janpal

人生これ,雑記.

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当りつけるためのメモ

2013-01-20 19:45:00 | 数学・物理
オンライン翻訳「Google翻訳」,「Latinlexicon」等をラテン語辞書代わりに, カンで試し訳してみる.ラテン語は語順とか結構自由らしいから,勘も役立つはずである.変化とか格とか文法事項は知らないので,勘で当てはめてみる.


(D.A. 第356条.) 二重周期の定義された分布Ωに由来する方程式.


未知数nの最大値特性を使う驚くべき方法で, nの各値に対して複素数集合Ωの決められた成分を結びつける補助方程式は,十分注目に値する.(*値分布関数と楕円関数)

しかし,ここでは以下の二つの場合に限って考えることにしよう.一つは,その根が1/2・(n-1)となるような二次方程式,2つ目は,n-1の中に因数3を含む,その根が1/3・(n-1)となるような三次方程式である.

1/2・(n-1)をmで表わし, nを法とするときのそれぞれの場合の最初の根をgで表わすことにする.複素数の集合Ωは,二周期(m, 1)と(m,g)から成り立っているが,前者では根[1], [gg], [g^4], ... , [g^{n-3}]が含まれ,かわって,後者では根[g], [g^3], [g^5], ... , [g^{n-2}]が含まれる.nを法として二つに分けた,最小正剰余, gg, g^4, ..., g^{n-3}を,任意の類,R, R', R''などで置き換え,また残りの(non residua horum, 平方非剰余である)g, g^3, g^5, ... , g^{n-2}をN, N', N'',等で置き換える. (m, 1)であるときの根は[1], [R], [R'], [R'']等と一致する.周期(m, g)のときの根は[N], [N'], [N'']等と一致する.

(* ここらは,代数的整数とかガロア群とか,関係ありそうな感じがする.ガウス集合とかよくわからないが,またエイゼンシュタイン(Eisenstein)の楕円関数とかここらが出所なのだろうか(参考(?): Weil, `Elliptic Functions According to Eisenstein and Kronecker').それにしても,a=bq+rの真相がそういう所にも顔を出すというのはやはり新鮮な驚きではある.ガウスの第4証明はユークリッドの互除法の拡張であるというのは,言い過ぎかもしれないが.n-1≡1=e^mのような関係をf(a+bi)=0の解集合の構造の仕組みとしてとりだすというようなことは,突飛だろうか.)


(しかし,このまま続けるのは,ちょっと無理かもしれない.「ある種の特異級数の和について」に戻るのが効率的かもしれない.たちまち頓挫してしまった.)


例として,p=13とすると,1からp-1=12までの間で, 1, 2, ..., (p-1)/2の平方がp=13の平方剰余である.mod 13として,
1^2≡1, 2^2≡4, 3^2≡9, 4^2≡3, 5^2≡12, 6^2≡10だから,A={1, 3, 4, 9, 10, 12}が平方剰余,B={2, 5, 6, 7, 8, 11}が平方非剰余である.Aの元aのうちで(P-1)/2までの範囲に属するものはA'={1, 3, 4}でその元をa'と表わすと,それ等の補値は,13-1=12, 13-3=10, 13-4=9で,a'とp-a'をあわせればAに等しい.Bに対しても同じようにすれば,B'の元b'に対する補値p-b'がでてくる.ω=360/13とおけば,
4Σ cos(a'ω)=4{cos(1・ω) + cos(3・ω) + cos(4・ω)}= -1 + √13.
4Σ cos(b'ω)=4{cos(2・ω) + cos(5・ω) + cos(6・ω)}= -1 - √13.
etc.
このような関係は,pが4m+1の形の素数のとき成り立つ.すなわち,pが4m+1の形の素数ならば,
4Σcos(a'ω)=-1 ± √p.
4Σcos(b'ω)= -1 ? √p.
Σsin(aω) = Σsin(bω) = 0.
2Σcos(a'ω) - 2Σcos(b'ω) = ±√p.
が成り立つ.x^p - 1 = 0の1以外の根をa1=cos(ω)+isin(ω) , a2=cos(2ω) + isin(2ω), .., a_{p-1}=cos[(p-1)ω] + i sin[(p-1)ω)]とおけば,x^{p-1} + x^{p-2} + ... + x + 1= (x - a1)(x-a2)...(x - a_{p-1}).x=1を代入すると,p = (1 - a1)(1- a2)...(1- a_{p-1}) . このW^2=±pがガウスの和に当たる(本文参照).

次に,p=23とすると,同じように,1, 2, ... , 1/2・(p-1)=11の平方が,mod 23として,平方剰余である.その集合をA, 平方非剰余の集合をBで表わす.
A={1, 2, 3, 4, 6, 8, 9, 12, 13, 16, 18}
B={5, 7, 10, 11, 14, 15, 17, 19, 20, 21, 22}
で,Aの諸元aの補値p-aはBの諸元bと等しく,Bの諸元bの補値p-bはAの諸元aと等しい.諸元aと諸元bを合せると,{1, 2, 3, ... , p-1=22}となる.Σcos(aω) = Σcos[(p-b)ω] = Σcos(bω)が成り立つ(ω=360/p(度)=2π/pで,cos(pω)=1, sin(pω)=0だから).x^p - 1=0の1以外の解はcos(ω) + i・sin(ω)だから,x^(p-1)+ x^(p-2) + ... + x = -1に代入すると,(cos(ω) + i・sin(ω))^n = cos(nω) + i・sin(nω)から,

cos(ω) + cos(2ω) + cos(3ω) + ... + cos[(p-1)ω] = -1.
sin(ω) + sin(2ω) + sin(3ω) + ... + sin[(p-1)ω] = 0.
というようにして.
Σ cos(aω) = Σ cos(bω) = - 1/2
2Σsin(aω) = ±√p, 2Σsin(bω)= - 2Σsin(aω)
etc.
という関係が4m+3の形の素数pのとき成り立つ.ωのところは,ほんとは,kω(ここでk=1, 2, 3, ..., p-1.k=0のときはx=1)だが煩わしいので.ちなみに,本では「kは素数nで割り切れない与えられた整数」となっている.

この根号量に付与すべき「符号決定の問題」をめぐって,「われわれはまったく思いもかけない困難に出会う」.(p.23)
この問題に解答を与えたのが,当の,相互法則の第四証明にあたる,「ある種の特異級数の和」であるということなので.


・触媒のように作用させながら,固有に作用する構造を導くような手法という感じであれば,グリーン作用素とか,量子作用素とかという話になっていくのだろうか.x^p - 1 = 0をみると,何故か,不定性が高いとはいえ,x^p + 1 = 0がわきに置かれている感じがする.

・もう一つは,現代物理の発展(素粒子理論の発展,ディラックの空洞理論とか,場の理論,中間子論,etc. 岩波講座10『素粒子論』)が,ガウスの探求の姿の一つのドラマをなしているような印象であるということ.印象が重なる部分があるのは当然かもしれないが,特別な,真理の間の関連の現出という感じで印象深い(などと言ってみたい).古代ギリシャのアトム(atomos)が,(1)それ以上分割できない(不可分性),(2) 新しく創りだされたり,消えてなくなったりしない(恒常性),(3) 真空に対する(峻別される)実体である,という基本的な属性をもつものとされていたが,電子や光子,陽子の発見をめぐる長年の経緯などから,昔の原子の規定では捉えられない素粒子というある意味の原子を基本にして考える素粒子論形成の歴史的な経緯,しかも,それらの規定が関連しながら,素粒子の本質を浮き彫りにしていく展開(例えば,スピン1の中間子場をめぐる特徴が,スピン0で偶奇性が奇の中間子場でも満たされることがわかったというような話など)があたるのではないだろか.

・第四証明の考究の意義を,超幾何関数,多価解析関数,モノドロミー,組紐理論へ示唆する「第1章 方程式を解く」,『現代数学の流れ2』岩波書店.(「x^5 + tx -1=0, tは定数.t=0のときは,x^5 -1 = 0で,x=1, θ=e^{2πi/5},θ^2, θ^3, θ^4がその解のすべてである.t=0のときx=1となるtについて連続な解を求めることにして,それをx=f(t)であらわす.このx=f(t)は, t=- 5^5/(256^{1/5})θ^j, ここでj=0, 1,2,3,4 ,において分岐をもつ多価解析関数である.この分岐の様子,すなわちモノドロミーは,幾何学的には,ガロア群と密接なつながりがある`組紐群(braid group)’によって支配されており,多くの興味深い事実が知られている.」(p11~14)).

・不定方程式とモジュラー変形.ω= (aω' + b) / (cω’+ d), ad - bc = ±1.

・一次合同式 ax ≡ b (mod.m)を解くことは,一次不定方程式 ax + my = bを満たす整数xを求めることと同じである.(a, m)=1のとき , あるいは(a,m)=d>1ならば,bがdで割り切れるときに限り解が存在する.ax + my = bの一つの解がx0, y0なら,一般の解は,tを任意の整数として, x = x0 + (m/d)t, y=y0+(a/d)t, ここで最大公約数(a, m)=d.
[例] 18x^2 -60xy +50y^2 = 8を解け.判別式D= 30^2 - 18・50 = 900 - 900=0. (18, 60, 50)=2, 8/2=2^2で,式は2(3x - 5y)^2= 8である.したがって,3x -5y=±2を求めることと同じである.(3, 5)=1だから解は存在し,かつ解は無数にある.)(『初等整数論講義』)

・ピタゴラスの定理(x^2 + y^2 = z^2).
(1) m, nを任意の整数とすれば,x=m^2 -n^2, y=2mn, z=m^2 + n^2は解となる(Brahmagupta).
(2) pが4m+1型の素数ならば,斜辺がpで三辺がいずれも整数の直角三角形が存在する.pが4m+3型のときにはそのような直角三角形は存在しない.p^2=x^2 + y^2
(3)pが4m+1型の素数のときは,p=x^2 + y^2を満たす自然数x, yが存在する.pが4m+3型の素数のときは,そのような有理数さえ存在しない.
(「Fermatと数論」,『数論1』岩波現代数学の基礎)

・自然は現象する.おそらく,親和する道行きの伴侶(human mind)として.数というものの秘密も,そういう道行きの過程に秘められているのだろう.女神は黄金比であるが,気まぐれで,混乱しかもたらさない.かも知れない.指示し指示されるものの構造の,余剰なのかもしれないが(一つの感想).参考: Leonhard Euler, 「素数列に何らかの規則を見つけようとする数学者達の探求はこれまでのところ空しく終わり,もはや人知の理解の及ばない謎ではないかと思うようになった.(Mathematicians have searched so far in vain to discover some order in the progression of prime numbers, and we have reason to believe that it is a mystery which the human mind will never be able to penetrate.) 確かめたければ,素数表を眺めてみればいい.そこには,10万を超えてつづく数が並び,直ちに,規則も秩序もないことに気付くことだろう.これまで,算術は確かな規則をわれわれに与え,それによって,どんなにわずかな規則の痕跡のないときでも,そういった数の列を望むだけ得ることができたのだから,こういう事態はまさに驚くべきことである.私は,まだそこまでの結果に至っていないが,自然数の約数の和に関するとても奇妙な法則を発見した.それは,素数列と同様に不規則であり,あるいは,素数列と同じものではないかと思うほどのものである.この規則は,さらに詳しく述べるつもりだが,たとえ完全な証明がなされなくても,その確かさを疑い得ないといった類いの真理であるから,まさに重要なものだと思うのである.さりとて,私は,厳密な証明と見なしうるほどの根拠を提示するつもりである.」

・AI( Artificial Intelligence)すなわち人口知能言語.人工知能は,コンピュータのプログラミング言語や数式システムやデータベースシステムと深い関係があるのだろう.あるいは知というものの複雑に絡み合った関係そのものなのかもしれない.Hilbertの第10問題と抽象積分.AIはある不可能な事態への道行きというというものだろうか.慣れないことは噛まずに語れるか心配ではあるが.(参考: Joel Moses ` Macsyma : A Personal History' の最初の方)

・小さな玉がフラクタル図形のように毛羽立っているのか,よじれているのか,よじれる長さは決まっているのか,というイメージはまずいのか.極限操作と解析の幾何的イメージ.例えば,遺伝子のコードを区切りながら組み替える仕組みにも通じそうな感じもする.(古典解析的に)陰伏関数の連続性と連続的微分可能性への制限.参考:『自然科学者のための数学概論』,『解析概論』,『数学事典』

・「量子包絡代数」の先駆けというのはどうなんだろう.制限のうちに交錯する道筋を一般性へ高めるという幽玄のうちに無限を捉えるということかもしれない.ガウスの無限に対する態度とはそういうことなのかもしれない.

・でもって一句, 春浅し そよ風一つはじけけり.
昔,旅行した京都の四条交差点で,百貨店から出たとき,春風が吹き去っていって,春か,と思ったら,空気がまだ結構寒かった,という場面を思い出してみた.
  浅き春 大通り一筋のはてまでも.

・数とは何か.例によって「感じ」で言い放しになるが,数論的関数が,ガンマ関数のグラフをゆがめて縮小したような感じなら,mod. 1の類別で,超越数など数概念の拡大の幾何化を示しているような気がする.数はときに,憂鬱に沈み,自らの本性も靄の中にかき消すが,同時に,その靄ついた見知らぬ小径をほのかな明かりで先導するするような感じもする.そういうところは人間に似ているかもしれない.数とは,四条大通り交差点の信号待ちであるというのは,冗談であるが,そういう時空が<私>の作用とともに生きられるときもあるのかもしれない.{x} = x- [x]とか,そういうことかもしれない.ところで,[x]は実数xを超えない最大の整数を表わすのだから,{x}=x-[x]はxの少数点以下の部分を表わすことになる.

・そろそろ,標準を定めて,掘り下げて行くべきなのかもしれないが,結局,ゼータ関数をみて行くということなのだろうから,リーマンのゼータの第三積分表示とか,Siegelがガウスの相互法則の第四証明に導かれて解明したというような感じということでつながるのだろうか.超関数や量子化ももちろん示唆されるだろうけれど(参考: 『数論2』岩波, 『岩波数学事典』etc.)


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平方剰余の相互法則と時空

2013-01-17 12:09:04 | インポート
(ややそういう)感じでいえば,ガウス「ある種の特異級数の和」で探求されているのは,高次元エキゾッチク多様体の構成原理なのではいか.それは,一種の高次元円分化の成立基盤の構造の探求ではないか.「符号決定」の問題とは,平方剰余の相互法則をL関数へ持ち上げる仕組みの解明ではないか.エキゾッチックな空間と特異級数の和の特徴が似ている気がする.例の通り,素人の感じだが,案外そうかもしれない.メモしておかないとどうせ忘れることになる.『月報 数学の歩み』の久保田富雄「整数論の発展をもとめて」の序文にあたる部分から考えると,オイラーにその芽がみられ,ガウスに端を発する,高峰の一つということなのだろうか.空しい考究を繰り返すなかで,ある幸福な瞬間に,真理の間の連関が訪れる.そういうことをつぶやくようにかき記す.それがガウスなのだろう.

数論的多様体が高次元空間の円分論として,整関数を確率微分法則でも通せば,分数の世界につながるとか,そういう風にはならないのだろうか.(もちろん,内実のある話は専門家の話をどうぞ).しかし,整数論の相互法則のようなものを読むと,なぜか,時空の謎を心に描いたり,時空の謎を考えると,何故か,懐かしいものを感じるのは,こういう所にあるのかもしれない.何故か,法則ごとに分離するというのか整うというのか,そういうことも特徴だろうか.f[m, μ](x)とかf[m, μ](x, y)とか,f[m, μ](x, y, ... , w)とかもありそうであるし.実際どうなるのかは,専門家にどうぞ.

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原発問題と日本経済

2013-01-15 12:41:56 | インポート
原発問題を,ガキチョンのチョンピラの性悪話にしている日本の経済界の体質を改めないと,未来も維新も,小沢も読み違えるわけである.推進がどうだのという話は,原子力発電の特異な経緯のなかでチョンピラの性悪話にすぎない日本の経済界の方便に変わっているのだから,民意が寄るはずがない.そういう観点自体が,そもそもとりあげるに値しない,経団連のじいさん達の孫や,息子や娘が,薬チョンにうかれているのでもなければ.

こいうことは言いたくないが,政府がどうだの,財務,経産,文科という役所がどうだの,アメリカの政府がどうだのというには,ふざけた話ばかりがはびこっているではないか? 安倍政権にしろ,そういう連中が朝鮮総連よろしい口うるさいヤーコーだからといって,遠慮で,変にねじまがった話にする必要はないではないか? 憲政の基本はヤーチョン遠慮であるというのだろうか? 改憲論なんてその程度のものじゃないのか? 田原とかそっち系のテレビ人とか,本当は,朝鮮総連再合法化とかで一儲けしたいだけではないのか.そういうのに乗っかかる体質が安倍に見受けられるのは,何故なんだろう.そいう政治や政策ゴロのような連中のことであって,世間一般のことではない.こう言わないと,なんくせつきそうだから.

原発銭の公金横領でなりたっている学者も多いようだが,経理がそっち系にくまれているからなのだろうか.なんとかパンの事故隠しに広告会社も動けば民意にあっているのではないか? 米倉なんとかが示談金用立てるとか.本人はそうでなくても,周りは現実優先だから.こんなことそんなに難しい話だろうか,右翼気取るのは,簡単だし,世間通りもいいかもしれないが.たいしたのじゃない感じが強い.私などは,右翼気取ってれば,いい思いもできたようなものだが,そうはいかない.そもそも,私にとっては,右翼だろうが,何だろうが,そんなことは関係ない.程度の悪い連中の献金組織に右翼学者は首ったけとかそう言うのだろうか.安っぽいイズムではある.現実知り顔の右翼学者様というわけだろうか.それがなんで,そう政治家には足かせなのか.口うるさいだけが,票のバロメエータだという観念があるのだろうか? 

嘘チョン学者のことを右翼学者というのかと思っていたが.痴れチョン学者じゃないか.原発にしろ,薬品にしろ.ダメ学説の救済のためにやらせ政治やってるのではないだろうか? ざけた幼稚園児の保護者団体が,世間のマスというわけだろうか,お偉いが,裏学会にでしか名を馳せられな一部学閥のように.そうゆう連中は,京極とか徳川とか,歴史好きのカルト学者の組合員とかそういう連中だろうか? 戦後処理にしても,平成天皇生きているじゃないか? どうありたいのだろうか? 訳の分からん連中のよりどころは,カルト徳川,京極とヤク中連中というわけだろうか(徳川,京極は早乙女麗子のようなものだから).石原のように.チョン助世界とインチキ思想,何の政治だとおもう.小やくざ社会じゃないか,石原のように,あるいはボケに甘えて痴れ者財界気取ってやり過ごそうという米倉のように.田原のチョン助誘導のように.銭泥以外何の能があるんだろうか,そういう連中に.そういう連中は,まともな学説が,例えばノーベル賞とか話題になると苦々しい嫉妬で世間を恨んで悪事考えそうな連中に違いない.内山のように(別に面識はない).もしや竹中ではないだろうが.酒井法子とか後藤真希とかヤーチョンのコマだから,どうだと言うのだろう.田原や,小沢や,石原とどう違うというのだろう.

原発はある意味不幸な生い立ちを背負って導入されたが,かわいそうなウラン君は,痴れ者ご都合連中の鴨にされてるらしい.物性は元素ごとに,あるいは特に,同じ元素でも同位体ごとに大きく異なることも多いらしいが,元素に悪玉もヨイコちゃんもあるわけないだろう.性格の悪い人間がいるだけだ.内山は性格悪いのか,小心なのかという問いに過ぎない.ところで内山って誰だ.福島だろうがどこだろうが,人それぞれあろうが,しれガキはしれガキだ.内山のように.ところで内山って誰だ.岸とか安倍とか朝鮮系の傀儡派閥というのじゃなだろうな.派閥丸ごとアジアの民主化のために輸出すればいいわけだ.

こいうことを書くのはすごく楽である.ネタが,インチキ話で銭せしめようという連中のばか騒ぎだから.息抜きにはいい.iPadminiもiMacも,私は,自腹で買ったのだから,そんなインチキに銭出す政財界があるのなら,こっちにまわせと言いたくもなるではないか?

日本の日本書紀とかでは,日本は,赤とんぼがいっぱい飛び交っている国といっているのだから,赤とんぼの羽に日の光が当たると,金粉が舞いとぶような光のきらめく国というのはいいイメージだが,とりようで,よくも悪くも引き合いに出せるということではなかろうか.例えば,朝鮮ということばは,日本の感覚では,いいイメージだが,大戦時代までの経緯からか,侮蔑用語らしい.中国も,中原ともとれるし,中原にあたる国と考えれば,いいイメージなはずだが,中国は,中原の華といわれないと嫌なのかもしれない.中原華国は日本語ではイメージがよどむ.


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帰納と解析

2013-01-07 12:46:13 | インポート
『ガウス 数論論文集』(ちくま学芸文庫), 「ある種の特異級数の和」のはじめの方にある,「厳密でしかも完全な証明は通常ならざる困難に行く手をはばまれるからでもある.これらの困難はもとより予期されるはずのないものであった.というのは,それらの困難は定理それ自身に内在しているというよりも,定理をある仕方で限定していく中で発生するからである.」という箇所はやはり気にかかる.「帰納の一途に邁進する」数学的歩みの原点なのかもしれないから.素因数分解の中国式とか,射影的極限とか,代数的方程式とか,そういう記号圏の表象なのではないかと勘ぐったりする.帰納と解析の関係もどこか記号的な感じがしないだろうか.「ラングランズ対応の定式化」までいけば,現代数学の最先端問題へ迷い込みそうである.迷子になる.迷子オヤジになる.きっとそうなるが,もともと迷子オヤジだから気にはしない.それはそんな場所だ.

有限の裡に無限の制限があり,その無限のもとに有限がある.それが例外もひっくるめた対象間の持ち上げとなるようなことを考えるということだろうか.文系感覚からいうと,そう珍しいことではないじゃないかという感覚なのだが,数理的にはそうもいかないというわけだろうか.そういう意味で,平方ベキ剰余の相互法則から高次ベキ剰余の相互法則の存在を確信して揺るがなかったというガウスは,無限と有限の間の相互の存在原理を手にしていたということなのだろう.帰納と解析の拡張原理を見出すこと,それがまた,非可換性への拡張ということなのだろう.拡張しにくさの構造を探る感じがあるから.ヒッグズ粒子が拡張しにくさを崩す度合いであればいいのにと思ったりする.宇宙の出来損ないの度合いとでもいうのか.植物が知能を持つとすれば,その度合いを知りうるゲシタルトをまとっているということになるのだろうか.ゲーテにちなんで.私も,そういう植物の知性に一度触れたことがあるから,などといってみたい.木の枝だって,あわよくば周りの植物に寄生して栄養とろうとか,そういかなかったら,葉を茂らせて光合成しようとか,生きる戦略のなかで,そういうゲシュタルトを知性としてまとうかもしれないから.

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年始

2013-01-04 12:07:00 | インポート
Hny_2

iPadminiと一緒に注文してあったiMac27インチが大晦日に届いて,眺めていた.画面サイズが大きい.半分ムダに広い.そして,一応,TeX, imaxima, Octave+emacsが動いて,準備は整った.グラフも大丈夫だ.前のiMacはharddiskが壊れた.そのうち修理に出したい.むだに,Macマニアのような出費になった.


コンピュータは未だよく使えない. PC88, PC98の互換機買って以来いまでも上達しない.数学ソフトは,手書きの補助程度にしか使ったことがない.機能のバカに高度な電卓使いというところである.大人のムダに高い文房具の状態のままである.TeXは使う.私は,やはり文章書くのが真っ当な利用のほとんどである.骨董趣味に終わりそうな予感もある.PC98の時代なら40~50万もしたと思うが,それに比べれば安くはなったと思う.昔はハードディスクだけで百万以上したという話も聞いたことがあるが,高価なムダの度合いは改善されてきたのだろうか?


こうも上達しにくいコンピュータにこだわるのは,ネットが使えるだけというわけではない.何か未知な記号の世界で,自由に考え,創造し,そして,生きる実感と融合させたいという観念がどっかにあるからだろうか.アダルトビデオやグラビアが観れるから,ゲームができるからというのも悪くないが,それでも,こだわる理由は,ライプニッツではないが,それがあるように思う.

Test_2

【箴言集】

ギャグは時に控えなければならないが、ギャグにならない戒めは守られない。

ガラス窓に体当たりして気を失った鳥を焼き鳥にしてはならない。

餃子の焦げ目を気にすれば、焼きすぎることになる。

アルデンテに見えても、芯はまだ太い。

星空を見つめてはならない。方角を見失う。

100メートルを4秒では走れないが、一日かければ峠も越えられる。

贅沢を笑うほどの贅沢。どっちにしても無駄には違いない。

男にとって昔の恋は苦い思い出だが、女にとって昔の恋は、将来のためのタンス預金。

etc.



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