概要
遠野~上郷来内線沿いの遠野第二ダム南側山野に残されている。
近年、道路となり山野が切り通された場所であり、主郭は道路の西側の山野と思われる。
山野は西から東へなだらかに傾斜する地形で、その中腹の小さな平場がみられるが主郭かは不明である。
道路直上も東西に長い平地となっているが、南斜面に2段の帯郭的平場が確認できる。
また北側斜面は3~5段の階段状の平場が確認できるも、段差が低く、館跡特有の階段状の平場であるかは不明瞭である。
斜面上部から二重の空堀らしき溝が西端側から流れているが、途中から中央部にカーブし、そのまま中央部斜面を下っている。
また、中央より北寄り斜面にも同様の溝が斜面を下っている。
この溝は、さらに上部の山野斜面から続いており、館跡特有の堀跡とは少し違う違和感がある。
この館跡を調べた先人郷土史家によると、堀跡は砂鉄を流し土砂と鉄を分離する鉄穴流しの跡と考察している。
切り通しの東部分山野には稲荷社、近世の水力発電施設の一部、貯水に用いられた石積の水槽跡が残されている。
下部は若干の段差がみられるも館跡としての遺構なのかは不明である。
北側の段差
空堀(鉄穴流)跡?
切り通し
切り通し下部の地形
歴史、記録伝承等
館跡伝承、産鉄に関わる言い伝え等、一切不明とある。
ただし、館跡を調べた郷土史家によると、この地域一帯はかつては砂鉄の宝庫であったということで、産鉄に関わりある地域であった可能性が高いと指摘されている。
また斜面の溝もかなり以前からあったといわれ、近年に造られたものでないこと、館跡としての空堀跡或いは、産鉄に関わりある鉄穴流跡なのかは不明であるも、館としての機能も備えた産鉄の拠点だった可能性も秘めているかもしれません。
珍しいですねえ。
館跡かどうかは微妙なようですが、そうでないとするといったい何?ということになって、やっぱり鉄関連になるのでしょうか。不思議な遺構です。
確かに不思議というか謎です。
切り通しができる前は館跡特有の段差なんかも見られたようですが、産鉄施設が先か館が先か?そんなところではないでしょうか?
下部では鉄さい等、明かに産鉄に関わる産物が発掘されたともいわれます。