goo blog サービス終了のお知らせ 

janpal

人生これ,雑記.

Home Page: https://janpal.web.fc2.com

Teatimeにかまける

2018-11-29 11:15:26 | 科学(Science

お茶どきの話題の方が,大変な労力を必要とするテーマになってしまったので,お茶休みを延長して,かまけたいと思う.

(I) M. Atiyahの2編の短い論文(`The Fine Structure Constant',`THE RIEMANN HYPHOTHESIS')は,リーマン予想の解決を主張する内容になっている,という話題性もあるが,現代数学の高峰の一連の頂に位置するような話題の融合であるとか,一般相対性理論の迷宮の見取り図であるとか,いわゆる,数学・物理の天才たちの歴史的な業績の集大成でもある,という意味でも,RHの解決の,リーマン予想の解決の成否も重要であろうが,輻輳としたゼータ関数に関わる理論や,ジーゲル理論とか,K理論とか,ノイマン作用素とか,あるいは,電弱理論や,超弦理論などの話題が,ある種の幾何学的精神によって道が開かれるというのは,それだけでも,勉強になり,参考にもなるものだろう,ということで,ちょっとずつ,準備して,読み込んでいきたいと思う.高木の『代数的整数論』の復刻版も買ってあるし,『微分幾何』もやり残したままだしで,ちょうど,都合もいい.やり残しているものといえば,多くは高2ぐらいの頃からのが多いが,そういうものばかりなのだが,整理していく指針にもなるだろう.

(II) コンピュータ社会だとか,機械学習だ,AIだ,IoTだとか,遺伝子操作だとか,人間の社会的な地位が肩身の狭くなりそうな,人類の未来への不安とかいうのだが,私は,あまりこだわって考えたことはない.というより,なんか,まだそういう分野の発育不足的なギクシャク感が,やや,鬱陶しい.

例えば,ITを駆使して,一部の企業は,ほぼ独占的な利益をあげ,現代の資本社会を牽引している,といい,AIは,別に,経済的な価値を生み出す主体というものではないというのだが,マルクスは,資本主義経済の発展法則,つまり資本の運動法則は,労働の生み出す価値に基づいていると言っているだけだから,別にそういう主体があるなら,そういう経済に革命すればいいだけのことであって,マルクス理論への反論とはなっていない.コンピュータやIoTで,経済がすでに変わっているのなら,マルクスの労働価値学説なんて,敵視する必要はないのである.理論的な仮設なわけだけから,そういう仮設では,経済だから,数理科学のようにはいかないだろうが,論理破綻するのであれば,論理破綻しない仮設を提示した上で,その論理を検証していかなければならないはずではないのだろうか.それなしなら,それは,論理でも理論でもない.私のblogのようなものだ.そういう連中は,私のblog並みだ,ということにならないだろうか.

労働というものも,一見簡単そうな仮設だが,やや政治的に利用されて,ジャーナリスティックに,歪曲されて,吹聴される,一種の場当たり的な効果を目的としたカードのように使われる向きがある.古典的な,手練手管である.そもそも,経済に,あるいは,資本に運動法則なんてものはなくて,結果的に,経済的富という,フラジールな塊を仮想的に作るに過ぎないというのであれば,そういう設定を明示して,論じればいいのである.そういうことを,意図的にやらない,一種のサボタージュを行なっている連中が,そういう論者には多い気がする.

(III) 音楽,  カラオケやPOPSでもない音楽は,自然言語や数学理論言語とは別な第三の言語体系なのか,という難題.ベートーベンになりたい気分である.聞こえぬ音,見えぬ風景,発せられた語のように立ち現れるメロディー,そして,親しみで包み込むカオス.あらゆる音,あらゆる実在,あらゆる感情との闘争の道行きの融和.カスタネットとハモニカしか演奏したことのない私には,音楽の世界のイメージは,こんな感じである.ピアノなら,伝える気持ちを乗せたくなるだろうが,カスタネットとハモニカは,「下手ねー」とか言われて,笑ってごまかすアイテムとして都合がいい.音楽の世界という音符との遭遇点を,何度も通過しながら,メロディーさへ透明になる世界,アカペラのカラオケではなく,脱曲の世界が音楽の世界?

 


2018年 teatime

2018-10-11 10:06:52 | 科学(Science

my iMacのOSをupgradeした記念に,Blog映えを意識しながら,スクリーンショット画像をupしてみました.

 

OSはupgradeされたのだが,肝心のパソコンの使いこなしは,全然上達しない.Blog書くか,TeXで翻訳したり,自分用に文書にまとめ書いたりくらいが,多少,まともな程度で,あとは,DMMもいいが飽きてくるので,youtubeの動画みたり,ネットのニュース読んだりが多い.が,本格的に使えるソフトがダウンロードするだけで手に入り,manual読みながら, 動かしてみたりするには,やはりpcは外せない.

 

*例えば,TeXならこんな感じである.

 

 * 訂正 --- スラブ文字をシリア文字と書いてしまった.それと,節が説になっているところとか.

参考のために,佐藤純一著『初歩のロシア語』から,ロシア語記号の発音については,

 

Feynmanダイアグラムについては,Becker, Schwartz,「ストリング理論およびM理論」から

 

 

Youtubeでカラオケ流しながら,ボイスメモで録音して,「はじまりはいつも雨」とか歌いながら,スキルアップを重ねるとかにも良さそうである.Garagebandでボーカルのライブパフォーマンスで同じことやっていたが,軽くていい.音楽好きや,デザインや絵画が趣味の人には,もっと,本格的な楽しみ方もあるのあろうが,「君に伝える腕もない」ので,親父カラオケ止まりである.

最近のニュースでは,やはり,本庶博士のノーベル医学生理学賞受賞ということだろうか.生物系苦手なので,受賞理由の詳しい議論とかあれば,読むだけでも勉強にはなりそうなのだが,先ずは,お祝いというのが世の習いだから,それはそうなのだろうが,STAPばりに科学系メディアも騒ぐくらいの方が,もっといい気がする.タンパク質の歴史的シーケンスのデータベースシステム作るとか,化学賞や物理学賞の成果も取り込めば,できそうな気がしてくるが,日本の科学ジャーナリズムが,あまり好ましく思っていない成果が,ノーベル賞の受賞につながっているという法則があるのだろうか.ニュースだけ聞いて,感想として持てるのは,現在,この程度である.あくまで,私がということであるが.基礎科学の軽視どころか,基礎科学の質入れや,横流しが横行しているのが実態ということもあるだろうか.科学世界に無縁の私でも,そういう実態というか内情というか,透かしてみたりするのだから,科学社会にいる連中は,もっと情報を持っているはずではないだろうか.世論が,科学ジャーナリズムの好みに追従しているという勢力争いのように演出している感じがあるが,その程度の勝ち組気取りで,これからの科学が金づるになると考えているのなら,考え直したほうがいい.

[医学部不正点数操作について]

医学部の点数操作も,何十年も前から,浪人生は減点されるとか,誰かがポロッと言っていたのを聞いたことがあるが,女子受験生狙い撃ちは知らなかったが,結局,そういう実情が,基礎科学よりビジネスということの根っこにはあるのだろう.最近の現象ということではない気がする.基礎科学だけというより,ビジネス偏重の弊害ということだろうから.仮に,歴史的シーケンスのデータベースから,免疫療法がより汎用的で普遍的になれば,何百兆のビシネスになるかもしれないわけで,基礎レベルの知見が不要になるはずがないわけだから,ライフサイエンスは苦手だが,興味がないわけじゃないので,もっと馬鹿騒ぎすればいいのである.知ったふりして,変な騒ぎに捏造してカッコつけているよりは,ずっとましである.改憲も,サイエンスも,ガキチョンのための演出じゃないかと疑うのだが,自民党はガキチョン子守政党という伝統なのだろうか.与野党の中の一部だけの傾向であることを祈るしかない.大学も,そういう体質にべったり教授連中が利権共感して,変なカッコしいだけで学問してる風体が横行しているから,改まるはずがないのである.それが,やっかみや僻みとなって,騒動の捏造を陰で後押ししていくことになっているのではないのだろうか.補助金裏利権で正当化しながら.そんなことで,成果が生まれるはずないから,情報通になって,どっかで成果でたら,うまくちょろまかしてやろう的な大学人がはびこることになるかもしれない.こういうことを改革するというのだから,うまくいくと思うだろうか.優秀な人材は,海外に留学して育てばいいのである.日本では無理になるから.どうせ,親の稼ぎ格差で振り落とされているのだから,問題視する必要はないのである.結局,同じことだから.力量のない教授連中に教わるしか,日本ではできないから.こういうことは,当然言われたくないだろうし,露骨にも言いにくいだろうから,暗に滲ませるわけである.原発の専門家はチョン助学者の村社会だから,アメリカのごり押しをまかり通すにはいいというだけのことだろうし.なんもかんも,そういうごまかし社会がいい社会になるはずないわけだから.

東京医大なんてところを受験しようという受験生なら,女子減点常識,浪人減点常識,知らない方が悪い.なんて,世間の風も受けるのだろうが,そもそも常識じゃないから,気にする必要はないのである.常識を前にぶつけて,都合のいい状況を演出しようてな動きは,一部に,旺盛にあるようだが,どっというほどの連中でもない.それが常識なら,事前に周知を図る,オバはん部隊がいるはずである.オバはん部隊を頼みに,票数稼ごう的な田舎政治家のような,理事・教授会連中が.ドブ板御意教授参勤交代ならドラマである.地面師のような連中を使って,御意の体裁を保とうという,犯罪者すれすれの暇な連中だから.大方の医療関係者は過労死すれすれ,を悪用して,御意演出してるわけだから.

 

[改憲問題]

 日本国憲法の改憲問題については,変えたければければいいのだが,あるいは,国民の重い決断という要件は,満たされないまま,憲法は死滅するのかもしれない.それも選択である.どっちにしろ,現憲法は,私の憲法であり続けるのだが,日本国民は,便利な憲法のもとで,安心して発展できることを願うしかない.そういう,多数の選択を,否定する気はないので,好きにすればいいのである.日本国憲法は,論理的にも,歴史的なタイミングとしても,普通の国民が理解するには,高度すぎたのかもしれない.仕方ないのである.気分の問題だから.反日論文誌が受理してくれなければ,憲法問題なんぞ考える意味がないわけだから.ガキチョン天国が未来の日本なのか,案外,ガキチョン程度の地獄なのかわからないが,そいう選択をしたがる国民なのである.良い未来を願うしかない.これを,改憲問題の結論として,私は,私の興味を抱ける問題に移ろうと思う.半受けしてるつもりのガキチョン芸能詐欺一家の家業が,石破改憲取り込みをより木にしている構図ではないのだろうか,自民党の改憲熱は.チョン助改憲内閣と名付ければいいのではないか? チョン助公金詐欺幇助の為の? 改憲チョン助文春砲とかが,オチのつけどころなのだろう.チョン助文化のかっこしいだけで,日本が変われるのだから,チープな国である.石破もイケメンだが,慶応のイケメンホストもチョンガキだから,事件が大きく報道されているのだろうか.ガキチョンかばい合いで,石破がもみ消せばよくないだろうか? 人気も,話題性もあるいい学生だったろうから,親密な関係が学風のかばい合いなら,いいのじゃなかろうか.どうせ,チョンガキもたれあい大学だろうから.中野とか青木も,チョンガキ利権で女子アナになったとかないのだろうか.とすれば,テレビ局もということだろうし... そういう意味では,学内のチョンガキ教授連中の利権の道具ということになるから,御愁傷様である.ここにも,女子受験生狙い撃ちの点数操作問題の根が見て取れるのである.内山だのが,右翼気取りながら,力量も無いのに,裏利権の朝鮮裏工作員気取りの,理事会まとめ役でもやるとか,江戸前ボス気取りの,そんな構図にしかすぎないわけである.国葬にでもすればいいのである.安い構図だから.中曽根は,なんか旧海軍の軍人ヒスが受けて,それをありがたがっているのが右翼ぽい演出なようだが,単なるヒスである.二重スパイじゃ無いだろうが,そこもヒス.私は,旧軍部のガキチョン系ヒスと名付けている.学徒出陣なんてのは,学生が,学問してなかったからであり,学問しても,天皇万歳しか,覚えられなかったからであって,他の理由は,後付けである.家族や,可愛い女子学生を,結果,米軍に頼んで,殺させたのだから.思いだけ重くて,投げ出したかったわけだから.僕ちゃんも重い気持ちだから,取り計らいよろしくね,てな,軽い決断で.

[blogについて]

私のアングラBlogでも,社会問題に発言した時は,閲覧数が増えている傾向があるのだが,社会派でもないので,ほんとは,TeXの例で示したような,数学的知性というか,そういう分野で,少しは,ひとかどの発言がしたいのだが,思うに任せない.どっちにしろアングラだが.よほど,言いたいことも言えない状況がというか,ストレスがかかっているのだろう.私は,言うが.

 そもそも,9条改正すれば経済が良くなると,イージスアショワを30兆円ぐらいにするとか,AI自動運転の代わりに,軍事特需を約束されるとか,確実なものは何もないのに,あどけなく信じているという前提を,高校の教科書でも習ったくらいのものなら,受け入れられるだろうか.かもしれないねがせいぜいである.どこまで,ノーテンキにそういうことを主張しているのか,私には,疑問である.女のうそとセックスは不可分なものと世間ではいうが,最近は,御意(ぎょい)気取りのおじんの専売特許になっているらしい.おばんの連中の玉転がしに期待するしかない.こういうことを言っても,私もオジン,ジジイだから,発情しないようにしてほしい.ネットバンキングとかAIから,軍需特需などと言っていながら,日本のAIは周回遅れ,地面師ならぬネット詐欺が横行の国が,どう安定するのか,Googleは雲の上だが,ネット詐欺なら上を行けると,国民が期待してるのだろうか.

 NetもITも,メーカーの商売のガバナンスの緩み程度に,ネット詐欺依存というイメージが定着しつつあるが,元々は,もっと伸びやかな,素直な目的で実現したものであるのだろうが,メーカー的には,エロビデオからDVD,ストリーミング,PC編集という需要の流れを,儲けにつなげなければならないという,男の欲情につけ込む戦略な訳だから(?). そういうことにあぐらをかいて,そのガバナンスの緩みが,粗悪商品乱造で,業績悪化になり,8Kで遅れをとる,なんてシナリオにつながるのだろうか? 過敏で脆いビジネス戦略を勝ち抜くセンスが,現代の経営には必要なのだろ.無い物ねだりだとしても.そんな,ことを乗り越えて,9条改正は,経済につながるのだろうか.

談合も構図が似ている気がする.例えば,私学でも,助成金を校舎増設に使って,関係者が談合に手を染め,周りには,オバはん連中を使って撹乱させ,結果,警察の聴取をすり抜けるというような,よく見かける光景が,あったとかなかったとか.背後に,そういうことが蠢く,プチ伏魔殿的な面も昔からあるのだろう.犯罪事には,皆,黙るから,国内で,フィリピン逃亡できてる感じになるのじゃなかろうか.私は,そいう噂を聞いただけであって,だったら,大学の教員の給与は少なくても,地面師アルバイト口はあるから成り立つのだろう.といえば,怒って,大学改革が本格化するてのはどうだろうか.内部に渦巻く情報の流れをキャッチしながら,実情を感じ取っている連中が,一番わかるはずだから.公明チョン助おばはんたちとか,なんとかの科学朝鮮詐欺グループのおばはんたちとかなら,風評部隊に使えそうだから,そこらから,エセ教祖みたいなのがわりだされてくるのじゃなかろうか.内山とか.昭和の麻原,池田大作とか拝み奉るおばはんは,おまたの不満がストレスになって,判断力が低減しているのである.公明党が処理しきれないから,参院選は自公は負けそうなのである.

ブログは,航海などの記録(log)のように,ウェブ上に公開する日記のようなものならば,支離滅裂,はちゃめちゃでも構わないにしても,多少は,体裁つけて,関連を持たせたり,事物の変化に応じて,主旨を発展させたり,そういう構成になれば,それに越したことはない.

本などを読むときの,基本的な方針として,粗読,通読,精読というのがある.

粗読 --- なんやら,有名な本だけど,著者についても,執筆や上梓された経緯や背景についても知らないが,まして,例えば,経済関係なら経済の理論なんてまだ習ってもいないが,一応,ちょっと読んでみるか.

通読 --- ちょっと,感じはわかってきたが,とりあえず,最後まで,読んでみるか.

精読 --- 一応,読み進んだが,構成上の重複や,繋がりや変化に,里程標を置きながら,読み直してみるか.

私が,高校生の頃,「資本論」を読み始めた時には,こんな感じだったが,通読までは,徹夜して,半日ぐらいで読み終えた.内容の理解など,先づは,後回しで.世界の名著版だったのだが,文庫版は,当時,岩波文庫版が,意外と,手に入りにくくて,相当たってから,国民文庫版を手に入れ,剰余価値学説史も手に入れた.岩波の向坂のハードカバー版は,図書館で,ザーッと飛ばし読みしていたが,さっぱり記憶に残らなかった.それから,ずっと後に,本の整理しようと思って,残す本を段ボールにまとめておいたら,ゴミに出されていた.全く,予定,予想外だった.

重複的読みとか,徴候的読みとか,まだまだ,読み残した恨みはあるが,本を読むのも,予定外,想定外の状況に左右されるものである.今なら,AIが読み込んでくれるかもしれない.そういう意味でも,『資本論』は年月を経た古い本ではあるが,いい本だと思っている.封建的国家保護貿易主義が,反資本論の論拠だということもあるのか,なんか,論争にもなりそうもない,という感じがする.AIで協働してはどうだろうか.ケインズが,革新的な反資本論の牙城として受け入れられたのは,AI的な協働によるとすれば,経済史にもなり得るかもしれない.AIが介在するわけだから,新しい視点での関連を立てるということにならないだろうか.ビッグデータ的な構造化を設定するというあたり,AI的ではなかろうか.そういう主旨の,新刊本なら,ちょっと,読んでみたくなる気がする.ビッグデータ的構造化は,ギクシャクした読みの体験に導くかもしれないが,そこに,読み込まれた理論の活性がgeneratingされる領域を作り出すような感じで,いわば,徴候的に立ち現れるという感じである.「本はなぜ何度も読み返さなければならないのか」という疑問への答えの一つが,そこにあるのだろう.非可換系の複素化とか,非結合系の複素化のような,読みの活性領域と理解領域に橋を渡せる感じになるのだろうか?

 ツイスター空間などもAtiyahらによって構成されたらしいが,複素化という橋渡しも,ギリシャ悲劇にある,絶望的な状況から,その中に埋まっている活性への神の導き(「機械仕掛けの神」といっても,私は「機械仕掛けのオレンジ」の方なのだが.映画のタイトルとしては「時計じかけのオレンジ」だが,女優ソフィー・マルソーの映画の宣伝広告で記憶に残っている.)が介在するということだろうか.

 


憲法第9条 解釈の限界の検証のために

2018-08-30 18:59:50 | 科学(Science

まずは,日本国憲法第9条というか,日本国憲法第2章「戦争の放棄」をそのまま引用する.

The Constitution of Japan

Chapter 2. Renunciation of War

Article 9. Aspiring sincerely  to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.

(2) In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

第2章 戦争の放棄

第9条 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する.

(2) 前項の目的を達成するために,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない.国の交戦権は,これを認めない.

           以上,『英文対訳 日本国憲法』,ちくま学芸文庫より.

(2)項削除とは,前項の目的を達成するために,以下の部分ということなのだろうか? 加憲については,(3) 国民軍(日本国軍)はこれを創設する,てな感じだろか? 解釈されたらどういう文になるのだろうか,解釈の限界はどこに置かれるのだろうか? 9条自体あるいは日本国憲法自体の破棄が目的だから,解釈だ限界だなどというのは,方便ということだろうか.日本国憲法を読んで,どういう解釈が妥当であり,同時に限界を表していると,誰もがわかっていることの方が,私には不可解である.個別的自衛権だ集団的自衛権だ,専守防衛だというのだが,憲法のどこに書いてあるのだろうか? 米軍と合同して軍事演習を行うつもりはなく,日本軍すなわち国連の実力であるという解釈で,日本軍は行動するなんて解釈が,整合化されるのだろうか.たとえ,日本国憲法を破棄し,新憲法を制定しても,法理上の整合性は要求しない,などということになるのだろうか? 結果に対しては,誰も,政府も国会も,責任を問われないのだから,議論が意味あるだろうか? 憲法学者も必要だろうか?

改憲の必要性を感じている国民が多数である,とアンケートの結果では出ているらしいが,改憲の必要を感じる,その必要性はどういうものなのか,私にははっきりしない.もちろん,国民の多くが感じるものがあるのだろうから,なんらかの現実なり,荷の重さなりが意識されてるのだろうが,例えば,日米安保とか,国際政治環境の変化とか,だが,日本国憲法のどこがどう限界だと意識しているのだろうか.私は,いわゆる護憲の立場だが,改憲の情熱は,永久にこれを放棄してはならという立場でもある.だから,最近の改憲論が,詐欺チョン改憲の仕込みぽく見えて,中国か朝鮮のやらせ詐欺ぽい感じがするのである.安倍は,もしそういうものなら国会議員をやめるというかもしれないし,石破は,そんなことありませんよ,ちょっとそういうことに色気感じてもそんなわけありませんよ,という感じだろうし,どちらも,あまり真があると思えない.憲法改正の,東京医大合否判定システムを巡って,自民党内の内紛が,自民党総裁戦の決着までは続くとか.竹下派もね,青木もね,とか.中国ヤミ金と自民総裁選とかないのだろうか? 米中闘争の代理戦争に,自民総裁選がなるとか.中朝闇ブローカーとCIAの闘争とか.現代の「真珠湾」とか.

英文の場合は,どういう意味だと捉えるのが,国際的な法学の解釈としては正当であるとか,日本語は,それをちょっといじっているのか,とか,細かい話も伴うのだろうが,法律通のレベルの英語のネーティブには,どういうことを言っていると受け止められるのだろうか? 私は,すごく聞いて見たい気がするのだが,日本は,政局絡みとか,疑獄隠しとか,そういう都合で,対外的に閉鎖的だから,なかなか,伝わってこないのである.「軍隊ないなんて変だよ」とか「理想に過ぎないよ」という反応も当然予想されるが,より踏み込んで,意見を聞いて見たい気がするわけである.

 私の憲法論は,やや疑似恋愛的な感情もあるのだが,大事な恋人を,国土審議会のような財界や政界のやらせのようなことで汚したくない気もするのである.ヤーチョン系仕込み業者のやらせ選定みたいな,AV業界のやらせセックスじみた演出は,それ自体遠慮願いたい.仕込み憲法学者は,セックスベタの,のせられAV男優のような連中だから.しかも,老人AV男優協会の連中だから.ヤーチョン老人協会のやらせみたいなものだから.ヤーチョン老人AV男優協会の老人のペアーの婆さんたちのパワハラみたいな憲法論議なんて嫌なわけである.そういうオバはんたちのお股の事情なんて興味ないし,知らないし.そうゆうのに限って,お前んとこのかみさんのお股の事情なんだぜえと,ヤーチョンの手下を使って,世間を掻き混ぜようとするとか.そのための有識者会議なんてことではないのかな? チョン助裏工作目的以外に,何のためにそんなの設定するのか,わけわからんのである.そんなののちょっかいで,興じる気分にはなれない.憲法論議とか,国の有識者会議だの委員会などには,そういうの多いから,いやらしい気分が付きまとうのである.壇蜜あたりを,委員にすればいいのである.そういうものなのである.有力企業の会長が囲えばいいのである.会長が、国の委員会で壇蜜囲ったらしいと言いながら,国民は楽しむのである.他は,会長の子分か壇蜜に群がるアリ老人という,役人御用達の風俗クラブのようなものである.それ以上の器は,有識者という神輿担ぎには,ないのである.壇蜜を除いた、変態会長やその周りの変態アリ老人より,日本国憲法の方が大事であるし,壇蜜は演技だろうが、縄で縛られて,気分がいいなんてのは倒錯だろうし,のめり込んでるのは,変態会長の自己満足の世界だから.変態会長の回答は,「変態最高である.至高の世界である」,てな国になるのである.私は,「まるで,チョンすけカルトの顧問みたい」と,つい言ってしまうのである.

下品な下ネタで申し訳なかったのだが,旧日本軍は,いわば,軍支配政権という国家そのもの暴走だから,ただ,兵器で攻撃する成果だけなら,軍師の力量だけの評価で済むだろうが,そういうことも含めて暴走した,統制国家だから,統制国家頭脳と国民頭脳は,峻別的に統一されるわけだから,優れた軍上層部の頭脳と,「よく理解した」国民の下等頭脳が,統一されているという,そういう同じような構図を,現在の国家の中で,保っておいてあげよう的なもの以外に,なんの目的があるのだろうと思うわけである.「変態は最高,至高である」という以外,解答はないのである.親か祖父母が着付けした感じの有識者しか選ばれないのだから.政治家のお友達なのか,旧有力企業の知り合いの会長さんを持つ親なのか,祖父母なのか知らないが.壇蜜と竹田くんを見ている気分になるのである.その気分的にしっくりいきそうな,室井佑月とかマツコとか,改憲有識者会議の委員にすればいいのである.芸能人世界の地方重視である.

天皇が戦争責任をとる根拠がないということは,大日本帝国が,極限まで立憲国家体制を実現する主体を,日本陸軍,海軍においたということだから.昭和天皇を処刑すべきだったなんてことを蒸し返すつもりはないが,そういう理屈なのだろうと思うからである. 軍人家系図か,詐欺チョン家系図か知らないが,最近は,そういう地方重視も見られる気がするが,それは,石破や小泉の方なのだろうか,安倍の方なのだろうか? 竹田くんは,詐欺チョン家系の神輿エセ皇族ではないかという疑いが,まだ,半分残っている.天皇は妾が1000人はいるものらしいから,10番目あたりなのか,どこで皇族かどうか別れるのかという面もあるらしから.ギスギスしい話になって,申し訳ないが.京都や滋賀,大阪あたりが震源だろうか.山口組4代目かその任侠ご母堂の東京進出で,発信源を移動させるとか.分散するとか.ヤクザと中国工作員の拠点が,重なるとか.石破と安倍が代理ヤラセ権力闘争とか.ヤクザと中華マフィアの拠点だけが,重視される地方とか.失われた十年でも何十年でも,要は,仕込みだから.ヤクザや中国の工作の分散拠点化は,バブル経済の頃だから.都銀や財界や労働界や政界や官界が後押ししたわけだから.そいつらのせいであって,「もしかして私のせい」ではないのである.なぜ,米中協調路線が,最近は,米中経済覇権戦争に代わるのか,どの世代がどっちの戦士たちなのか? 儲かる方の幽霊戦士てのが一番安全かもしれないが.「日本軍の真珠湾攻撃の記憶が」アメリカにはあるのである.君達も「よく理解した」下等頭脳として国民を利用した過去があるではないかとアメリカは言いたい気分もあるのである.戦時中は,特攻の滑走路作ったのも,防空壕作ったのも,よく理解した要員としての動員な訳だから.「お国のために,天皇陛下のために,そして父母兄弟のために死んでまいります」という兵士に,万歳するくらいなら,鍬であっちならせなんて,流石に言えないだろう.アホかと思う.神の御霊だから,下人は気にせんでよろしい,と言ったとしたら,さすが軍人様は考えが違うという以外どう言えるのか? 「な訳ないだろう」と言えるだろうかという意味である.或る意味,言葉豊かな時代だったわけである.しかも,言葉に実もあった.わたしは戦後生まれだが,そんな気分もしてくるわけである.そして戦後は,変態エッチずき権力者という文化になったのである.だから,当然,壇蜜であり,竹田君であり,室井であり,マツコになるのである.

国家が戦争状態にあるときにこそ,国家理法と統制は,「偶々(タマタマ)」を我が物にするのである.日本人は意外に,<偶然>ということに親しむ民族なのである.残念ながら,終戦までの天皇は,タマタマを軍に預けてしまったのである.改憲委員会は,その名残である.つまり,変態なのである.変態を裁く法律はないのである.天皇は平和の,そして,その主体である国民統合の象徴なのである.国民はすべて変態であるという結論にはできないのである,「変態と日本国憲法」に対する,私の意見である.論文にして,中国の論文誌に出したい気分である.

わざとらしいので,ちょっと気も引けるが,引用する.

Chapter 1. The Emperor

Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.

第1章 天皇

第1条 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく.

第1章は,第8条まであるが,以上.

'derive'は,色々な類似の意味を持っている動詞なようだが,日本国憲法では「基づく」となっている.「由来する」とか「派生する」とかではない.「AIがこれからの社会を牽引していく」という意味で,deriveを使うこともできるだろうか.「スマホは今では,実質的な三種の神器とでもいうべき地位を揺るぎなくしている」という意味でも,deriveを使えるだろうか.英語の得意な人に聞いてみたい.「由来する」だと,元来,天皇は,民を従えるための神だから,そういう経緯に由来するというのも奇妙だし,「天皇=神の御霊に成る」つまりは英霊として祀られるという軍のレトリックだから,帝国軍のレトリックに由来するというのも奇妙だし.deriveとdriveをうまく置き換えて使える感じになるだろうか.'drive a deriving deal'といったら,英語では,どういう意味になるのだろうか.英文のニュアンスは,英語ベタにはわかりにくいから.「彼の車に乗って,口喧嘩」ぐらいしか思い浮かばなかったりするし.

キリスト教なら「神は光あれといわれた」というイメージに慣れているだろうが,天皇の神話では,「なんとか姫は,屁をされた.そこで,ここを放屁野という」てな感じなのだから,確か,「飯野」とかは皇族が飯食ったからというようないわれと書いてあると記憶しているが.屁したからというのも,現在のイメージとは違っていたわけだから.イメージが重なるのも難しい感じがするのだが.天皇が変態プレーしたから,変態床の身分を改憲委員会は与えられた,とならなければ,天皇政復活は難しいわけである. 変態床氏マツコと名乗らなければならなくなるから.変態床佑月とか,変態床蜜とか,変態床君とか.

日本国憲法やマルクスはもはや過去のものである,という話を聞く.確かに,古い.マルクスは1世紀半,日本国憲法も1世紀になんなんとする.私は,マルキストでも共産主義者でもないので,別に,なんとも思わないのだが,やや,中華共産主義的なデマゴーグの匂いがする.共産主義国家のデマゴギーに踊らされた日本なんてのは,馬鹿げている.私は,社会主義経済学者でも,マルクス研究者でも信奉者でもないのだが,マルクスをただ引き合いに出せば,アメリカ主義者の顔をしていられるというほど,おめでたくは考えられない.私は,『資本論』は読んだが,いい書物だと思うが,左翼とかコミュニストと言われても,どういうことをそういうものというものなのかさっぱりわからない.政治的なものなら,街頭で街頭宣伝していた,右翼のおねえちゃんのイメージしか知らないし,肉感のあるギャルだったから.あら,もしかして,私は右翼なのか? 内容のないレッテル貼られても,肯定も否定もしようがないのである.真偽は定かでないが,伝記などを読むと,マルクスの嫁さん(イェンニィーさんだっただろうか)も,地方の名士のお嬢だったり,社交界の華だったりするわけだから,マルクスも学生時代,気が気じゃなかったなんてこともあるんじゃないかと,こっちも気を揉んだりするのだが,マリア崇拝ならぬイェンニィー崇拝者が左翼だなんていうのだが,逆に,紹介してほしいものである.訳のわからんことも聞き知ったりする.右を気取る連中の方が,ざけチョンぽいのが多い気がする.どういう事情でそうなのか,私には,よくわからないが,そういうイデオロギー論争は,ヤーチョンメディア論客のテクニックなのか? 昔の大学だから,将校登竜門的な色彩が強かったかもしれないし,伝記では,マルクスも学者将校で大学に残りたいという希望だったらしいし,乃木希典的な立場を目指すことになっていたかもしれないわけだから,世界に共産主義なんてなかったてなことになってたかもしれないわけで,どういうものなのだろうと思ったりするわけである.今なら,有能な財務省高官になってたかもしれないわけだから.ただ,中国のハニーに引っかかって失脚しちゃえ,というだけの人物像になるかもしれないわけで,どうなんだろう? マルクスは傑出していると高く評価されていたという話もあれば,さして目立たない学生であったという話もあり,そこらも,真偽不明だが,伝記にはつきもののことだから,そういうスタンスでいるしかしょうがないわけである.

 憲法改正は,ご都合的なカードであって,ジョーカー(joker)というのだろうか,第9条をめぐる解釈も,そのためのフリにすぎないという話もあるが,アメリカの日本への協力要求が支えきれないから,ということを,自衛隊関係の出来事のインタビューではよく答えていたではないだろうか.ブッシュ大統領の頃から,日本では.そこらへんが,アンケートなどには反映しているという印象もあるが,現在は,トランプ大統領の対中姿勢に姿を変えて引き継がれている,という感じだろうか.当然,そういうことが気になるというのは,理解できるのだが,成り行き任せ感は否定できなくなるのではないか.日米安保もjokerな,成り行き任せのゲームであるとして,営まれているのだろうか? もちろん,国会や内閣,マスメディアが道化ばかりを演じて,対米追随という反日の陰謀に追従しているばかりであるとまでは言わないが,表面上,そういう論調の方が旺盛である.ならば,プーチンが,条件をつけずに,兵w(平和というつもりだったが,まさにちょうど今,誤変換されたのでそのままにする)条約を締結しようという提案は,歓迎すべきであって,安保条約に組み込んで,米露の関係をとり持てばいいのである.次には,米露中を取り込んだ安保体制にすればいいのである.そういうことなしには,憲法は変えられないのである,といえば,一応,理屈は立つのじゃなかろうか.もちろん,改正の成否は,国民の責任の重い決断としてなされるだろうが,議論としてはあっていいのではないだろうか.誤変換といったが,ミーパソコンは,タイピング・ミスじゃんというだろうが.まーそうなのだが.

こういうニュースとか差し込まれてくると,憲法をめぐる解釈も,AI的に進化しそうで,面白くないだろうか?

 

岩波新書『憲法読本』はよく参考にするのだが,それだけで憲法論が尽くされるというものでもないだろうが, 次は,最近の改憲論議を見ながら,少々疑問に思ったり,憲法議論を捏造したりしてないかという疑念のある点について,列挙してみようとしたものである.

* 旧憲法の「改正」としての現日本国憲法が無効であるということ,(GHQ)占領状態の終結に伴う大日本帝国憲法の復活論と,日本国憲法の「改憲」問題の相違点はどういうことか.復活論は無視されたということだが,論理的な棚上げという体での無視というものだったことは,影響がないかどうか?

* 「戦争の放棄」や「象徴天皇」は,いわば,閉じた体系としての憲法解釈には収まらない内実を示しており,おそらく,人類の経験から帰結される,メタとしての経験(普遍性)に依拠するのではないかという点.

* 大戦後の世界秩序を模索するための実験,GHQの統治テクニック的な面と,日本国憲法の構造とは,相いれないものなのかという点.アメリカを,人類の理性に対する悪用者として,つまり,戦争犯罪者として断罪することになるとか?

* 民主主義<--->特権を認めようよ,平和主義<--->普通の国になろうよ,基本的人権<--->制限したり,多少無視して行こうよ,という,改憲の必要論は,ネト何とかなのかという点.日本国憲法の三大原則,民主主義,平和主義,基本的人権の尊重は,嫌いだし,なけりゃないほうがいいし,的な,ネトなんとか.

* 日本国の存立の表現のvolatility ------ 日本国憲法は日本国の存立の基本的な表現ではあるが,そのまま実体というわけでもない.人は,人らしい衣を着ているが,裸でもすぐに死ぬわけではない.改憲の必要性は,裸の体が生物的に死滅する原因が生じているか,その恐れがあって,そのために,人らしい衣の概念が変わってしまうことを意味しているともとれるが,日本国における裸の身体とか,それを基礎とする衣装とは,何に当たるのか.政治や官僚の腐敗とか,だらしなさとか,国際経済の潮流に転覆した日本的企業経済の構造なのか,改憲論は,日本国存立の危うさを,憲法表現の問題にすり替える論法が背後にある感じがする.日本国存立の表現の堅牢性への敵意がある気がする.日本国の政治家や政党,はたまた,文化人や有識者が,日本国の存立に敵意を持っていて,改憲論という,場当たり的な中国かどこかの毒饅頭に手を染めた免罪のために使おうという,まさか,そういうものではないだろうな,という疑念が残ったままなのは,日本人の政治的な判断に危うさを抱かせる原因となる.石破や小泉,安倍の総裁選の論争なんてことが盛り上がらなかったのは,そういうことへの単なる目くらましに過ぎないことが見透かされていることの,裏返しではないのだろうか.文化人ぽい言い方をすれば,「不易流行」の真理を悟れず,俳諧趣味に体裁を保とう的な政治家の姿を,国民が尊敬と平安の心持ちで頼んでいるという演出は,政治家の自己陶酔である.

 


無限成分波動方程式とマシン・ラーニングに関するメモ

2018-07-18 12:36:06 | 科学(Science

無限成分波動方程式であるMayorana方程式は,

として,

ということだが,機械学習で使われる理論構成(確率・統計・決定理論・情報理論,etc.)に,暗に,利用されているのではないか,という観点を,とりあえず,備忘用にメモっておこう.この式の中の,は,SO(3,1)の既約表現を定める,2つのパラメータ(a, b)に結びついた数であり,SO(3,1)のCasimir不変量と結びついている.Λは,内部自由度として生成・消滅演算子をもちこみ,a≡[a1,  a2]^Tと記して,その2次形式である量として導入されたものであり,これを.上の方程式のΛとしたものである,ということだろうと思う.

一般論としては,斉次Lorentz群SO(3,1)の生成子は,2つの独立な回転群SO(3)の生成子の直和として表現されるが,これにより,SO(3,1)の表現の基本ベクトルは,2つの表現の基本ベクトルの積,として表される.2つの基本ベクトルは,2a個の対称上付き添字と2b個の対称下つき添字を持つスピノルに対応している.SO(3,1)のCasimir不変量F, Gとは,

と結びついている.(a, b)の代わりに,あるいはの関係がある,をあてる.はユニタリー同値であり,(a,b)あるいは表現と,(b,a)あるいは表現とは,相互に空間反転によって結ばれている.(以上,『素粒子論』から)

方程式も,いろいろな困難を処理して構成されるようなので,ゴールドストーンぽい処方とか?,量子力学的な方程式にするまでが大変そうである.Mayorana方程式は,その条件を満たしているということなのだろう.

南部-後藤とか関係するらしいから.機械学習が,物理の統一理論,とりわけ,ストリング理論のバージョンになる感じになるのだろうか.観点は,ノーベル賞級になりそうだが,方程式の意味がわからない.仕方ないので,メモしておこうというだけのことである.ネットのnewsで,「マヨラナ粒子の存在を実証」とかあるので,AIなどの分野でも,案外,ホットな話題になるかもしれない.マヨラナ方程式は,タキオン解を持つとか,超対称性を持つとか,相互作用が非局所的であるとか,物理屋さんに任せるしかない話題が伴う.とりあえず,局所<-->可換,非局所<-->非可換と対応づければいいということだろうか.量子コンピュータへ貢献の見込みなのだから,そこらの機構が寄与するのだろう.

超電導真空超流動とか造語して,メモっておくと,後々,こういう話題について思い出すのに便利かもしれない.ついでに,超真空ユニットとか造語しておくのもいいかもしれない.パスワードを忘れたとき,ヒントをもとに思い出せ,と言われるが,ヒントの問答を忘れるから,役だったことないが,これは,なんとなく思い出せそうである.

 

ネタ本は,例のごとく,岩波講座現代物理学の基礎10,『素粒子論』.


オウム真理教事件死刑執行のニュースについて

2018-07-06 12:32:08 | 科学(Science

私は,オウム真理教は,あるいは朝鮮系カルトは,狐憑きだと思っているので,メディアが,何を議論したいのか,ちょっと分からない.テロなら,だれかやれば,日本初だろうし,化学兵器なら,化学者が,研究費名目で,理事長や学長抱き込めば,作れるだろうし,メディアも,総連系の朝まで討論で,オウム真理教の片棒担ぎやってたのだろうし,謎なのは,そういう連中が,謎を温存したい理由が謎なわけで,ヤクザ右翼の新ビジネスに,総連系論者が,色気出しただけのことではなかろうか.田原とか筑紫とか.その裏の政治家とか.中曽根とか石川とかの関係に似ている気がする.そういうことを表に出したくないのではないか.自民党なら,山本とか片山さつきとか,よく討論しているようだから,詳しいかもしれない.上祐とかは,第二の麻原ようにメディアがとっておきたいのかもしれない.オウム事件は,田原や筑紫などののメディアもたれ合い連中である朝鮮系メディアとその裏の変な力と,教団の合作という見方もなかっただろうか.メディアの中枢は総連系のメディア人連合とか? オウムも芸人になりたいという欲が出たのだろう.欲にほけて,情報を裏から渡していたような,オウム論者記者のようなのもいたのではなかろうか.

あの冤罪の時には,民家で化学兵器ガス作るようになったんだとか,農薬で作れるんだとか,最初は,そういうことかと思っていたが,警察も有毒ガスがあるなら捜査せざるえないだろうが,まさか,オウムの下部組織に,警察がなったなんて構図ではないだろうから,捜査の途中から,そういう騒動仕掛けて,メディアの責任逃れのために恩着せられるというような共犯関係を作る目的でやったのでは,という感じが強くなった.やっぱり冤罪か,と,私は思うようになったというが,感想である.忘れていたが,朝まで討論をよくやってる議員に,安倍総理のカテキョの柿さんもいるから,こういう事件の裏の情報持っているかもしれない.

なんかメディア批判のためにという感じがあるかもしれないが,メディア裏業者批判という感じなら,そういう面はある.メデイア裏業者人は,ひねた強気演出者が多いから,話しづらいという面もあるのだろう.勘違いしたナマガキぽい面があるから.例えば,朝鮮社会主義者の辻本とか,カルトのエリカ様議員とか.

問題を教訓にするのもいいが,メディアの責任逃れのシナリオで,煽られないことも必要ではないか,という,優等生的な結論で,締めくくりたい.

ここからは,蛇足を加えたいと思うのだが,カルト的な行動の動機の謎と,謎に見立てて,メディアが話題を商品化する動機は,区別されなければならないのだろう.例えば,「人は皆,賢者でなければならない」という言説が,いろいろな疑問の解答として,幾度となくたち現れれば,賢者であれば戦争は起こさないとか,賢者であれば,試験に悩まないとか,賢者であれば,バカにされないとか,そう的外れな考えでないと,内心思ったりするが,賢者の王国を作れば,素晴らしい世界になるという言説にたやすくたどり着く.そういうことは,ちょっと,面白いことを思いついたぐらいで,カラオケ歌って気分を発散程度で,処理されるわけだが,オウムの場合は,謎である.深い闇である.東大や京大などの学生エリートが,そういう言説の囚われ人になるのだから,きっと深い闇があるはずである,というが,そんなの困るのは,大学関係者ぐらいではなかろうか.もしかしたら,東京医大が,東大医学部でもあり,慶応医学部でもある,なんてことになれば,日大理事長が困ったことになる的な,闇が露呈するかもしれない,ということでもなければ.日大医学部もあるから.どう言っても,まあ,野次馬話なのだが,何を謎に見立てたいのか,謎に悩んでる連中が,オレは何を謎だと感じてるんだろうぐらいのことではないか,と思うわけである.ちなみに,私は,「宇宙の大賢者」の称号を持っている.謎であるといいたてる連中が,謎が謎のままなのだから,謎は謎のままで,どうトークショウにできるかの算段ぐらいに利用するしか手がないわけである.

それは,その程度のことであるとしても,謎はどうして謎なのだろう.科学の世界でも,科学的謎はあるわけだし,政治や社会でも経済でも,謎を謎として,判断することもあるわけだから,謎自体が無意味であるということでもない.タキオンは謎なのか,とか,局所的な粒子と非局所的な粒子は,混合した状態なのかとか.科学的に意味のある疑問かはわからないが,科学的な謎ぽくはある.仮に,こういう疑問が,科学的な謎の資格があるとすれば,より価値の高い謎であるということになるだろうが,カルト・テロで,生物・化学兵器,あるいはポータブルな核兵器が使われる方が,直接,身近な出来事と感じられるだろう,という当たり前のことを,ご都合で,股下なんとかのように,いいたてるポーズさえ取っておけば,という計算なのだろうか?

[個と集団]

オウム真理教は,カルト集団であるが,個々の信者は,迷える真面目な子羊たちであり,そこに,麻原や教団幹部といった,子羊たちの個の状況を,集団の凶行に転換する個性が介在する,という説明になっているような気がするが,個にももともと凶行の芽はあり,それは,ある意味,健全に内蔵され,制約されているのだろうが,教団の組織的な目的という集団性において,たやすく盲従すると分析されるわけだが,もともと,関連のない教団集団の目的性に,反応しないという面もあるのかもしれない.

有名な世界文学の,新潮文庫で昔読んだのだが,語られる女性である,'アリサ'だったら,その無反応さを保ったまま,死に至るのだろうが,日本のカルト集団は,関わりの面だけが強調される.置き去りにされた個の死は,社会的な個の死との関連性を,あらわにする.露わにされた双方の死の関連が,メディア的な神格化と呼ばれるようになる.メディアの心理ボタンが押されてしまうというのである.アリサは,語り部のボタンを押したわけではないが,オウム教団は,日本人の心理的ボタンを押すと,メディアのボタンが押されるわけである.

個の性質や,その多重性,また,集団に特有な性質,そういうこと自体が,悪であるわけではないのだから,悪のボタンに物象化する何かがあるのだろう.メディアは,麻原や教団幹部気取りで,信者はたやすく洗脳される,それでも,洗脳の不十分な連中には,文春砲を浴びせよう,なんて,短絡的なことは,どうなのか知らないが,誰でもわかるし,アホくさいことなのでやめておく.メディア自体の神格化願望の投影といえば,済むし.