最近,ほとんど人文科学や社会科学系の本を読んでない.隣市の「CD,DVD,古本」店で,ぶらっと物色していたら, 昔読んだ本が100円で売られていたので,数冊買って帰った.
中公文庫の「世界の歴史」シリーズの一冊『ギリシャとローマ』は,高校生のとき,シリーズ全巻取り寄せて,物語風の歴史書として読んだことがあったのだけど,風邪気味でボ~ッとした気分の中,読み返してみた.
500ページ程の本だから,細かいこと言ってたら限りがないので,2,3の自分なりの感想を述べたいと思う.
まず,主に地中海世界を舞台とする古代世界の展開と崩壊に至るプロット.エジプトなどの大公共事業的文明国家と異なった都市国家(または,機械的なムラを単位とする)文明.また,近代の資本主義世界の成立後の商業ではなく,ときおり,何か媒介(触媒)として文脈の中で出てくる古代の商業.例えば,デリバティブで有名になった古代の自然哲学者ターレスのオリーブの絞り機の話や,学問成立の前提条件としての閑暇の基盤となった商業の古代的性格など.そういう世界の中での(職業,「資本主義の」)「精神」成立の不成立性など.もちろん,時代的に隔絶した世界と現代とは違うことも多いのだろうけど,やはり現代社会の問題に通じるようなものを感じる部分も多いと思う.古代史研究における言語の役割.特に,日本(史)における言語の役割との対照.日本のある意味の「文化、文明的」なデベロップメントが断片的で,しかも暗黙知的な長いスパンで見ないと(幕末,明治維新の頃の国学のような)なかなか見えてこないのと対照的に(*),表立った重要性,有効性を持っている所など.歴史学自体が,周辺諸科学とのいわば相互作用によっていること,歴史学は開いた学問であることなど.
(*)蛇足ながら,「奈良本史学」での幕末の水戸学派の意味とかを思い浮かべて,ディベロップメントの「暗黙知的次元」という表現で見たらどうだろうということで対比してみました.