利害の範囲でしか見ない,愚かしく,旧弊に固執した経済とその誼(よし)みの政治に巣くう連中.しかし,こういうことは,人間的なゆるみを持ち込んで,感傷的な議論に終始する弊害もでるかもしれないが,そこはストレステストに耐えなければならないのだろう.


<原子力の普遍性と特殊性>

政治や経済をまじめにとらえようとすれば,原発があろうがなかろうが,難しい対象であることには変わりはない.そんなことまで否定するつもりはないが.こういう当たり前のことさえ,「経済はどうなってもいいの」とか「電気のない暮らしに戻れるの」とか,まあ,底意地の悪いぶりっ子ぶるようなオヤジまでいるのだから,難儀である.経済が心配なら,経済が対象とならないような社会をつくればいいし,電気は使う.


<原子炉再可動のマンネリ化へのタイミング>

程度の低いゴロ転がしとその手先のゴロ連中が,そろそろ,適当にもっともらしく話しつくって騒げば,反対する連中も少ないんじゃないかと,例によって例のごとくの,いい歳したオヤジのガキチョン癖でやり始めているのではなかろうか? でも,米倉の涼でない方は,正力ほどおしが利くだろうかと心配しつつか.そのてのことは昔からバレているのだが,本当変わらないものだ.

わたしは,鉄腕アトムのように宇宙を自由に飛び回れても(また,ウルトラ細胞生命体であっても),爆弾抱いて,太陽に自殺しに行くようなことはしないし,政治家や経済界のようなご都合団体を仰ぎ奉るのは,まっぴら御免というところだ.原発再可動といったところで,推進派といわれて話題になるような連中は,政治ゴロ連中のほめ殺しで,飼いならされてるだけの連中だろうから,小沢取り巻きの政治ゴロ連中よろしく,国民なんてのはいいカモ程度の根拠ぐらいしか,ほんとはないのではないだろうか.政治ゴロが,原発の安全,電力の過不足なんかに興味あるはずがないではないか.ヤーチョン経営者のお供で,俺も一人前と満足してればそれですむのだから.「原発は国際的には事故っても問題ないという研究もあります.権威筋によれば,私以外放射線を危険視する理由は科学的に存在しません」的なおりこうぶりが,ナウい.素朴な金儲け主義や,融通主義でやっていけるという素朴な経済依存感覚は,企業経済の政治からの自立などが謳われたころの遺物だろうから(実質,空洞化,リストラ,損失補填,企業経済の年金基金詐欺,政策プロジェクト詐欺化などだから),経済問題を絡めて,原発問題などでお利口ぶるのは時代にそぐわない.が,オヤジ的にはナウい.

原発などという,明治時代の新兵卒なれ合い便宜主義的なのになぜ責任を負わねばならないのか,割にあわない気分だが,政官財学界には,そういうのが多いのだろうか.そういうのが,復興資金や,消費税を負担すればすむことではなかろうか.そういうのに限って裏で溜め込んでるというのはよく聞くことだから.


放射能の健康への影響ということについては,議論がいつもUFOとかネッシーの話に似ている気がする.UFOだったら,糸でつり下げた模型を写真で撮ったものだろうとか,光の反射の具合だろうとかという反論に対して,イギリス空軍だったかアメリカ空軍だったかのパイロットが目撃しているとか,軍の極秘プロジェクトなんだとか,必ずぼやかしながら反反論で話題をつないでいく.あるいは,UFOやUMAを科学対超科学的な対比で話題化する.想像したり空想したりするための話としては面白いのだが,バラエティー番組で社運担当P的な業界事情の小道具になっていく.どうも,そういうのと同様な感覚のも政治家やメディア関係者には多いのではないかという感じがする.あるいは,学者なるものにも.社運のかかったというのなら,どういう社運なのかが問題であって,UFOの存在の実証にはならないのは当然なはずだと思うのだが,それはナンセンスな疑問であると業界的には言わざる得ない的な.



インフレとデフレ

2011-02-12 10:25:15 | 社会・経済
素人感覚でいえば,インフレもデフレも経済の病,あるいは毒であるが,もともと病気の状態にある経済に対して適度なインフレは薬の役割を果たす.ところが,そのインフレが,構造的な毒性に変化して,日本経済の命に危機を及ぼす事態がみられた.そこで,意識してかどうか,戦術的デフレといって,構造的に変質したインフレの毒性を緩和しようとした.今度は,そのデフレが病根として定着してしまった.そこで,最近は「デフレ脱却」が叫ばれる.政策的にだからどうだというつもりはないが,議論の根拠が見えにくい.
例えば,国鉄問題が変質して,構造的な不良債券の受け皿となり破綻したということであれば,新興国などへの投資マネーを国鉄のような受け皿としようとしても,許されないだろう.かりにそうして割りくうのは,構造的弱者という国民あるいは日本自体(国外に逃れるか,中華マネーでヒルズ軟禁される連中を別にすれば).