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janpal

人生これ,雑記.

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とりあえず,「高等的多様体算数の研究」と題して

2012-12-19 09:24:02 | インポート
先日,高瀬正仁訳『ガウス整数論文集』,ちくま学芸文庫を買った.他書も積み残しのまま,あれこれ手を広げていても仕方ないのだが,逸話としても残る数学の秘宝というだけに,実は,まだまだ指針を内蔵しているのではないか,そういう期待もあって,読み始めたところである.

特に,平方剰余の相互法則とその補助定理(第一および第二補充法則),高次冪剰余の探求というテーマが直接の内容だが,あるいは,その本当の目的は,真理のネットワークへの数論という小径の散策ガイドというものではなかろうか,などと思ったりする.まるで,相互法則が,高等的多様体論の高等的円分論の位置を占めているかのようでもあるから.ガウス『アリトメチカ研究』のアリトメチカは,私としては「高等的算数」という訳がぴったりなのだが,いろいろあるらしい.断定的に内容はこうだと言ってしまったが,もちろん,それを確かめるまで読み進んでないから,予備知識程度のつもりである(つまりそうアテにならない).
楕円関数論だテータ関数論だとか指数定理だとか,数学史的な経緯があるようだが,素人的には,算数へ遡行する旅のような感じがする.未知の世界への新たな遡行という感じで.内容もよく確かめないまま,感想をいっていても仕方ないが,読みはじめの勢いというものである.歳のせいか,だいぶ息切れも激しいが.ということで,ちまちまやっていくしかないのである.


最初の定理は,

定理.pを正素数,kをpで割れない任意の整数とする.1, 2,3, ..., 1/2(p-1)をA, 1/2(p+1), 1/2(p+3), 1/2(p+5), ... , p-1をBとする.kとAの個々の数との積(k・Aと書くとする)の法pでの絶対正剰余をとる.それらはすべて異なり,一部はAに,また一部はBに属するが,Bに属する剰余がμ個であるとすると,μが偶数ならば, kはpの平方剰余,μが奇数ならばkはpの平方非剰余である.


合同式 x^2 ≡ a (mod. p)が整数解をもつときaをpを法とする平方剰余,そうでないとき,平方非剰余という.pを法とするとき,x^2の剰余がaとなるようようなxが存在するかどうかということだろう.

仮に,p=13, k=20として,確かめてみる.p-1=12, 1/2(p-1)=6だから,
A={1 ,2, 3, 4, 5, 6},
B={7, 8, 9, 10, 11,12}.

k・A = {20, 40, 60, 80, 100, 120}で,法13での剰余は,それぞれ,{7, 1, 8, 2, 9, 3}.{1, 2, 3}はAに属し,{7, 8, 9}はBに属する.μ=3.

{7, 8, 9}の補値といわれる{13 - 7, 13- 8, 13- 9}={6, 5, 4}をとれば,{1, 2, 3}とあわせて,Aが覆われる.a=bq+rで|r|≦b/2となる剰余rを絶対的最小剰余というが,Aはb=13の絶対的最小剰余のあつまりになっている.

1・2・3・4・5・6=720≡5(mod. 13)
- 1・2・3・7・8・9=-3024≡5(mod. 13),(-3024=-233×13+5で13で割ると5余るから).

7, 1, 8, 2, 9, 3 は20, 40, 60, 80, 100, 120の法13に対する剰余だから,当然,
-20・40・60・80・100・120= -20^6・1・2・3・4・5・6≡ - 1・2・3・7・8・9 ≡ 5(mod. 13)

1・2・3・4・5・6≡ -20^6・1・2・3・4・5・6≡5(mod.13)
したがって,
-20^6≡1(mod. 13)

フェルマーの小定理から,kが法pに対する平方剰余である必十条件は,k^{(p-1)/2}≡1 (mod. p)だから,kは平方非剰余である.μ=3で奇数だから,定理の通りである.


補値(ここでは,a,b,cに対する)の積は,(p-a)(p-b)(p-c)=p^3+Sp^2+Tp-abc≡-abc (mod.p)だから, 4・5・6≡ (-1)^μ・ 7・8・9 (mod. 13). μの個数によって,abcの前の符号は+か-になるから.ここでは,μ=3だからマイナス符号.μ=2なら(p-a)(p-b)≡ab(mod.p)でプラス符号.S,Tはp^2, pの係数を簡単にかいたもの.


x^2 ≡ a(mod. p), aはpで割り切れない正負の整数.aが法pに対する平方剰余であることを (a/p) = 1, 平方非剰余であることを(a/p) = -1とかけば(ルジャンドルの記号),

(a/p) ≡ a^{(p - 1)/2} (mod. p)

がなりたつ(オイラーの規準).(a/p)=1の時,つまり,aが法pに対する平方剰余のときは,a^{(p - 1)/2} ≡ 1(mod. p)が成り立ち,(a/p)= -1なら,つまり,aが法pに対する平方非剰余のとき,a^{(p - 1)/2} ≡ -1(mod. p)がなりたつ.a=k=20, p=13のときは,kは法pに対する平方非剰余であるので,20^{(13-1)/2} = 20^6 ≡ -1(mod. 13)が成り立つ.
仮に,p=7, k=20のときは,(20 / 7) = -1.


ここで,多分,『アリトメチカ研究』(Disquisitiones arthmeticae(1801), 略してD.A.)
第108条
THEOREMA. Omnium numerorum primorum formae 4n + 1, -1 est residuum quadraticum, omnium vero numerorum primorum formae 4n + 3, non-residuum.

「pは奇素数とする.次数2の合同式
    x^2 ≡ -1 (mod. p)
は,pが4n + 1型なら解を持ち,pが4n + 3 型なら解を持たない.」(「1.8 合同式の世界」(『ガウスの数論』))

という,無限性と素数の型(形状)のつながりがでてくるのだろう.


参考: アンドレ・ヴェイユ『初学者のための整数論』,ちくま学芸文庫
  高木貞治著『初等整数論講義』,共立出版


iPadmini届く

2012-12-17 04:22:18 | インポート
2012年12月15日 iPadmini届く.
インターネットにつなげないので,現在,PCに直接つないで,iTunesで音楽やビデオ,アプリを入れて,試している.PDFをめくりながら読めるアプリは,画面が小さいからサイズを拡大してはもとに戻し,めくる.多少手間だが,気分的にいい.PCの音楽ビデオも,iPadではまた違ったおもむきで面白い.水平器や,角度をはかったり,定規を当てるようにして長さを測れるアプリは,ひょんな時使えそうな感じがする.録音用のアプリは,PCで録音したときより,自然な感じがする.操作に慣れないこともあって,やり直すこともあるが,そういらつくほどではない.入力はやはりローマ字入力でないとやってられない.キーボードの操作は意外とやりやすい.その他,将棋は素人感覚,そこそこやるが,オセロは弱すぎる.




超ウラン元素に関する訂正

2012-12-11 10:21:52 | インポート
May-11-2011の記事で,超ウラン元素の電子捕獲ベータ崩壊を電子放出ベータ崩壊といっていたままにしていたようだ.イオン化するということで考えれば,Np → Pu+e(陰電子)の 「+」はNpが軌道陰電子を核内に捕獲してPuに崩壊する電子捕獲型ベータ崩壊反応と読むということだろうか.「放出」とすればつじつまが合わないわけだから,「放出」は間違っていたが(Np→Puはふつうはそれでよさそうだが),細かくなりそうで(定かでないが,そこには難しい問題が存在してるような記事を読んだ記憶があったから,つまり,言い訳だが),手に余るので,「捕獲」を「放出」と間違えた.問題としては,反原子とかはすぐ思い至るだろうけど.


どうも,私は,ここは,少し混乱している.要は,ベータ崩壊には電子を放出するものと軌道電子を核内に捕獲するタイプがあって,総じてベータ崩壊というということで,核の性格を変える技術に関連するだろうから,そういう核技術は,除染等には使われてないようだが,将来の原子力の安全性の議論にでているのだろうということである.そうでなければ,将来の安全性とは,核反応の問題以外の問題に局限されているということだから.もちろん,安全性ということでは,どちらも大事な問題だろうけど.あるいは,遺伝子の問題にも関係が深いのだろう(つまり言い訳だが).


混乱ついでに,例も悪くて,Np→Pu+eは普通のベータ崩壊でいいのだが,超ウラン元素の崩壊の特徴は,アルファ崩壊+電子捕獲型ベータ崩壊だったろうか.あるいは,何か別な,核の崩壊の仕方の示唆とか.「将来の技術で安全」というけど,そんなに確かなものなのだろうか? そう簡単なはずはないような気がするのだが,知らないのは私だけなのだろうか? といっても,核現象が知見を開いたこと自体は否定する理由はなさそうだが.核がそう簡単に安全を担保するというのは,どういう根拠からきているのだろう.よくわからないのだが.別に,わたしが,ここで混乱しているからというのではない.そういう根拠が周知で安全が担保されうるという話は,本当にそうなのだろうか,確かめたいだけである.核の安全保障,核の経済性,核の安全性等の話は信頼おけない気がしているのだが,間違っているのだろうか? 専門家の意見が分かれるというが,科学的な見解の対立というほどの相違が本当にあるのだろうか,そこらも疑問な気がする.


要するに,ベータ崩壊の中でも電子捕獲型のものは,超ウラン元素に関係が深く,α崩壊とともに,その特徴になっているが,その科学的な探索から,遺伝子や素材開発等の技術的可能性がもたらされるということもあるだろうが,原発の将来的な安全性とは,そのような意味で,科学的に確証のあるものなのか,これは,一つの視点であるが,その程度に確証のある根拠が,ほかに知られているのか(超ウラン元素に関する知識は専門家や詳しい人はある程度知っているだろうから).その点,一つの物語としては語られるが,裏付けのある話として話されることはないようだが,原発関連の(核科学以外でも)学者がそう信じて安全性を語るのは,学問的な立場からなのか,それとも,マスメディア用の痴れ者話なのか? 推進の立場に立つ政党や政治家もそういう根拠のありそうなふりをしながら語るようだが,推進でも脱でもどうでもいいが,そういうところは,多少,節度が必要なのではなかろうか,たとえ政治家でも,政治家取り入りの言論人でも.

たとえ,中国や韓国,北朝鮮等が政治的にどう利用しようが,核の問題は,科学の深化と進展の中で判断されることのように思う.日本は,その上で,相手方の事情や意図,経緯を見極めて,国としての進路を取るということ,歴史の本にもあったようだが,最近は,アメリカの軍事戦略のリフォーム話に絡んで,無視され始めているのではなかろうか?
日本は,敗戦のなか,当然,列強やそこに干渉しようという勢力の渦の中で,運命待ちのような状態で,だまってことの成り行きにうち沈んでいた,という話も時の情勢から考えれば,あって不思議なさそうだが,案外そういう点は,不安はあっただろうが,そう強い絶望というような雰囲気はない.何故なのか? 歴史の事実ということとと,その事実がダイナミックに流動する秩序を企投していくということ,経済の自由主義的な潮流という瘡蓋(かさぶた)に政党がすがりつく姿はその一つの現れではなかろうか?


 例えば,アインシュタインが核開発に賛成しようが反対しようが,科学の知見は取り入れ,その本質は変えずに,科学を読み替えていく.そういう立場で,理系苦手な文系オヤジの立場を固める,ということで,科学崇拝とか,科学至上主義とかそんなものではない.矛盾があるとすれば,理系苦手なのにそんなことできるのか,ということだが,矛盾というほどのことでもない,はずではなかろうか.