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ヤクザの親分になった,日大,東京医大,文科省,アマボクシング.

2018-08-01 12:02:30 | 日記・エッセイ・コラム

オウム教団事件の死刑執行から,文科省疑惑,日大疑惑,そして,アマボクシング界疑惑騒動と続いている.共通しているのは,チョビヤクザ組長風体の老人達の,世渡り慣例が,若いの交えて,露呈してきたということなのだろう.疑惑の内容が,誰が聞いても,見ても,ヤクザごとだし.

日本社会の一部には,日大理事長とか,東京医大の学長とか,アマボクシングの会長的な,依存体質が蔓延しているかもしれない.特に,文科省が絡むということは,中央,地方の役人の裏事業化しているかもしれない.そういうところが,報道する価値があるものだということになるのではないだろうか.優等生的に,ほとんどの人は,そういうことに対する健全な判断でやっているのだろうが,と付け加えておく.プチヤーチョン組長気取りのもいそうだが,キリがなくなるので.まさか,ちょっと,思い込みのヤーチョン組長気取りがひどすぎるので,破防法適用とかにはならないだろうが.

芸能界だったら,タケシとかの大物はヤクザつながりだろうし(タモリやサンマは,それぞれ組が違うのだろうか),芸人も,ヤクザなしには,テレビに出られないとか,コメンテータもヤクザの采配なのだろうから,身内の騒動という扱いやすさもあるのだろうか? 

大学も,高等教育や学術研究の府なら,日大理事長が,あいつの研究捏造させろとか,仰せがあれば,子分連中が何かとちょっかい仕掛けて,嫌味なことを教授会レベルで仕掛けるとか,あり得そうではないだろうか.いい講義室割り当てないぞとか,大学の出版部に圧力かけるぞとか,大学の紀要などから,外すぞとか,キャリア積めなくなるぞとか,他の大学の関係者にも話通しておくぞとか,そういう手練手管にたけるだけの権威者気取りが,蔓延しているかもしれないわけだから.そういう連中は,論文とか評価されない連中が多そうだから,ますます,内にこもるのだろう.そういう感覚が,大学関係者に共有されているから,ヤクザごとにすぎないことも,答えの出ない,モヤモヤ,アヤフヤ,諦め感情で,処理されるという,見込みができるのだろう.私は優等生ではないので,そういう事情に詳しい,優等生に聞くのがいいだろうが.つまりは,学事とは関係ないとも言えない事情も存在するのではないかと言いたいわけで,それがバレたら,結構大事になるのだろう.どこにもありそうだし,勢い,本物のヤクザも出てきそうな話だから.それと,ぼろ儲けの商売にもなりそうだから.チョンピラヤクザの支配する大学なら,金持ちから銭集められそうだから.仮に,荒れ果てたゴルフ場のようになっても,夢の跡として,記念碑になるからとか.

問題自体は,そう難しくは感じないが,人間のやることは,色々厄介だから,訳わかりにくい.ある意味,女性的な感じが,こういう問題の時には,感じられる.やっぱり,二号問題になっていくのだろうか.二号さんの証言とか出てきそうな感じがする.

このような事件に共通するチョン助詐欺の構図が,憲法違反の疑いがあるという問題は,改憲論勢力の陰謀ではないかという疑いも出てくる.自民党の安倍追従体質が,そのような構図に符牒しているのではないかという,自民党の総裁選の状況と考え合わせると,反安倍を謳う石破や小泉などの勢力も,体質は同じではないか.つまりは,チョン助詐欺擁護勢力できてたわけだから.野党ももっとひどいかもしれないが.東京医大の理事長等の言い分が,派閥というものの,勢力分捕り合戦の実態なわけだから.むしろ,そういう常態が,なぜここにきて,財務省のハニーちゃん目くらましのように,露呈してきたかの方が,問題の根の深さを語るものなのではないだろうか.自民総裁選も,チョン助詐欺目くらまし総裁選ということにすれば,いいのではなかろうか.

私のような,オヤジ世代でも,全国模試の一番は女性とかだったから,女性が学力が高いとかに,妬みも嫉みも感じないが,おんなは他の男と寝て,くっついて,育児だので,社会的に,生産性が低減する宿命だからと,男女差別が,女医問題になるとは,私より上の世代の,通念がごり押しされてきたのだろう.その世代の利用する若い世代と組みになって,世代ギャップという構図を目論んでいるのだろうか.しかも,オバはん達のおまたの事情とか絡んで,こういう問題は,紛糾して,結局,逃げ打てる的な,算段が支配的になる.人の世の問題は,厄介である.総裁選も,そういう便乗連中の間の,安倍追従だの反安倍だのだから,オバはん連中のお股の事情ほどに,理解に苦しむ構図である.老人達のチンポの事情では、華がなさ過ぎるが.政界の構図が,チョン助カルトの構図になっているから,逆に,常態が崩れてきて,構図は改まりにくいから,政治家や官僚が苦慮する場面が多発してきた,なんて,深い闇があるのだろうか.つまりは,ゼニと欲ということになるとか.ゼニの面では,東大医学部と医の倫理が,補助金闇ブローカーの手練手管の舞台回しで結託すれば私腹こやせる的な,そいういう闇ブローカーの手先が,医学部の上層部になる条件とかが,この社会の闇なのだろうか.オバはん達のおマタの事情に慣れ親しんだオヤジ連中の手練手管が,「医の倫理」の正体ということになるのだろうか?  理解に苦しむ世間上層部の事情である.石破も小泉も,「慶大医学部の上層部は,補助金闇ブローカーと結託して体裁を保っているだけのところである.だから,医療の闇の腰巾着である.」いえば,説得力が増すだろうにと思う.吉村とかそんな感じだし.総裁選など必要あるのだろうか? 素朴に,そう思う.石破とか総理になると,政界チョン助カルト化の色が濃くなりそうな気がする.

正直で,根に揺らがぬ信念のあるオヤジかジジイが,「だよね」なんて言わないだろう.「だよね」は,まあ適当にそうとがった言い分にはなってないよね,と,とりあえず同意を求めたふりしてるわけだから,正直もへったくれもないだろう. 最後は,逃げ打つつもり,という意味しか,政治家言葉としては,意味なくね? 誰でもわかるように,石破に言っているわけだが,石破は,思わせぶりばかりで,おばんぽいから,自分をなんか奥深く見せかけたい願望があるのだろう.日本の,人格だの人となりだのの評価は,世間むきと本音と二重評価になっているから,そういう間で,うまく立ち渡ろうという,事務所の戦略のようなものなのだろうか? 周りに,変に作られたボンボンなのだろう.それで,日本をどうこう言ってもらっては困るので,ここは,総裁選から撤退してはどうだろう.安倍のためではなく,日本や世界のために.本性が,総理大臣の器ではない,と自民重鎮も見ていそうな気がする.自民重鎮が,深慮で判断して,そういう評価を醸し出しているのだから,そういうことになるよね.竹下もね,だよね.

なんか気が抜けてる,というのも,最近の騒動の特徴だろうか.暑かったし,猛暑続きそうだし.暑い上に,ギスギスしいことを言っているのだが,根はゆるいから,適当である.

国民性の間に忍び込むのか,手練手管に成り下がるのか,微妙な面がある,というのは,微妙に,国民の安全や財産を,見捨て放り投げる,という意味だから,政治家の格がしれているということになる.気の抜けた論争より,マシではなかろうか.メディアは,仕込みグセがつているし,政治も,下手な客引き議論ばかりだし,私は,軽くフラストレーションを感じるが,まあ,そう興味あるわけでもないので,そういうものなのだろう.

日本の防衛は,チンポが長いほうがいいのか,太い方が有利なのかの,答えを決めたくない論争の繰り返しでいいのである.ガキの頃はよくこういう問いに悩んだものである.考えて見ると,どっちにしろ,決めるのは,女の方だから,男は,うまく手玉に取られているわけである.

アメリカが軍事および政治大国である限りは,日本は,緩やかに,アメリカの軍事戦略や戦術に,追従してくれていればいい,日米の,暗黙の了解である,ということが,大勢の意識にはあるのだろう.もちろん,日本にも,もっと,手伝わせようとか,却って,ややこしくなるのじゃないかとか,ならば,ゆるい縛りにして,適宜,運用しようとか,アメリカも考えているのかもしれない.わたしが物心つく前からそうだから,そこらが,なんか気分的に紛糾するという感じが,あまりピンとこない.そういう問題に,貢献した議論なんてなかったし,言ったフリのお手柄的なことが,メディアや評論家にはあるのだろう.そういう意味の,平和や戦争などということへの,気の抜けた,意識の変化は,若い世代,しかも,70, 80歳代の若者気質らしいから,トンチンカンである.若者といっても,ほんとは,今の,10代や20代のことではないのだから,そこは,ちょっと注意する必要があるのだろう.アメリカ軍のレーダーは,山奥の掘っ建て小屋の中にあるが,黙って入ったら,射殺されるかもしれない的なことは,小学生の頃に見聞きしたのだが,いまは,たしか,有料道路沿いにある.物流なのか,軍の事情なんか,日本の経済発展やインフラ整備は,そうデザインされているのだろう.アメリカ軍の情報力は,時代を超えていた,ということになるのだろうか?

軍事も経済も外交もIoTというのだが,改憲論では,日本国憲法9条がどうこういうのだが,私は,9条のどこが問題で,どういう解釈が行われて,それがどう限界にきているのか,いまだにちゃんとした説明として聞いたことがない.みんな知っているのだろうか?知らないのは私だけ,エ〜!!! とか.

米軍のレーダー山小屋の件で,もう少し,記憶をたどると,たまたま,やってきていた,軍服ではなく,民間人風の外人が,フェンスの中に入るところを見かけて,ちょっと目があった感じだった,という状況である.米軍の人間ではなく,イギリスの諜報員が,日本の山小屋の軍の端末から,アメリカの軍事・外交・経済機密をハッキングしようとしている現場に遭遇した,なんてことなら,ミッション・インポッシブルな,映画さながらの場面に遭遇したなんて,おもろい話になるのだが.仮に,普段は,人気もないだろうから,そういう施設を破壊するデモやったら,米軍が急遽駆けつけるのだろうか.そういう事件, これまでにあっただろうか? 日本政府がセコムに依頼するとか.しかし,日米地位協定との整合性は問題とならないのか,とか.本当に,そう夜も眠れないほど悩む問題だろうか? そういう感じが,改憲論のまやかしで,はびこっているのではないかと疑問を持つ.

下ネタ多くなって,顰蹙買いそうだが,チンポが短いと奥に達しないし,長すぎると,中途半端感が避けられない,という感じの改憲論調が,政界の改憲論を席巻しているのではないか,政治家が真に興味あってやってること,不倫や買春だから.

憲法を議論する,疑問を持つ,それあっての,憲法論だから,「論憲」という色のついたレッテルではなく,憲法と語り,導き合うような,憲法との関係を築きたいものである.最近のは,水膨れしてる上に,パサパサしい感じで,どうもいい感じがしない.

私が,日本国憲法に興味を持ったのは,小学生の頃「君が代」が面白かったからである.小石の塊が転げるとか,コケつかないとか,小石は転がっても,じきに止まるし,小石の塊ならなおさら転がりにくいだろうし,コケが生える条件ならコケつくだろうし,面白い言い回しで,何が言いたいのか,はっきりとしない. でも,小石が転がるイメージはまがいようがない.いいとか悪いとかいうより,国歌とされる歌詞も意外と,多意的で,とりようで,イメージも修正されていく,パラパラ動画のようで,そこらが面白いと思ったのだが,国歌という権威なのか,法理上の位置付けなのか,うるさい論争が絡むと,小石も水ぶくれしそうで,イメージしたくなくなる.憲法の文言も,小学生的には,どこか似た感じを受けないだろうか.政治的な信条として,右か左かなんておきまりのようにレッテル貼られる風潮だが,君が代は天皇の代の意味と教わるし,小石が転がり続けるのは,君が代を幸くあれという言祝ぎだという意味で教わった記憶だが,「右」は「ごもっとも」と疑わず,「左」は「問題じゃね」という連中だという感じ以外何があるのだろうか?

小学生だったから,右だろうと左だろうと知ったことではないが,パラパラ動画感は,いまでもいい感じに思っている.天皇君主政に戻るとか,軍部の残存思念だとか,そういうことより,パラパラ動画感と君が代が,奇妙な違和感を感じさせるものがあることの方がきになるわけである.私だけ,エ〜,ということだろうか.

今の私なら,国歌がどうだの,国旗がどうだのいう前に,小石はころがりやすいのかどうか,しっかりした見解のない政治家レベルの話では,意味がないという立場を表明するわけだが,まあ,無視されるわけである.しかし,宇宙軍の創設のためには,小石が転がり続ける条件は,無重力とか,宇宙空間とか,政治家ならば,アメリカ追従のためにも,そこらはしっかりした見解を述べなくてはならないはずではないか?

憲法については,加憲だの⑵項削除だのいうが,現憲法破棄して新憲法の制定以外整合性は無いと思うが,狙いはそれだから,私は,言われるところの,ただし,一人護憲である.現日本国憲法は,まだまだ,芸術的知性の高いパラパラ動画が控えているように思うからである.そこにしか,整合的な新憲法は存在しないと思うからである.

結局,入試試験の点数操作を貫徹するなら,白紙の問題用紙配って,後から,選別受験生の名前と解答を書き足せばいいのである.誰も実質,損してないことになるから,ハイハイで済むのである.中途半端に誤魔化すような仕込みやるから,問題視されるのである.私は,公正な受験であろうと,裕福なリスペクトすべき社会的な地位の家庭の受験生を選別するためであろうと,合格しないから,どっちでも同じなのだが,それを,そういう仕込み隠すために,お前の学力が足りないから,合格できないんだと,濡れ衣に利用されるのも,嫌なものである.仕込みの学力評価におもねれば,海外旅行でほとぼり冷ましておく方が,どちらの側にも,安全なのである.教授連中の学力不足の言い訳にも利用できるから,そういう仕込みの腰巾着もはびこるのである.受験料は,大人の配慮というものの実習費であると考えれば,入学料や授業料にかかる額に比べれば,いい機会であるということでいいのではないだろうか.なにせ,医学界や社会上層部の大人の事情の,社会勉強ができるわけだから.キャバクラのように稼げはしないが,社会通念上ワリはあっていることになるのではないか.

社会的な,(概念として固定しない)社会階層が,固定化することが問題だ,貧富の差という方が一般的だろうか,といってた頃もあったようだが,裏を返せば,そういう固定化の状況は進む一方で,対処しようがないという話だから,当然,だから,入試の点数操作も認めろという話を定着させたい連中もいるということだから.羽毛布団はちょっとお高いが,一度使うと,もうポリには戻れない的な.エアコンに扇風機が不可欠になるなんて,エアコンあるから言えることでしょう的な.猛暑の間に,少し涼しくなって,扇風機だけが丁度いいくらいになったのは,台風のおかげとか.地球温暖化の影響は,地球のさかりの時期が過ぎれば,収まるが,人口減長は止まらないとか.

 

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年の瀬迫る

2016-12-05 13:33:50 | 日記・エッセイ・コラム

12月は,基督降誕祭前夜祭(イブイブとか),基督降誕祭(脇役とか),大晦日・正月(最近はどんなんだろうとか)と恒例の騒ぎが到来するのだろう.こういうお祭り騒ぎも世相とともに変わっていくものだろう.

ごく最近では,東京オリンピックの公金チョロまかしが,韓国の占いおばさん一族と似たような構図で,森喜朗元総理とかが,そっち系のネズミになってしまっているらしい.そっち系擦り寄りネズミというよく見かけるネズミだから,ぼやけてしまう感じだろうか.来年は,酉年(とりどし)なのにもかかわらずネズミである.実は,問題の根は深い問題で,ネズミでも鳥でも感染するものなのかもしれないが.郵政も金融改革も,改革占いおばさんの公金詐欺ではないかという噂もあるくらいだから.そういう不透明感のはけ口のなさが,形を変えて世相に影を落としているのかもしれない.ちょっと言いづらく感じることでも表現して伝えられることはいいことである.

「パナマ文書」も,豊洲文書とか東京オリンピック文書とか,規制緩和文書とかに姿を変えて,勘違い野郎じみた傲岸が横行しているらしい.ロッテの通販宣伝員ぽいのが多いのだろう.こんな世相でも人口は増えないらしい.カジノもやはり横浜中華街に作れば,中華街文書となって世相にあっている感じである.そういうところが,実態ぽくて面白くないのだろう.トランプビルに住んでもいないくせに,そこの住人ぶってるのは,ガキチョン政治家やその取り付き連中なのだろう.やーチョン系の銭で動かされている感じで,理性が通じない.ミスコンも枕営業用のヤーチョン商売の出店とか.なんとかパンブームもやーチョン商売用の隠語とか.中野とか青木とか.真偽は保証しないが,話として面白そうとか.部数増えるとか.

 原発事故を受けて,放射能を菌だとかいうので,学校などでのいじめが問題になっているというのがあったが,びっくりである.普通,放射能を菌に例えないだろうし,被曝は,目には到底見えないくらいのレベルでの物理的影響が問題なのであって,普通多くの人が知っているだろうと思うのだが,なぜか,ガンは伝染病的な昔の人の巷話じみたことがあるらしい.言いがかりか,タチ悪の悪行が原因なのじゃなかろうか.放射能は菌ではない.炉心融解は起こっている.そういう事実でしかない.簡単にいえば,放射能は,放射性元素の持つ特有な能力のことだし,放射線は,放射能によって出てくる,アルファ波(ヘリウム原子核の原子線),β波(高エネルギーの電子線),ガンマー波(熱線),中性子線のことだから.被曝はそれによる影響のことだから.陽子や中性子,電子は,菌でも,人の体も石も水も原子でできているのだから,それでも嫌味で例えに使うてのは、足りんチョンの性悪のやり口である.政治風土の問題ではなかろうか.地方でも,政治家は角栄を忖度するらしいから.

放射線に興味を持ちながら,カツアゲとか変に陰湿ないじめに発展する背景に,最近の話題では,ニホニウム(Nh)が元素の周期表に載ることになったとか,暗黒物質の候補の反物質を捕らえたとか,重力波じゃないが,科学の話題で現在も確定的でない話題の色めきと,それを悪用する状況のギャップに,悪ふざけ気分で便乗するという粋がったポーズの真似事で許されるのじゃないかという,ガキチョンの単細胞の伝統でもあるのだろう.科学面は,大人でも難しいのだから,ガキチョンにはなおさらなのは当然であるが,カツアゲとニホニウムは別事であるくらいの区別がつけばいいのである.森喜朗元総理などの公金泥棒を,国も都も共謀犯で見過ごしているじゃないか(都の役人としては,それに対するには,だらしない仕様にするしかできなかったという見解もあるのだろうが),逮捕者の一人や二人でなきゃおかしいじゃないかと疑われている連中とカツアゲ犯は,別ごとである.真似事では済まない.森喜朗は,入札詐欺の朝鮮総連の寺の住職のようなものだから.そういう構図では,プーチンは,オリンピックのような公金詐欺の黒幕扱いである.二島にカジノをとか街宣車が走るのを,ロシア人は,「祭りか」と見て楽しむかもしれない.

密約に関するロシアと欧米の認識の相違は,ロシアと欧米の作為的な共謀の面があるのかどうか.そういう影響が,日露関係の背景にあるのかどうかもきになることではある.米ソが共謀して互いの敵対関係を戦後政策の調整に利用したという側面はどうなんだろう的なことである.そういう枠組みの中で,アメリカはロシアがサイバー戦争を仕掛けてくるといい,ロシアはアメリカが軍事拠点にするというわけなのだろう.死んだ文言に形骸化すれば,破滅が残るという,ギリギリの何かが,美しい島々に,暗号化されている感じだろうか.戦争の暗号面のビッグデータみたいな感じだろうか.私は,もちろん当時はビッグデータなんて言葉もなかったが,高校の歴史の参考書(授業では現代史はあまり詳しくやらないから)で読んだ頃から気づいていたのだが,とうそぶいてみたい衝動にかられる.

 別に森元総理とか恨みはないが,オリンピックと豊洲移転のような,マンション建設ラッシュじみた公金横領談義のような,結構こういう事のサンプルじみた時によく出てくるから.銀座のママが「男はそれくらい位じゃなきゃね」とか褒めるのはサービストークであるという自覚が足りないのだろう.巣鴨にでも行ったら,「銀座よりそっちがお似合いよ」とか裏口叩かれるという自覚が.早稲田出身の政治家は,ガキチョン系の取り込み根性が強いから,森喜朗はそういう神輿にはうってつけだったのだろう.中国系のその手のは,東大にも多いらしいから,日本の政治家が,中国や朝鮮系の裏金業者の手先ぽくなって,ゼネコンなどが後押ししている構図になっているのだろう.都の公金を目当てに,中国や朝鮮の裏金業者の手先になれば,横領がうまくいけばチャラにしてもらえるとか,持ちかけられているのではないか.そういう業者団体も多いのだろう.ヤクザに取り込まれた町内会長じみたのが多いのかもしれない.そういう連中の不信を持たれる人間性が都政への不満となったのだろう.早稲田も東大も例外ではなく.そういうタチの大学人は結構多いから.吉村とか難波とかは,中洲の暴力団がらみじゃないのかとか.チョンピラ取り巻きの町内会長騒ぎに,担ぎやすいチョンガキ連合の神輿都知事が3人もやめて,猪瀬もヤクチョンの銭でやめたわけだから,小池姐御に頼らざる得なくなった都政なのであろう.都の予算なんてのは,ヤクチョンからの着服用借り入れの担保金であるてな具合に.都民よ,みんなで公金着服しようというので,選挙に出れば,当選確実である.少なくとも1兆2兆は横領用に確保されているから.実は,そういう見積もりもちゃんと裏ではあるはずなのだから.

ところで,不良市長の発言で問題なのは,授業を抜け出したからといって,未成年者がみんなタバコを吸うわけでも,かけマージャンするわけでもないということである.私も,数回,高校の授業を抜け出したが,普段あまり交流のない連中と,プール横で雑談していただけである.そんなに根のグレた連中ではなかったので,昼休みを余分に取ったくらいのものである.しかし,そもそも,授業を抜け出すこと自体が褒められないことだからという,そういう恨みはあるが.

さて,正月らしい歌はと,『万葉百歌』から

うちなびく 春来たるらし。 山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の 咲ぬるみれば  尾張連(おわりのむらじ)

一つ松 いく代か経ぬる。 吹く風の声の澄めるは、 年深みかも    市原王(いちはらのおおきみ)

二つの歌を一つにつなげてみると,

山の際の 遠き木末に吹く風の きらきらと そひぬるわれの 心寂しき  

字余り! 有名な俳句では

門松や 冥土の旅の 一里塚   

そこで,一首

経る年を 疼(いた)む心の果の際に 咲ぬる春や 旅人とみむ 

 

Xojo(RealBasic)のチュートリアルにあるサンプルで,超シンプルブラウザーを作って,Xcodeで単体で動くやつ作ってと遊ぶ.開発系のソフトは憧れだが,いつも,最初の入門用サンプルで終わる.

タダソフト狙いだから,文句は言えないが. Visual Studio for Mac Previewは,(よく知らないのだが,タダだしで入れてみたのだが),XcodeとC#をシームレスに連携させた感じだが,シームレス感を作り上げるのも,そう簡単ではないのだろう.

東京オリンピック問題や豊洲問題などは,シームレスにはいかないだろうから,通せんぼネズミが勢いいいらしいから.通せんぼネズミは,規範は持たないから,逆に言えば都合のいいことは自分の言い分的なやり口だから,扱いが厄介になるが,緊張関係の中で,創造的な関係に組み替えるくらいで,扱うしかないのだろう.要は,利権のおごりと甘えが,費用面でも,調査不足でも問題をもたらしているわけだから.

年賀状の準備も

1.

 

反水素とか反ヘリウムとか,反物質の話題があったが,エネルギー・スペクトルに有意な差は見られなかったが,物質と反物質の非対称性の可能性は残るという記事だったが,7次元とかのコンパクト時空の影響が,スペクトルに畳み込まれていて,C=A-Bのような役割になっているのだろうか.数の列の区間をどう区切るかとか,素数がどう重なるかとか,Mixingの状態が,双対性を素数のように隠すという感じなのだろうか?

素数はありふれた自然数の列に埋まっているのだから,複素7次元空間あたりから区切りを入れないと,見えてこないという感じで,物質界の根底に横たわっているとか.ボーアの遷移の謎とか.ついでに,ガウスの相互法則遷移とか名付けるのはどうだろうか.物理は数論するなんて標語で,案外そういう繋がりかもしれない.物理は実験結果をパラメータに外挿する流儀だそうだから,'be judiciously protected from (H)-interaction'を探ろうという実験の趣旨は((H)-はシャレで,HiggsとかHエネルギーとかのつもりで,外挿した),錯然とする印象である.k=1だの内部量子数だの,Zeeman効果だの,もう一段掘り下げて,双対性を発見しよう的な流れになるのだろうか.Bohrの対応原理の代わりに,Gaussの一般相互法則原理のようなものを置くとか,なぜか連想される.[HエネルギーはエネルギーHが正しいかもしれない].  「注意深く相互作用しないように」という訳だろうが,「思慮深く相互作用がパラメータに隠されている」という感じには読めないだろうか.寿命だからlogとか(半減期ぽく),タキオンとか(対応しそうだから).

 


ブログとホームページを練り直す

2014-10-07 20:19:47 | 日記・エッセイ・コラム

gooブログへの引っ越しという,せっかくの機会なので,blogとホームページを,すこし真面目に勉強してみることにする.java appletとか,javascriptとか,cssとか,あまり気にせず,とにかく,いいたいことを言う場を作ればいいやという感覚で,書きぱなしやってきたが,多少,まとまりや関連をもったものにしたいなというきもしていた.先日,入門書も数冊まとめ買い(古本屋で)したので,しばらくは,勉強がてらである.

しかし,生来,コツコツしたことが苦手なので,話題に引きずられて,脱線していくことも多くなると思う.例えば,早速,ノーベル医学生理学賞の発表という記事があり,脳にGPSのような位置認識ネットワークが存在して,それに関わる細胞を発見した功績というようなことが書いてあったが,どうやって,そんなシステムを形成する組織化ができるのかなどと考えれば,iPSだのSTAPだのという研究の意義とも繋がるのかなと,素人ながら,触手が向く.iPS関連では,最近,リプログラミングの仕組みに関して,成果が出ているような記事もあるから,多分,そういう段階なのだろう.

STAPに関して,早稲田がどうたらという記事もあったが,科学などに関心も関係もない素人芸人もどきまで,なぜそんなにSTAP嫌いなのか,わけの分からない風潮もあるようだが,どういう背景なのか,いまだよく分らない.さすがに理系のそれなりの知識をもってる人は,そうむちゃくちゃ言うようなことはないようではあるが.問題が,専門的すぎて,科学記者も消化しきれない.それに便乗して,話題作り目的の騒ぎが一人歩きする.そんな感じなのだろうか.私などは,理系はまるっきり苦手なのだから,そもそも,理科関係の話は,グレーな気分になるはずなのだが,たまに,ちょっと興味をひかれる話題に遭遇するという感じで,興味あるのだが.しょうもない,変なメディア関係の連中が,阿呆騒ぎばかりやるから,STAPの情報も最近は,ほとんど出てこない状況であるようであるが,仕方ないのかもしれない.

LEDの研究で,日本人研究者3人(赤崎勇教授,天野浩教授,中村修二教授)がノーベル賞受賞というニュースがあった.もちろん素晴らしいことだが,ダイオードというと,江崎玲於奈とか,半導体とか,トンネル効果とか,思い浮かぶのだが,最近,(よせばいいのにさっぱりな)生物系も,気になるようになったので,むずかしそうな,細胞の多能性検証に,LEDを使うとか,そういう応用にも期待はできないのだろうかと,想像してみたりする.そこらの仕組みが,私は,よく判らないのだが,もしかしたら,そういう応用を研究しているところもあるかもしれない.

 ブログやホームページやツイッターなども,そりゃ,大きく見れば,企業の営利活動の,展開の一部に組み込まれた仕組みではあるのだろうけれど,電子商取引とか,SGMLやXMLなどの経済活動の電子世界的なプロトコールのようなものまで含めれば,電脳起業ということになるのだろうが,私は,商才はないので,どうせ儲かりもしないのに便乗して,損してもはじまらないのでやらないが,概念的なことは,勉強にはいいかという感じである.まとめ買いした古本に,ECとXMLとかあって,これはちょっと,違ったかなと本棚眺めている.が,損でもあるまい.最近は,こういう話題もあまり聞かなくなったが,結局,日本では,あまりパットしなかったということだろうか.通販だらけでとか.しかし,それ自体は,流行り廃りで済むようなものではないらしいので,なんかまた,日本の企業体質がネックとなったような話になるのだろうか.携帯のSIMとかも,そういう文脈の話題なのだろうか.

日本の話題作りは,どっかねじれていて,しかも,どういう連中の利害から出てるのか分らないような感じになるので,掴みにくくなるが,ちまちま,自分で考えるしか,いい情報は得られなさそうである.情報仕手筋のたちの悪さが,情報社会のネックかもしれない.古い業界のしがらみ便乗的なのが,いまだ幅を利かせているのも,日本らしいことなのかもしれない.もちろん古くてもいいもの,新しくてもうさん臭いものを仕分けて考えるべきなのだろうが.大きく言えば,こういうことも,イノベーションの一つということではないだろうか.

ノーベル化学賞が,蛍光顕微鏡の開発者に決定というニュースも出てきた.この時期だから,ノーベル賞の話題は,恒例だろうが,知識が追っ付かない.非破壊的な観察で,細胞の未知の仕組みを明らかにする手段として,LEDの応用がまた,生物や生理学分野でも活気をおびてくれば,LEDエピジェネティック解析顕微鏡なんてのもできなくはなさそうな気がしてくる.微細な励起振動の光の束を駆使して,生物の分子レベルの解明もまた一歩進む可能性もありそうな気がする.

 

 


細胞の初期化と貨幣

2014-07-05 10:27:05 | 日記・エッセイ・コラム
非周期的なリニアな列が,周期性をつくる巨大高分子化合物を生み出して,時間を発現するという話と,ブラックボックス的なやせたリプログラミングから,細胞の初期化が行われるという関連を考えれば,いわば,時間のオリジンはどう定めるのが合理的かとか,そうすると,金という貨幣が,商品世界(商品ベルト)のオリジンとして合理的なのは何故かとか,細胞の初期化がまちまちな部分時間の統計性を支えている実体であるとか,ひねった想像もできないだろうか.

特定の時間での状態(status)は,全体の眺望の中で,時間が汎恒常的に恒常性の部分的な書き換えを行ったとしても,あるいは,文脈依存的に,初期状態に逆戻りしていったとしても,際どく運命付けられていくことには変わりないのではなかろうか.ギリシャ悲劇などにあるように,際どい運命づけ(fate)は,時間としての審判に試練として挑まなければならない神話的英雄のテーマでもあるような気がする.有限の中に生きる人間は,時間の審判に挑むことによってしか,時間と関われないのかもしれない.epic時間(epical time)という感じになるだろうか.有限の外にある時間と有限の内にある時間との相互作用のような感じになるだろうか.迷い,挫折し,猜疑するなかで,イベント駆動的に宿命を開いていくこと(development)が果たされる.俗な言い方をすれば,「ふんだりけったり」を「開運」に変えていく.

科学的な命題に,文化的な話は馴染まないかもしれないが,科学研究者の反応も,結構,けったいなものもある.STAP論文騒動に限らないが,素人目に見ても,けったいな科学研究者の反応というものがある.本当にそういうことを専門家が言っているのかと疑いたくなるような話も,結構あるように思う.科学者も人の子だから,科学と利権だの,科学とカネだのいわれても,そういつもいつも気にしているわけではないだろうが,科学研究の世界もだいぶマンネリ化して,情報の風通しも悪くなっているのかもしれない.そういう背景の中で,科学の倫理といっても,結局は,科学者のマンネリコミュニティの自己是認に陥るのかもしれない.日本の先端科学も中国科学院の,居心地のいい日本支部になっていくのかもしれない.工作裏金を使えば,科学者団体など丸め込むのはわけないことなわけだから.その程度の,科学者団体もあるようである.渡辺格が,自分の資産稼ぎに分子生物学会を設立して,横領の役に立ちそうなのを選別して囲い込んで,分子生物学会に利権の網をかけたといわれたら,どう反論するのだろうか.感傷的な反論するのだろうか.それは,創設に伴う準備段階での関与者が勝手にやったもので,学会には直接関係ないとか,お決まりの言い訳するのだろうか.今の,科学に関わる行政環境では,ある程度のことは致し方ないという感じになるのだろうか.例えば,そういうすねに傷をもつところが,騒ぎを仕組んで,疑義を転嫁したいということもあるのだろうか.ややヒステリックな反応があるのも事実ではなかろうか.国内外を問わず,その手の騒ぎが,科学研究をめぐってはあるような気がする.生物医学系の論文雑誌といえど,その程度のものなのだろう.雑誌が値が高いことと,そういうことまでカバーしきれることとは同じではないだろうから.私にとっては,日本の生命科学系の実態がどうであろうとどうでもいいことだが,世界のどこかで,科学が科学として保たれていればいいことである.ヘブライ語で論文読めと言われたら困るかもしれないが.学者とて,論文はラテン語のものだけ読めと言われたら困るのも多いのじゃないだろうか.

しつこくなるが,素人なのでどうしても,疑問が後から後から増えていくのだが,「胎仔,胎盤に寄与」ということに関して,胎仔,胎盤のもとになった内部細胞塊とかの胚の組織が,遺伝子的な動き,仕組みがそれぞれ異なるということはあるのだろうか.STAP細胞の多能性検証とSTAP幹細胞の多能性検証は,別建てでなされるらしいから,なにか大事な発見になる仕組み(例えば,多能性獲得リプログラミングとか)の解明ということがあるのかもしれない.卵子の状態から,セックスのタイミングで避妊という避妊法の話題ではないのだろう(排卵日がなんたらこうたらとか,カモノハシとか(それでも♥️to♥️とか)).遺伝子レベルで遺伝するというのは,胎盤に変わる遺伝情報が,変化して休眠するという感じなのだろうか.そこらの意味とか,あるいは新しさとかがどうもよく呑み込めないのだが,どうなのだろう.

生物の進化が,分子進化論的な化学的な解明という意味に変わっているというのなら,全体的に,遺伝子の働きの仕組みを解明していって,進化がどういうふうに実現していくのかとか,研究として挑んでいく必要があるのじゃないのだろうか(カモノハシは進化のコンタミだとか,だからカモノハシは捏造だとか).分子進化論的な仮説は,捏造だから,研究に値しないという話になるのだろうか.科学が科学としての態度を取らないというのは,そういうことではないだろうか.「論理」といっても,閉じた体系ではないし,科学的な検証といっても,開いた論理の活動なしには,そもそも論理的な憶断であるわけだから,科学的な態度を放擲した科学はあり得ない,というのが,論理学の常識ではなかろうか.論理学が閉じた体系であるということをいっている論理学の本は読んだことがないのだが,新しく出たのであろうか.もしそうなら,そこら,有名な論理学者であろうから(それくらいの論理学上の業績になるだろうから),聞いてみればよくはなかろうか.
「論理」を,科学的活動とか,科学的実践というのか,関係なく成立しうるという,科学者の感覚は,科学の衣を着たカルト宗教の感覚に等しいのではなかろうか.あるいは,俗流の社会主義とか共産主義の感覚に似たものではなかろうか.カルトが科学を装うのはカルトの責任だが,科学がカルトに依存するのは科学の責任である.もちろん,科学的活動とか科学的実践といっても,一筋縄ではいかない難しい面があるということは,当然として.しかし,近年の科学的な混乱は,多く,科学者個人の資質の欠如に依るところであり,科学研究の組織が,個々の科学者の資質を劣化させる動機に基づいているものである.長いデフレがそれをまた助長した面があるが,実は,バブル崩壊以前にそういう流れが加速しており,もはや,科学が科学としての活動性を発揮する根拠がなし崩されていたのである.われわれはそのように判断し---, 云々,とか言えば,当たっていても外れていても,調べたわけじゃないので,これは私のでまかせなのだが,もっともらしく聞こえないだろうか.実際,こういう程度ののも多くなっていないだろうか.私は,そこら不満に感じるのだが,どうなのだろう.その程度の文章なら,私でも作れるのだが.

ある「仮説」が否定される要件の一つに,「その仮説より有力な仮説が出現したとき」というのがあるらしい.しかし,比較すべき仮説の内容を明瞭に把握できないときは,どうするのだろうと思う.フロギストン説をめぐる話などは参考になるかもしれないが,ややもすると,科学者が非科学的な対立を捏造して,科学的な経緯を堕落せしめるようなこともあるかもしれない.分子生物学会が,iPSの研究に追っ付かないから,STAP問題に逃れ手をうっているとは考えられないだろうか.そういう事情が,裏に隠されているとすれば,最近の続出している論文不正への科学者の態度の不明瞭さの原因の一端が判明する気がする.分子生物学会も,設立当初の意図から,後退していったのかもしれない.どうだろう,この程度でいいのではなかろうか.科学なんてものは.

STAP仮説より優位性の高い仮説をiPS研が出すかも知れないが,あるいは出さないかもしれない,と考えてみれば,より科学的な興味に繋がるのではなかろうか.分子生物学会などの批判より,真実性が高いように思う.もちろん,素人の感じだが.そこらの事情が,どうもわかりにくい感じがある.どうしてだろうか.

[非線形現象と遡行的対数因子]
微妙に気になっているのだが,STAP現象が,どこか逆過程ぽい感じだという面.分化した細胞が未分化な状態に初期化されてという逆過程ということのなかで,さらに,通常の初期化プロセスが逆向きに働く感じがあるということが疑問である.非線形的な効果が,遡行的な対数因子になっているようなそんな感じである.つまり,STAPが外的な刺激に依って,遺伝子の非線形的な活動に,遡行的な働きを付与するような感じがあるような気もするが,よく判らないという質問である.ここらが,胎盤への寄与能が増殖能と入れ替わることに関係しているのじゃないかという連想である.「多能性獲得リプログラミングには,遡行的対数因子が関与する」という仮説を,ちょっと捏造してみるわけである.私としては,そういう捏造をしてみたいわけである.

『数学辞典』の「複雑系」の項目を参考にして考えると,複雑系(complex systems)としての生命系では,複雑に見えても要素に還元して理解できる込み入った系(complicated systems)とは違い,「仮に遺伝子のようにそこに系全体の構築の情報が書き込まれていることが分っても系全体を再構築できる仕組みが分ったことにはならないからである.そこでは因果関係が多重であるために簡単な因果関係に分解してその組み合わせで理解することが困難である」.
STAP細胞は,胎仔,胎盤への寄与能をもち,STAP幹細胞は,胎盤への寄与能を失う代わりに,自己複製能を獲得する.そこで,いろいろな細胞に分化できる能力,多能性獲得のリプログラミングが,ある意味では,ギャップをもって完了する.そのギャップをスキームするような働きをもつ因子が存在するのかもしれないという,感じにはならないだろうか.
検証会見での説明では,「胎仔,胎盤への寄与能」をもつことが,「多能性付与のリプログラミングが完了している証拠」とみるということだが,なにかブラックボックス的な隠れた機構が介在しているかどうか,そういう何かがないと,同じような疑義がぶり返されることの意味が分からない.こういっても,タキオンのようなものを持ち込んだ感じにしかならないのかもしれないが,あるいはCP対称性の破れのような機構をこじつけた感じでしかないかもしれないが.しかし,こんな感じの逆過程が起こっているような感じもあるのだが,どうなんだろう.

非線形現象,細胞のリプログラミング,生物時間,人間の社会,それらを結ぶ糸のようなことにならないかという目論見での捏造仮説を,試しに,作ってみたいのである.あわよくば,PNP問題をそういう鋳型で解くことも可能かもしれないじゃないかというわけである(広義のエピジェネティックという感じになるだろうか).論文捏造騒ぎの真相はどうであれ,騒動は起こったのだから,それを生かす話を,もっとやればいいはずなのである.そこらも,学者や知識人がだらしないせいで,活気が生まれないことになるである.がん細胞を正常細胞に戻すとか,がん幹細胞を人工的に作るとか,時間タンパク質とか,科学的には,ポジティブな話題もあるではないか.私は関連した結果だと思うのだが,違うのだろうか.

[生物や化学分野はなんかうさんくさいのは何故か]
たかが細胞のくせに,細胞というものは,一般に,まだまだ謎を多く秘めているようであるが,最近の生化学者や遺伝子関係の研究者の話は,都合の悪いところは,隠したり,ぼやかしかけたり,決めつけしたりで,話に一貫性がない.謎を秘めた対象を突き止めようとする場合,疑義を提示することは,必要なことであり,有益なことも多いはずであるが,そのような疑義が,ほとんど,提示されない.そういう意味で,私は,分子生物学会のあり方に重大な問題があるのではないかと疑う.科学活動の倫理というものは,科学的な疑義の解明と不可分なものであって,科学を,手練手管の具にすることではないはずである.科学者としての基本的な気構えに欠けるもののいう「科学研究の倫理」など必要でない.と,科学研究倫理の話題を捏造してみると,案外わかり易い.というわけで,STAPというものは,分子生物学的にどこが癪に障る部分をもっていて,どこがだめだという決め手になるのだろうか.私は,素人だから,未だ,はっきり判らない.できれば,海外の専門家が,厳しい疑義で追求するところを,公開してやってもらいたいものである.日本の科学者は,信頼ならない.セレブかのう姉妹とどっこいどっこいである.そんなんだから,科学の話題は,毀誉褒貶の激しい,中身のない騒ぎだけになりやすいのではないだろうか.しかも三流利害関係者だけの世界のいざこざである.私は,そういう騒ぎとは関係ない.あくまで関係ない.そういうレベルの低い騒ぎに興じているのは,決まりきった連中だけである,私は,まるっきり関係ない.化学や生物学が,何かうさんくささを伴った分野に見えるのは,そういう,科学者の質のせいではなかろうか.最近の科学者や学者が,はざま番組に,ヤクザ芸能事務所の割り振りで,小銭稼ぎつなごう的な,コマの一つに過ぎなくなっているのも原因だろうか.科学の研究倫理も,ヤクザ芸能事務所の割り振り請け負い業者化しているということだろうか.研究倫理いうのが,ヤクザの手先っぽいのだから,馬鹿げたものである.解体すべきである.任に堪えそうな連中でないからである.こういうこともちゃんと検証すべきである.強気に出たふりでいえば,こういうことである.東大病院とか慶大病院とか女子医大病院に掛ると,治療費払うというより棺桶代払っているようなもんだとかげ口いわれるから,研究倫理なんてものを,ごまかしてつくっているのじゃないかと疑いたくなる程である.その方が世の中のためというような老人も,例えば政治家とか,嘘チョン大御所とかにはいるかもしれないが.

簡単にいえば,理研やSTAP論文をめぐる議論など存在していないのではないか.専門家といわれる連中が,そもそも,専門家でないのだし,他分野の専門家も(外人も含めて),まともな研究の評価のないような連中とかだろうから.それは,どうでもいいとして,科学は思いっきり捏造した方が,科学のためになりそうなことは,理解できた感じである.捏造仮説を研究するための大学とか作れば,もし出来損ないの研究者とか出れば,ノーベル賞受賞者を出すかもしれない.捏造の捏造しかできない研究者が出てしまうことになるからである.それも出来損なえば,結構なことである.『研究捏造のすすめ』とか,昔なら出版されたかもしれない.博士課程と言っても,ほとんどの大学で,自衛隊の勧誘のような実態だろうから,早稲田だけというのは,おかしな話である.受け入れる側の都合とか,いきたがる学生が少ないとか,そんな事情も大きいのではないのだろうか.私などなら,「君を受け入れるようなところはない」と門前払いくうだろうけど.まあ,適切な判断なのかもしれないが,今の学者や知識人も,そうとうお手盛りっぽく見えるが,どうなのだろう.


ビットコインと原発問題

2014-02-25 12:39:47 | 日記・エッセイ・コラム
最近のビッグニュースとしては,ビットコイン市場がリビルド局面に直面したということと,STAP細胞に関するニュースだろうか.遺伝子分野は知らないし,難しそうなので,簡単な,素人の感想だけ.論文が厳しく審査されて,証拠写真のねつ造が疑われているようだが,とにかくいいことである.それだけ,本当の科学的成果は価値を持っていることの反映なのだろう.報道の範囲では,酸性のストレス掛けてとかあったが,生命誕生の太古の海の環境ストレスのなかで,特定の条件という厳しい条件が関与して,STAP細胞になるというイメージが,どうしても思い浮かぶのだが,私の読んだ(苦手な)生物の昔の参考書にもらしいことが書いてあったから,案外,そういう着眼点自体はもともとあったのかもしれない.生物学の常識に反することではあるらしいけれど.


・原発問題の社会性乖離

対して,原発問題の方は,90前後の老人たちの(先も長くないことだから,原発神話を信じ込ませたまま見送ってやればいいのかもしれないが),刷り込まれた痴れチョンおもちゃ遊びに紛らかすような,お決まりの状況作りが続いているらしい.原発問題は,原発というおもちゃを使った老人たちの芸者遊びである.若い芸者にしてほしい(私の願望).多分,経済界も経産省も芸者遊び仲間気分なのだろう.そういう意味では,デビ夫人を原発問題の担当大臣にすればいいのである.そうしておいて,次期都知事にはデビ夫人を自民・民主・公明が推せばいい.それも選択肢ではなかろうか.小泉も石原もそう実の得票(集票)モンスターではないことは,明らかになったのだから.へっつき石原流でやるなら,デビ夫人である.それとも大阪から.インドネシアも結構人口多いし,地理的にもちょうど要所となるようなところなのだから,日本の経済界モデルとしての条件を持っているのかもしれない.集団的自衛権でも,憲法改正でも,結構,モデルにできるのかもしれない.周辺事態も華橋共栄圏のようにして.そういう意味では,意味がなくもない.といっても,その頃には,私は別宇宙に行ってるだろうから,どうでもいいのだが.

エネルギー政策にいろいろ議論が出て,原発も考慮に議論すること自体は,むしろ当然だとしても,ベースロードとか,夜間揚水発電のインチキヤラセ論者の言い分そのままな文言を入れたり,適当に,原発裏利権配慮的なのは,どんなものなのだろうか.推進利権グループ内の村八分制度の反映なのだろうか.村議国会議員だけでエネルギー政策などといわれても,田中角栄の越山会寄り合いの裏談義のような感じじゃないだろうか.

くどくなるが,私は,原発を産業的に利用しながらやっていこうという意見があること自体については,別に,条件反射的に否定などと言うつもりはないが,しかし,実態,そんな意見が真面目に出ているというより,特定の利権信者のごり押し手法にしか見えない.それに,私は,素人だから,利害関係があるはずもないのだから,率直な感想である.

逆に聞きたいが,原発裏利権にそれ程熱心なのは,どういう理由からなのだろうか.現実的に説明するにやぶさかでないはずではなかろうか.「現実的」だとかよくいうが,現実的である説明などあっただろうか.たかだか,一議員が経済のすべてを知っているかのような見せかけ,思わせぶり.(ヤーチョンの)飲み会談議とどこが変わるのだろうか.日本には,ヤーチョンなどとうい存在は正式には存在しないのだから,そういう連中は痴れチョンきどりなわけである.そんなのに気を使う政治,政策とは何だろうか.悪事働こうという連中ではないのだろうか.ヤーチョン気取りの虎の衣を借りるような取るに足りない(欲に惚けて)足らない連中である.政界の吉本(大阪とは関係ない)と総称することにすればいいのではなかろうか.ザケチョン気取りの国会議員を総称して.大臣レースから蹴落とされた連中の腹いせなのだろうか.懐柔なのだろうか.案外こだわりの強いオバジぽいの多そうだし.過剰な政権ゴロ気にしいで逆上せてるんじゃなかろうか.最近,オレがフィクサーになった方が万事うまくいくのではないかなんて感じもしてくるが,怒られそうなのでやめておく.私は,それくらいの自覚あるから,よく惚け吉本国会議員と違って.

原発問題には,癖の強い人間のヘッパリ臭が伴うので,敬遠したがる向きもあるのかもしれない.特に,放射能は無色無臭だが,それを悪用する人間は,ヘッパリ臭がでる.そこらが,無菌環境慣れしている若い連中には敬遠されるのかもしれない.

ヘッパリ(原発への執着)の理由は何なのか.これは,はっきりとしたことを聞いたことがない気がする.誤解ないように言っておくと,私は,別に,原発嫌いとかそういう感情論で言っているのではない.もともと,科学に関しては詳しくないし,原子核なんてものは,陽子と中性子のビンポン玉くらいに思ってた方だから.さて,推測するに,
・原発は,人類が原子力という途方もないエネルギーを技術的に制御するという,人類の技術の勝利の象徴である.
・原発は,エネルギーを巡る,先進国と途上国,先進国間,途上国間の問題を解決する手段である.
・原発は,一国の国益にとっても,いろいろあれ,潜在的な優位性を誇示する手段である.
・原発は,社会的な先進性をもつ人間にとって,活動しやすい場である.
・原発は,産業社会の打ち出の小槌である.
などがあるのだろうか.他にもあるのかどうか分からないが.これらに反論するのは容易いことだが(言葉の上では),そんなことより,原発を止める技術は,さらに技術としても,経済としても現実的で,国際的な連携にとっても,現実的であるというのはどうだろう.原子核の科学そのものとしての価値は計り知れないが,それは,原発執着老人の理解するもののレベルではない.といえば,やたら怒られるかもしれないが.というより,原発執着老人は,科学はあまり好きでなさそうなの多そうだし,理系出身でも,科学よりゼニと名望が欲しいだけという感じの多いから,議論にならないかもしれない.しかし,嘘つき老人にまでエスカレートしては,さすがによくない.原発ムラの思考停止からくる村八分的なしきたりは,マスメディアの攻撃として装われたりしてるらしいが,ヤラセ癖がついているのだろう.


・実験の再現性と理論的可解性の関係について

原発は,情報の工場でもあるということでいえば,どうも,情報が管理されずに,どっかに消えている感じの報道内容もある気がする.技術は,理論の裏付けを得ず,理論は技術的な情報の提供を受けない.そういう中で,情報が,アメリカ軍であれ,あるいは,第三国に流出しているということになれば,どういうことになるのだろう.もちろんアメリカは未臨界核実験だの,積極的に行ってきた国だから,アメリカ的厳格管理という趣旨の範囲で,日本の原発情報管理に危惧を抱いているのかもしれない.米軍ですら,実際,情報を正しく運用しているかは疑わしいが,日本は,中国,韓国・北朝鮮,ロシア,イランまで簡単に流れそうだから.そういう調査は,ほとんどされていないのだろうが,前に言った,ザケチョンチョン経産官僚気取りや政治家,財界人に気つかいしいの風潮は,その証拠ではなかろうか.中国や韓国,朝鮮,中東の大物スパイがアメ配りの元締めやってるとか,以前あった事件のようななこともありそうな気がする.

統計的な面は必ず伴うにしても,ディスコントロールして理論でも手を付けられなくなったら,汚い核で消費するしかなくなるのではなかろうか.現実的には.そういうツケのたらい回しを「現実的」という隠語でごまかすという、馬鹿の一つ覚えで,国会議員ものぼせているのじゃなかろうか.

常温核融合が話題になった時,意外と,その再現性のなさに関連して,特定振動数の謎がとりあげられなっかとように記憶している.振動数と冷光caveの問題が,解説文書にはあった気がするが,一般には,ホッタッラカシだった気がする.科学の問題が話題になると,何がどうなのか,本当にそんな問題なのか,そんなことおかまいなく垂れ流されることも多い気がする.素人としては,完全に理解することは,もともと難しいが,だからこそ,逆に,わずかな手がかりを必要とするのである.「古いやつほど、....」というやつである.再現性の問題というのは,そこにひそむ理論的な変革や,現象とその理解形式との相互作用のあり方の前提の変革に関わるものなのかもしれないから,科学者は,理論の方からも,慎重になる面もあるのだろう.一般的には,特定の条件を整えれば,誰がやっても,その現象が確認できるというものなのだろうけど.アルキメデスの井戸のようなら,螺旋状にホースを巻いて,手でぐるぐる回せば,私がやっても,水が揚ってきてちょろちょろ出だすが,難しいものはそうもいかないのだろう.


・ビットコインは現実世界の経験的形式性を仮想空間上に実現したものである,とみれば?

経済の持つ,ある意味,経験的な形式性は,現在,通貨とビットコインのスワップ通貨制への過渡的な混乱をもたらしている(エコノミストぽく言えば).マルキストの立場なら,それは,資本主義の極限での,ヘーゲルのいう弁証法的<本質の戯れ>であって,安易な制御は資本主義的にも社会主義的にも成立しない.ビットコインが,サイバー空間あるいは仮想空間に現実世界の経験的形式性を実現したものであるならば,そう理解できないものでもない.そういう意味のものは,ビットコインという言葉に伴う軽さを嫌う向きはあっても,例えば,海洋保険も(つまりは保険制度も)ある意味,ビットコイン的なものな訳だから,何らかの形で,現実世界に影響している.極言すれば,軍事もビットコイン的である.その変革のリーダーともなれば,10兆円の個人資産あるいは数10兆, 数100兆円の金持ちになり,マイクロソフトのビル・ゲーツのように,世界の長者番付上位に名を連ねるという,おまけがつくかもしれない(責任は持てないが).いまはまだ,小さくても,潜在的には,既に大きなものとなっていると考えることもできる.そもそも,価値は,「生きることを創造する」ことの対価とみれば,隠伏的なパラメータとして,いつの時代でも存在していたのではないだろうか.歴史性のもとで,その影響の現れは,様々あっても,それを認めてきたのではなかろうか.安易な,リーダーの現実感覚や冷酷性の,お子様まねっこ気取りより,あるいは,その程度ののがはびこって(実はおんな作って,かみさんからxxxがホンネで,右翼気取りに逃げるとか),世間が創造的なリーダーを望む風潮待ちで、一攫千金を狙うより,隠伏的パラメータを持つ価値創造は熟練している,あるいは大人かもしれないが.

ビットコインが,現実社会の経済制度の適応範囲を超えて,仮想的な形式性を過度に挿入したものであれば,逆に,そのことからでてくる矛盾や異常性を使って,現実社会の制度のより整合的なあり方をえぐり出すことに使えるかもしれない.しかし,当然,経済や社会は自然科学の対象とは違った対象を相手にするわけだから,それ固有の理論立てが必要かもしれないが.

学問的な厳格性は,必要でもあり,望まれることでもあるのだろうが,ビットコインは,コンピュータサイエンスの方なのだろうけど,原発は,その大本は量子力学や素粒子物理だろうから,応用分野は広いとしても,同じように,学問的な厳格性に基づくべき面があるはずであるが,昔の田中角栄土建国家のような感じのルーズさがまかり通っている.STAP細胞などの話題も,一部の土建国家+中国式ヤラセ騒ぎにならないことを望んでいる.角栄,角栄と言っても,田中角栄元総理という政治家個人への感情的な話ではないことは言いそえるべきかもしれないが.例えば,遺跡の発掘という学問上のニーズと公共工事の落札利益という観点だけで,社会や経済と科学や学問を対立させるという見方に限定せず,多面的にその関係をみて判断していけば,利害が相反するというより,相互に利益を分かち合うこともあるだろうし,双方の行き過ぎをチェックすることもあるだろう.北海道や東北の場合は,偏った玄人芸気取りが,東北・北海道の大らかな気風と妙にねじれて現れていることが問題なのではなかろうか.気風とかはいいとか悪いとかではないだろうけど.よくも悪くもするのは人間である.これは,原発問題に伴っているルーズさが,学問の立場にも浸食して,余計な配慮がまかり通る風潮に,文科系でも理科系でも蔓延している証拠でもあるのだろうか.そこから,傲岸な利益共感が生じて,学問の間にも溝を作ってしまうことになっているのだろうか.学問という立場はどういうものなのかを,つねに検証して,それを広く問うのは,学者の職業倫理というものなのだろうか.ナンチャって説法ポクなったが.文科省問題というところだろうか.

学問の厳格性というのは,考えてみれば,難しいものなのだろう.例えば,湯川博士の中間子の発見も,ミューオンをパイオンと取り違えして,それが理論の信憑性を得ることになり,ノーベル賞受賞になったという話は有名だろうが,パイオンも見つかったから,なんか混乱するが,結果オーライというというところだろうか.学問の世界には,稀にそういうことも起こりうるのだろう.そういうことを考えるとき,放射線のある意味の普遍的性質と,各理論レベルでdecoupleされたような性質が,思い至る気がする.分離して同定していくのも,対象の性質によっては,難しいことも出てくるのかも知れない.そういう難しさを解決していくには,理論と実験の双方の創造性が合致することが必要になるのかもしれない.素人にとっても,そういう創造的な状況あるいは意義が維持されているかどうかが,知りたいことである.

そのことに関して,現代の科学は,次第に素人目には映らなくなり,科学としての関心よりも,表面的な話題性なりに気を紛らすものになってきている,とうようなことはよく聞く.私は,さらに,科学者自体が,科学の開く事実に無縁者のように漂うことに耐えきれずに,次第に出来合い科学の機械部品に逃げ込む可能性の方が高まっているのではないか,などと疑ってみたりする.そうだとすれば,科学が巨額の軍事費や,巨大企業の丸抱えの中で,行き詰まりを見せている現在,科学的創造の担保としての,ビットコイン制度を作ってもいいのではないだろうか.というように,科学技術とビットコインを結びつけてみる.

物理の統一理論も,ハイゼンベルグの考え方に沿ったものや,日本の素粒子論に沿ったものや,ストリング理論のようなもの,あるいは,様々なそれぞれに関連するバージョンがあるのだろうが,当然,科学的な成果は,立場の主張だけで決められるはずはなく,それらが,互いに検証しつつ,その成果を取り入れて,さらに発展させいくものなのだろう.それも,科学の厳格性を担保するものの一つなのだろう.そういうことの例としても,パイオンとミューオンの取り違えを巡る,物理学の対応の進展は,有意義であったということなわけだから.そのような科学の経験が,現在はどう活かされているのか,どういう状況になっているのか,ビットコインも,そういう観点でみていくこともできるのではなかろうか.

複雑な,あるいは,敏感な対象が,仮想的な空間(バーチャル空間,あるいは,仮にそれはエキゾチックであるとする)の逆変換のようなもの(あるいは変換の積)で整うとすれば,つまり,変換の後には,それらがすべて,エキゾチック空間の元であることがわかるとすれば,分離して同定する操作に等しい理論構成ができたことになるのではなかろうか.もちろん,それは,理論的な特徴がどういう変換に当たるかとか,綿密に調べながら構成していくものなのだろうけど,しかし,理論的な構築が果たされるわけだから,そういう労は報われるのだろう.類構成のような感じになるのだろうか.それは,理論と実験との,理論的検証あるいは創造と自然の事実の開示の共同作業現場のようなものではないのだろうか.自然の事実の妖精と戯れる水辺というイメージもあるかもしれないが,それは,また,創造と破壊,生成と消滅がダイナミックに起こっている場所なのかもしれない.

全く知識のない遺伝子分野の方で当てずっぽうすれば,そもそも遺伝子は何がそう難しいのだろうか.A, T, C, Gの塩基配列という話ぐらいは知っているが,どういうところが,難しいのだろう.遺伝情報として意味をもつまとまりを区切ることが難しいということも読んだ気がするが,多分,その目印になるようなものも発見されてきているのだろう.昔のレトロウィルスとかの話題もそうだろうか.

それと,遺伝子の塩基が,割と簡単なものであるようでありながら,謎を秘めた奇妙な役割を担っている感じがすることである.生命の設計図とかそういうこともあるだろうが,高分子の設計図として,妙に,素粒子のような感じの性質を持っているような感じである.「遺伝情報」という場合の,<情報>という言葉に込められているのだろうか? 素粒子と塩基では,物理的物質レベルが異なるのだろうけれど,仮想素粒子という感じもあるのだろうか.

STAP細胞の話題も,いろいろあるのだろうが,逆に言えば,遺伝子の謎に迫るところまできてる訳だから,その可能性自体は,とっておきたい気がする.遺伝子とかの話題は,製薬会社とか,先進国の科学利権とか持ち出せば分かりやすいが,科学そのものとしての意味とか,状況とかはやたら分かりにくい感じがある.もちろん,私が,そういう分野に無知ということもあるに決まっているが,そうでも,そういう感じが強い.公的なあるいは企業の研究機関とか,大学の学部とか研究機関とかの問題点については,一つは,やはり,原発関連が集約的に表現しているのではなかろうか.科学的な問題でも,科学ゴロ的な問題でも.それは,つまりは,検証する側が,果たして,その任にふさわしいのかという問題なわけだから,耳の痛い,大学や研究者も多いという現状の言い換えにすぎないわけだから.どうせ,なおりゃせんというのがオチである.だとすれば,科学の信頼性を保つことは,余計なストレスを強いられることであるといえるわけだから,ストレス音痴がいいのである.

逆に思うのだが,どこもいい加減な痴れチョンおふざけになっているのだから,大学などは.痴れチョン文科官僚とか,政治家とか,財界人とか,それに群がる雑魚とか.そういう事で,やってきたわけだから.その中で,さすがに,遺伝子とか,国際的にレベルの高いごくほんの一握りが,まともな審査受けられるわけだから.大学の,痴れチョン学者連中に真偽など判断できるはずがないではないか.STAP細胞騒ぎも,痴れチョン芸能学者にでもやらせておけばいいのではなかろうか.中国が喜んでゼニ出してくれるかもしれないし.芸能学者には,朝鮮系とか中華系多そうだし.早稲田の大学院もそういうののさばっているという話題なのだろうか.大学院とかなら論文指導の教官とかいるのだろうから,そういうのはどうするつもりなのだろうか.痴れチョン好みにやってれば済むのだからという方針も変えるのだろうか.教授会とか,そういう点も,ちゃんとしなければ,フェアじゃない気がする.私学の理事連中が,チョンスケ賄賂に魂売ってるから,しゃんとした審査はできないはずだと思う.理事連中は,学者として優秀というより,チョンスケ(まあ,石原とデビ夫人の蜜月のような連中)の鞄持ちが選ばれる傾向が強いから.あまり、社会ネタポクは考えたくないのだが,現実がそうだから,仕方ないのである.とにかく,他は,もっとひどいのはびこってきた証拠である.したがって,現実的に考えれば,なおりゃせんである.