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現代ストリング理論の教科書を読む

2014-01-31 06:35:17 | 数学・物理
Stringlogo_2

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``STRING THEORY AND M-THEORY,A Modern Introduction"
K. BECKER, M. BECKER, and J. H. SCHWARZ,
2007
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全12章,PDFで700ページほどなので,現時点での翻訳全文と,もし,さらに量が多くなれば,分割して示す.言うまでもないが,誤訳,誤字・脱字など多く含んでいると思うが,参考程度にどうぞ.


「String_Schwarz.pdf」をダウンロード


[目次]
前書き

第1章 序論

第2章 Bosonic string理論

「String_Schwarz2.pdf」をダウンロード

第3章 共形場理論とstring相互作用

「String_Schwarz_3.pdf」をダウンロード

第4章 worls-sheet超対称性を持つストリング

「String_Schwarz_4.pdf」をダウンロード

第5章 時空超対称性を持つストリング

「String_Schwarz5.pdf」をダウンロード
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【参考】

岩波物理学基礎講座『古典力学II』から,基礎的な知識を拝借する.といっても,以下は,用語や文脈的な事柄には配慮せず,大雑把なものなので,備忘用のメモ書き代わりのつもりである.


「relativity_abc.pdf」をダウンロード



【感想】

・(x + y)^2=x^2 + 2xy + y^2というような)因数分解の問題で,C=ax +byとかをうまくとらないと,迷路に迷い込むタイプの問題があるが,微分方程式の問題は,そういうタイプ問題が多いということだろうか.ある多項式を因数分解するのに,例えば,C=ax+byというような形にとって代入する場合にすっきりと因数分解できて,それ以外だと,因数分解された形にできないというのは,代入なんて,矛盾ないように機械的にやればどれでも同じになるはずだと思うのだが,因数分解という操作自体が制限のきつい操作なのだろうか,という感じが残る.因数分解という操作に対して,そういう特徴をもった変換の集まりに,共通の特徴を見つけようとかいう問題に発展しそうではないだろうか.

・(群作用)axとxaが非可換である場合という感じ.

・空をみていると,結局,空は青かったなあという感じしか残らないが,何故か,何か別なものをみていたような気になっている.多分,数学だと,かくかくしかじかと定義すれば,矛盾は見つからない.したがって,矛盾するものは,定義を拡張するなりしなければ,分からないものになるが,定義を拡張しようとすると,いろいろ支障が出てくる.しかし,よく見ると,矛盾というより,混合した相の領域がみえてきて,うまくやれば,より統一的な,姿が見えてくるというような感じで,説明できるのかもしれない.普段では気づかない,物事の展開の道理が開けてくる感じだろうか.極小な領域では,仮説的に線形関係を設定してもいいが,そのような粗視化のもとで,どういう意味でその関係が成り立と考えるかは,センスの問題であるとかいう感じになるだろうか.

・絶対真空などはない.「ディラックの海」以来そうであるらしい.絶対空間,絶対時間もアインシュタイン以来ないらしい.絶対真空にして,相対的な世界を作り出す真空を無縁に存在せしめるなんてことは考えられないのだろうか.「色即是空,空即是色」というが,知はその「間」に漂う無縁者という感じになるのだろうか.つまり,キリスト教的にいえば,「なぜ」と問う存在者(あるものである)なのかということだろうか.キリストが父神に「なぜ」と問い返す場面とかから.

・「時空概念の変革」ということが,現代の物理理論では,特に,アインシュタインの相対性理論以来,重要なテーマの一つになっている.ストリング理論では,ミクロ時空が増殖したり,あるいは,消滅したりという様子を,基本的な対象の,物質性と時空性の,不可分離な構成という感じでとらえているのだろうか.その場合,質量という概念が,その鍵となる概念になっているということだろうか.質量は,「アインシュタインの関係式」からも分かるように,変わりうるわけだから.そういう感じが,ある意味では,生命を司る,遺伝子に潜む謎に通じている気がする.こういう感じを,あるいは,ポストモダン的というのかもしれない.二価化するということは,情報性の獲得であるとも言えるわけだから,情報という非物質性を物質化して,時空自由度に代わる自由度を機能化していく,という感じもあるだろうか.


・ポスト・モダン的ということを,情報化と言い換えてもいい感じである.量子化学だとか,遺伝子学だとか,現代科学の形式が,情報化という手法をカギにしている感じであるという意味で.

物理の「スピン」という概念を,ヒッグスの機構のようなことを通して,一般的な量子化の,仮想プロセスとして通していく感じなのだろうか.そういう手法が一般的であるとすれば,研究を進めるには,そこでのコミュニケーションの緊密性が,より以上に,必要とされるようになるのかもしれない.カルチャーの壁というより,縦横につながるカルチャーの網の目を,主題の中に具体化して,実現していくようなコミュニケーションのあり方が,より必要な状況が,科学あるいは学問研究にはあるのだろう.それは,高度に専門的な事柄に属すると同時に,俗にいう素人状況にも影響する一般性もあるのではなかろうか.

極限的仮想超対称性の破れの機構と,遺伝子コードの解読に共通する面があるとすれば(あくまで仮に),遺伝子の難しさは,自然が選択する理論的な機構と密接な関係にあるということなのかもしれない.そういう意味で,分野の異なる研究の間にも,自ずと緊密なコミュニケーションの要求が組み込まれているという状況に,現代科学はなっているのかもしれない.私などは,一人で本読んで,ひねくり回して,好き勝手ブログしていれば満足なのだが,科学研究の現場はそうもいかないのだろう.どうやって,相互に検証し合うのかとか,どうやって,それを科学的成果として確認して,共有していくのかとか,具体化しなければならないだろうから.

・対称性と質量値の縮退---SU(6)対称性に関する説明のところ(『素粒子論』)にあったが,時間τと関連づけて考えるのもありそうな気がする.縮退は,量子力学的な観測の確率性に関連することのようだが,ある固有値に属する固有ベクトルの張る閉部分空間(固有空間)の次元dが1でない場合を言うらしいので,時間τとどう関連するのかも,結構複雑そうである.

・整数論 ---「不可分な連鎖」--- 自己双対 --- 4次元ソリトン(インスタントン)? 

・gravity(vielbein formalism),4脚ベクトル形式の重力 --- 場の自由度が,物質や場の粒子に制約的に転換される(ソリトン的な波の伝播になる).自由度の相互制約的変転ソリトン波的な感じ?


































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原発問題は政治的・経済的・軍事的な争点なのか?

2014-01-13 01:41:17 | インポート
素朴な印象なのだが,核爆弾や原子力発電は,政治や経済,および軍事の争点として成立したことがあるのだろうか.より根本的に,原子力をめぐる科学的な論争などというものが存在するのだろうか.


[核問題における「風化」の意味?]

当然,それぞれの分野で,論争も行われてきたのだとは思うが,そもそも,問題自体が,どこか本質を外れて進んできたような印象はないだろうか.問題の本質自体が,相当以前から風化している感じはしないだろうか.今度の都知事選で,原発の存廃が本当に争点になるのなら,そうあってほしいと思うが,私としては,別に,選挙の争点を論じようというつもりではない.

問題の風化といえばありきたりの印象になるが,原発の導入当時から,当然,反対の世論を封じようとか,原発事業を,できるだけ,反核運動や放射能への恐怖感などから隔離して,推進させたいという動機もあっただろうから.そういう過程で,核の問題を知ろうとしない連中をゆるくまとめて,アメを配ることも,原発は安全なんだというような,ある種の高揚運動をしむけるようなことも行われてきたのだろう.そこには,右翼だの,ヤクザだのの士気高揚的な性質を利用したような面もあるのだろう.私でも,それくらいの世の中の現状は知っているが,細かいことは,数多くあったのだろう.

アメリカの大統領が,間違って,核のボタンを押してしまう確率は,原発事故が起きる確率に等しい,というのは笑えないが,そうだとすれば,大統領がいらだちながら,ボタンをタッピングしているうちに,つい強く押してしまう確率に等しいということになるのだろうか.

国策にしているのも,総括方式にしているのも,要は,経済的に採算に合わないことがはじめから判っているからなのだから,経済性だの,国家管理だのというのは,ペンギンは空を飛べないから,陸で面倒みるべきだと言っているようなものだと思う.空で面倒みるというのはどういうことだろうか.

細かいごまかしがまかり通るような体質になっていることもあるだろうが,そういうと,アメリカの影がちらつくのだが,しかし,アメリカの影といいながら,アメリカに,「原発やめていいですか」と具体的に,伺い立てるような話は聞いたことがないが,アメリカの影とは,本当のところどういうものなのだろうか.もしかしたら,アメリカという国を引き合いにだして,一部のセレブヤクザにでも取り入った官僚とか,政治家とか,財界人の,あるいはそれらのOBの,ヤーチョン体質が作り出した幻想ではないのだろうか.そういうのに取り入るのも出て来るのは世の常だから,そういう一派で,なんとか,ごり押しでも,ごまかし通したいと,考えるようになるのじゃなかろうか.そういう体質は,田中角栄とか,中曽根とか,正力とかの頃からの体質のようだから,戦後という時代背景に,うまく取り入ったやり方だったんだろうか.そのおいしい部分だけが刷り込まれた連中が,思考停止で追随してるだけなのだろうか.中曽根は,多分ぼけているだろうから,原発事故が起こったことも,認知してないのではなかろうか.年齢的にしょうがないのかもしれないが,若いのまで,ぼけ機嫌取りで,認知してない可能性も高い.石原や小泉の息子達よりひどいのが,政界には多そうである.それと,苦労人の政治家が,そういう点では,意気投合というのも,政界が,そういう利権で,やってきたからなのだろう.そういう利権にソフトに取り入るのがいい人の世界なのだろう.バレバレだろうけど.

[国際政治における風化核シナリオ]

こういうとなんだが,アメリカでも,ロシアでも,中国でも,あるいはヨーロッパでも,核の問題だけは,なんか妙に,低開発科学主義の段階で,議論がうさんくさい.日本の原発も,痴れチョン優遇で,政治利用しやすくする実態になっているのじゃなかろうか.原発は,裾野が広いから,評論家や,文科系方面の学者もそういうのを形作っているのではなかろうか.そういう面が,福島原発事故後,まさか,まんま出てくるとは,さすがに予想できなかったが,世の中とは,そういう面もあるのだろう.エコノミストなどというのも,そういう類いのじゃないかと疑うに十分なご時世ではある.原発では,過酷事故(私は,分類の細かい取り決めは知らないが)が起きればアウトであるという意味では,まんま出るしかないのかもしれないが.

アメリカでもロシアでもヨーロッパでも,低開発段階科学主義で歩調が妙にあっているというのは,珍しい現象かもしれない.それに匹敵するものと言えば,経済のマネー化ぐらいではなかろうか.こういう,奇妙にゆるい共感状態は,歴史上は散見されるが,原子力の場合は,非常に限定的な動機と背景によっているようで,生産的な結果をもたらすには不安定で,やはり,そういう共感状態の負の面を表に出した,歴史上の例ということになるのではなかろうか.例えば,原爆はオーバーキルであるとか,技術的な言い分の終点は,F型爆弾とかという汚い核爆弾の利用なわけだから.


・核拡散と原発

核兵器が,十分コントロールできない国や組織に拡散するから,防波堤として原子力は維持しなければならないという言い分が,結構,古くからあるが,政治的にも,軍事的にも,アメリカやロシアでも,対応できないと言ってるわけだから,それでもとなると,例えば,アメリカという国と,アメリカ軍が,経済に対抗するために,武器輸出の黒幕として,ようやく,不安定な均衡を目論もうということになるのだろうか.仮にそうだとしても,それは,日本の原発推進派といわれる連中の事故への無自覚,無関心と同じことなわけだから,どっかの国が核兵器を暴発させるまで,あるいは暴発させても,解決の見通しのないごまかし口上にすぎない.だいたい,無自覚・無関心な連中は,話をひっくり返してもの言ったり,ずれた話をとって付けたりしながら,ごまかし通そうとするものである.という感じがする.こういう大きな問題でなければ,他人事ではないとしても.


[都知事選にみる原発問題]

・政策の争点とは何か
選挙などでは,「争点」という言葉を良く聞くのだが,判るようで判りにくい言葉の一つではないだろうか.政治・政策が,様々な問題に取り組むためのものなら,争点だらけというのは当たり前だが,どういう政策系を選んで,どう分析して,どう決定するか,その争いだとすれば,大いに,十分に,公開していけばいいのではないだろうか.「原発が争点」という表現も,そういう政策系に対して,判断の手がかりを隠すような状況の,言い換えにすぎないのではないだろうか.言葉に迷わされる,あるいは,そういう効果を狙うということだろうか.

・政策系の選択
ある政策系が選ばれれば,争点となる問題群は,あるものは大きなあつまりを成し,あるものはまばらなものになることもあるだろうが,問題の軽重をそれで決められるものとも限らない.こういうと,利権悪用に走る連中の正当化に使われるというような話に,政官財界では,なりがちだが,政策の実効性とか,合理性に関わるという風には考えないのだろうか.「争点」という言葉は使用を禁止して,どういう問題に対して,どういう考えなのか具体的に述べない限り,その議員は見識を持たないとすればいいだけではなかろうか.そういうの,評論家にも,右翼論客にも,新聞人にも,多いようだから.そういう連中も,ヤクザにゼニ握らせて,論客委員とかの立場を買うのだろうか,ゼニがなければものもいえないなんて感じで.いい人気取りのオバさんやオバジの感じ好きの世の中も,ゼニ握ったヤクザの親分のひとにらみで演出されているのだろうか.そういうの多そうだから.私は別に,ゼニ嫌いではないのだが,無視して流れているらしい.やはり流れの密度がヤラセで作られるというのは,いろいろ支障が生じてくるのではないだろうか.きっとそうである.京都なら, 京都以外出たことのない昔の公家とかいそうだから.感じ判るが,東京都政も,意外と,そういう狭い利権のヤラセなのだろうか.

・利権悪用優先によるはぐらかし
原子炉を起動するのも,停止するのも,制御棒がカドミウムという金属の合金なら,東京の多摩とか,東京湾に貯蔵施設を造れば,核利用の原理にはあっていそうだが,そういうことを,原発推進べたより議員でも言えるわけないから(森元首相とか,有名人知事とか,利権ゴロ勢力のポチということなのだろうか.よく分からないが.多分,ことの内容より,利権の都合が関心事なのだろう),原発ムラの都合(個々には温度差もあるのだろうが)で,原発だけが争点だとかどうとか言ってるにすぎないように聞こえるが,地方も政治家レベルでは,同じ面があるわけだし,そういう政治家の腐れ仁義が地方と国ということの内容なのだろう.もちろん,国と地方がつながりを持つこと自体は,それはそれとして当然としても.

産業的にも,企業は,ほんとは,原発以外の発電や蓄電の技術を持っているのだろうけれど,出し惜しみしながらでないと,おいしい面が逃げてしまうとか考えているのだろうか.そういうことに付け入るのが,賢い政治家の行動というものであると,考えているのだろうか.それこそ,「・・・だけが争点」とか「・・・だけを争点」という実態ではなかろうか.そんな実態なら,徳田虎雄の次女を東京都知事になんて,やればいいのではなかろうか.けっこう,票が入りそうな気がする.オリンピックへの悪影響も考えられない.

・原発だけが争点ではないという論理

「原発が争点」というと何が困るのだろうか.考えられることは,
(1) 大地震や大津波などの自然災害と,原発のような問題をどう分けて考えればいいのか,はっきりしにくい.
(2) 「原発が争点」というと「原発だけが争点」,あるいは「原発」を言う奴らは,他のことを無視して,議論をたてたがるに違いない.そうすると,既成政党や団体支援候補の話が,争点ぼかしなのか,公約なのか分かりにくくなる.そうすると,政治家の公約は,ほとんど空手形だとしても---実現できるかどうかは別な話だから---,感覚判断に理屈がつけにくくなる.
などといったところだろうか?

(1)については,地震や津波などの自然災害に対しては,地震学者だとか,防災学とか,昔流にいえば,地球科学のような面から,いろいろとメディアでも取り上げられているようなことを積み上げながら,やっていくのだろうが,私は詳しく知らないので,言えない.原発も詳しいことは知らないが,一応私なりの感じでは,原発事故というのは,もともと,地震や津波に関係なく,リスクのあるものだが,だから,今日起っても,明日起っても,10年後に起っても,不思議ではないものだが,地震や津波などは,破滅的にそのリスクを現実にする可能性が高い.そういう意味では,原発問題は,自然災害と別に論じることもできるが,自然災害もそのリスクを担っていることには変わりない.意外とそういう感じの混乱は多くて,「福島の原発事故で,人は死ななかった」,というが,ドキュメンタリー番組の,東電関係者の証言では,死ぬかもしれないリスクは現実にあった,といっているのだから,もし,そういう事態に事故の経緯が進行すれば,10人いれば10人, 100人いれば100人死ぬような危険も,十分あり得たといってるわけで,「原発事故で人は死んでいない」とかそういう発言を,一部の政治家が時折やるようだが,どんなものだろうか.経産省が言わせてるのだろうか,防衛省だろうか,それとも,勝手なそれらの省の外郭団体気取りのところが言わせてるのだろうか? あるいは,原発依存への甘えと傲慢が根底にあるのだろうか.

直前にトンネルを20台車が通ったが,崩落事故で,死人が出たことはないというのと同じ言い方で,安全が担保されるという主張がまかり通るなどということは,普通考えられないが(実際事故で亡くなった方もいるのだから,これも,不謹慎な例示なのだが), 連中は,そういうことまで悪用しようとする感じだから.

原発話には,<安全神話原発博士>も多そうだから,キャバクラかどこかで調子こいてたことが,質屋の鑑定で偽物とばれるから,躍起になってごまかしに走っているのもいるのだろうか.チンピラ言論人も,やくざの親分の銭勘定で,メディアが重宝しているらしい.朝鮮総連関係の連中だろうか.

財界人の朝鮮総連体質もよく分かりにくいのだが,経済界の隠居連中だからなのだろうか.年取ると,ないげない楽しみの方が,何にもましてありがたく感じられるようになるからだろうか.そこらは,サービスよさそうだから.別に,民族主義でいってるのではないが,変にいびつな結びつきの背景を感じさせることが多すぎないだろうか.原発依存もそういういびつなことの言い逃れに使っているような感じもする.原発ゼロも総点ではあっても,争点にしづらいという感じが,にじみ出てしまうのではなかろうか.そんなこんなで.

(2)については,逆にそいういう状況を悪用したがる勢力が増長するだけに終わるから,いろいろ関連する事柄は広く多いのだろうが,まじめな捉え方をしたがらない.やらせメールや公共事業,保育事業などへの,業者の談合体質とか,どうせ裏でやってるのだろうという感じもあるからだろうか.東京というところが,そういう体質のところ,「生き馬の目を抜く」とか,しょうもない便乗体質とかだからだろうか.だから逆に,オリンピックだとか大花火を打ち上げて,ごまかそうという傾向が強いのか.大義をはかれないところが大都市になってしまったというミスマッチが原因だろうか.池袋は表と裏では景色ががらっと変わるが,渋谷は表も裏も一続きで,それは,渋谷には表にもどぶ川が流れているからで,その上,どぶ川横にはウェディングドレスが飾ってあるというところで,しかもラブホ街だしというところで,池袋は,ある意味,どぶ川混ざりがない,という感じだろうか.どちらがいいとかの比較ではないが.


・科学技術への誤解と世論操作

科学的な立場とは別に,これも詳しくは知らないが,常温核融合も,私などは,放射能を出さずに,恒久的なエネルギーを簡単に手に入れられて,いろいろ便利になるし,などと夢みていたりしたのが,現実には,中性子は大量発生させるらしいし,いろいろ,科学的に興味のある対象であるというのと,現実の生活に役立つということにはギャップがあるようだが,中性子源(原発の発火材)に使おうとか,そっちの方に行ってしまうのだろうか.なんか,一酸化炭素中毒になりそうな感じもしなくはないが.冷却剤としての水は,減速材(核反応の着火材であるとともに促進材,中性子だが,それを制御する材料が水だから)でもあり,反射材(反応効率を高める)でもあるから,基本的な役割を一手に引き受けられる,優秀な素材だが,それでも原理的に,安全は担保できない.なら,役割分担とか考えそうだが,解決にならない.ということではなかろうか. 







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