janpal

人生これ,雑記.

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辞典買う

2007-04-28 13:47:31 | 日記・エッセイ・コラム

2007-4-26,注文していた 岩波 数学辞典第4版 届く.神田でなんのきなしに第2版の1979年発行ものを買ってから,発行年次で言えばほぼ30年.ようやく,現世に戻ってこれるような気分である.フェルマー予想や志村‐谷山予想,ポアンカレ予想は解決され,次の段階へ進展中のようだし,多分,第5版ではリーマン予想も解決となっているのだろう.そういう結果に基づくプログラムも相当進展しているのだろう.社会も,新たな段階へ深化的に変革していくのかもしれない.

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量子の世界

2007-04-24 01:48:37 | 数学・物理

高校のとき,「素粒子」岩波新書や「現代の科学」(世界の名著)などを読んで,理科教科はさっぱり出来なかったが(勉強する気分にもなれなかった),すこし自分の中に数理的な世界のイメージもできて密かに楽しんでいたのだが,Ψを予測目録と考えるとか,「状態」はヒルベルト空間のベクトルの,射線(ray, 半端直線)の端点で決まる(「量子力学II」岩波講座)とかあるとなつかしく感じたものだった.しかし,どうしても,なにか存在の構造化の機構が,あるいは同型的に存在しているようですっきり判らない.敢えて言えば,ヒルベルト空間が,不変性=歴史=「時間の演算子は存在しない」ということから,あるいみ公理系そのものの可変性を留保しているように思えた.わたしにとっての「存在の理法」を求めてというところだろうか.自己流では曲がった頑固ものになりそうだが,まあ体制便乗の人物気取り(そういうのが多い世の中のようだから、別段道徳家でもないが)よりは良心的だと思っているが.

「ヒルベルト空間の次元が無限ならば,その部分空間が包含関係としてモジュラー律を満たさず,それを弱めた弱モジュラー律をみたす」(量子力学II)

集合論の公理3)から,X=XがX'の射影としてXに等しく({x,x}とでも),X,YがZ'の射影としてZ={X,Y}の存在をいうのなら(順序対),自然な順序としての構造を採択する仕組みとして順序対{{X,X},{X,Y}}を非順序対{X,Y}から内在的数学的に構成するということだろうか.非順序対から外在的に開ける世界との不変的再編を歴史と呼ぶなら,<歴史>=<論理>ということも見えるのではなかろうか?  もう昔読んだ本でボロボロになったが論理学的観点からは岩波書店 クワイン『論理学の方法』「前途瞥見」など参考.

「眼前の松柏」などというと禅の坊主のようになってしまうが.(「」内の語はイスラム学の碩学といわれるらしい井筒俊彦著の書物から)

 

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演算子(作用素)と定数

2007-04-20 02:36:36 | 数学・物理

f(n)とf(n+m)

f(n+m)が有界性をあたえるのか(定数)?『解析概論』ではオイラー定数を有界性から導いているわけだから.さらに,M(Δ)のようなずらしのような演算子を与えるということもでないだろうか? 複素円に形をもっていけば,半径不定の複素円の方程式の,不定式が潜んでいるのか(打ち消しによって,半径が決まらない)? √f=LとすればL^2がオイラー因子と同じような形になれば,複素座標平面のなかに円を考えることのなかに,すでにオイラー積の問題の原型があるのじゃないかなんて想像してみたりする.或る合同多項式を,3次,4次,・・・のように,円分方程式の類似のように,変形していけば,一つの合同多項式が類を作っていくような.一般にオイラー積表示を持たないときに,類似を構成する手続きを考えることに関連しないだろうかという感想から.

電磁弱統一理論のスケッチが,岩波講座『素粒子論』(湯川,片山編集)によれば,正確な引用ではないが,電磁および弱双方のカレントが,アイソスピン-カラントとして,内的な統一を示唆する構造を有し,中間子論による弱相互作用の(による)崩壊としてとらえられたβ崩壊の統一的機構を,場の統一層的構成(非可換ゲージ,参考 高林『量子論の発展史』ちくま学芸文庫),対称性の破れによる,なにか選択的な作用を機構化する(Weinberg-Salam). こういうメカニズムを多様体論が,「位置」の問題のようにして持っているように思うこともある.

参考文献 高木『解析概論』P149-150 「Eulerの定数」, 吉田『関数論』岩波全書

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政治経済

2007-04-16 01:08:41 | 社会・経済

ライプニッツまでもちだすまでもないだろうけど,設計デザインが違うのではないかとおもう.財政赤字も,中国にとられたか,韓国北朝鮮にとられたか,ともかく財政プロジェクトというより銀行の貸倒的なやりくちと赤字の付け替えなわけだから,巨額な損失が主に大企業の構造的な借金補填(エコノミックアニマルが借金の転嫁構造)なわけだから,構造の改ざん的つけかえなわけだから.アメリカの意向というが,アメリカ口実のやりくちではないかとおもう部分も多々ある.味をしめた連中がのさばり,世論操作でやり逃げようとしているだけではなかろうか.昔のやり口のまま(若い連中にはわかりにくいだろうけど,不況と造船倒産の疑獄じみたニュースのなかで(大井造船も聞いた気がするが)内部ののっとり屋にやられたという話もあったが,M&Aも実態その程度かもしれないし)の感じが多い.だから,そういうやり口はバブル以前のもの.バブルの意味を分かっているのが竹中だけなら,したり顔の政治家のやっていることだからわからなくもないが.バブル崩壊以降も実際上は俗にいう抵抗勢力的な政治が本流だったわけだし(1週間で160兆とか消えれば,財界や政界は大騒ぎだろうし),小渕が地味にパフォーマンスしてそのような本流政治の転換を繋いでいたわけだから,そこには当然竹中でなくともそれに応じた経済担当を必要としていたわけだから.野中-森のように配慮(?)を見せながら小泉になだれ込む様に.野党も結局55年体制的な枠で鈍い勢力として加担してたわけだから.学説なんてもってないような(たいして評価もない)連中を論客に仕立てるとか,どこがやっているのだろう.大丈夫なのだろうか.??恒あたりだろうか.メディアもごますり優先体質がみえるが余程内部にワケアリをかかえているのだろうか. ワケアリの精緻主義も面白いものだと思うが.

遠慮なく言わせてもらってるが,むかしはもっとふかい議論の熱もあったようなきがするが(解析的なことも含めて),最近どうも気のきいた素振りだけのような.

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クラゲ

2007-04-12 22:36:45 | 数学・物理

ラプラシアンをとれば,その固有値が,純虚変数までは実座標のIV象限に,複素変数は複素座標のII象限にグラフを持つような対象は,2重に広がっているとうことだろうか.実座標では整数を(0や-4のような),複素座標では渦の中心のような複素点を特定するような.多重に広がった対象とは,高次元多様体あるいは無限次元多様体がある切断仕方で定まる数の組で特徴付けられるということだろうか.そのような特定から定まる理論系が特異構造からちぎれるようなイメージは成り立たないのだろうか.一種の指数定理のようにして.「高さ予想」(たしか『20世紀の予想』日本評論社にあったとおもったんだが)もそんなイメージの精緻化にみたいような気もするが,勉強課題.リーマンの量子空間が指数定理的な部分空間の構成で得られればイメージできるような気がする.もちろん,数学的にととのった捉え方が基本ではあるだろうけれど.

数学的対象は,「数」でも感覚的に可視的な対象として扱い,そこに確かな理論を組み立てるといったイメージだが,案外「はかない(fragile and special)」ものかもしれない.「単位」もあるいは「すすき,木の葉」に構造化された存在なのかもしれない.数学的連続性は,もちろん現代的な正確な定義があるにしても,「すすき,木の葉」と「テーブル,椅子,ビールコップ」が構造的に同型だというようにも思われる.あるいは「デザルグ」あるいはカントール数.これも勉強課題.

砂浜にうちあげられたクラゲをみつけて,海が砂浜にちぎれて現れたような錯覚をもったことがあった.そして海がクラゲの魂を呑みこむようにして,いつもの光景にもどっていったことを.子供の頃, 遠出して歯科医院にいった帰り,涼みがてらに立ち寄った海岸で.

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